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E×I  作者: 鉄箱
第二部 闇を打ち祓いし剣
28/81

六章 第六話 帝都 DE デート!?


 広大な屋敷、その一室。

 最初に呼ばれた時とは比べものにもならないほど、豪華な料理の数々。

 それらを目にして、ナーリャはごくりと唾を飲む。


「ナ、ナーリャ。

 …………いいのかな、これ?」


 それは千里も同様だったのだろう。

 笑顔のまま固定されて動けない千里の身体は、小刻みに震えている。

 まるでマッサージ器のような動きを、似た様な状態のナーリャは笑えなかった。


「い、いいというか。

 …………逃げ道が、無いというか」


 ナーリャ達に料理を振る舞い、笑顔で佇む二人の男性。

 金の髪に銀の目をした壮年の男性――ライアンの父、ライト。

 そして、紫がかった青い髪に群青色の目をした、カール髭の男性――ジックの父、ロウクだった。


 その両脇には、ライアンの母であるラナと、ジックの母である群青色の髪に青い目の女性、マリーが座っている。ライアンとララ、ジックは更にその隣だ。


 ライアンは相変わらずの笑顔、ララは無表情。

 そしてジックは、しかめ面だ。


「ささ、遠慮なさらずに」


 ライトに促され、ロウクに微笑まれ、暖かい歓迎に包まれて言葉が出ない。

 ナーリャは喉を鳴らすと、良い笑顔で頷いた。


「いただきます」

「ナーリャそれ日本式っ!」


 どうにも、この緊張には慣れることができそうにない、二人だった。














E×I














 心ゆくまで料理を堪能した後、二人は中庭で紅茶を飲んでいた。

 すぐに帰ろうとしたのだけれども、それをライアンが引き止めて、結果こうしてお茶会となったのだ。


 メンバーは、ライアンとジック、ナーリャと千里の四人だ。

 仄かに果実の香りが漂う紅茶を口にしながら、千里は思う。

 何故こんなにも、ジックとナーリャの間の空気が悪いのか、と。


「ナーリャ?」

「なに?千里。

 あぁ、クッキーに手が届かないよね」

「あ、いや、うん」


 お皿を引き寄せられてしまい、千里は口を噤む。

 ナーリャは千里と話している間だけは、和らいだ笑みを見せるのだ。

 そんな顔をされてしまったら何も言えず、千里はチョコレートの風味があるクッキーをかじった。ほろ苦い、ビターなココアクッキーだ。


「それで?

 結局どうして、僕やライアンを襲わせようとしたのさ?」


 それは、千里も気になるところだった。

 終始ライアンの体調を気にしていた、ジック。

 友人だと言えるほど仲が良いのならば、何故罠に嵌めるような真似をしたのか。


 ジックは顔を逸らしたまま、話そうとしない。


「あとちょっとで、ライアンは死んでいた。

 僕も千里も、運が悪ければどうにかなっていたかも知れない。

 それほど危険なことだったっていうのに、君は――」


 ジックを責めようと、ナーリャが腰を浮かせる。

 ナーリャは、それほどまでに怒っていたのだ。

 故意に“友達”を傷つけるような行為をした、ジックに。


「――はぁ。

 言わないなら俺から言うぞ、ジック」


 そんなナーリャを制したのは、呆れ顔のライアンだった。

 ライアンはジックの沈黙を許諾の合図と受け取り、まずはナーリャに頭を下げる。

 一狩人に過ぎないナーリャに、貴族のライアンが謝罪の言葉を紡いでいた。


「まずは、済まない。

 ジックがあのような愚挙に走ってしまったのも、俺の家族に理由がある」

「……うん。

 でも、ライアンが頭を下げることじゃないから、顔を上げて。

 もう、ジックにもそうは言わないから」

「ありがとう」


 ライアンは、ナーリャの言葉に頭を上げる。

 その顔には僅かだが気疲れのような色があり、笑顔に力がない。


 千里はそんな空気に入り込むことができずに、四枚目のクッキーに手を伸ばしていた。

 お菓子みたいな甘いものは、女の子の動力源。

 だというのに、最近まったくとれていなかったのだ。

 ここで食べておかなければ、謎のガス欠を起こしてしまうかも知れない。


「千里、はいおかわり」

「うん、ありがとう」


 ライアンが口火を切るまでの、ほんの僅かな時間。

 その一瞬で、ナーリャと千里は短いやりとりを行う。

 端から見れば、恋人同士……というより、仲の良い兄妹だ。


「はっ!

 あれ、私なんか、餌付けされて――」

「――実は、ジックの行為には訳があるんだ」


 千里が何かに気がつき、顔を上げる。

 だが丁度その時にライアンの話が始まってしまい、千里は疑問を氷解できぬまま口を噤むことになった。


「訳?」

「あぁ」


 ナーリャとライアンが真剣に話を始めてしまい、千里は所在なさげに視線を泳がす。

 そして散々迷った後、ナーリャが千里の手が届かない位置から取ってくれた小皿に手を伸ばし、そうしてクッキーを摘み始めた。まごう事なき、餌付けである。


「俺の姉上、ララは、二十三になる。

 だが、まだ結婚もせずにいることを、父上も母上も嘆いていらした」


 急にララの話しになり、ナーリャ達は戸惑いを見せる。

 だが最後まで聞いておこうと、ぐっと口を閉ざして続きに耳を傾けた。

 そんな中、千里は小さく首を傾げる。


「二十三で、結婚?」

「うん、十七歳くらいで、普通は結婚を勧めるんだ」


 話しの中でよく理解できなかった“価値観”は、千里が小声で聞くとナーリャがすぐに教えてくれた。十七歳と言うのは、結婚の平均年齢に過ぎない。早いところでは十二歳で婚約なんて家もあるのだ。


「そこで姉上は、

 ……結婚相手に条件を設けた上で、申し込みを受け付けると言った」


 つまり、お見合いしたければ望む釣書を持って来い。

 ララはそう言い放ったのだという。


「条件?」

「あぁ、そうだ。

 そしてその条件が……“闘技大会で勝ち上がれる、自分よりも強い男”だったんだ」


 闘技大会に勝ち上がる。

 それを為し得るのはいつも腕の立つ騎士で、そういった騎士には既に婚約者が居ることがほとんどだ。


 まぁ、結婚などしないと言い続けていた時よりはマシだ。

 ライトとラナは、その条件に頷いた。

 そうなると困るのは、そんなに強くはないのにララに思いを寄せる、人間だ。


「つまりジックは、とにかく勝ち上がろうとしたのだ。

 なるべく、強そうな者を削っていくという方法で」

「なんでそんなに、ネガティブで積極的なのよ……」


 そう、彼は……ジックは、想いを諦めきれなかったのだ。


 千里の呆れた声に、ナーリャは苦笑いを浮かべる。

 暗い方向に思考が寄っている、にしては積極的な行動。

 なんだかんだと狡猾に立ち回ろうとしてはいたが、ジックは不器用な少年だった。


「ほら、ジック。君も謝るんだ」

「むぅ、その、なんだ……すまなかった」


 胸を張って顔を逸らしたまま、ジックは小さく謝罪の言葉を口にする。

 ともすれば聞き取れないような微かな音は、しかしナーリャと千里の耳によく響いた。


 ピンチ続きで張り詰めていた、気持ち。

 それが溶けていく感覚に、千里は緩んだ笑みを零すのだった。











――†――











 ライアン達に見送られて、宿へ帰る。

 宿への説明はライアンの家の使用人がしてきてくれたというので、二人は余計な気を負わずに帰れることに、少しだけ安心していた。


 太陽は真上よりも西側へ傾いている。

 昼時を過ぎて今は、千里の感覚でいうところの“おやつ時”だった。

 午後三時、その前後くらいだろうと頭の中で当たりをつけながら、千里は空を見上げる。


「良い天気だねー」

「うん、本当だ」


 何気ない会話。

 そこで途切れてしまってもさほど気にならないのは、気安い友人だからこそ。

 いつの間にかこんなにも静かな空気を生み出せるようになっていたのかと、千里は頬を緩ませる。


「闘技大会、考えてみればあと七日だね」

「一週間、かぁ。早いなぁ」


 それを考えれば、ため息も吐きたくなる。

 気がついたらそんなに経っていたのだ。どこかで身体を鍛えるのは必要だろうが、観光をする時間は取れそうになかった。


 大通りを抜けてしばらく歩くと、宿に辿り着く。

 宿屋の気の良い主人に会釈をして、二人は一度ナーリャの部屋に集まった。


「さて、今後のことだけど……」

「うん」


 この後、どう動いていけばいいのか。

 千里は、ナーリャの提案に耳を傾ける。

 ナーリャはベッドに腰掛けていて、千里は木の椅子に座っていた。

 対面に座ると、ナーリャの真剣な黒い目がいつもよりも高い位置に見えて、少しだけ胸が跳ねる。


「修練場を借りようと思うんだ」

「修練場?」


 修練……練習する場所のことだろうか。

 千里は首を傾げながら、続きを促した。


「うん。本来は兵士の修練のための場所……なんだけど」


 闘技場の間は、参加者のために一般解放がされている。

 ナーリャはそう、続けて説明をした。

 そこら中で暴れられたらたまらない。そう考えた上での、ストレスの発散場でもあるのだ。この時期になると、酒屋が物理的に潰れてしまうことも、珍しくないのだ。


「そっか……それなら、そこで?」

「うん。修練を積むなら、そこが良いと思う」


 他の手段として、ギルドに仕事を斡旋して貰い、帝都周辺の魔獣を狩るというのもある。

 だがこれは、修練では飽き足らない参加者達がこぞって参加するので、早く申し込まないと帝都周辺はすっかり平和になってしまっているのだ。悪いことでは、ないのだが。


「それなら、早速……」

「いや、なるべく朝早い時間から入った方が、場所が取れて良いと思うんだ」


 立ち上がろうとした千里を、ナーリャが手で制する。

 千里は行き場を無くした力を解放するようにすとんと座ると、首を傾げた。


「そうなの?

 それじゃあ…………これからどうしようか?」

「うん、それなんだけどね」


 ナーリャは、真剣な表情を一転させて、優しげな笑顔を浮かべる。

 千里が好ましく思っている、柔らかな微笑みだ。


「今日の所はとりあえず……“観光”でも、どうかなって」

「えっ」


 覚えていて、くれたのだ。

 この異世界の地、その光景を見て回りたいと言った、千里の言葉を。


「どう?」

「行く!」


 腰を浮かせて、立ち上がる。

 その様子が微笑ましくて、ナーリャは微かに声を出して笑った。











――†――











 帝都の名物は、闘技場を始めとした建造物にある。

 何代か前の皇帝が、この街に多くの建築家や芸術家を呼び寄せて作らせたものなのだと、ナーリャは千里に説明をしていった。


「まず最初は、六聖噴水かな」

「六聖、噴水?」


 ナーリャに導かれるまま、千里は隣に並んで歩く。

 街の中心に向かって水道が流れていく様は、教科書で見たローマの街並みを千里に連想させていた。


「そう。街の六方向、星形に置かれた噴水なんだ。

 大昔の占い師が、そこに守護者を置くと街が発展するって言ったんだって」

「へぇ……発展した……んだよね」

「いや、実際にこの街が発展したのは、それから何十年も後のことらしいよ」


 そう簡単にはいかなかった。

 ナーリャはそう説明を続けている。

 千里が大きく感心してくれるからか、ナーリャも得意げだ。


 街を端から回っていくと、各名所の合間にこの噴水が見える。

 流石に全て回っていたら他が見えなくなってしまうから、他の名所のついでに眺める形にしようと、ナーリャは千里に告げた。


「最初に一カ所噴水を見て、そこを出発地点にしよう」

「うんっ」


 大通りを抜け、人混みを潜り、橋を渡って街の端へ行く。

 そうして歩くこと十五分ほどで、その噴水に辿り着いた。


 噴水の形は、鳥だった。

 大きな鶏冠の鳥が、四枚の羽を広げている。

 その瞳に埋め込まれた緑色の宝石が、どこか静寂さを感じさせていた。


「ニワトリ、みたい」

「ソボルネアっていう魔獣でね。

 風を支配する能力から、自由を象徴するっていわれているんだ。

 ちなみに、今日は行かないけれど、ここから東へ行くとシーラの像もあるよ」


 シーラが象徴するのは、平和だ。

 平和や平穏を象徴するシーラが、東側で石像になっているという。

 シーラは王国に住む生き物だが、帝都に飾られている。

 これは、石像の制作に携わった人間に、王国の者が居た為なのだろう。


 千里はその説明に、納得の色を交えつつ頷いた。


「たしかに、シーラは“平和の象徴”っぽいかも」

「自由、平和、愛、道徳、正義、繁栄

 ……それぞれが、象徴とされる生物と共に街に飾られているんだ」


 そうして恒久的な発展を望む。

 それがこの街の……帝都の、在り方だ。


「次は……」


 ナーリャはそういうと、地図を広げる。

 宿を出発する前に、近場のギルドでナーリャが仕入れてきたものだ。


 次の目的地を指さすナーリャの、その横顔。

 千里を楽しませようと朗らかに笑うその顔を、千里はそっと盗み見る。

 まつげはあまり長くないし、鼻筋もすっと通っている。

 女の子とは違う、男の子の顔だ。


「さ、行こう!」

「うん……行こう、ナーリャ」


 差し出された手は、冷たくて。

 千里は伝わる熱を受け取りながら、俯いて微笑む。

 ありがとう、と……万感の、想いを込めて。











――†――











 次に千里達がやってきたのは、小洒落たカフェだった。


 女性客が集い楽しそうに会話をしながら、何かを買っているようだ。

 男性など一人もいない、なんてことはなく、女性の方が圧倒的に多いだけで男性の姿も絶対数こそ少ないが、見えていた。


「ここは?」

「うーん……お菓子屋さん、かな」


 ナーリャはそう言いながら、千里を残して店に入る。

 女性だらけの所へ堂々と入っていく姿は、妙な男らしさを見せていた。

 千里はそんなナーリャの後ろ姿を所在なさげに見つめながら、佇んで待つ。


「今、気がついたけど……これって、“デート”だよね」


 本当に、今更だ。

 今更だが、考えてみると胸が跳ねる。

 スプリングでも内蔵しているかのように、とくんとくんと胸が鳴る。


「え、えぇっと。デートって、どうすればいいんだろう?」


 そんな経験は無い。

 だからこそ千里は、頬を赤く染めながら慌てだした。

 どうすればいいか解らない。デートってどうすればいいんだろう。


「デート……ナーリャ、と」


 胸に手を当てて、それから呟く。

 朱色の唇から零れだした言葉には、微量の熱が宿っていた。

 その熱を確かめようと、千里は自分の唇に、ゆっくりと人差し指を這わせる。


「お待たせ」

「っ!?……う、うんっ」

「?」


 聞こえてきた声に、千里は慌てて返事をする。

 顔を赤くして戸惑う千里の姿に、ナーリャは小さく首を傾げた。

 だがすぐに笑顔を浮かべて、千里の側へ行く。


「あ、危なかった」


 千里はそんなナーリャに聞かれないように、小さく小さくそう呟いていた。


 人の流れが早いのか、待ち時間は三分ほどだった。

 戻ってきたナーリャの手、そこに握られているのは、二つのカップだった。

 白いカップは紙に似た千里の知らない材質のものでできていて、いかにも使い捨てといったチープさを醸し出している。


 その中に入っているのは、爪楊枝みたいな木のフォークと、それから黒い球体のお菓子だった。黒い球体には、黒いソースのようなものがかかっている。


「ルクっていう木の実を加工して、球体に固めた焼き菓子なんだ。

 お菓子作りの料理人は、まずは帝都にきて修行をする。

 だから、こんな新しいものが生まれやすいんだ」


 その“新しいもの”をナーリャが知っている理由は、簡単だ。

 街の地図を購入する際、事前に調べておいたのだ。

 お菓子の情報は女性に聞くのが一番だ、とギルドの受付の女性に。


「へぇ……おいしそう」


 千里は感心しながら、ルクの焼き菓子を口に運ぶ。

 とろみのあるソースを絡めることも、忘れずに。


「あ……チョコレート、だ」

「そんな風に加工したルクのみのことを、“ルクロト”っていうんだよ」

「ルクロト……そっか、焼きチョコとチョコソースなんだ」


 となると、ライアンの家で食べたクッキーにもルクロトが入っていたことになる。

 帝都では割とポピュラーなお菓子である、ルクロト。

 それを贅沢に使ったのが、この焼き菓子だった。


 まさか異世界で食べられるとは思っていなかった、焼きチョコ。

 黒い球体の焼きチョコはサクサクとしていて、口の中でふわりと蕩ける。

 そして、苦みのあるビターなチョコソースが、甘味を絡めて深みを増すのだ。


「おいしぃーっ」


 ナーリャも食べてはいるが、そこまで甘いものを好む訳ではないため、あまり食が進んでいるようには見えない。それに対して千里は、六個も入っていたのにもう最後の一つを頬張っていた。


 女の子と甘いものは、切っても切れない縁なのだ。


「こっちも食べる?」

「ホント?!

 って……でも、悪いよ」

「あんまり、甘いものは得意じゃないんだ」


 ナーリャの苦笑を真実と受け取り、千里はそれならとルクロトの容器を受け取る。

 申し訳なさそうな顔をしてはいるが、隠しきれない喜びで頬が緩んでいた。


 その嬉しそうな顔を見るだけで、なんだかナーリャも嬉しかった。


「あぁ、幸せだー」


 サクサクと食感を楽しむ、千里の横顔。

 幼さの色濃く残る容姿は、それでも年相応の輝きを宿していて愛くるしい。

 ぱっちりと開いた丸くて大きな瞳と、ふっくらとした朱色の唇。

 柔らかそうな頬と滑らかで美しい、栗色の髪。


「うん――僕も、幸せだ」


 夢中になっている千里に、その声は届かない。

 そもそもナーリャは、聞かせる気なんて無かった。

 言える訳がないのだ……“君が幸せそうだから、自分も幸せだ”なんて。


「ナーリャ?」

「なんでもないよ。さぁ、次に行こう?」

「うんっ」


 その柔らかな手を引いて、ナーリャは笑う。

 この一時の幸せを、空っぽの記憶に刻みつけようと。


 ただ朗らかに、笑う。











――†――











 斜めになって、崩れそうで崩れない屋敷。

 魔法使いが遺した、熱くない炎の柱。

 青い薔薇の庭園と赤い花の木をモチーフにした、巨大絵画。


 一番早いルートで回っても時間は過ぎ、そろそろ空の色が変わってきた。


「千里、最後に一カ所行こうと思うんだけど、いいかな?」

「もちろんだよっ。

 あ、でも……どこへ?」


 首を傾げる千里の手を、ナーリャは微笑みだけ携えて引く。

 その優しい力に千里は緩やかに身をゆだねると、連れられるままに歩いた。


 いつもよりも、やや早足。

 そう思ったが、千里は気がつく。

 ナーリャは今、普通に歩いているだけだ。急いでいるからか、気にしている余裕がないのだろう。


 そう、いつもは……自分の半分ほどの、千里の歩幅に合わせていてくれていたのだ。


 石の階段を登って、橋を渡り、また階段。

 建物の脇道を抜けて、ちょっと高い塀を越えて、小さな小川を跳び越えて。

 また階段を登って、登って、登って。


 ふと上を見上げると十二の数字が書かれた時計が見えた。


「時計塔?

 ……というか、時間の単位って同じだったんだ」


 十二に分けられた時間。

 それを見ながら進むと、ナーリャの足が止まった。

 千里もそれに合わせて、緩やかに足を止める。


「ほら……これを、見せたかったんだ」


 ナーリャが指したのは、千里……ではなく、その後ろだ。

 千里は首を傾げながらもその指の先を目で追うように振り返り、そして息を呑んだ。


「わぁ……」


 夕焼けに照らされた帝都。

 六聖噴水を含めて全てを一望できる、街で一番高い時計塔。

 朱色に塗り固められた街並みは、魂を引き摺られるほどに美しい。


「……きれい」


 もうそれ以上、言葉が出なかった。

 一瞬止まった息を、興奮で震える唇から吐き出す。

 両手を胸に置いて強く握っても、高鳴る胸を押さえられそうになかった。


「爺ちゃんと帝都にきた時、

 用事がある爺ちゃんを置いて、一人で来たことがあるんだ」


 忙しく手が空かなかった、セアック。

 一人で待っていたナーリャは、迷いに迷ってここに辿り着いた。

 時計塔の脇にある、ちょっとした踊り場。

 人の入り込まない、秘密の場所。


「それなら、セアックさんとここに?」

「ううん。ここは僕だけの場所なんだ。

 大切な、秘密の場所。……いつか、大切な誰かと行きたいと思っていた、場所」

「え――?」


 千里は、ナーリャの方へ振り返る。

 最後の言葉が、よく聞こえなかったのだ。

 小さな声で紡がれた言葉は、耳の良くなっている千里でも“何かを言った”ということしか分からなかった。


 それでも、その前の言葉で……なんとなく、解った。

 セアックとも行ったことのない、秘密の場所。

 そこに自分を連れてきた――その、意味。


「宿に戻ろうか、もう日も落ちちゃったしね」

「ぁ……ほんとう、だ」


 朱色の太陽が西に沈み、東からは純白の月が顔を覗かせている。

 空も茜色から瑠璃色へと移ろいでいき、帝都には黒の天蓋が落ちていた。


 自分の手を引く、ナーリャの手。

 その手が、いつもよりもなんだか暖かくて。

 千里はそっと、握り返す。


 言葉で伝えきれない思い。

 自分でも理解しきれない想い。


 ほんの欠片でも良いから、それが――この熱から、伝わりますように、と。

えー、今回は後始末と一休みのお話です。

次回から、六章のメインに入っていきます。


ご意見ご感想のほど、お待ちしております。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次話もどうぞ、よろしくお願いします。


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