六章 第二話 大会予選
夕暮れの広場。
登録の用紙が集められたテントの中で、赤い髪の男性が書類整理をしていた。
こんな雑用も、立派に“騎士”の役目なのだ。
「あー、今年も多いなぁ……ったく」
面倒くさそうにしながらも、整理を進める手は速かった。
少しでも速く片付けて休みたいと、そんな希望が透けて見える。
それは彼と一緒に仕事をする他の騎士達も同じ気持ちなのか、悪態を吐きながらも仕事はしっかりとこなしていた。
「よう、アーク。
はかどってるか?」
赤い髪の男性――アークに声をかけたのは、ダークグレーの髪と同色の目を持つ、大柄な男性だった。筋肉質な身体とオールバックに撫でつけられた髪は、彼を獰猛な肉食獣のように演出させていた。
「茶化しに来たんなら帰れ、第四番隊分隊長」
「そう邪険にすんなよ、第十番隊分隊長」
アークは、手頃な椅子に座る男性に、厳しく言い放つ。
男性はそんなアークに、椅子に背を預けて寛ぎながら笑って返していた。
二人とも、神経が図太いのだ。
「これが参加者か……どれ?」
「見るのは良いが汚すなよ、ガラン」
「解ってるって、汚さねぇし無くさねぇし破かねぇよ」
男性――ガランは、アークの言葉を気にした様子もなく登録用紙に目を通す。
そして……ある一点で目を留めた。
「なぁ、アーク」
「あ?なんだよ」
ガランは、その“名前”を見て獰猛に笑う。
その好戦的な笑みに、アークはただ面倒くさそうに眉をひそめた。
他の騎士達は、背筋を凍らせているというのに……。
「今回、俺も参加する」
「はぁ?まぁ、騎士枠はまだ残っているけどよ」
アークは面倒そうにぼやきながらも、深くは聞こうとせずに騎士枠の書類を探す。
騎士達は予選を行うことなく、本戦から出場できるのだ。
「ククッ……俺は、運が良いみたいだ」
心の底から愉しそうに、登録用紙を見る。
そこには――――“ナーリャ=ロウアンス”の名前が、あった。
E×I
帝国に来て二日目。
爛々と光る太陽が眩しい、リックアルインで迎える初めての朝だ。
闘技場からやや離れた、宿屋の一室。
そこで千里は、ベッドから気怠げに起き上がった。
見知らぬ場所と船の上でしか寝ていなかったため、ベッドで眠るのは久しぶり。
そうなると、安らいだ眠りの代償に、ベッドから起き上がるのが辛くなるのだ。
「ふぁ……ねむ」
寝ぼけ眼を擦りながら、ふらふらと起き上がる。
こちらに来て経験を重ね、子供っぽさはだいぶ抜けた。
だが、それでも朝は幼さが出てしまうのだ。
この寝起きの悪さは、もう一生ものだろう。
寝間着を脱ぎ捨てると、いつもの鎧に着替える。
制服を着ると気が引き締められた気になれるのは、中学生時代から変わらない。
この制服に似せられた鎧を纏うと、千里はその当時のように気を引き締めることができていた。
「よしっ」
アギトを背負い、深呼吸。
これで意識は切り替えられて、千里は大きく頷いた。
チェーン式の鍵を外して外に出る。
するとそこには、ノックをしようと手を挙げたナーリャの姿が、あった。
「あ……と。
おはよう、千里」
「わ……うん。
おはよう、ナーリャ」
朝方特有の、穏やかな気分。
どこか浮いた感情のまま二人は朝の挨拶を交わし、連れたって宿屋を出た。
「えーと、これから予選、だよね?」
「うん、そうだね。
予選の方式は解らないけれど、何が来ても良いようにしないと」
闘技場までの道のりで、千里の質問にナーリャはそう答える。
まだ、確かなことは言えないのだ。
「と、ちょっと寄り道してもいい?」
「うん、いいけど……どうしたの?」
ナーリャは、あらかじめ予定していたかのように足を止めた。
千里がそれに対して首をかしげると、ナーリャは小さく苦笑する。
「槍が扱えるって言ったんだけど、肝心の槍を買うのを忘れてたんだ」
「槍……エクスと戦った時に、使ったって言う?」
「そう、その槍」
エクスとの戦闘。
その事について、ナーリャは千里に説明をしていた。
何故か記憶が流れ込んできたことも含めて、である。
「その、大丈夫?」
「うん?なにが?」
記憶とは、脳に係わる部分だ。
千里に脳外科の知識などがあるはずもなく、それ故に記憶が流れ込んで来るという現象に対して、ナーリャを心配していた。
どこかに負担がかかっていたとしても、千里には解らないのだから。
「ううん……なんでもない」
それでも、何でもないように笑うナーリャに、千里は首を振った。
これ以上心配を重ねても、仕方がない。
それは、思い出して心配してから、もう何度もしている決断だった。
「ちょっと行ってくるから、待っていて」
「うん、わかった」
武器屋と思わしき建物。
その看板を千里は読むことができないが、剣と兜のマークはなるほど“武器屋”だと思えた。
武器屋に消えていくナーリャの背中を、千里はじっと見つめる。
その大きな背中を見ると、それだけで胸が“とくん”と鳴るのだ。
「平常心、平常心」
千里は自分の胸に手を当てながら、大きく深呼吸をする。
人に相談すれば、それは“恋”だと言われるかも知れない。
だが千里は、自分自身に“恋をしている”と訴えることが、できずにいた。
「ナーリャは、友達」
友達だと、あの夜空の下で頷き合った。
その頃から、大きくその認識が変わったつもりはない。
「それに……」
自分が経験したことのある“恋”は、憧れにカテゴライズされるものだった。
だから千里は解らないのだ。
胸に宿り始めた感情が、本当はなんであるのか。
「はぁ、止めておこう。
こんなことを考え続けるのは、なんか、不毛だ」
答えのでない問いかけで、時間を潰すつもりはない。
今考えるべきことは、とにかく闘技大会のことだ。
上位十八人に入って、ノーズファンへ行く。
それが最優先事項なのだと、千里は頭を切り換えた。
とたん、集中して外部の音を遮断していた千里に、周囲の声が届き始める。
「チッ、あの男……どこだ?」
そうして周りを見てみると、視界の端に少年の姿が映った。
紫がかった、濃い青色の髪の少年――ジックだ。
「誰か探しているのかな……?」
昨日のやりとりを知らない千里は、少年を見て首をかしげる。
きょろきょろと周囲を見回して、ガラの悪い男達に指示を出す。
その手に金色の硬貨が輝いているのを見て、千里は眉を寄せた。
「関わらない方が良い、みたい」
そう小さく零すと、目立たないように一歩下がる。
そうすると武器屋の看板の影になり、こちらからは見えてもジックからは見にくくなるのだ。
「探し出せた者には報酬を上乗せする。
いいか、絶対に探し出して、痛めつけろ!」
不穏な空気を感じ取り、千里はため息を吐く。
放っておけないような気もするが、ヘタに首を突っ込む訳には行かない。
そう納得することはできるのだが、今までの経験的に巻き込まれるような気がしてならないのだ。
「とにかく、いきなり巻き込まれないようにしよう」
千里はそう呟くと、更に下がり武器屋の横の脇道に入る。
そうして奥には行かず、ナーリャが出てくれば解る程度の位置で、背を壁に預けた。
「おいジック!
こんな街中で、いったい何をやっているんだ!」
影から見守っていると、鮮やかな金髪の少年が、ジックを問い詰めていた。
顔立ちは整ってはいるが、幼さが強く残っているため“美少年”という言葉がよく似合う。輝きの宿る双眸は新緑色で、美しい。
ジックはそんな少年に対して、鼻で笑って肩を竦めてみせる。
「君には関係のないことだよ、ライアン」
「そうやってまた嫌みったらしい表情をして。
そんなことだから“ひねくれ者”呼ばわりをされるんだぞ?」
まるで、“本当は違うのに”というような口ぶりだ。
そのどこかズレた言葉に、ジックは顔を紅潮させる。照れではなく、怒りだ。
「なんだそれはッ?!
……チッ、興が削がれた」
ジックは吐き捨てるようにそういうと、金髪の少年――ライアンに背を向ける。
ライアンは、そんなジックの肩を掴んで引き止めた。
「待て、ジック。
まだ最初の話が終わっていないぞ」
ライアンはジックの肩を掴むと、自分の方へ振り向かせる。
強く問いただす言葉の影には、ジックに対する不審と心配の色が込められていた。
「フンッ……。
オレの話しはこれでお終いだ。
貴様もせいぜいガラの悪い連中には気をつけることだ」
「おい、ジック!」
肩に置かれた手を振り払うと、ジックは今度こそ去っていく。
ライアンはそんなジックを見て逡巡し、やがて踵を返した。
ジックとは真逆の方向へ歩いて行く、金色の影。
その背中には、どこか哀愁が漂っていた。
「なんか、絵になる二人だったなぁ」
千里は別れていった二人を見て、そう零す。
既に自分たちに関わっているとは知らないからこその、気楽な発言だった。
――†――
武器屋からナーリャが出てきたのは、それから少し経った時だった。
鋼でできた新品の槍を肩に担いで、やり遂げた表情をしている。
「なんとか三割引まで値切れたよ。
爺ちゃん流交渉術が、初めて役に立てられた」
セアックに教わったはいいが、使う機会の無かった技能。
それができる時が来たことが嬉しく、つい長い時間を掛けてしまったのだ。
「おかげで今日はちょっと良い物が食べられるかも。
――――って、どうしたの?千里……」
そこまで話して、ナーリャは漸く千里の反応がないことに気がつく。
千里は、脇道から身を乗り出すような形で、人の流れを眺めていた。
暇つぶしに、二人の関係を少しだけ考えていたのだ。
「生き別れの兄弟?
いや、我ながら突飛すぎる」
……訂正。
少しだけ、ではなくどっぷりと考えていたようだ。
暇つぶしな為、当てるつもりはない適当な予想だ。
「千里ー、おーい?」
「ぇ……あ、あぁっ!
も、戻ってきてたんだね!おかえり!」
「う、うん。ただいま?」
両手を振りながら、千里は慌てて向き直る。
どんなことを考えていたかなど知られるはずがないのだが、それでも慌てて思考を打ち消した。
「そそそ、それじゃあ行こうか!」
「いや、闘技場はあっちだよ?」
「あぅ」
踵を返した千里に、ナーリャの苦笑交じりな声が届く。
千里はその段階まで来て漸く落ち着きを取り戻すと、恥ずかしげに俯いた。
そうして、漸く連れたって歩き出す。
人通りが多いところを通っているため、千里の視界にガラの悪い人間が入ってくることは、なかった。
千里はその事に、言いしれぬ不安を隠しながらも、安堵の息を吐いた。
「さて、予選の説明は中で行われるみたいだね」
そんなことを考えている内に、どうやら到着していたようだ。
千里は顔を上げると、巨大な闘技場の門を見上げた。
「行こう、千里」
「……うん」
意気込んで、踏み出す。
五階建ての建物ほどの高さの天井には、剣を持つ騎士達の絵画が刻まれていた。
思わず息を呑むほどの、神秘的な光景だ。
「わぁ」
階段を上って、長い入り口を抜ける。
すると、東京ドームを越えるほど在りそうな、巨大な闘技場。
その場に、沢山の戦士達が、己の腕を示していた。
その雄大な景色に、千里は今度こそ息を吐く。
「こんなに広いんだぁ」
「うん……僕も入るのは初めてだから、驚いた」
門から入って、階段を下りる。
そうすると、白い砂の地面に降り立つことができた。
すでに何十と人が集まっていて、それぞれに準備運動や素振りをしている。
千里とナーリャもその輪に入るように、足を進めていた。
『あー、音響魔法の試験中、音響魔法の試験中ですよ~』
間延びした声には、隠しきれない“テンション”の高さが込められている。
千里はその声を聞いて、それが受付にいたネコ耳の女性だと、直ぐに気がついた。
『はいはいはいっ!
予選に集まった皆さんに通達ですよっ。
えーと、男性陣は西側のブースへ。女性陣は東側のブースへ移動してくださいなっ』
声に反応して見てみると、東西にそれぞれ簡易テントが設置されていた。
それぞれに纏めて説明を受けさせる、ということなのだろう。
「それじゃあ、千里」
「うん、また後でね!」
ナーリャと共に頷き合い、千里は東側のブースへ走っていく。
その後ろ姿を見送ると、ナーリャもまた西側のブースへ歩き出した。
――†――
簡易テントの前では、屈強な男達が台の上に立つ騎士を見上げていた。
騎士の立つ台の両隣には、他の騎士が長机の後ろで控えるテントがあった。
「俺が受付、予選、本戦司会進行を任されている“アーク・オウル=リックカル”だ。
これから予選の説明を行うから、良く聞いておくように」
そういうと、騎士の男――アークは、面倒そうに男達を見回した。
今一やる気の感じられない態度だが、これでも戦士の力量に於いては並ぶ者無しと言われる帝国の騎士だ。実力は相当なモノである。
ちなみに、魔法騎士ならばノーズファン、魔法使いならば王国、バランス型でかつ戦略ならば民主国家のスエルスルードという形で、特化されている。
「各自指定された円の中で試合をして貰う。
武器はこちらで用意した物を一つだけ使う、という形だ。
ちなみにこれらの武器は刃が潰してある。本戦ならともかく、予選で死者は出すな」
持ち前の武器ではなく、用意された武器を使う。
数を減らすために行う予選で、無用な血を流させるつもりはないのだ。
貴族も多く参加する闘技大会で、予選から死なせる訳にはいかない、という配慮もあった。本戦で命を落とすことは、黙認されているようだが。
今日急いで槍を購入する必要はなかったという事実に、ナーリャはこっそりと嘆息していた。無駄ではないのだが、もっと余裕がある時でも良かったのだ。
「対戦相手はテントで籤を引いて決める。
そこから勝ち抜きで進めて、上位四名のみを本戦出場者とする」
ナーリャはその言葉を聞くと、周囲をさっと見回した。
狩猟で鍛えたナーリャの目は、瞬時に性格な頭数を数えることができるのだ。
「四十四人……四十人も、落ちるのか」
一対一で戦い、勝者同士で再び戦う。
そうしていけば、多くても四回戦えば本戦出場者が決まる。
「左のテントで籤を引いたら、右のテントで武器を受け取ってくれ。
……説明は以上だ、諸君の健闘を祈る」
アークは最後にそう付け加えると、台から降りて奥へ戻っていた。
まだ仕事が残っているのか、面倒さをあからさまに浮かべている。
「よし、まずは籤か」
ナーリャは小さくそう呟くと、緊張からか静まりかえった列に並ぶ。
全員、すでに戦闘をする姿勢を、整えてしまっていたのだ。
「それでは、次の方」
「あ、はいっ」
ナーリャは、自分の番が回ってくると、大きな木箱に手を入れた。
中にはいくつもの紙片が入っていて、これに試合の場所が書いているのだろう。
同じ場所に来た者と戦う、という寸法だ。
「四の八番、か」
「それでは、右のテントで武器を受け取ってください」
「はい」
アークよりも真面目そうに仕事をしている騎士に促されて、ナーリャは右のテントに移動する。そしてそこでも同じようなやりとりをして槍を受け取ると、指定された場所に足を向けた。
闘技場の砂を踏みしめて歩くと、女性部門も同じようにばらけている姿が見受けられた。
この中に千里がいて、そして同じように緊張しながら指定され場所に向かっているのだろう。
そう考えただけで安心している自分に気がつくと、ナーリャは一人苦笑する。
そして直ぐに気を取り直して、半径十二~十四メートルほどの円の中に立った。
「貴様が俺の相手か。
ハッ、こんなのが相手とは、俺も運が良い」
ナーリャの正面に立ってそう行ったのは、禿頭の男だった。
手にはモーニングスターと呼ばれる鎖付きの鉄球を持っていて、上半身は露出している。
「それでは、両者構えて」
審判役の騎士が、ナーリャと男に告げる。
ナーリャは男の言葉に反応することなく、一瞥だけしてから騎士へ頷いて見せた。
「それでは――始め!」
「ぬぅおおおおおおおッッッ!!!」
腰を引いて半身に構えるナーリャに、鉄球が投げつけられる。
直径六十センチはある鉄球が向かってくる姿は、見る者に大きな恐怖を与える光景だろう。
だがナーリャは、怯まない。
冷静に男の呼吸を読み、経験からその軌道を読み取っていた。
「先見一手」
槍を構えたまま。鉄球を沿うように右回転をする。
そしてその遠心力を利用して、鉄球を投げるために踏み出した男の足を、ナーリャの槍が打ち据えた。
「ぐぎッ?!」
弁慶の泣き所。
足の脛にあたるその場所は、神経が集中しているため衝撃を受ければ、武蔵坊弁慶が泣くほどだと言われた人体急所の一つだ。
刃は潰してあるとはいえ、鉄の槍であるということには変わらない。
男はあまりの痛みに、鎖を手から落として片膝を着いた。
その首筋に、ナーリャの槍が容赦なく突きつけられる。
「そこまで!」
審判の声がかかり、ナーリャは槍を引く。
勝負に決着がつくと、ナーリャは審判からその場で待つように言われて、頷いた。
「き、貴様、なんて卑劣な……」
未だ立ち去ることもできずにナーリャを睨む音に、ため息を吐く。
最近侮辱されてばかりだと、ナーリャは地味にストレスを溜めていた。
「僕も、貴方が一番手で“運が良かった”みたいです」
「ぬぐっ」
激昂しかけるが、それもここまで。
男はそのまま他の騎士達に運ばれていき、そうしてすぐにいなくなった。
「はぁ、どうなることやら」
ナーリャの万感のお思いが込められた呟きが、喧噪の響く闘技場の中へ、小さく消えていくのだった。
次回その次辺りが、六章の中間地点となります。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。