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E×I  作者: 鉄箱
第二部 闇を打ち祓いし剣
21/81

五章 第三話 吸血城のロンド 後編


 暗雲に覆われた、銀の城。

 その暗黒の景色に、ラオは苦い表情を浮かべた。


「どうなってんだ、あれは」


 吐き捨てるように、言う。

 作戦に従い島の裏側に回り込んだラオは、舵を取りながらため息を吐く。

 想像以上の厄介ごとになったとぼやきながらも、その群青色の目は心配そうに揺れていた。


「レグルス、もう少し頑張れるか?」

『ギャウッ』


 嵐の中なのに、波の激しい島の裏側にいなくてはならない。

 その事を危惧して相棒に訊ねると、実に頼もしい返事が来た。


「流石は、俺の相棒だ」

『ガウッ』


 当然だ、と激しい波に耐えながら、レグルスは胸を張る。

 その姿は頼もしく、ラオは負けじと力強く頷いた。

 息の合った、理想のコンビである。


「無事に帰って来いよ。

 ……坊主、嬢ちゃん」


 紡がれた言葉。

 その不安が入り交じった声は、嵐の中へ吸い込まれていった。














E×I














 城の一室。

 銀でできた部屋の一つで、千里は白銀のドレスを脱ぎ捨てた。


 ネクタイを締め、ベルトを留め、ブーツを履いて大剣を背負う。

 元のとおり、モノクロカラーの服装に戻ったことで、千里は安堵の息を吐いた。


「さて、と」


 ナーリャの居場所は、聞き出した。

 ダンスホールがどこなのかを聞き忘れたのは痛いが、城の中心から伝わってくる“プレッシャー”を辿れば、問題なく行き着くことができるだろう。


「プレッシャーって

 ……なんだか、漫画のキャラクターみたいだ」


 弟が持っていた漫画。

 勇者が冒険するような英雄譚から、とんでも設定の超能力モノ。

 そんな作品に出てきたキャラクターのことを思い出して、千里は苦笑する。


「あっち、かな」


 部屋から出て、廊下に立つ。

 なんとなくでもいいから方角を確かめると、全力で走り出した。

 絨毯を叩く音は次第に大きくなり、やがて地面に罅を入れるほどに加速する。


 飛ぶように階段を下りて、壁を掴んで直角に角を曲がり、駆け抜ける衝撃で調度品の壺やランプを叩き落とす。


 そうして辿り着いたのは、玄関ホールだった。

 ここから更にまっすぐ抜ければ、大きなプレッシャーの元へ辿り着く。

 玄関脇の扉から出てきた千里は、エクスと対峙する覚悟を決めて、玄関から真っ直ぐ伸びた位置にある大きな扉を見上げた。


「よしっ!

 待っていてね。ナーリャ――」


 扉を開けるために、銀のドアノブに手を伸ばす。

 けれど千里は、唐突に“嫌な予感”がして飛び退いた。


「っ!」

――ガンッ


 扉の前に突き刺さる、銀の剣と、槍と斧。

 まるで壁のように突き刺さったそれらに眉をしかめると、千里は大剣の柄に手を掛けながら振り向いた。


「そこまでですニャ」


 愛くるしい声。

 だが、その声には明確な“敵意”が宿っていた。


 自分の周囲に鉄塊のような巨大な剣を浮かべた、猫妖精ケルト

 ダークは、執事服姿で綺麗に背筋を伸ばして佇んでいた。


「主の所には、行かせませんニャ」

「ダーク……」


 ダークは鋭い目で千里を睨む。

 脅されてうっかり居場所を喋ってしまったことは、忘れることにしたようだ。


「あのね私はナーリャの所へ行くの!

 ……例えそれが言葉の上でも、

 誰があんな“エセイケメン”の所へ行く、なんて言うもんかっ!」


 子供の理屈。

 だが千里は、本当に嫌そうに吐き捨てた。

 そんな千里に、ダークは首をかしげる。


「似非……いけめん?」

「え、えーと。

 イケメンって言うのは、顔が良いとかそーゆー……」

「主を褒めていらっしゃるのですニャね?」

「違う!似非だってばっ!」


 緊張感のないやりとりだ。

 思わず説明して、そして突っ込んでしまう。

 千里は顔を怒りで赤くして叫びながらも、時間を取られてしまったことに歯がみした。


「とにかく!

 ……ナーリャの所へ、行かせて貰うから!」

「させません。

 そういったはずですニャ」


 ダークは、ピンクの肉球を空に掲げる。

 千里はダークの側に浮かぶ三メートルもある大剣を警戒しながら、アギトを抜き放った。


「ふっふっふっ

 見るがいいニャ……これがボクの最高傑作!

 【来たれ!猫専用強化鎧骨格ねこせんようきょうかがいこっかく三式!】」


 ダークの詠唱で、天井が割れる。

 ギミック的な意味ではなく、文字どおり天井を突き破って、“それ”は出現した。


 分厚い鋼鉄と白銀。

 全長三メートルほどの、強大な体躯。

 従えられた鉄塊剣を掴み取り、身体の前に掲げて立つフルプレートアーマー。

 巨人のような西洋騎士が、あるべき“中身”を持たずに仁王立ちしていた。


「とうっ!ニャ!」


 ダークはそれに向かって跳躍すると、左肩の上に乗る。

 そして、兜を外して被ると、ロボットを操縦するかのように乗り込んだ。

 千里はその様子を、ただ呆然と眺めていた。


「ろ、ろぼっと?」

「これがボクの、決戦兵器だニャ!」


 小物を動かす程度の念動力。

 それが本来の、猫妖精の能力だった。

 

 だが、ダークはただの猫妖精ではない。

 銀月の吸血王という異名で恐れられた、最強の吸血鬼。

 その血を分けられて眷属となったダークは、巨大なモノを動かすだけではなく、魔法も操る事が出来るようになっていたのだ。


 重鎧の腕が動き、剣を振りかぶる。

 その圧倒的な存在感に、しかし千里は怯むことなく対峙する。

 ここで退いたら、それで終わり。何も解決することはない。


 だから千里の双眸には、未だ強い意志の炎が燃えさかっていた。


「行くですニャ!」


 突くことを考慮していない、分厚い剣が振り下ろされる。

 殺すつもりなのか、その一撃は縦一直線に風を切って突き進んできた。


 それを千里は、真正面から迎え撃つ。

 左から横薙ぎに振るわれたアギトが、鉄塊剣に接触する。


「ッらぁっ!」

――ズンッ!


 瞬間、千里を中心に地面が陥没。

 華奢な身体から想像もできないような腕力で、鉄塊剣をはじき返した。

 ダークは返ってきた衝撃に驚くが、それも僅かな時間に過ぎない。

 再び振るわれた鉄塊剣が千里を襲い、千里はそれを迎え撃つ。


――ガンッ

――火花が散り


 一合混じり、火閃となる。


――ガンッ

――瓦礫が舞い


 二合交じり、突風となる。


――ガンッ

――空間から、音が消える!


 三合音が重なる頃には、ただ剣戟の残滓が、光の筋として残るだけとなった。

 衝突し合う度に巻き起こる衝撃は、既に人知の及ぶモノではない。

 人間では辿り着くことのできない、“化け物”同士の境地というべき、極限の世界。


 力によって生み出された嵐は、豪華絢爛な玄関ホールを、痛々しく戦場の傷跡を残す瓦礫の山へと変えていった。


「は、ぁっ!」


 千里は、もう何合目か解らない一撃を以て鉄塊剣を弾くと、その衝撃で後ろへ飛んだ。

 距離を取ってダークを見据えると、ダークもまた距離を取って千里を睨む。


 鉄塊剣は折れることなく存在し、鎧にも傷は見あたらない。

 稼働時間は解らないが、確実に“人間”を上回る体力を持つ鎧。

 その重鎧を前に、千里は思案する。


「アギトで攻撃してたら、いつまでたっても終わらない。

 光の剣で攻撃したら、物理攻撃を受けられず倒される」


 ならば答えは、簡単だ。

 既に先ほど解答が用意されていた、問題用紙。

 それに千里は、自信を持って書き記す。


「“イル=リウラス|≪光より顕れる者≫”よ!

 我が声に応えて、その力をここに示せっ!」


 千里の身体から、金の粒子が吹き上がる。

 やがてそれはアギトを覆い、その剣真を黄金に染め上げた。

 威厳と荘厳を併せ持つ、華美にして重厚な大剣が、そこにあった。


 そして黄金のアギトを持つ千里もまた、黄金の光を放っている。

 千里は咄嗟に、自分自身も光の剣を纏わせる対象に含んだのだ。


「ま、まずい気がするニャ」


 ダークは小声でそう呟く。

 だがそれも束の間。すぐに気を取り直して千里に飛びかかった。


「せいニャ!」

「ふっ」


 ダークの声に、千里はただ小さく息を吐いた。

 今度は先ほどまでのようには行かない。

 一合交わされた瞬間に、千里は素早く手首を返して鉄塊剣の腹を打つ。

 対して、アギトによって弾かれた鉄塊剣を、ダークは構え直そうと念動力をかけた。


 だがそれは、一歩遅い。

 千里はアギトの柄を大きく引き刃を水平に構えると、“突き”の体勢を作った。

 そして本能で身体を動かすと、足首からネジのように回転して、身体で螺旋を描きながら強力な“突き”を放った。


「ふニャっ?!」


 巨大なハンマーで殴られたような、衝撃。

 右太ももを貫かれた重鎧は、大きく体勢を崩された。


「ええぃ、小癪ニャ!」


 ダークは、鎧からアギトを抜いた千里に、鉄塊剣を振り下ろす。

 千里はそうして振り下ろされた鉄塊剣を、身体を斜めに傾けるだけで避けた。

 そして、身体を回転させて、その腕をアギトで切り落とした。


「ニャに?!」

「はぁっ!!」


 返す刃で、足と胴を切り分ける。

 重鎧はたまらずバランスを崩して、その鋼鉄の体躯を銀の地面に投げ出した。


 黄金の力を纏ったことで、千里の身体能力は更に上昇していたのだ。


「くっ、撤退ニャ!」


 不利を悟ったのか、ダークが兜ごと脱出する。

 それはいかなるギミックか、兜に銀の翼が生えたと思うと、飛行機に様に滑空を始めた。


「駆け抜けろ、光よっ!」


 それを千里は、逃さない。

 縦一文字に振り下ろされたアギトは、己が纏っていた黄金を、飛翔する刃に変化させてダークに飛来する。


「あわわわっ」


 ダークは器用に身体を捻ると、その一撃を避ける。

 だが避けることができたのはダークの身体だけだ。

 窓から飛び出ると同時に翼を斬られた兜は、茨の庭に墜落していった。


「ニャんですとっ?!」

――ズドンッ


 庭から響く、ダークの悲鳴。

 それを聞き届けると同時に、千里は膝を突く。


「っ……はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 黄金の力を、元々上げられていた身体能力の上昇に上書きする。

 その発想は千里に絶大な力をもたらしたが、同時に膨大な負担を強いていた。


「ナーリャ」


 名前を、呼ぶ。

 たったそれだけの行為で、己を奮い立たせる。

 疲労で擦れる声には、彼女の“痛み”が込められていた


「ナーリャ」


 二度呼んだ頃には、どうにか立ち上がるまでに至っていた。

 失いたくない、友達。“大切”な……人。


「ナーリャに、会いたいっ」


 目を閉じて、唇を噛みしめ叫ぶ。

 その感情が、友情なのか、千里は解っている訳ではない。

 ただ、ただ会いたいと、震える足に力を込めて立ち上がる。


 千里は大きく息を吸うと、震える手で扉の前に突き立った“壁”を取り払う。

 ドアノブを回し、開け放つ。

 視線の先には、ダンスホールに続く、一直線の長い廊下があった。


「――ナーリャっ」


 最後にもう一度、その名を叫ぶ。

 そして千里は、長い廊下に力強い一歩を踏み出すのだった。











――†――











 ――時は、エクスとナーリャが対峙していた場面まで、遡る。


 降り注ぐ稲妻。

 刹那の間に着弾する閃光を、ナーリャは経験のみで避けていく。


「どうした!

 避けてばかりでは終わらんぞッ!」


 エクスは、一歩も動かず手を挙げているだけだ。

 だというのに、ナーリャは弓を構える暇すらなく走り回っていた。


「【雷霆/散開】」


 詠唱を重ねる。

 エクスの纏う暗雲の内側から稲妻が迸り、それが無数の雷球に変化した。

 それをエクスの指がなぞると、雷球が更に分裂して、百を優に越える雷の針になる。


「さぁ、踊れ。

 私を愉しませろ……【雷針/無限震域】!」


 雷の針が、拡散する。

 見てから避けられるモノでない以上、経験で避けるしかない。

 だが、いくら“先見”の技を継承したナーリャであろうと――“雨”を避けるような、経験はない。


「あぐっ!」


 右足を貫通し、体勢を崩す。

 左足を掠め、膝を着く。

 右手に電撃が走り、感覚が麻痺し。

 左脇腹を穿たれて、痛みから意識を手放しそうになる。


 鋭い針は、ナーリャを地面に叩きつけた頃に、漸くその動きを止めて霧散した。

 立ち上がろうに、身体が麻痺して思うように動かず、ナーリャはただ芋虫のように這いずる。


「つ、くぅ」


 痛みすら麻痺し始めたのは、不幸中の幸いだろう。

 そうでなければ、意識を手放していたところだった。

 それでも歓迎できる状態ではないからこそ、ナーリャは喉の奥で悪態を吐く。


「はぁ、終わりか?

 あぁ、そうか……私を傷つけられる“自信”がないのだろう?」


 エクスが、傷一つ無い身体で嘲笑する。

 どんなに矢で貫かれても、霧になって戻ってしまえば回復している。

 人ならざるモノ、その中でも吸血鬼というずば抜けた“再生能力”を持つ者だからこそ許された、強者の力だった。


「だれ、がッ」


 図星を突かれながらも、ナーリャはエクスの言葉に噛みついた。

 エクスはそんなナーリャを見て、ただ笑みを浮かべている。


「くっハハハッ

 ……よし、では希望を持たせてやろう」

「なにを……?」


 霞む視界で見上げた先。

 そこでは、エクスが燕尾服の袖をまくり上げていた。

 銀の炎のランプに照らされた、エクスの右腕。

 そこには確かに――“裂傷の痕”が残っていた。


「それは、いったい」


 思わず、声が出る。

 どうやっても傷つかなかったエクスの身体。

 そこに残されていたのは、明らかに他者に傷つけられた痕だった。


「貴様の後ろでたおれている、その男」


 エクスが指で示したのは、横たわる騎士の骸だった。

 白骨化した槍騎士の、その槍こそがエクスを傷つけた武器。

 そして、その鎧を纏っていた戦士こそ、エクスが傷を残すことを許した者だった。


「その男は、私を“邪悪”だと言って退治しに来たのさ。

 クククッ……今思い出しても胸の高鳴る、良い夜だったよ。

 邪悪な存在として、光の“勇者様”を屠ることは、強者の義務だからな」


 心の奥底から愉快そうに、エクスは声を上げる。

 本当に楽しかったのだろう、その顔は喜悦に歪んでいた。


「だがまぁ、貴様にそれを望むのも、酷な話しか」


 落胆したような、呆れたような。

 そんな表情で、目を瞑りながら肩を竦める。

 それに反論する言葉も見つからず、ナーリャは苦い息と共に口を閉ざした。


「私が怖いなら逃げればいい。

 私が憎いのならば立ち向かえばいい。

 私は欲望に忠実な者を好む……だが、貴様のことはどうにも腑に落ちん」


 過度な憎しみもなく、付随する恐怖も薄く。

 そして何より、倒してどうしたいという欲望が見えない。

 エクスは這いつくばるナーリャに、嘲笑と共に言葉を投げかけ続けた。


 悔しい、憎い、怖い。

 そんな感情を増幅させればさせるほど――その“血”は味に深みが増すのだ。


「そうか、貴様は千里が“怖い”のだったな。

 ふむ、いいぞ。ここで彼女を“見捨てて”逃げるのならば、生きて帰してやろう」

「見捨て、る?」


 その言葉は、紛れもなく嘘だった。

 エクスは始めから、ナーリャを逃がすつもりはない。

 千里の心を折りその魂を掌握するためには、ナーリャの“死”が必要だと、そう思っているからだ。


 ここまで増幅させた負の感情を宿した血を、飲み干したいという欲求もあるのだが。


「怖い……千里、が?」


 ナーリャは、擦れた声で自問する。

 確かに、光の柱を見た時、ナーリャは言いしれぬ恐怖感を抱いた。

 それは今更否定できることではないだろう。


「でも、本当に?」


 じっとナーリャの“絶望こたえ”を待つ、エクス。

 嘲笑を浮かべるエクスの前で、ナーリャはただ思考を展開していく。


「ずっと、一緒に歩いてきたのに?」


 ずっと隣を歩いてきた。

 言うほど長い時間ではないかも知れないが、その時間は宝石のように輝いていた。

 それなのに、今更恐怖感を抱く自分の心が、ナーリャは理解できずにいた。


「ずっと、隣を…………あぁ、そうか」


 小さく、苦笑を零す。

 それが自嘲の笑みに見えて、エクスは項垂れるナーリャを嗤う。


「ククッ、もうすぐか」


 歪んだ感情を喰らおうと、エクスが笑みを濃くする。

 そんなエクスの言葉は、すでにナーリャには届かなくなっていた。


「隣を、歩いてきた」

「なに?」

「隣を歩いてきた。

 だから僕は、ずっと隣を歩いていたいと思った」


 光の柱を千里が出した時、ナーリャは胸のざわつきを覚えた。

 それは恐怖なんかではなく…………不安と、焦りだった。


「もう歩けないかと思った。

 遠くへ行ってしまうのだと思った。

 ……そんなくだらないことを、考えた」


 近くに転がっていた、騎士の槍。

 それを支えにして、ナーリャは立ち上がる。

 俯いているため目元は見えないが、その体躯から先ほどまでの弱々しさは、感じられない。


「僕は千里が大切だ。

 彼女の隣を歩いて、彼女の側にいて、彼女を支えてあげたい」

「何を言って――」

「――だから」


 エクスの言葉を遮ると、ナーリャは顔を上げる。

 優しげな少年という“殻”を破った、ナーリャという“存在”の顔。

 炎よりも熱く氷よりも冷たく、そして何より“重い”激情の本性。


「貴様は僕が、ここで討つッ!」

「ッ……戯れ言を」


 大切な女の子を、奪わせないために。

 誰よりも隣にいたいと思った少女を、守り抜くために。

 ナーリャはその瞳に漆黒の炎を宿して、身構える。


「貴様はここで死ね。

 ――――【雷霆/大槍刃】ッ!」


 エクスが、右腕を弓なりに引く。

 すると、銀の稲妻が槍の形を作り、収束しはじめた。

 超圧縮された、魔力の稲妻。

 その結晶は、まともに受けようものなら、塵すら残ることを許してはくれないだろう。


 その暴虐な力を前に、ナーリャは支えにした槍を強く握る。

 エクスを傷つけたという、唯一の技を求めて、強く握る。


「悔いを残し、消え去れ」


 小さな宣言。

 その死刑宣告を受けながら、ナーリャはエクスを見据えた。

 右腕に持つ極光のせいで逆光となり、その顔が暗く見える。

 その最中にあってもなお、エクスの双眸は真紅に輝いていた。


「赤い、光

 ………………ッ?!」


 言いようのない頭痛を覚えて、ナーリャは額を抑える。

 もう放たれようというのに時間が遅く感じるのは、走馬燈でも見せるためか。

 視界の奥でチカチカと赤い光が明滅し、やがて意識が拡散する。


 ……ならば、自身の過去を覗き見よう。

 ナーリャは痛む頭を抑えながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 拡散した意識は徐々に収束していき、やがてナーリャの脳裏に映像を投影し始めた。


 その映像に己のルーツがあるのならば、そこから状況を抜け出す術を得ることができないか。ナーリャはそう、固まって飛び往く意識を捕まえた。


――行ってくる、アイシャ。

「え?」


 だが、脳裏に浮かんだのは、とても自分のものとは思えない光景だった。

 流れるような金糸の髪を持つ、壮年の男性。

 その男性は、同じように金の髪の女性を、抱き締めていた。


――また逢えますか?

――あぁ、必ず会いに行こう。


 脳裏で展開される、花畑での一幕。

 その光景に、ナーリャは強い戸惑いを覚える。


――おぉぉぉおおおぉっっっ!


 十字架を握りしめ、男が駆け抜けるのは……“戦場”だった。

 火薬の爆ぜる音、肉を裂く痛み、骨を砕く不快感。

 その全ては“主”のためであると、男は駆け続けた。


――どこだ、ここは?


 場面が、切り替わる。

 男が目を覚ましたのは、見たこともない森の中だった。

 戦場で意識を失い、気がついたら森で寝ていた。


 その奇妙な感覚に、男は首を捻った。


――本当に行かれるのですか?

――あぁ。それが俺に残された、唯一の“道”だから、な。


 再び場面が切り替わる。

 最初の女性の面影を感じる、アッシュブロンドの髪の女性。

 その女性に、男は不器用な笑みを浮かべていた。


――見つけたぞ、吸血鬼ッ!

――ほう?まだ私と対峙しようなどと考えられる、“気概”を持つ者が居たとは、な。


 男は、ここが“自分の世界”ではないと解っていた。

 だというのに、男は自身の世界の“神”へ、祈りを捧げ続けた。


 その結果、男は“力”を得る。

 圧倒的な“信仰心”によって生み出された、悪を討つ“聖なる”力。

 浄化という極めて特殊な分類に特化した、“魔法”だった。


――すまない、アイシャ。

――ぐ、ぬぅ。まさか傷を負うことになろうとはッ!


 そうして、男の人生は幕を閉じる。

 ナーリャによって見つけられるまで、男はずっとこの場にいたのだ。

 浄化に特化した特性により、エクスやその眷属に喰われることもなく。


「っ、はぁ」


 息を吐く。

 槍から伝わってきた、他人の人生の“追体験”に、ナーリャは唇を噛んだ。

 あまりに報われない、不器用な男の短い生涯を、ナーリャは自分の事のよう感じていた。


「貴方の力

 ――――その“想い”と共に、受け取ります」


 大切な人に、もう一度会いたいと願った騎士。

 己が信じる神のために、この世界の神託を受けることを“望めなかった”男。

 その想いを、その心を、その魂を……ナーリャは、確かな形で受け取った。


 時間が戻るまで、あともう少し。

 それを何となくだが解っていたナーリャは、スローモーションの世界の中で、槍に引っかかっていた十字架を握りしめた。


「【天にまします、我らが父よ

 願わくは、御国の尊まれんことを。御国の来たらんことを。

 御旨の天に行われん如く、地にも行われんことを】」


 十字架のロザリオ。

 それをナーリャは手首に通して、槍を構える。


 朗々と語られる詠唱は、この世界に住まう者では聞くことの叶わぬモノ。

 だというのに、ナーリャは言い慣れた言葉のように、それを紡いでいく。


「【我らの日用の糧を、今日我らに与えたまえ。

 我らが人に許す如く、我らの罪を許し給え】」


 百戦錬磨の戦士のような、洗練された構え。

 旋律のように流れる、主への“祈り”の詠唱。

 それはまさしく、騎士より受け継いだものだった。


「【我らの試みに、引き給わざれ

 ――我らを悪より、救い給え】」


 時間が、戻る。

 エクスが槍を放とうとするその一瞬に、ナーリャは鋭い突きを放った。


「何ッ?!」


 稲妻を掴んだ右腕。

 その付け根を、青白い光を纏わせた槍が斬り裂く。

 ちぎれこそしなかったが、肩口から大きく血を噴き出させられたエクスは、驚きと久しく感じていなかった“痛み”から、体勢を崩した。


「貴様が何故、“それ”を使えるッ!?」


 ナーリャは突き刺した槍を引き抜くと、今度は薙ぎ払いに形を変える。

 悪態を吐きながらも、エクスはその薙ぎ払いに対して、跳躍することで避けて見せた。


 それは、エクスにとっては“何時か”の焼き回しに過ぎない。

 だから“当時”と同じように避けたのだが、それは彼の失策だった。


「先見三手――」


 三手先を読んだ、必中の攻撃。

 洗練された技と先読みの術が合わさり、その一撃を鋭くする。


 振り上げで左手を裂き、振り降ろしで右足を貫き、突きで胸を穿つ。

 流れるように放たれた銀刃は、エクスの身体を鮮血により染め上げた。


「――三閃必殺」


 エクスの身体が、浮き上がる。

 神の騎士だった男が、己の全てを賭けて鍛え上げた必殺の一撃。

 身体の全ての力を乗せて放つ、零距離投槍術。


 青い白い光を放つ槍によるその一撃は、エクスの胸を貫くと同時にナーリャの手を離れて、エクスの身体をはじき飛ばしたのだ。


「【――Amenアーメン――】」


 最後の一言が紡がれる。

 そのキーワードにより、槍から吹き上がった蒼白の光が、エクスの身体を焼く。


「ぐぁぁぁぁああああぁぁッッッッ!?!?!!」


 目を覆うほどの極光。

 それはまるで、邪悪な闇を討ち払う、陽光のようだった。


 ゆっくりと光が収まる。

 砂埃のせいで全容はよく見えないが、焼け焦げた肌の一部は、確認できた。

 そのことに安堵の息を吐くと、ナーリャは落ちていた弓を拾った。


「千里を、探さないと」


 まだ終わりではない。

 ナーリャはそう呟くと、千里を捜すために歩き出す。


 そして、丁度その時……ナーリャの背後で、扉が開いた。


「ナーリャ、無事っ?!」


 色濃い疲労は見られるが、大きな怪我は無い千里。

 疲労と共に、体中ズタボロなナーリャ。

 どちらが非道い状態であるかなど一目瞭然で、だからこそ千里は目を瞠りナーリャに駆け寄った。


「ナーリャ!

 ……非道い。だ、大丈夫?」


 触れても良いか解らず、戸惑う。

 どうしたらいいか解らない、そう行動で訴えかける千里を見て、ナーリャは俯いた。


「ナ、ナーリャ?

 どうしたの?や、やっぱり痛いよね。

 ……早くラオさんの所へ戻って、手当を――っ?!」


 慌てる千里に、ナーリャは倒れるように抱きついた。

 そして、突然のことに反応できずにいる千里を、強く……強く、抱き締める。


「ナーリャ……」

「……心配した」


 零れたのは、そんな言葉だった。

 心配を掛けたこと。

 そのことが、千里の胸に痛みを残す。


 ナーリャがそれで傷ついてしまうのが、千里は嫌だった。


「無事で、良かった。

 ……本当に、良かった」


 抱き締める力が強くなり、声が震える。

 千里は何も言わずに目を瞑ると、自分もナーリャの背に手を回して、優しく背中をさすった。


「ありがとう、ナーリャ」


 一言だけ。

 それでも、その一言に全てを込めて、声に出す。

 その想いが伝わったのか、ナーリャの抱き締める力が、少しだけ弱くなった。


「ま、だだッ」


 二人に投げかけられた、声。

 炭化した四肢と、半面が焼け焦げた顔。

 胸に大きな槍を突き刺したまま、エクスは立ち上がった。


「千里、行くよッ!」

「え、ぁ……う、うんっ」


 エクスに背を向けて、ナーリャが駆け出す。

 千里は訳がわからないと言った表情で、ナーリャに手を引かれていた。

 だが直ぐに状況を呑み込むと、ナーリャの手を強く握り返す。


「逃がさんぞ、人間――ッ!!」


 暗雲を従えて、エクスは駆け出す。

 その速度は目に見えて遅くなっているが、それでもぼろぼろの二人よりは速い。

 逃げ続ければいとも簡単に捕まってしまうだろう……だが。


「よっと!」

「わわわっ?!」


 ナーリャは、エクスが最初に立っていた場所。

 踊り場まで走ると、その脇にあった螺旋階段を上る

 更に踊り場の更に上まで走り抜けて、肖像画の上に伸びた階段まで駆け上る。

 踊り場の上からエクスがそうしたように、ナーリャが肖像画の上から見下す形になっていた。


「飛ぶよ、千里!」

「う、うんっ!」


 ステンドグラスを突き破り、外に飛び出す。

 空高くを飛んでいるという状況に、千里は目を回しそうになった。


「こんなところでは、終わらんぞ――――ッ!!」


 エクスの叫び声を背に受けながら、ナーリャは千里を抱き締める。

 頭を下にして垂直に落ちる先は、海だった。


 強く、暖かい身体。

 千里の背中に回されたその手は、何よりも優しく何よりも儚げだった。

 千里はそんなナーリャの背に手を回して、包み込むように優しく抱き締める。


「ナーリャ

 ……お願い、“イル=リウラス”」


 覚悟を決めて、海に落ちる。

 高い丘の上から落下していく二人を、金の粒子が覆った。

 すると、その落下速度が、僅かだが緩やかなモノになる。


――ザブンッ


 和らげられた衝撃と、身体を包む冷たい水。

 透き通った青を全身で感じながら、千里はゆっくり目を閉じる。

 抱き締めるナーリャを離さないように、背に回した手の力を強めながら。


「ええぃ、無茶な真似しやがって!」


 意識を失う、その直前。

 最後に耳にしたのは、渋く優しい声だった――。

これにて五章は終了。

次回からおそらく一番長い章になるであろう、第六章に入ります。


ご意見ご感想のほど、お待ちしております。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次章もどうぞ、よろしくお願いします。

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