五章 第二話 銀月の王
寒さを感じて、身を捩らせる。
すると、自分の身体が深く沈んだことに気がついて、千里は目を瞑りながら眉を寄せた。
「ふぁ……あれ?」
小さく零れた、疑問。
一度だけ泊まったことのある高級ホテル。
その値の張る部屋のベッドは、身体を深く沈ませるほど柔らかかった。
「なん、で?」
ここ最近、ずっと硬いベッドで憂鬱に眠っていた。
漸く慣れてきたのに、こんなベッドで寝かされてしまっては後が辛い。
千里はそう、満足感を棚に上げて呻り声を上げる。
「むぅ……って、寝かされた?」
自身で考えた、“寝かされた”という言葉。
その言葉で、自分が何故“寝ている”のかを思い出して、千里は飛び起きた。
「っナーリャ!」
友達の名前を叫びながら、上半身を起こす。
その視界に映った光景は、想像以上に“目が痛い”ものだった。
「なに、ここ?」
どこ?ではない。
何処かというのも気になるが、それよりも先に口から零れたのは、“何”という疑問だった。
銀の調度品には、金のラインが引かれている。
地が銀で、縁が金という派手さだった。
天蓋付きの大きなベッドは、余裕を持っても四人は眠れるサイズ。色は銀。
部屋も大きく、寝室のように見えるのに十坪はある。色は銀。
前述の調度品も、壁に掛けられた装飾剣やランプなど、高そうな物ばかり。色は銀。
窓に嵌められたステンドグラスもご丁寧に、銀と金で彩られているのだから、ここまでくれば呆れを通り越して感心……を跳躍してどん引きだ。
「趣味悪ぅ」
千里は思わず、そう呟いた。
それも仕方のないことだろう。
そう言われるだけの“インパクト”のある空間なのだ。
千里は息を整えると、自分の手を見て首をかしげた。
肘まで覆う銀色の手袋のようなものは、ドレスとセットになっているイメージがあった。
そうして千里は、自分の服の感触に疑問を覚える。
そして、答えなんかすぐわかると思い至って慌てて自分の服装を見下ろした。
「な、なんでっ!?」
着ていたのは、制服を改造した鎧ではない。
銀と真紅で彩られた、華美なドレスだった。
目が覚めた時点で気がつくべきなのだが、そんなことに気が回らないほどインパクトのある光景だったのだ。千里が鈍いと、責められるものではない。
「うぅ、誰が着替えさせたんだろう?
…………そういえば、ナーリャに拾われた時も、結局聞けてない」
この世界に来て、服を着替えさせられていた時のことだ。
状況の展開が早かったせいで、未だに聞けていない、聞きそびれたことだった。
「と、とにかく!」
千里は大きく声を出すと、その考えを頭から追い出す。
念のため、身体に妙な感覚やおかしな所がないか確認して一息吐くと、ベッドから降りた。
「現状確認が、先決だよね」
千里はそう自分に言い聞かせると、銀色の豪華なドアノブへ、ゆっくりと手を伸ばすのだった。
E×I
ぽつぽつと、雨が降り出す。
空には暗雲が渦巻き、風には氷雪が混じり、一帯に銀の稲妻が走り出す。
突然悪くなった気候に、自然の生命である海獣が、警戒心から呻り声を上げた。
「なんだ、いったい?」
相棒、レグルスに魚を与えていたラオが、その不気味な空にそう呟く。
まるで“海淵の王”が現れたかのような、そんな空間だった。
「いったん、小屋に戻るか。
大人しくしていろよ、レグルス」
『グルルルル』
呻り声で返事をするレグルスを一瞥すると、ラオはそっと踵を返す。
豪雨だけならまだしも、稲妻に氷雪まで混じると、尋常なことではない。
「ラオさん!」
「あん?」
名を呼ばれて、顔を上げる。
そこには、肩で息をするナーリャの姿があった。
「おい、嬢ちゃんはどうした?」
ナーリャの切羽詰まった表情を見て、ラオは訝しげに訊ねた。
ラオのその言葉を受けたナーリャは、唇を噛みながらそれに応える。
まるで……血を吐き出すように。
「浚われ、ました」
「なんだと?
……ちっ、詳しく話せ」
稲妻が海に落ち、轟音が響く。
刹那の間輝いた閃光は、悔しげなナーリャの表情を浮き彫りにしていた。
――†――
小屋に入ったナーリャは、弓と矢の準備をしながら状況を説明した。
そして、簡単にそれを説明し終えると、用意した弓と矢を持って小屋から飛び出そうとする。
「闇雲に出て行ってどうするつもりだッ!」
「っ、でも」
ナーリャも錯乱しているのか、唇を噛んで反論をしようとする。
だがそれは、ナーリャが口を開く前にラオが制した
「落ち着けっていってんだろうが!
そんな気持ちで助けられるなんて、甘ったれたことを考えるなッ」
「っ!……は、い」
叱責されて、ナーリャは漸く立ち止まる。
そんなナーリャに、ラオはため息を吐いた。
「十中八九、城だろう。
あそこ以外には考えられねぇ」
「なら、早く助けに行かないと!」
落ち着こうと椅子に座ったナーリャが、再び腰を浮かす。
そのナーリャの行動に、ラオは鋭さを滲ませた目で呆れながらナーリャを止める。
「はぁ、それで?
助けるって言っても、まさか正面突破するつもりじゃ、ねぇだろうな?」
「え……ぁ」
興奮していたのか、その辺りのことをまったく考えていなかったようだ。
ナーリャは思った以上に動揺する自身の気持ちを、なんとか抑え込もうと深呼吸をする。
「あのバカでかい城に突入して、見つけられるのか?」
「そう、ですよね。
まずはどこに捕らえられているのか、探る必要がある、か」
ナーリャは顎に手を当てると、そう思考し始める。
ナーリャの目を持ってすれば、あまり近づかずに城を観察することが出来る。
そうして、千里が捕まっている部屋を見つけるというのが、ベターな方法だろうとナーリャは頷いた。
「問題は、嬢ちゃんが窓のない部屋に幽閉されている場合か」
提案を聞いたラオは、呻りながらそう言う。
窓のない部屋……すなわち、地下室や隠し部屋に閉じ込められていた場合だ。
これでは、周囲から見て千里を見つけることは、難しい。
「城の見取り図でもあれば……いや、詮無いことですね」
不確かな物に縋ろうとする。
普段のナーリャならば、しないことだった。
それほどまでに、ナーリャは追い詰められていたのだろう。
握りしめられた腕からは、赤い雫が一筋、流れ出していた。
「はぁ、坊主」
「なん、ですか?
…………っづ?!」
ラオはため息を一つ吐き出すと、鋼鉄の左腕でナーリャの頭を小突いた。
フックの角が当たったのか、ナーリャは涙目になって頭を抑える。
「なっ、なに、を?」
抗議しようにも、思ったよりダメージが長引いて悶絶していた。
その痛そうな様子に悪いと思ったのか、ラオは目を逸らして頬を掻く。
しかし謝らない。状況的に。
「狩りをする時、命を賭ける時。
……おまえは、そんな茹だった頭で矢を番えているのか?」
「え……
いえ、そうです、ね」
散々窘められたのに、まだ冷静ではなかった。
痛みを伴って漸くそのことに気がつき、ナーリャは羞恥と共に冷静さを取り戻す。
「まずは外周から中の様子を確認。
時間をかけたくはありません。
ですから、なるべく見つからないように侵入して千里を捜します」
「わかった。
なら俺は、城の裏手
……丘の下に、船を着けておく」
プランは簡単だ。
救出して、その後ラオの船に乗って逃げる。
統治者とは一戦も交えることなく、さっさと立ち去るのが最良だと考えたのだ。
「わざわざ連れ去ったんだ。
命の危険は考えなくても良いと思うが……」
「はい。
なるべく早く、千里を助け出します」
蝙蝠を操って遠距離から人間一人を浚う。
それが本当に統治者なのか、それとも城に住む他の者なのかは解らない。
だがいずれにしても実力者で、その実力者が“ただ”浚うだけ浚っていった。
その気になれば、傷つけることだって出来ただろうに。
ナーリャは小屋から出ると、マントについたフードを被る。
腰にはセアックから引き継いだはぎ取り用のナイフと、クリフの短剣。
背には矢筒と、“ウルド=ガル=バリスタ|≪闇を穿つ大弩≫”を背負う。
「二人とも無事に帰ってこい。
…………いいな?」
「はい……ッ!」
背を向け合い、頷く。
そして、ナーリャはその漆黒の双眸に、銀に輝く城を収めた。
稲妻が走り、空が黄金に輝く。
その豪雨と吹雪を斬り裂くように、ナーリャは勢いよく走り出すのだった。
――†――
「うっぬぅぅぅっっ!!」
とても人には聞かせられないような、呻り声。
鈴の転がるような綺麗な音は今、低く切羽詰まったモノとなっていた。
「っぬぬぬっ
…………っはぁっ、はぁっ、はぁっ」
銀色のドアノブ。
か細い手が白くなるほど、千里は力を込めてそれを捻っていたのだ。
押せども引けども動かないそれに、ついに諦めたのか両手を離す。
その際、バランスを崩して倒れそうになるが、一歩二歩と下がってなんとか体制を整えた。
「一時、休戦が必要ね」
どうやら、諦めた訳ではないようだ。
千里は宿命のライバルを見るような目つきでドアノブを睨むと、大きく息を吐いて肩を落とした。
この部屋に来てどれほどの時間が過ぎたのか。
千里は体感で三十分以上は、このドアノブと格闘していた。
外に出て状況を確認しようとしたはいいが、出られなかったのだ。
「うーん。
鍵穴も、無いんだよね」
肩を落として、そう呟く。
光の剣を小さくして鍵穴にさせば何とかなる。
そんな安直な考えは、試す前に打ち破られたのだった。
「ナーリャ、心配してるよね」
ベッドに腰を落とすと、背中を投げ出す。
音もなく自分の身体がシーツに吸い込まれて、千里は慣れないその感触に嘆息した。
脳裏に浮かぶのは、優しい少年の顔。
友達が自分のせいで辛い思いをしていると考えると、それだけで胸が痛む。
棘が刺さったような、“鈍くて鋭い”という、どこか矛盾した痛みだった。
「はぁ」
――コン、コンコン
「っ」
聞こえてきた、ノックの音。
ため息を吐いていた千里は、その音に警戒して身体を起こした。
いつでも攻撃できるよう、また身を守ることが出来るように、光の剣を喚び出す心構えをしておくのも、忘れない。
「入るぞ」
低く冷たい声だった。
その声に込められた妖艶な旋律に、千里は肩を振るわせる。
その震えが指し示すのは、生物としての危機反応か、女性としての警戒心か。
千里は判断できずに戸惑いながらも、内側に開く宿敵を睨み付けていた。
「ほう、目が覚めたか。
我が愛しの――――“姫君”よ」
そう気障ったらしい口調で千里を見るのは、三十に届かない程度の背格好の、男性だった。
千里はその青年の姿に、思わず目を瞠る。
腰まで流れる銀髪は、月を溶かしたように妖しく輝き。
彫刻のように整った顔立ちに飾られた真紅の双眸は、ルビーのように美しい。
ただ立っているだけでその身体は銀に輝いて見え、漆黒の燕尾服が王族の装束のように演出されていた。
「クク、
我が姫君は、ずいぶんと“初心”なようだ」
「そのようですニャ。ご主人」
青年の後ろに控える、可愛らしい声。
その声に千里は、漸く我に返った。
「っ……貴方、は?」
絞り出されるように放たれたのは、そんな疑問だった。
こんな言葉しか出せないほどに圧倒されながらも、千里は睨み付けることを止めない。
「おっと、自己紹介がまだだったね」
青年はそういうと、何もない空間に腰をかける。
空中に風の椅子でも置いてあるのか、自然で優雅な動きだった。
「私の名前はエクス。
ここ、“ニーズアルへ”の統治者……“エクス・オン=イーエルハイト”だ」
足を組み、名を告げる。
ただそれだけの行動が、彼の威厳を醸し出す。
千里がまだ見たことのない……上に立つ者の“カリスマ”だった。
「私、は
…………私は千里。千里=高峯」
自身の名を唱えることで、“自分”を取り戻す。
こんなところで折れる訳にはいかないと、その双眸で語っていた。
「チサト、か。
“改めて”聞くが、うむ、良い名だ」
「あ、ありが……“改めて”?」
名を褒められて、反射的に礼を言う。
両親に愛情を持ってつけられた名前なのだから、褒められれば嬉しい。
ただ、この状況で言ってしまうのは、些か抜けていると言わざるを得ないが。
「歓迎しよう!
ようこそ、我が城……“月夢銀嶺城”へ!」
ネーミングセンスはないようだ。
千里は、胸を張った青年――エクスを見て顔を引きつらせる。
銀一色の城に住んでいる時点で、センスを疑ってはいたのだが。
「私を、どうする気?」
改めてという言葉については、華麗に流されたのでそれ以上は追求しない。
追求しても、疲れるだけで何も得られないという、千里の“直感”だった。
「どうする?
クク、解っているだろう?」
エクスはゆっくりと立ち上がると、滑らかな動きで千里に近づいた。
その隙のない素早い動きに、千里は辛うじて、ではあるが反応してみせる。
「っ剣よ!」
後ろに飛び退きながら、手をかざして光の剣を生み出す。
そしてそれを腰だめに構えると、エクスに向かって振り抜いた。
「せぇいっ!」
「ククッ」
横薙ぎに振るわれた剛剣を、エクスは優雅な礼で躱す。
そして頭を上げると、剣を持つ千里の手を絡め取った。
「なっ」
「力はあっても、技術は足りないようだ」
エクスは、人外の力を以て千里を捕まえる。
左手一本で、千里の腰の後ろにその両手を拘束して見せたのだ。
エクスは薄く笑うと、残った右手で千里の顎を持ち上げる。
すると、未だ鋭く睨み付ける千里の栗色の目を、上から見下ろした。
「私は君が欲しいのだよ。
愛しい我が、姫君よ」
独占欲。
強者に備えられた傲慢が、千里の瞳を絡め取る。
その真紅が纏う魅了を、千里は意志の力で弾く。
だがその力は……先ほどまでよりも、弱々しいモノになっていた。
「まぁ、そう急かすつもりはない。
時間はたっぷりあるのだ。もう少し考えるがいい」
エクスはそう良いながら、千里を解放する。
漸く圧迫感から解放された千里は、光の剣を支えにすることで何とか腰を落とさずに持ちこたえていた。
「彼女の世話は頼んだよ、ダーク」
「はいですニャ!」
先ほどの可愛らしい声が、響く。
エクスの影で、ずっと姿が見えないが、幼げな声だった。
「ゆっくりと、考えておけ。
どうせ逃げられはしないと、自身に言い聞かせるがいい。
ククッ……ハーッハハハハハハハッッッ!!!」
笑い声が、木霊する。
その声を不快に思いながら、千里はおぼつかない足取りでベッドに倒れ込んだ。
どうにも、精神的な疲労が襲ってきたようだった。
「さて、お嬢様?」
可愛らしい声が、千里を呼ぶ。
だが千里はその声の主を確認する前に……静かに瞼を落とすのだった。
今回は短めに。
次回とその次は長めになります。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。