四章 第二話 街外れの漁師
突き抜けるような青空。
その燦々と輝く太陽の下で、千里とナーリャは呆然と立っていた。
ナーリャが定期船を見に行っている間に、千里はフィオナを見送った。
そして、さぁ自分たちもとナーリャに合流したのだ。
だが、嵐で壊れてしまった船や、リックアルインから帰ってこない船があるため、定員がオーバーしてしまったというのだ。
街の復興を手伝っていた二人は、これに予約することが出来なかった。
本来ならば予約など必要ないのだから、予想できることではない。
「どうしよう、ナーリャ」
「どうしようか、千里」
喉から漏れる声は、消え入りそうなほど弱々しい。
次の定期船が来るのは、半月後だ。
それまでに闘技大会の参加枠がどうなっているのかは、わからない。
二人の旅路は、まだまだ障害が多いようだった。
E×I
一度宿に戻って、一階のフロアで息を吐く。
どうにか手段を探さなければならないが、船が乗れなくなるという予想外の事態に、ナーリャは戸惑いを隠せずにいた。
「どうにか、しないと」
「やっぱり私、もうちょっと探してくるよ!」
千里はそう叫ぶと、勢いよく立ち上がる。
まだ諦められないし、この程度の困難は、この短い旅路の中で何度もあった。
「この程度で、負けられないもん。
行こう、ナーリャ!
……“諦めるもんか!”だよっ」
栗色の双眸に、強い意志の炎を宿して千里はナーリャに手を差し伸べる。
目を瞠るほどの精神的成長を見せる、千里のその力強い姿を見て、ナーリャは己を奮い立たせた。
「うん、そうだね。
“諦めるもんか”……だね」
ナーリャは、千里の小さく柔らかな手を掴むと、立ち上がる。
その細腕からは信じられない筋力と、その可憐な容姿からは想像できない不屈の心。
これでは、引っ張られてばかりになってしまいそうだと、ナーリャは苦笑した。
「さて、
それで……どうしようか?」
「どうしようって?」
「うん、
港に行くのも良いし、聞き込むのも良いし」
ナーリャは気持ちを切り替えると、すぐに頭を回転させてそう言った。
顎の手を当てて首を捻る姿からは、先ほどまでの憔悴は感じられない。
「まずは手分けして、情報を集めよう」
それが最初にすべきことだ。
そう呟いて、千里に同意を求めた。
「どう?」
「うん!
……それじゃあ私は、宿の方へ行ってくる!」
「よし!
じゃあ僕は、港の方を回ってみるよ!」
指針が決まると、すぐに別れて走り出す。
思い立ったが吉日、決定即行動である。
――†――
ルルイフの波止場は、端から端まで歩いても、半日もかからない。
これが北西の港街だったら、橋まで歩けば一日かかる。
ちなみに、北西の港町へ行けば船はあるかも知れないが、大きな街の船は懐へのダメージが桁違いなため、ナーリャ達はその選択肢を考慮することができなかった。
「そうですか……」
「すまねぇな、兄ちゃん」
肩を落とすナーリャに、貨物船などの船乗りや漁師達は首を横に振った。
リックアルインまで行くことはできる。だが、リックアルインまで船を出すことが出来る者はいなかった。
誰も彼も、家族を持ち職を持つ身。
そんなに長期間、家を空けることが出来ないのだ。
「まぁ、兄ちゃん達には嵐の後片付けも手伝わせちまったしなぁ」
船乗り達も、口々にそう言って考え込む。
だが、それで手段が思い浮かぶはずもなく、時間だけが過ぎていった。
「無理なご相談をしてしまい、申し訳ありませんでした。
なんとか、もっと探してみます!」
「俺たちも仲間内に話しを広げておくよ。
頑張れよ、兄ちゃん!」
日に焼けた褐色の肌。
その胸を大きく叩いて言い放つ姿は、頼りがいのあるものだった。
船乗り達の好意を嬉しく思いながらも、ナーリャは背を向ける。
気落ちしてしまうのは仕方がない、とはいえ落ち込んでもいられなかった。
だから急ごうと、走り出そうとした……その時、後ろから声が響く。
「あっ……。
お、おいっ兄ちゃん!ちょっと待った!」
「はい?」
足を止めて振り向く。
すると、船乗りの一人が思い出したかのように手を打っていた。
「実はな……」
船乗りから語られた、情報。
それにナーリャは、目を丸くするのだった。
――†――
建物の修復や片付けが終わり、街の住民は思い思いに過ごしていた。
一仕事終えたばかりということもあり、酒屋や食事処などにも人が集まっている。
ナーリャと別れた千里は、ここで情報収集を行っていた。
手の空いている人、何か伝手を持っている人。
とにかく聞き込んで探してみないことには、埒があかない。
「はぁ……」
そうして駆け回っていたが、成果は芳しくなかった。
今はとりあえず一休み。食堂で、聞き込みしながらの休憩だ。
「よう、嬢ちゃん。
兄ちゃんは別行動かい?」
「トールさん……」
千里にそう声をかけたのは、街の周辺を中心に活動をしている賞金稼ぎの男性だった。
渋く良く通る声の持ち主で、ナーリャと一緒に瓦礫の撤去をしていた虎頭の青年だ。
黄色い体毛に黒いライン。
縦に割れた眼孔と鋭い爪のついた五本の指。
大きな体躯を包む鉄の鎧と、臀部から伸びる長い尻尾。
ファンタジーな世界だと理解はしていても、どうにも納得のできない存在だった。
「手の空いた漁師か……。
ムルミ、誰かいたか?」
「知ってりゃとっくに教えてるよ!」
虎頭の青年、トールに呼ばれたのは、宿屋の婦人だった。
彼女は人手を請われて、こうして食堂で働いていたのだ。
本来は、宿屋の家事をしているのだが、こうしてよく手伝いに出ていた。
「違いない」と大きく笑うトールに、ムルミは息を吐く。
昼間から酔っていれば、世話はない。
「自分の縄張りを“キレイ”にすんのを手伝って貰ったんだ。
なんかしてやりてぇのは山々なんだが……どうしたもんかな」
トールはそう言いながら、肩を竦める。
彼も手助けはしたいと思っていて、千里としてもその気持ちは嬉しかった。
「ありがとうございます、トールさん」
「よしてくれ。
俺はなんにもできちゃいねぇよ」
「それでもですっ」
強く言い切る千里に、トールは鋭利な牙を覗かせて苦笑した。
気持ちに押されているようでは、賞金稼ぎ専門の冒険者の、名折れである。
「私、もう一走りしてきます!」
千里は沈みかけた気持ちを持ち直すように、勢いよく立ち上がった。
強く握りしめる拳には、前を向く大きな意志が込められている。
そうして走り去ろうとする、千里。
その後ろ姿を見ながら、ムルミが小さく呟いた。
「ぁ……。
そうだ、そういえば」
その言葉が、強化された聴覚を持つ千里に届く。
千里は足を止めて振り向くと、顎に手を当てて考え込むムルミを見て首をかしげた。
「いや、そうだよ!」
「なんだよ、ムルミ?大声出して」
突然声を張り上げたムルミに、トールは不満の声を上げながら三角形の耳を押さえた。
雷を怖がる猫のようにも見えて、少しだけ可愛らしい仕草だった。
「ラオ爺さんさ!」
「ラオ爺さん……。
あぁ、そうか!ラオのジジイか!」
思い出したのか、トールも納得したように頷く。
そんな二人の様子に、千里は一人取り残されたように感じて、ますます首を捻っていた。
そして直ぐに話を聞き、奇しくもナーリャと同時刻、同様に目を丸くした。
――†――
ルルイフの東側。
海に面した一角に、寂れた家屋があった。
水で満たされた桶や煙の上がる煙突など、誰かが暮らしている気配はある。
けれど、肝心の人影は、どこにも見あたらない。
その家屋の前で、千里とナーリャは顔を見合わせていた。
「ここ、だよね?」
「うん、ここだと思うよ」
不安げに呟いた千里に、ナーリャは自信なく答える。
ナーリャの手元には、船乗りたちから預かった紹介状と、トールとムルミから預かった地図があった。
ナーリャは、とにかく行ってみようと扉をノックする。
木製の扉は、叩く度に僅かに軋んで危うげだ。
「誰だ」
奥から響く、野太い声。
その声は、胸の内に響くような迫力を宿していた。
「紹介状を持ってきました、旅の者です。
船を出していただけないでしょうか?」
戸惑う千里の横で、ナーリャがそう声を上げた。
すると、数拍ほど間を置いて返事が返ってくる。
「入れ」
意志だけ告げる、短い言葉だった。
一々重みがあるのは、この声の主に、積み重ねられた経験か。
なんにせよ、それには妙な圧迫感があった。
「ナーリャ」
「うん」
千里が顔を上げて、ナーリャの名を呼ぶ。
ナーリャもまた、千里を一瞥して顔を上げた。
こんなところで、尻込みしてはいられない。
扉が軋む音を意識から弾きながら、家の中を覗き込む。
壁に掛けられた大きな銛、木製の古びた机、その奥で煙管から煙を噴かす人影。
「船を出して欲しい、だったか?」
「は、はい」
暗がりで輝いているかのように錯覚させる、鋭い群青色の眼光。
その光に戸惑い、千里はほんの僅かに肩を跳ねさせた。
ここまで鋭い気配を持つ人物に出会ったのは、この世界に来て初めてのことだった。
アズイの狂気的な雰囲気よりも、ずっと純粋で、重い。
「僕はナーリャ。
こっちは、一緒に旅をしている千里です」
ナーリャは、空気に呑まれかけた自分を持ち直す。
比べられることではないが、セアックもまた“鋭い雰囲気”の人間だった。
その様子を見て、千里もまた自身を持ち直した。
「見せてみろ」
「ぁ……、
は、はい」
右手が差し出されることにより、差し込む陽光に照らされ全容が顕わになる。
長い白髪、明るみに出ても鋭さを損なわせない双眸、大柄な体躯。
そして何より目を惹くのは――――“鉄で出来た”左腕だった。
「チッ……。
坊主ども、面倒な仕事を押しつけやがって」
老人は、手紙を読みながら舌を打つ。
読み終わるとその手紙を机に放り投げて、煙を噴かせた。
「残念だが、諦めろ」
「なっ、
……どうしてですかっ!」
重い気配をはね除けて、千里は大きく声を上げた。
理由も話されずに無碍に断られて、諦められるほど小さな目的ではない。
その意志を、千里は双眸に込める。
「どうか、お願いします。
僕たちを帝国へ、乗せていってください!」
詰め寄る千里の後ろで、ナーリャは勢いよく頭を下げた。
そんな二人を、老人は胡乱げに見ていた。
「うん?
いや……待てよ」
そうして二人を見ていた老人は、何かに気がついたのか顎に手を当てて呟いた。
二人の姿、それをじっくりと見て、頷く。
「おまえ達、腕は立つのか?」
「え?
は、はいっ!」
ナーリャは、咄嗟に頷いて見せる。
自分の腕に過剰な自信を持っている訳ではないし、対人戦なども考えれば経験も少ない。
けれどここは頷いておかなければ、門前払いされるということが容易に解ったのだ。
「え、えーと、
力には、自信があります!」
ナーリャに倣って、千里もそう声を上げる。
その宣言は“女の子”として何かを投げ捨てているようで、千里は内心で落ち込む。
だが、今は気にするべきではないとその思考を振り払った。現実逃避である。
「……乗せていってやっても、いい」
「ホントですかっ?!」
「ただしッ!」
千里の歓声は、老人の大きな声に遮られた。
その迫力有る声に、千里は声を詰まらせる。
「条件がある」
「条件?」
首をかしげるナーリャに、老人は不敵に笑いながら頷いた。
何を要求されるのか、流れる沈黙は重い。
「そうだ。
俺はもう何年も、“海の魔物”と戦っている」
言いながら、老人は自分の腕を撫でる。
鋼鉄製の左腕は、さながらフック船長のように見えた。
「俺はこいつを討ち取りたい。
だが、こいつの周りには沢山の下僕がいる。
……あとは、わかるな?」
海の魔物を討ち取るために、道中の雑魚を蹴散らす。
言うほど簡単なことではないのは、老人の左腕を見れば一目瞭然だった。
「嫌だったら諦めろ。
この話は、これで終わりだ」
口を閉ざす二人に、老人は見向きもせずそう吐き捨てた。
嫌だったら諦めるしかない。それは、船に乗ることをだけにかけられたモノではない。
千里にとってそれは……元の世界へ帰ることを諦めることに、他ならなかった。
「ナーリャ、私」
「うん、僕も同じ気持ちだよ」
俯いて零した千里に、ナーリャは笑顔で頷いた。
その一言に突き動かされて、千里は薄く微笑む。
そしてすぐに、二人で真っ直ぐと老人を見た。
「条件を、呑みます」
「船に乗せてくださいっ!」
そう言って頭を下げる、ナーリャと千里。
二人の姿に、老人は小さく笑う。
「良い度胸だ。
俺はラオ、海獣船の漁師だ」
老人……ラオは、ここに来て始めて名乗った。
意志が伝わった。だから、こうして受け入れられた。
そのことに喜びを隠しきれず、二人は笑顔になる。
「出発は明日の早朝。
遅れたら置いていく。覚悟をしておけ」
「はいッ!」
「はいっ!」
ラオは二人の目を見て、そう告げる。
まだ解決した訳ではないが、確実に道は見えてきていた。
頭を下げて、立ち去る。
その道中の星空は、過ぎ去った嵐を思い出させないほど、晴れ渡って見えた――。
次回は、もう少し長めになります。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。