四章 第一話 港街ルルイフ
太陽は雲に覆われ、空は灰色に濁っている。
ごうごうと吹く風が木々を大きく揺らし、肌を打つ雨は礫のように衝撃を伴っていた。
宿場街、アロイアを出て半日。
天気の気まぐれにより、千里とナーリャは嵐に見舞われていた。
大きな風は、雨で濡れた身体を芯から冷やす。
冷えた身体を温める暇もなく、ただ進まなければならない。
馬からは降りて手綱を引いているが、馬への負担も相当だろう。
運が悪いの一言では説明しきれない、そんな不運な状況だった。
「ナーリャっ!
あと!どれ!くら!いっ!?」
声を張り上げなければ、隣にいるナーリャに言葉を伝えることも出来ない。
喉を嗄らすほどの大声を上げて、漸く断片的に届く。
それほど風の力は強く、雨の音は大きかった。
「あと!もう!少し!だよっ!」
ナーリャも千里同様に、大きな声で返事をした。
アロイアを出て半日。そろそろ、二人とも体力が厳しくなっていた。
最初は馬に乗っていたが、雲行きが怪しくなり急いだ。
だが、風が強くなってきたので、落馬を恐れて馬から降りてからが、ひどかった。
にわか雨は豪雨となり、強風は突風となり、やがて暗雲が立ちこめ稲妻が走り出す。
その光景に、二人は揃って頬を引きつらしたのだった。
「あれは……。
千里っ!――だよ!」
「えっ?
な、なにっ!?聞こえない!」
ナーリャが、前を見据えて何かを言った。
だが、突風に遮られて、千里まで声が届かなかった。
仕方なく、ナーリャは斜め上に指を向けて、示した。
「へ?
……あ、あれって」
薄暗い周囲を照らす、金の光。
それは……海の道標、灯台だった。
「あれが、
港街“ルルイフ”」
千里が零した声は、いとも簡単に突風の中に呑み込まれていった。
E×I
歯を食いしばって力を入れ、重い扉を押し開ける。
突風で蝶番が歪んだ扉は、筋力が上昇している千里でも重く感じられた。
「あっはっはっ、
この嵐ん中大変だったねぇ、旅人さん」
そう言って笑うのは、恰幅の良い女性だった。
彼女は、ナーリャ達が入った宿屋の婦人である。
「いや、はい。
どうにも運が悪かったようです」
千里が押し開けた扉から、荷物を抱えたナーリャが入る。
二人は街に入るとまずナーリャ宿をとり、それから荷物と馬を支えていた千里がナーリャと協力して荷物を運び入れる。
その予定だったのだが、突風で立て付けが悪くなったのか、ナーリャ一人では開けられなくなったのだ。
おかげで二人とも、濡れ鼠という言葉がよく似合うという有様だ。
水も滴るとはいうが、滴りすぎて寒そうだった。
「嵐の中じゃなければ、
あたしも外に出て直すんだけどねぇ」
女性はそう言うと、再び笑う。
かんらかんらと笑うその姿は、見ていて気持ちが良い。
「ま、ゆっくりしていきなよ」
「はいっ!」
「ありがとうございます」
千里が元気よく返事をして、ナーリャもそれに追従する形で頭を下げた。
その対照的で気持ちの良い返事に、女性は三度笑い声を上げる。
「ところでお二人さん、
…………一部屋じゃなくて良いのかい?」
「そんなんじゃありませんっ!」
どこに行ってもからかわれるのか、千里は声を張り上げる。
その横でナーリャは、ただ恥ずかしげに顔を逸らしていた。
――†――
薄い壁越しに、二つの部屋。
隣同士のその部屋に入ると、二人は大きく息を吐いた。
帝国の闘技大会のこともあるのに、こんな嵐に巻き込まれたのだ。
少し肩を落とすくらいは、許されるだろう。
「はぁ、
もうそんなに焦ることはないって思ってたけど、さ。
……だからって、これはないよ」
鎧を外して、予備の上着を羽織る。
濡れた服の着心地は決して良いものとは言えなかったので、早く渇かしてしまいたかった。
窓にはしっかりと鎧戸が嵌っていて、外の風景は見られない。
嵐の風景など見ても面白いものではないが、ナーリャの言っていた“海”を楽しみにしていた身としては、残念でならなかった。
「はぁ、考えても仕方ないや。
とりあえず今は、今できることに集中しなきゃ」
といっても、出来る事なんて限られていた。
服を乾かしている間はじっとしていた方が良いだろう。
予備の上着とロングスカートという姿は肌寒く、ヘタに動き回ったら風邪を引きそうだ。
第一、動いてもやることがない。
ナーリャの部屋に押しかけるのは、また婦人にからかわれそうでできないし、着替えを自分が覗くような状況に出くわしたら、気まずい。
だから、今やるべき事は、一つだけ。
その一つこそが大事なことだと、千里は考えていた。
「イル=リウラス」
小さく呟くと、手のひらの中に剣が生まれる。
光り輝く、黄金の剣――――“イル=リウラス|≪光より顕れる者≫”だ。
千里は自分の“力”に戸惑うあまり、自分の“力”を知ることを怠っていたのだ。
「この機会に、
何が出来るのかしっかり調べておかないと」
そう、この黄金の剣の“機能”が確かめたい。
闘技大会という戦場に出るからには、自分自身のことくらいは把握しておきたかったのだ。
「えーと、
それじゃあまずは、と」
最初に思い浮かべたのは、サイズだった。
もう少し大きくできるのではないか、小さくできるのではないか、という疑問だった。
「大きく、は危ないから」
小さくなれ。
そう念じると、輝きはそのままに短くなっていく。
そのサイズがペーパーナイフほどになったところで、縮小はぴたりと止まった。
「おー、
なんなんだろう、この力」
どう使ってみても、これが“何”であるかは解らない。
出来たから使って、それが結局自分を助けてくれた。
そうはいっても、人の“悪意”のみを斬る、ということが尋常なことではない事くらいはわかる。
「もうちょっと、何か試してみよう。
わかるかも、しれないし」
とにかく今は、何が出来るのかの把握だ。
闘技大会まで一ヶ月……それまでに、どこまで経験を積めるかなど解らないのだから。
「そういえば、
闘技大会は“魔法使い”ってで出られるのかな?」
魔法使いとして参加できなければ、千里は光の剣を使えない。
そのことに思い至り、冷や汗を流す。
「あ、あとでナーリャに聞いてみよう。
う、うん、大丈夫大丈夫っ」
流石にこれは心配のしすぎ、で片付けられることになるのだが、しばらく千里は現実逃避に光の剣の解明をするのだった。
――†――
嵐の後は、雲一つ無い空が広がっていた。
急速に通り過ぎた嵐、その現象は良くあることなのか、ルルイフの人間は気にした様子もなく働き出していた。
「兄ちゃん!
そっちを持ってくれ!」
「はい!」
虎の顔をした獣人の男性に言われて、ナーリャは地面に転がった看板の端を持つ。
力を入れてそれを持ち上げると、壁に立てかけた。
「見た目の割りに力持ちじゃねぇか!
よし、次はあっちを頼む!」
「あはは、
はい、わかりました!」
あの嵐の翌日、ルルイフでナーリャ達は、後片付けに参加していた。
本来ならすぐにでも船を探したいところだが、世話になった宿屋が予想以上に傾いてしまっていたので、こうして手伝いを名乗り出たのだ。
ナーリャがそうやって撤去作業を手伝っている間、千里は宿屋の婦人と共に昼食作りに参加していた。
「いやぁ、助かるよ!
悪いねぇ、手伝いなんかさせちゃって」
「いえ!
見なかったフリとか、苦手なんです」
見なかったことにして、関係ないと言って立ち去るのは簡単だ。
けれど、そうやって逃げてしまうと、どうしようもなく胸が騒ぐのだ。
後ろ髪が引かれて、結局手伝いに戻ってしまう。
だったら始めから参加した方がずっと気持ちが良いと、ナーリャに頼んで参加したのだった。
「そうかいそうかい。
あっはっはっ」
そう千里が言うと、女性は大きく笑う。
その瞳は優しく、穏やかに千里を見ていた。
「ほう、良い心根だ」
そう声が聞こえて、千里と婦人が振り返る。
調理場の入り口に立つのは、軽鎧を身に纏う一人の女性だった。
流れるような黄金の髪に、海を思わせる碧い目。
女性にしてはやや高い身長と、すらりと伸びる長い足。
可憐で優しげな顔立ちに似合わない、鋭い視線。
そして――――長く尖った、耳。
「久々に柔らかな“音”だった。
気に入ったぞ。ご婦人!私も手伝おう」
「あ、ああ。
手伝ってくれるんなら大歓迎さ!」
婦人は、客商売をしているだけあって、あっさりと受け入れて見せた。
この辺りの器量の良さは、中々身につくモノではない。
「さて、うん?どうした?」
自分を見る千里の視線に気がついて、女性は小首を傾げて見せた。
その仕草は可憐で、同性である千里でも思わず見惚れてしまう類のモノだ。
「あぁ、そうだったな。
私はフィオナ。見てのとおり、“エルフ”だ」
「ぁ――――
あっ、わ、私は千里、千里=高峯です!」
RPGの世界に限らず、古代の神話にも登場する長命種。
その存在がリアルに、千里の前に立っていたのだ。
「チサト、か。
うむ、良い名前だ」
フィオナは噛みしめるように、そう何度も頷いた。
一つ一つの仕草が洗練されていて、それでいて自然だ。
その仕草がどうにか真似できないモノかと考えて、千里はすぐに諦めた。
「おーい!
二人とも、そろそろ休憩しておいで!」
「あぁ、了承した」
「あ、わかりました!」
時折声を投げかけてくるフィオナと言葉を交していると、婦人から休憩の号令がかかった。炊き出しも下ごしらえが終わったので、さほど焦らなくても良くなったのだ。
「チサト、
休憩ついでに話しでもしよう」
「は、はい!」
まだやや気後れはするものの、千里は素直にフィオナの後について歩く。
威風堂々とした佇まいに慣れるのは、もう少し時間がかかりそうだった。
――†――
撤去された煉瓦の山。
その一部に腰をかけて、二人は休憩時間を過ごしていた。
手には、チーズとハムが挟まれたパンを持っている。
「ほう?
では千里は、帝国の闘技大会に出場するのか……」
千里からノーズファンを目指しているという話しを聞いたフィオナは、すぐにそう当てて見せた。といっても、時期的にすぐにわかる事なのだが。
「そうか、
いや、実は私も闘技大会を目指しているのだ。
……と、みればわかるか」
そういうと、フィオナは笑って自分の姿を見下ろした。
銀の軽鎧に、背中に背負った真紅の長剣。
この姿で闘技大会を目指さないと言われても、冗談にしか聞こえない。
「ということは、
今年の女性部門は、チサトと当たるかもな」
不敵に笑うフィオナに、千里は苦笑で返す。
フィオナに当たるというのは確かにあり得ることだが、それよりも気になることがあった。
「あの、女性部門って……」
「なんだ、知らないのか?」
てっきり男女混合でやるのかと思っていたが、そうではないようだ。
そのことに気がついて、千里は首をかしげながら訊ねた。
「男女混合は観客的にも“受け”が良くないからな。
まぁ私は混合でも良いと思っているが、
王族貴族も参加するのなら、そうも言ってられんのだろう」
フィオナは肩を竦めると、腕を組んで息を吐き出した。
本当は混合でやりたいのだろうが、そうはいかないのが現実だ。
「チサトはやはり、
魔法剣士か、魔法使いか?」
「はい、
私は剣士……え、と、魔法剣士です」
緊張しながらも慣れてきたのか、千里は普通に答えることが出来た。
その返事に、フィオナはそうかと頷いていた。
華奢な見た目で参加する者は、大抵魔法で身体能力の水増しをしている。
中には防御を捨てて魔法の能力に特化させた魔法使いもいる。
だがほとんどの場合は、身体能力の向上に魔法を使っていた。
「私も、魔法剣士だ。
ふふ、大会で当たったら、容赦はせんぞ?」
フィオナは、手加減といったことを嫌うのだろう。
千里に手加減はしないというと、不敵に笑ってみせた。
「はいっ
私も、本気で行きます!」
ならば、それに立ち向かわないのは失礼だし、どこか悔しい。
そう思って、千里は拳を握りながら意思を表明した。
その負けん気の強い、正々堂々とした態度は心地よく、フィオナは楽しそうに笑う。
「フィオナさん?」
「あぁ、いや、なんでもない。
…………それよりも、その堅苦しい口調は止めないか?
同じ舞台で剣を交す戦士だ。妙な気遣いはいらん」
フィオナはそう、どこか気まずげに断言した。
悪い感情を向けられている訳でも、卑屈な感情を抱かれている訳でもない。
だから、言い出しにくかったのだろう。
「えへへ、
うん、わかった。フィオナさん」
それでも“さん”付けで呼ぶのは抜けなかったようだが、十分だ。
「ふふ……
そろそろ戻るか」
「あ、うんっ」
立ち上がったフィオナは、自分の後ろをついてくるひな鳥のような少女に、頬を緩ませる。実力は正直期待していないが、それでも千里の性根と気概は気に入っていた。
だから、この“ひな鳥”と戦えるのなら、それは楽しみなことだった。
古くより、“勇気”を持つひな鳥は、勇猛な“神の鳥”へと昇華するものなのだから。
――†――
結局この日は、船を探すことも出来ないまま夜を迎えることになった。
千里とナーリャは、夕飯を食べた後、一息ついて夜風に当たっていた。
「久々に、
“疲れた”って思えたよ」
ナーリャは、風を浴びながら大きく伸びをして、そう言った。
ここのところは全て、戦闘による疲れだった。
だが今日は、正当な“労働”による疲れで、それ故に気持ちよく疲れを感じることが出来ていたのだ。
「お疲れさま、ナーリャ」
「うん、千里もお疲れ」
二人でそう言って、笑い合う。
千里も、戦闘に関わらないことでお礼を言われたことなど久しぶりで、それが妙に嬉しかった。
戦えるようになったといっても、戦わないで済むのなら、それに越したことはないのだ。
「明日は、ちゃんと船を探さなきゃね」
「定期船は?」
「一番大きな港ではないとは言え、この時期だからね。
定期船も、何隻か有るんだ。
まぁ、本当に数が多い次期だから、乗れないことは無いと思うよ」
今までのことがあるから、断言することが出来ずに苦笑する。
その不安の理由がわかる千里も、同じく顔を引きつらせていた。
そろそろ二人は、自分の“運”が信じられなくなっていたのだ。
「さて、と。
今日はもう休もうか?」
「うん。
明日のこともあるし、ねー」
翌日の日程を相談しながら、宿に向けて踵を返す。
明日は定期船を探して乗り込み、一気に帝国まで行く必要がある。
そうして二人は、期待と希望を胸に、宿へ戻っていった。
日頃の疲れか、注意力が散漫になっていた二人は、ついに気がつかなかった。
そんな二人――――いや、千里の後ろ姿を見る、小さな影があることに。
この正体がわかるのは、まだ少しだけ、先のことだった。
お待たせしました。
これより、第二部を開始します。
更新スペースは落ちますが、その分質を上げられるように頑張ります。
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ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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