三章 第四話 見え始めた未来
地下道の一角。
広い部屋で、七人の男達が並んでいた。
『申し訳ありませんでした!』
地面に額をついて跪く、千里の故郷である日本で伝統的な謝罪方法。
そう……“土下座”である。
「俺たち、どうしても猫と戯れながら生活がしたくて」
「盗んだ猫を売った金と盗んだ猫で、その生活を送ろうって思ってたんッス」
「……ソウ、ナノダ」
猫好きなのは構わないが、猫を売るといっている時点で本当に好きなのか疑わしい。
ちなみに、純粋に金儲けに猫を売ることに賛同していただけだった他の男達は、ザーク達の言葉に驚愕していた。
「はぁ……。
もうやらないって、誓える?」
この問いは、甘いだろう。
だが、近くで聞くナーリャがその提案を止めないのは、確信があるからだ。
光の剣で切られた者は、悪には戻らないだろうという、奇妙な確信が。
「誓います!
そして――――世界に猫愛を広める、
猫布教の旅に出ます!」
「ついていくッスよ!アニキ!」
「オレモ、行ク」
「チッ、しょうがねぇな」
口々に賛同していく、男達。
何故かダーツの男もそれに乗っていた。
他の男達は、もう真面目に働こうとしか思っていないのに。
「一件落着。
だよね?ナーリャ」
「ふぅ、
うん、そうみたいだ」
二人は猫のことを任せると、頼まれた茶色い模様の猫を持ち上げた。
そしてその猫を手に、ゆっくりと地下道を後にするのだった。
E×I
路地裏の情報屋。
古びた扉を潜り、板張りの廊下を歩いた先。
沢山の本に囲まれた情報屋の老人、ディルに、千里とナーリャは猫を差し出した。
「大人しく、ここまで来てくれたんです」
千里の腕に抱かれた猫は、ここに来る道中、暴れることなく大人しくしていた。
檻の中に閉じ込められて、未遂とはいえ非道い目にあった後だから、怖がってしまうのではないかと心配していたのだ。
「おぉ、そうか。
この街で、密売か」
この街で密売をしようとするケースは、少なくはあるが前例はあった。
だがその一つとして、成功した者は居ない。
なんらかの理由で、みんな失敗していったのだ。
まるで、彼らが“何か”に守られているかのように。
「さて、これで対価は成立だ」
ディルは、机の下から猫皿を取り出し、そこに魚を一尾置く。
魔法で凍らされた魚は、ランプの側に置かれることで徐々に溶けていった。
机の上にあった本を再び読みながら、ディルはそう低い声で言い、話しをする体勢を作る。
これが彼の真剣な構えなのだろう。千里とナーリャは、ただ耳を傾けることに集中する。
「流れ人――。
この言葉がいつ頃から使われるようになったのかは、俺も知らん」
何時しか、“ここ”ではない“どこか”から来た者達のことを、流れ人と呼ぶようになった。ディルはまずそう前置きをして、千里とナーリャに椅子を指す。
立ったままではろくに集中できないだろう。
そういった気遣いから指で示された二つの椅子に、千里とナーリャは腰掛けた。
木造の丸い椅子は、周囲を囲む本棚から本を取り出して、その場で読むためのものだ。
「流れ人は、皆、特別な才能や技術を持っていた。
ある者は、身の丈の倍もある槍を片手で操り、
ある者は、手に汲んだ水を投げて岩を砕き、
ある者は、両手を打って感じた音だけで、周囲の地図を描いて見せた」
様々な技能を持つ者。
ディルが今までで蓄えてきた情報。
その中にある者は、これだけだ。
世界を回れば、これだけではないという可能性もあった。
「そんな、人たちが……」
「はぁ……。
私、ただの女子校生だよぅ」
驚くナーリャと、肩を落とす千里。
技能を持つ者だけが、目立って伝わっているという可能性もあったが、それでも“自分が選ればれた”理由がわからずに、千里は困惑していた。
成績は平均的。
強いて言うなら体育が中の上で英語が中の下。
数学よりも現文の方が好きだが、古文は首を捻ることがある。
その程度の、どこにでもいる高校生だった。
「先生の評価も、
“元気で優しい子ですが、たまに奇抜なことをしますね”
……って苦笑される程度だったのにぃ」
椅子の上で膝を抱える千里。
ナーリャは苦笑しながら、その肩を叩いて慰めた。
「ごほんっ」
「あっ、
すみません!」
わざとらしく咳き込んだ、ディル。
その仕草に、千里は慌てて居住まいを正した。
座ったまま頭を下げて、ナーリャもそれに追従する。
そんな二人の様子にため息をつくと、ディルは再び話しを始めた。
「はぁ、続けるぞ」
その声に呆れが含まれていることに気がつき、千里は目を泳がせる。
「流れ人は、
一つの時代に一人きりしか現われない。
前の流れ人が消息を絶つなり命を落とすなり、
何らかの理由で“ここ”を去らない限り、次の流れ人は現われなかった」
それは、イルルガからも聞いたことのある話だった。
どこかに流れて、そして消えていく違う世界の住人達。
その有り様から、彼らは“流れ人”と呼ばれるように、なったのだと。
朗々と語るディルの深い声が、千里とナーリャに染み込んでいく。
途切れることのないその言葉は、彼女たちの心に不可思議な波紋を生み出していた。
「定住することを決めた者も、確かにいた。
だがそれよりもずっと、帰りたいと望む者の方が多かった」
諦めてしまう者は、この世界に根付いた。
だが、その中で子孫を残した者はいない。
いや、正確には、“残せた”者は、いなかった。
「帰りたい、
そう望む者は皆、同じ場所を目指した」
「同じ、場所?」
完全にディルの“語り”に引き込まれていた千里が、呆然と呟く。
帰還を望む流れ人が、己の全てを賭けて目指した希望。
「そうだ。
それが宗教国家“ノーズファン”
流れ人に神の言葉、神の意志を伝えることが出来る唯一の存在。
――――“神託の巫女”が住まう地だ」
北西の大陸、ルノリ。
東南の大陸であるここ、ウィズの対面に位置する大陸だ。
神託の巫女、その神の言葉を何よりも尊重する“聖域”と呼ばれる場所。
それが、神秘と託宣の国“ノーズファン”だった。
「ノーズファンは、
各地の“教会”に長年在籍していないと、入国は難しい。
だが、毎年開かれる帝国の“闘技大会”で上位十八人に入れば、
神の騎士を目指したいという名目の下、入国が許される」
千里の中で、音を立ててレールが敷かれていく。
広大な荒野を、ただ手探りで進めてきた。
何時か手段が見つかるかもしれない、帰れるかもしれないという、曖昧な希望で進んできた道。その道に、道標が見え始めた。
「神の騎士になれとは言わん。
だが、神託の巫女に謁見することが許される、で、あれば」
その時に、神託を受けることができる可能性は、高い。
その明確に照らされた、目的地へのスポットライト。
旅の終着点にはなり得なくとも、確実な通過時点になるであろう、その地。
「神秘と、託宣の国」
「宗教国家、ノーズファン」
喉がからからに渇いていく、感覚。
その最中、呆然と呟いた二人は、思わず顔を見合わせた。
「俺に言えるのは、ここまでだ。
流れ人の最後は、定住した者以外は解らん。
だが、そうだな――――その“亡骸”が発見されたことも、ない」
この世界の住人として、亡骸が扱われたこともあるだろう。
だが彼らの大半は、確実に他の人ではたどり着けない地に、その歩みを進めたのだ。
それは、手がかりは、どこかに必ずあるという意味だ。
「千里!」
「ナーリャ!」
二人は、歓喜から向き合って、笑い合う。
夕暮れのアロイアに、二人の歓声が響いた。
ディルに大きな咳払いを、されるまで。
――†――
宿屋の一室。
翌日にはここを出るため、二人でこうして夜を過ごすのも、最後だ。
潜り込んだベッドの中で、千里とナーリャは興奮から眠れずにいた。
知りたいことが、手に入った。道を掴むことが出来た。
それが二人に、大きな希望を抱かせていた。
「まずは帝国、だよね?」
「そうだよ。
北東の大陸アストーイにある、
リックアルイン帝国だね」
リックアルイン帝国。
その名を、千里は噛みしめるように繰り返した。
「リックアルインへ行くためには、海を渡るんだ」
「海?
……わぁー、けっこう、楽しみかも」
異世界に来たのなら、来てみたいと思っていた場所。
現実逃避のために思い浮かべた場所が、今は目的のための一部となっていた。
無限に広がる広大な海、やはり船に乗るのだろうかと、千里は逸る心を抑えた。
「船って、乗ったことある?」
「あるよ。
海獣を用いた水上船は、すっごく速いんだよ。
豪華客船にも少し乗ったことはあるけれど、僕は海獣船の方が好きだな」
「か、怪獣?」
不穏な単語が聞こえて、千里は思わず聞き返す。
下の段のベッドに向けて声を放つためにうつ伏せになったが、かえって声がくぐもっていた。
「えっと、うん。
“レビアルス”っていう大きな海の魔獣でね、
大きなヒレと緑色の身体を持っているんだ。
彼らに船を引いて貰って、一日の内に遠くの海まで漁をして戻ってくるんだ」
沖で漁をしても、品質を悪くすることなく戻ってくることが出来る。
港で専属の魔法使いに纏めて凍らせて貰うため、それまでは品質を保たなければならない。そんな時、レビアルスの海獣船は、品質を保持したまま往復することが出来るのだ。
「海を割って進むって言うのかな?
それだけ速いからそれだけ危険なんだ。
だから、海獣船を駆る漁師は、命がけの仕事なんだ、って」
セアックに教えられた知識。
その一端を思い出しながら、ナーリャは千里に語っていく。
「へぇー……。
そっか、怪獣戦じゃなくて海獣船か、うん」
物騒なことを考えていた千里は、少し恥ずかしく思いながらも、納得したように頷いた。
船の話しだというのに大怪獣バトルの話になったようで、少し混乱していたのだ。
「まぁ、僕たちは普通に定期船に乗れるだろうから、
海獣船のことは考えなくても良いんだけどね。
ちょっと間違えれば、海に放り出されるし」
「そ、そうなんだ。
それなら、普通に渡った方がいいや」
少し期待していた千里だったが、その期待を振り払う。
絶叫マシンが嫌いではない千里としては、乗ってみたい。
だが、命がけとなれば話しは別だ。
君子危うきに近寄らず……は状況的に厳しくても、避けるくらいは出来るだろう。
「海ではね、
空と地上が繋がるんだよ」
水平線。
その向こうの景色を思い出しているのか、ナーリャの声には感嘆の音が含まれていた。
「笛を吹くと、鳥が集まるんだ。
ラムルゥっていう、渡り鳥が、その鳴き声で歌を唄うんだよ」
十六歳のナーリャを連れたセアックが、吹いて見せた思い出の曲。
集まってきた白い渡り鳥たちが、その音色に合わせて鳴くのだ。
「すっごーい……。
ね、ねぇねぇっ!
それってさ、定期船の上でも出来るの?!」
「うん、あぁ、そうだね。
やるのは初めてだからちょっと自信ないけど、やってみるよ」
「ほ、ほんとっ!?
……やった!」
音楽に合わせて、鳥が歌う。
それはどんなに、幻想的な風景なのか。
千里は思い描いて、胸を高鳴らせた。
「そろそろ、寝なきゃ」
「あー、うん。
言われて見れば、眠くなってきた、かも」
瞼が落ちる感覚に、千里は身をゆだねる。
こんなにもすっきりとした気持ちで瞼が落ちるのは、“ここ”に来て初めてのことだった。
「おやすみ、ナーリャ」
「お休み、千里」
落ちていく意識。
その暖かさを感じながら、千里はゆっくりと瞼を閉じた。
不安はない。
そういえば、嘘になる。
けれど、心は揺れない。
心の底から支え合える、“友達”が、いるのだから。
――†――
情報を得た、その翌日。
千里とナーリャは馬に跨って、アロイアの街を去る。
地図を見ながら港町に向けて走る二人の背中を、じっと見つめる姿があった。
白いもこもことした毛皮と、優しい目を持つ一匹の猫が、建物の上からその様子を見ていたのだ。
『なぁご』
小さく一鳴きする。
すると、その周囲から他の猫が立ち去り、代わりに一羽のラムルゥが降り立った。
『な』
短い声。
その声に返事をするように、ラムルゥの身体が淡く輝く。
そしてその場に――――光で構成された、女性が降り立った。
身体は薄く、ほとんど見ることは出来ない。
希薄で儚く、どこかもの悲しい雰囲気の女性だった。
ただ、白い布のような服を着ていることと、黄金の流れるようなウェーブヘアだけは、見て取ることが出来ていた。
――私にできるのは、ここまでが限界ですね。
儚い、声だ。
今にも水泡の如く弾けて、消えてしまいそうな音色だった。
『なぁー』
――ありがとう、シーラ。
――貴女の協力のおかげで、助かりました。
そう女性に言われる猫の姿は、どこか誇らしげに見える。
これは、常に自然体で自由な彼女たちには、珍しいことだった。
『なっ』
――ふふ、お優しいのですね。
彼女は、女性に何と言っているのか。
女性は彼女の言葉に、嬉しそうに微笑んだ。
百合が花開くような、可憐で美しい笑顔だ。
女性は、再び薄くなってきた己の身体を、悲しそうにに見下ろす。
そして、最後にと、顔を上げた。
――どうか。
――どうか、彼女たちに。
胸の前で手を重ね、握る。
それは懇願であり、祈りだった。
――正しき加護が、あらんことを……。
そうして、風景は元に戻る。
心なしか弱ったように見える、一羽のラムルゥ。
その顔を、猫はただ一舐めして見送った。
空に舞い上がる、白い身体。
その羽の流れる先には、何が待ち構えているのか。
広大な空。
無限に広がっていくその空に、一匹の猫の鳴き声が響き渡った――。
今回で三章、第一部が終了となります。
次回からは、やや更新スペースは落ちますが、二日以上は遅れないように頑張りたいと思います。
第一部について、ご意見ご感想ご評価のほど、随時お待ちしております。
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それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました。
第二部、次章もどうぞ、よろしくお願いします。