三章 第二話 路地裏の情報屋
石畳を歩く音。
一歩一歩が大きく反響し、広い部屋に響く。
ごつごつとした手が、暗闇の中で浮かび上がると、その手に持たれたマッチの炎がランプに火を点けた。
そこで漸く、男の人数が解る。
ランプを持つ男を先導に、合計七人ほどの男達。
男達は思い思いに、照らされた室内の硬い椅子に座る。
「準備は万端、だな」
「当然だ」
どこか緊張の孕んだ声に、低い声が答える。
淀みなく返事をするその男の態度に、訪ねた男は息を吐いて安堵した。
そして、喉が渇いたのか、部屋の樽に近づいて手杓で水を飲む。
からからに渇いた舌と喉を潤わす水に、男は喉を鳴らす音で歓喜を表した。
「もうすぐ、目的が達成される。
くくくっ――――そうだ、もうすぐそこだ」
歓喜と興奮の入り交じった、声だった。
反響する笑い声は仲間達に伝染し、いつしか部屋は欲望の音で満ちていった。
「ふ、ふふふ
ふはははははっ……げほっげほっ」
「あぁ、アニキ!」
ランプを持っていた男が笑いだし、そして咽せる。
その男を、小柄な男が支えて、灰色の髪の大柄な男が背中をさすった。
「す、すまねぇ、
とにかく!目的はすぐそこだ!」
「お、おう!」
「アマリ、無理ハスルナ」
その三人の様子を、他の四人は胡乱げな表情で見る。
だが、彼らも“目的”がある以上、見捨てる訳にも行かなかった。
ランプに灯された火が、風もないのに小さく揺らいぐ――。
E×I
裏路地を、歩く。
乾燥した雨のような臭いが鼻をつき、千里は小さく眉を寄せた。
壁を伝う水滴が落ちて、小さな水たまりを作る。
そこに足を踏み出すと、高い音を立てて水が跳ねた。
「うーん、
見つからないね、ナーリャ」
「そうだね……。
暗くなるまでは、探してみようか」
「うん」
刻一刻と過ぎていく時間。
焦りはあるが、焦っても仕方がないという事は、解っていた。
とにかく探すしかないため、千里は水を跳ねさせながら進んでいく。
「ちょっと、
じめっとしてるね」
「そうだね。
雨でも降ったのかな?」
取り留めもない会話を交しながら、奥へ奥へと進む。
建物の背が高くなればなるほど、千里達に降り注ぐ陽光は、薄くなる。
闇の中は不安なものだが、友達の色だと思えば、千里は前に進めた。
「おい、兄ちゃん」
不穏な声が響き、千里とナーリャは足を止める。
ナーリャは振り向きながら、千里を背に庇うように、一歩前に出た。
「金目の物と腰の得物、置いていけ」
「その嬢ちゃんも置いていってくれんなら、
命まではとらねぇぞー?」
大きな剣をちらつかせる、男達。
人数は五人で、全員がっしりとした体つきだ。
「置いていくものは無いよ」
「あぁ?」
剣を抜き、その切っ先をナーリャに向ける。
だが、森で命を賭けてきたナーリャに、そんな“安い”脅しは通用しなかった。
「そんなら、その命、
……置いていけやッ!」
まっすぐ振り下ろされる、銀の刃。
差し込む光を受けてきらりと輝くその刃は、鈍く遅い。
ナーリャはクリフから貰った短剣を引き抜くと、その柄頭で剣の腹を叩き、剣筋を逸らした。
「ふッ!」
――ズンッ!
そして、一息。
強く息を吐いて、千里が前に出る。
風を切る音が空気を震わせ、石畳を割る音が男達を震えさせる。
男の横を通り過ぎた巨大な剣は、恐怖の象徴の様であるにもかかわらず、白く清純に輝いていた。
「痛みが欲しいなら、相手するよ」
「オススメはしないけどね」
千里が剣を振り上げて、ナーリャが短剣を構える。
その戦い慣れした雰囲気に、男達はひゅっと高い音を、喉から零した。
「に、逃げるぞ!」
「ちぃっ、なんだこいつらッ」
慌てて逃げ出していく男達。
その姿を真剣な顔で見送り、やがて二人は大きく息を吐いた。
「何組目だっけ?」
「四組め、かな」
そう、こうして“カツアゲ”を撃退するのも、もう四回目だった。
暗がりからやってきては、ああして脅して、結局逃げていく。
誰も彼もが同じパターンだったので、最初は困惑していた千里も慣れてきていた。
「早く見つけたいのに」
「そうだね、
何か手がかりでもあればいいんだけど」
肩を落として息を吐く千里に、ナーリャも同意の首肯をする。
そろそろ気温も下がってきて、肌寒くなる時間帯だ。
空が赤紫色に染まりつつあるからこそ、早く探し出したかった。
「はぁ……、
あ、こんなところにも」
荒みつつある心を癒すのは、路地裏で丸くなる猫だった。
丸くなるといっても、足を折りたたんでいるだけで、視覚的にはいつも丸いが。
「猫さん猫さん、
なにか知りませんか?」
千里は胸に握り拳を当てて、猫に訊ねる。
藁にも縋る気持ちではあるが、本気で猫に訊ねようと思っている訳ではない。
ただ、癒されたかったのだ。
『なぁーご』
低い声で、猫が鳴く。
立ち上がり千里の目をじっと見たと思うと、猫は踵を返して歩き始めた。
「ついてこいって、こと?」
「千里?どうしたの?」
どうにか効率の良い方法はないか。
そう考えを巡らせていたナーリャは、ここで漸く千里の様子に気がついた。
千里はふらふらと立ち上がると、そのまま猫についていく。
「ナーリャも、ほら!」
「え?え、と?」
猫を追いかける千里を、ナーリャが追いかける。
猫は二人が追いかけ始めると、それを待っていたかのようにスピードを上げた。
「わわ、速い!」
「ち、千里っ」
短い足なのに、風のように駆ける猫。
千里はそのもこもこな後ろ姿を見失わないように、こちらにきてから上がった身体能力を駆使して追いかけ始めた。
「よっ、と!」
塀に昇れば飛び移り、穴を潜れば一緒に潜る。
邪魔をする大剣に四苦八苦しながら、千里は必死で追いすがった。
当然、ナーリャも一緒に、だ。
「と、止まった!」
猫は、異国の文字で書かれた看板の前で止まった。
それに合わせて、千里も足を止める。焦りも一緒にあったせいか、息が切れていた。
「ここに案内したかったの?猫さん」
「ど、どうしたの?千里」
追いついてきたナーリャは、千里よりも軽めだが、息を切らしていた。
千里と猫を見て首をかしげ、猫が見る方向にある看板を見て……目を瞠る。
「情報屋……
ディルの店」
情報屋。
その単語が、驚きとともに吐き出された。
千里もその言葉を聞いて、慌てて顔を上げて見る。
「ここが、情報屋?」
「とにかく、入ってみよう」
「う、うん」
混乱はするが、しかし良い結果には違いない。
千里は案内をしてくれた猫に礼を言おうと振り向くが、そこにはなにもいなかった。
「千里?」
「う、ううん。
なんでもないよ、ナーリャ」
古びた木製のドアを潜りながら、千里は霞のように消えた猫のことを、一時的に頭から追い出した。
帰ることが出来るか、否か。
その瀬戸際に、挑むために。
――†――
木造の建物の、独特な臭い。
それが煙草の香りと混ざり合って、奇妙な空気を生み出していた。
歩く度に軋む板張りの床に、千里はほんのり体重を気にする。
「ちょっと、
太ったかな?」
「……剣、じゃないかな?」
「あっ」
小さく呟いた言葉は、しっかりとナーリャの耳に届いていた。
その上で尤もなことを言われて、千里は頬を赤くする。
そういえば大剣を担いでいて、更に言えば重厚な鎧を着ているのだ。
重くならない、はずがない。
「なんだ、おまえたち」
聞こえてきた渋い声に、千里は顔を上げる。
山のように積まれた本の中、一人佇む老人の姿。
老人は目に当てた銀のモノクルを、皺の寄った手で外す。
そして、やや鋭く眉根を上げて、散らばった本の革表紙と同じ色の、茶色の瞳を千里達に向けた。
「あの、欲しい情報があるんですっ」
気が逸り、千里は思わず声を張る。
その声が耳に響いたのか、老人は煩わしそうに眉を寄せた。
「あ、
ご、ごめんなさい」
千里はすぐに気がついて、頭を下げる。
その横で、ナーリャも一緒に頭を下げた。
「お願いします、
情報を、僕たちに売ってください」
誠心誠意の込められた礼から、老人は鼻を鳴らして目を逸らした。
手元にある分厚い本を読み進めるために、再びモノクルをかけて、呟く。
「ふんっ……
何の情報を、求める?」
それは、仕事を引き受けることの、確認だろう。
千里とナーリャは勢いよく顔を上げて目を合わせると、満面の笑みで頷いた。
そしてすぐに、その表情を真剣なモノに、切り替える。
「“流れ人”の、情報です」
千里が、はっきりとした口調でそう告げる。
自分の意志を、本気の心を、伝えておきたかった。
「ほう?
――あることはあるが、条件がある」
流れ人と聞いて、老人は少しだけ眉を上げた。
情報屋は、偽りの情報は流さない。
それは例えモグリであろうと変わらない共通の“誇り”だからこそ、老人の言葉は信用することが出来た。
「条件、ですか?」
「教えてください!
どんな条件なんですか?!」
千里はそう、必死に声を出す。
思い浮かべるのは、家族と友達……元の世界の、大切な人達の顔だった。
「簡単だ。
猫探しをして貰いたい」
「猫探し?」
老人は、聞き返した千里の声に頷く。
その仕草は緩りとしたもので、どこか惰性的なように思えた。
「ここに通っていた猫が、最近来なくてな。
安否だけでも確かめて貰いたい。
嫌がるようでなければ、連れてきて欲しい。どうだ?」
連れてこられなかったが、元気にしていた。
そう言ってしまえば、すぐに完遂できる依頼だった。
老人は、誰にでもそんな“簡単”な対価を要求する訳ではない。
人を“見て”選ぶのだ。誠実そうな人間だから、イカサマはしないという見込みだった。
こうして、欲しい物の対価を要求し、それを完遂させた者に情報を与える。
その過程を大切にしているから、彼は金銭で取引されるギルドには、所属しないのだ。
「その猫の特徴を、教えて貰えますか!」
千里がそう、再び声を上げる。
それは依頼の受諾願いだった。
「では、契約成立だな。
俺は情報屋のディルだ。
今から猫の特徴を言うから、よく聞いておけ」
「はい!あ、私は千里です!
こっちはナーリャ、友達です!」
千里に圧され気味ではあるが、ナーリャもしっかりと頭を下げた。
そして、二人揃って、真剣な顔で耳を傾ける。
依頼を達成させて、情報を得る。
そのために、二人は真摯な気持ちを向けていた。
「うむ、特徴だが、まずは……」
老人――ディルは、猫の特徴を言いつのる。
それを、ナーリャと千里はしっかりと、記憶するのだった。
――†――
夜の街は、流石に危ない。
そのため、千里とナーリャは翌日から探索を始めることになった。
そこで今日は、ひとまず大通りへ、夕飯を食べに出た。
「えーと、
千里は、どんなものが食べたい?」
ギルドに置いてあった、街の情報誌に目を通す。
千里はこの世界の文字が読めないので、ナーリャに要望を言う形になっていた。
「えーとね……
って、ナーリャはなにか食べたい物、無いの?」
人差し指を唇に当てて、少し考える。
だがすぐに、ナーリャが自分の希望を言っていないことに気がついた。
何から何までしてもらうのは申し訳なく、同時に性に合わないのだ。
「うーん……。
港が近い街だから、魚が食べたいかな」
「お魚!
いいよね、お魚!」
ナーリャの希望に、千里は目を輝かせて手を合わせた。
ナーリャの食べたいものと自分の食べたいものが重なったのだ。
少しはしゃいでしまうのも、仕方がないことだろう。
「それじゃあ、
うん、ここからだと、南東へ少し歩けば良いみたいだ」
情報誌に載った地理情報を見ながら、ナーリャはそう言った。
顎に手を当てて距離を考え、思っていたより近くだったことに、笑顔で頷く。
「ねぇねぇ、
この辺りでオススメのお魚料理は?」
「ムニエルがすっごく美味しいみたいだ。
ここに書いてある」
「ムニエルかぁ……ふふふ」
今から味を思い浮かべて、千里はだらしのない顔で笑う。
ナーリャは、千里のその笑顔を見て、嬉しそうに笑った。
「うん?
どうしたの、ナーリャ?」
「あぁ、いや。
……もう、無理はしてないみたいだったから」
無理に作った笑顔。
不安を押し殺したその表情を、ナーリャは見抜いていた。
そして、見抜いていながら何も出来なかった自分に、歯がみしていたのだ。
「あ――
うん、ありがとう。ナーリャ」
「僕は何もしてないよ。
千里が自分で、持ち直したんだから」
異世界に来た不安。
その不安を打ち明けたのは、この世界で目を覚ました時のみ。
自然に零れてしまうことはあっても、千里は誰かに当たったりもせずに、耐えていた。
その強い心を、ナーリャは素直に尊敬していた。
「ううん。
私一人じゃ、やっぱりダメになってた。
ここまで頑張れたのは、ナーリャがいてくれたおかげだよ」
ナーリャは、いつも千里を守っていた。
初めてできた、年の近い友人。
守りたいと思った、小さな少女。
その優しい心に、千里は“守られて”いた。
「だから――ありがとう」
「うん――それなら僕も、ありがとう」
料理屋に向かう道で、二人は同時に空を見た。
星が爛々と輝く夜空は、宝石箱のように美しい。
その夜空を心に染み渡らせながら、ほとんど同時に小さく笑った。
「人が混んできたね」
道が広くなるにつれ、人が増え出す。
千里の住んでいた都会よりもずっと狭い道は、少し人が増えただけで前が見えなくなった。
「それなら、
危ないから――――はい」
そう言って差し出された、ナーリャの手。
その大きな手のひらに、千里はそっと手を重ねた。
千里よりもずっと冷たい、右手。
その右手を温めるように、千里はほんの少しだけ強く握る。
この感謝の心が、繋がった手のひらから伝われば、きっと素敵だ。
そう思って、手を握る。
小さく繋がった二人の影は、夜のアロイアにぼんやりと浮かんでいた。
第二話を、お送りましました。
次回は少し長めです。
ご意見ご感想のほど、随時お待ちしております。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。