三章 第一話 幸せを運ぶモノ
夕暮れに照らされた町並み。
――転がる毛玉。
夜に向けて、酒屋の明かりが灯り始める時間。
――跳ねる毛玉。
子供達は名残惜しそうに手を振り、家に帰っていく。
――溢れる毛玉。
宿を探している間、千里はアロイアの街を、呆然とした目で見ていた。
なにかを言おうと口を開けて、結局言えずに、もごもごと口を閉じる。
「毛玉、だよね?」
夕焼けで朱色に染まる、大きな噴水。
その前に立っていた千里は、周囲を見ながら何度も首をかしげる。
普段なら教えてくれるナーリャは、まだ戻ってこない。
それ故に、千里には疑問ばかりが溜まっていた。
街に溢れる、大きな毛玉。
ふかふかと柔らかそうな毛玉は純白で、どうにも奇妙だった。
子供の腰ほどもある巨大な毛玉に対して、不思議に思う人は見あたらない。
誰も彼もが、その毛玉を“当たり前のもの”として、受け入れていた。
「うぅ、
ナーリャ、かむば~っく」
肩を落として、項垂れる。
大きな街だからか、猫耳の男性や羽の生えた女の子などが歩いているが、それに関しては“ふぁんたじー”だと、千里は自分に言い聞かせていた。
だが、謎の毛玉をスルーすることは、できなかった。
千里のため息が、夕日に溶ける。
ナーリャが戻ってきたのは、それから十五分ほど後の、事だった。
E×I
噴水から離れた千里は、宿屋の前で首をかしげた。
毛玉のことを聞く前に、ナーリャが申し訳なさそうに手を合わせていたからだ。
その表情がどこか気まずそうで、それが妙に新鮮でもあった。
「一部屋しか、なかった?」
そう――。
余っている部屋は、一部屋だけ。
海を渡る人間が多い時期なため、ナーリャ達の持ち金で泊まれる部屋は、一部屋しか見つからなかったのだという。
「うん、ごめんね。
その、同室でも、いいかな?」
ナーリャと、同室。
思いも寄らないそのシチュエーションに、千里は顔を赤くして目を丸くした。
年頃の少女としては断るべきなのだろうが、そうなるとどちらかが野宿である。
自分が一人で野宿なんか出来るはずもなく、ナーリャを追い出すのは論外だ。
「え、えーと、
うん…………へ、変なことしない、よね?」
恐る恐る、千里が聞く。
普段ならば、照れた後に“我が儘は言えない”と頷くだろう。
だが、千里はつい先ほどまで、アレナにからかわれていたのだ。
“変なこと”を聞いてしまうのも、仕方がないだろう。
「変なこと?」
だが、ナーリャはまったく解っていなかった。
年頃の女の子は、同室は嫌がるだろう。
そんな一般常識に基づいて聞いていたのだが、肝心の“自分が何かをする可能性”に思い至っていなかったのだ。
「なななな、なんでもな――」
「ぁ……、
あぁっ!
――――し、しないよ!なにも!」
慌てて弁解しようとする前に、ナーリャは答えに辿り着く。
顔を赤く上気させて、両手と一緒に首を横に振った。
端から見れば、初々しいバカップルである。
「そそそ、それじゃあ、入ろうか!」
「ううう、うん!私もそれが良いと思う!」
リンゴよりも赤い顔で、宿に入っていく。
その最中、千里は墓穴どころか棺まで自分で用意したような状況に、ただ呻り声を上げていた。
前途多難。
しかし前途だけではなく、道程も中々多難なようだった。
――†――
夕食を、宿の近くの食事処で簡単に済ませると、部屋に戻る。
二人部屋で、広さは十畳ほどある。
思っていたよりも、ずっと広い部屋だったようだ。
「あれ?
説明よりも広いかも」
「そうなんだ?
でも、けっこう過ごしやすそう」
宿の人にされた説明では、もっと狭いような話しだった。
それは、ベッドが二段ベッドしかない事への――“男女の宿泊”への配慮だったのだが、ナーリャはそれに気がついていなかったのだ。
二段ベッドの上に、千里が昇る。
ベッドが二段だったり三段だったりすると、つい上に昇りたくなってしまう。
好奇心旺盛な子供なら、絶対にするであろう行動だった。
「おぉっ
ベッドが暖かい!」
枕に顔を埋める仕草は、幼い子供と言われても仕方がないものだった。
千里は、同じ部屋ということを紛らわすために無理にテンションを上げているのだが、そんなことは当然のようにわからないナーリャは、生温かい目で千里を見ていた。
「明日からは情報屋さんを探すから、今日はもう休んでおこう。
ギルドに集まっているとは思うけど、時間はかかるだろうからね」
「あ、そうだね」
千里は枕から顔を離すと、一度ベッドから起き上がる。
最初に宿に入った時に重厚な鎧は外したので、後は寝やすいように、プレートのついたスカートや上着を脱ぐだけだ。
……だけなのだが。
「ね、ねぇ、ナーリャ?」
「うん?どうしたの?」
首をかしげるナーリャに、千里は頬を僅かに染めながら視線を逸らす。
そして、僅かな逡巡を見せてから、口を開く。
「着替えたいから、その」
「ちょっと夜風を浴びてくる!」
言い切る前に、ナーリャが声を張り上げた。
そして、急いで走り去るナーリャの姿に、安堵からため息を吐く。
アレナのからかいが頭から離れないせいで、何を言うにも一々恥ずかしいのだ。
「うぅ、
アレナに好きな人が出来たら、絶対からかってやる!」
こう宣言している時点で、負けは決まったようなものである。
「と、着替えなきゃ」
ナーリャを追い出したままだと言うことに気がつき、さっさと服を脱ぐ。
荷物から取り出した柔らかいズボンとシャツを着れば、簡易パジャマの完成だ。
「普段着の方が軽いけど、
……普段の鎧も、軽いんだよね」
元の世界にいた時では信じられないほどの、怪力。
帝剣アギトは子供一人分の体重ほどもあり、鍛えているナーリャでも振り回すことが出来ない。それを千里は、片手で持ち上げ振るっているのだ。
「はぁ、
人間離れ、してるよね」
帰る手段が見つかって、帰って。
その時、自分が“人間”として振る舞うことが出来なかったら、元の世界に千里の居場所はあるのか?
そんな取り留めもない思考が、ぐるぐると頭を巡る。
「お父さん、お母さん、陸人、元気かな」
顔を見ることが出来ない。
そうやって苦しいのは、残してきた人たちも同様だろう。
だからせめて強くなろうと、千里は感情を呑み込んだ。
「もういい?千里」
「あ、うんっ
もういいよ!ナーリャ」
笑顔に切り替えて、ナーリャを迎え入れる。
ナーリャは大きく胸をなで下ろすと、ベッドに腰掛けた。
「さて、それじゃあ僕も着替えようかな」
ナーリャは自分自身に言うように、小さくそう呟いた。
千里が追い出してしまったので、ナーリャはまだ鎧姿だ。
「じゃ、じゃあ私は外で――」
「あぁっ、ダメだよ!
女の子がこんな時間に外に出たら、危ないから、ね?」
宿の中だろうと、やはり少女一人で歩くのは止めておいた方が良い。
そう言われてしまえば千里に反論する術はなく、ただ赤い顔で後ろを向く。
恥ずかしさからか、ナーリャの言葉が完全に“子供扱い”をしている雰囲気だったことに、千里はついに気がつかなかった。
絹擦れの音に胸をドキマギさせながら、千里はゆっくりとベッドに向かう。
考えてみれば、さっさと二段ベッドの上に昇って、布団に潜ってしまえば良かったのだ。
「よし、
もういいよ、千里」
「ひゃいっ」
二段目に上る階段に足をかけた体勢だったせいか、千里は妙な声で驚いていた。
もう少しで辿り着くという時は、何時だって誰だって、隙だらけなのだ。
「千里?」
「な、なんでもないよっ!」
慌てながら、布団に潜り込む。
そんな千里の様子に苦笑を零すと、ナーリャも自分のベッドに潜り込んだ。
変則的な同棲みたいだ、と千里は小さく呟いていた。
二人とも布団に潜り込み、落ち着く。
そうすると、今度は不安が浮かび上がる。
「情報、見つかるかな?」
気がつけば、そう零していた。
声に出してみても消えることのない、不安。
考えないようにしていた、可能性だった。
「見つかるよ。
見つからなかったら、見つけよう。
見つかるまで、一緒に探そう」
ベッドの下の段から聞こえる、優しい声。
欲しい時に欲しい言葉をくれると言うことの大切さなんて、きっとナーリャは解っていない。それでも嬉しいと、千里は小さく微笑む。
「ねぇ、ナーリャ。
そういえばさ、街に溢れてたあの毛玉って、なに?」
明るい話題に切り替えよう。
そう思った千里の口から零れたのは、明るいかどうか微妙な話題だった。
「毛玉……、
え?毛玉?」
「こう、
ふわふわーっ、もこもこっ!とした」
千里はベッドの中で、ナーリャには見えないのにジェスチャーをしながら説明した。
微妙な擬態語である。
しかし、意味は伝わったようだ。
「あぁ、
それは“シーラ”だね」
「しーら?」
聞いたことがない言葉に、首を傾げる。
千里の中で“毛玉”に変換されて聞こえないということは、毛玉ではないのだろう。
判明した事実は、余計に千里を混乱させるモノだった。
「王国で保護指定されている動物でね。
幸せを運ぶ魔獣って言われてるんだ」
魔獣である。
害はないが、魔獣扱い。
呼び名に過ぎないのならそんなこともあるのだろうと、納得することは出来ていた。
「あれは、体毛がすごくふわふわしてるから、毛玉に見えるだけなんだ。
よく見ると、耳と尻尾、それから短い手足が見えるよ」
「えっ?
あのもこもこって、犬か猫なの?!」
衝撃の事実に、目を瞠る。
どうみても毛玉なのに、千里の知っている生き物な可能性があった。
「うん?
うん、そう、猫」
「あぁ、
猫さんなんだ」
しかし、猫と聞くと途端に可愛く思い始める。
ふわふわもこもこの猫である。冬場に抱いたら、至福を味わえることだろう。
「幸せを運ぶ猫だから、旅人達の多いこの街でよく見られるんだ。
その幸せにあやかって、この旅を成功させようって、ね」
港へ行くためには、ここアロイアを経由する。
そのため、スウェルス王国の各地から、この街に人が集まるのだ。
「明日は、
ちゃんとあやかってみようかな」
「それなら、
胸に手を当ててお祈りしてから撫でさせて貰うと良いよ。
それが猫たちにあやからせて貰う時の、作法なんだ」
千里はそれを聞くと、もう明日が楽しみになってきた。
ふわふわで、もこもこ。楽しみにならないはずがない。
「ふふ、
さーてっ……おやすみ、ナーリャ」
「うん、
おやすみ、千里」
ナーリャの声を聞き、千里は薄く頬を綻ばせる。
そして、ナーリャに聞こえないように、小さく呟いた。
「ありがとう、ナーリャ」
夜の宿。
アロイアの一日目は、静かに、それでいて温かく幕を閉じた。
――†――
翌日、二人は朝早くから街に出た。
まずはギルドに行って、情報屋へ依頼を――――という前に。
「あやかりあやかり。
うわぁ~もこもこだぁーっ」
まずは猫で、もふもふタイムだ。
アロイアの毛玉猫は実に大人しく、千里が近づいて祈りを捧げる間も、ただじっとしていた。
よく見れば確かに、毛玉から小さな三角の耳と、白い尻尾、そして短い手足が生えている。正面だと思わしき部分には、黒い小豆のような小さな瞳も、しかっかりついていた。
完全に球体の猫、といってもいいだろう。
「猫さん猫さん、
猫さんはどこからきたの?」
話しかけても、当然ながら答えない。
ただじっと構えている姿は、どこか荘厳だ。
「そろそろ行くよ、千里」
「あ、うんっ
ばいばい、ありがとう、猫さん」
苦笑するナーリャに手を引かれて、千里が離れる。
そんな二人の様子は、どう見ても仲の良い兄妹にしか、見えなかった。
「まずはギルドで、
情報屋を捜さないと」
「少ないの?」
「場合によっては、
他の依頼で手一杯だから引き受けて貰えないっていうのが重なることがあるんだ」
重要な情報なら、誰もが我先にと求める。
その結果、一つの“大きな事”があると、そちらに集中してしまっている可能性があった。
「まぁでも、
そんなことは滅多にないからね。
たぶん大丈夫だと思うよ」
「そっか、
うん……そうだよねっ!」
千里は安心したように、大きく息を吐いた。
そうそう滅多に、そんな運の悪い状況に出くわすはずもない。
「これでも私、
けっこう運が良いんだよ」
「そっか、
それなら、心強いね。
僕も実は、それほど運は悪くないんだ。」
……などと、“異世界に招かれた”という最大の不運を棚に上げて、千里は自信満々に胸を張った。
それに同意するナーリャもまた、記憶喪失の不運な少年だというのに。
――†――
そうして二人は――。
「そんな、ことって」
「都合の悪い……」
――ギルドの前で、項垂れていた。
一ヶ月後に控えた、帝国の闘技大会。
その情報を集めようと群がる客で、情報屋は手一杯だった。
当然ナーリャ達の、あまりない財産で引き受けてくれるような情報屋はおらず、こうしてギルドの前で肩を落とすに至ったのだ。
「もしかして、
闘技大会が終わるまで足止め?」
千里は不安そうに、そう零す。
一ヶ月も目的無く過ごすのは、きっと耐えられないだろう。
いつも何か目的があるから、沸き上がる不安を封じ込めておけたのだから。
「いや、
まだ方法はある」
諦めるものか、と声を上げる
セアックからの言葉、残してくれた記憶と記録。
その中から妥当な物を見つけ出し、ナーリャは顔を上げてそう呟いた。
そんなナーリャを、千里は勢いよく見上げた。
「ほ、ほんとっ?!」
「うん。
情報屋は、全てがギルドに所属している訳じゃないんだ。
だから、モグリの情報屋を当たれば、あるいは」
当然、モグリである以上、その情報屋には“何かが”ある。
それでも、それは“藁”だ。掴める可能性のある、一縷の希望なのだ。
「探そう!ナーリャ!」
「うん、絶対、見つけよう!」
立ち上がれば、あとは進むだけだ。
まだ日も高く、時間は充分ある。
だったら、探すことだって出来るはずだ。
「二人とも正確に地理を把握している訳じゃないから、
手分けはしない方が良いと思う」
「うん、合流できなかったら意味ないもんね。
まずはどうする?」
真剣な顔で、意見を交し合う。
情報屋を捜すと一言にいっても、モグリである以上看板は掲げていない可能性が高い。
そうなると、怪しい店で片っ端から聞き込むしかないだろう。
「一度宿に戻って、武装をしておこう」
「危ないの?」
「裏路地なんかは、それなりにね」
治安が悪い街ではないが、それでも“裏側”は存在する。
その裏側に足を踏み入れようというのだから、それなりの準備をしておく必要があった。
「合い言葉は“諦めるもんか!”
……で、いい?ナーリャ」
「うん、いい言葉だと思う」
笑い合って、拳を合わせる。
その“男の子”のような自分の仕草に、千里は小さく苦笑した。
もう、元気になっている。調子を取り戻している。だから、大丈夫だ。
千里は、不安なことなど何もないと自分に言い聞かせて、“元気”を作る。
ここで挫ける訳にはいかないから。
ここで折れたくはないから。
自身を保つために、“友達”に心配をかけさせないために、一生懸命笑みを浮かべた。
「行こう!」
「うんっ!」
絶対に探し出す。
その新たな決意の下、千里達は走り出す。
目標は、モグリの情報屋。
人の影が溶け込む、暗い路地裏だった。
今回から、第三章がスタートです。
この章は、戦闘シーンはそこそこに、緩めに進めていきたいと思います。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
気に入っていただけましたら、拍手の方も是非ご利用ください。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。