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私、家出します!〜世間知らずのお嬢様、宇宙へ飛び出す〜

作者: ひらくごま
掲載日:2026/11/06

 私、セレナ。今日、家出します!


 練りに練った計画だった。


 荷物は、もう家出先の宿に送ってある。ドレスも、ティーセットも、ホロ映画のデータを全部入れた端末も。今の私は、ほとんど手ぶらだ。


 変装もした。乗組員用の地味な作業着に、ごついゴーグル。ホロ映画『星屑のヴァルキリー』のヒロインが、首にかけていたのと同じものだ。これで、顔の半分は隠れる。


 ……隠れている、はずよね。


 夜更けの艦内の通路を、私は壁伝いに進んだ。


 ここは、お父様の私有艦《ヴァイス・クローネ》。艦というより、空に浮かぶお屋敷だ。ふかふかの絨毯が敷きつめられた通路に、シャンデリアの下がる大広間。ダイニングには、百人は座れる長いテーブル。私の部屋だけで、小さな輸送船がまるごと入る。


 その絨毯の上を、足音を立てないように、つま先で進む。ヴァルキリーも、こうやって敵の基地をすり抜けていた。


 角を曲がった、その時だった。


「お嬢様?」


 心臓が、口から飛び出すかと思った。


 通路の照明の下に、背の高い初老の男が立っていた。銀色の髪をきっちりと撫でつけて、燕尾服には皺ひとつない。


 この艦のバトラー、ハインリヒだ。


 小さい頃から、私のいたずらを一つ残らず見抜いてきた人。


「こんな夜更けに、どちらへ?」


 ハインリヒは、私の頭のてっぺんからつま先まで、ゆっくりと眺めた。


「それに、そのお格好。作業着に、ゴーグル……でございますか」


「こ、これは、その……夜のお散歩用よ」


「左様でございますか」


 ハインリヒは、小さくため息をついた。


「お嬢様。そろそろ、我が社のご令嬢としてのご自覚を、お持ちいただけませんと」


 その言葉に、かちんときた。


「……ハインリヒ。あなたも、兄様と同じことを言うのね」


 つい三日前のことだ。夕食の席で、アルベリック兄様は、私の顔も見ずにこう言った。


『いい加減、自分の立場を自覚しろ。下から二番目のお前がこの家の役に立てるのは、社交の場で笑って立っていることくらいだ』


「アルベリック様だけではございません。お父上の、ヴィクトール様も嘆かれることでしょう」


「お父様は、そんなこと言わないわ!」


 私は、胸を張った。


「お父様は、こう言ってたもの!」


 喉の奥に力を込めて、思いっきり低い声を出す。お父様のまねだ。


「……『お主の好きに、生きるがよい』」


 ハインリヒの口元が、ぴくりと動いた。


 笑いかけたのを、すぐに引っ込めたらしい。こほん、と咳払いを一つして、元の顔に戻る。


「セレナ様。お部屋にお戻りくださいませ。これ以上の問答をなさいますと、お父上にご報告しなければならなくなります」


「分かったわよ! 戻ればいいんでしょ! も・ど・れ・ば!」


「左様にございます。お部屋まで、お供いたしましょう」


 私は、わざと大きな足音を立てて、通路を引き返した。


 後ろから、ハインリヒが静かについてくる。


 部屋の扉が閉まった。


 足音が、遠ざかっていく。


 私は、扉に背中を預けて、にやりと笑った。


 ――ここまでは、計画どおり。


 ハインリヒは、私が部屋に戻ったのを見届けた。今夜はもう、私の部屋を見回りには来ない。


 本番は、ここからよ。


 *


 部屋の窓の外には、青い惑星が、まるごと浮かんでいた。


 SD社が治める中枢惑星だ。夜の側の大地には、街の灯りが光の海になって広がっている。そこから、軌道エレベーターが一本、空を貫いて伸びていた。その先にあるのが、宇宙港。《ヴァイス・クローネ》は今、その宇宙港に停泊している。


 港の周りを、何百隻という船が、光の粒になって行き交っていた。


 あの港も、あの船の半分も、うちの会社の持ち物だ。


 この宇宙には、国というものがない。代わりに、大きな企業がそれぞれの星系を治めている。その頂点に立つのが、四つの巨大企業。私の家は、その一つ、ステラ・デベロップメント。通称、SD社だ。


 そして私は、そのトップに立つ総統の娘。


 誕生日には、名前も知らない大人たちが「総統閣下のお嬢様」にお祝いを言いに来る。着る服も、会う人も、話す言葉まで、私の知らないところで決まっていく。


 そんなの、生きているって言えない。


 小さい頃、お母様が膝の上で、何度も『星屑のヴァルキリー』を観せてくれた。ヒロインが星の海へ飛び出していく場面になると、決まって私の頭をなでて、こう言った。


『セレナも、いつか自分の目で、広い宇宙を見てごらんなさい』


 お母様は、私が小さい頃に亡くなった。顔は、もうぼんやりとしか思い出せない。でも、あの声だけは覚えている。


 だから、行くの。


 目指すは、辺境の人工惑星、オメガ・ハブ。


 四大企業の目が届かない、はみ出し者たちの星だ。どこの誰だろうと、一から始められる。そして何より、ヴァルキリーが傭兵としての第一歩を踏み出したのが、オメガ・ハブなのだ。


 問題は、どうやってそこまで行くか。


 私は、輸送船の切符の買い方を知らない。宇宙港の窓口に行ったこともない。自分のお金で何かを買ったことすら、ほとんどない。


 だから、プロを雇った。


 ネットの片隅の、怪しげな掲示板で見つけた運び屋だ。『どんな荷物でも、どこへでも。秘密厳守』。名前は、ルーク。


 私は、端末の通信を開いた。


「こちら、ヴァルキリー。準備はいい?」


『……こちらルーク。その呼び名、毎回言わなきゃ駄目ですかね』


 眠そうな若い男の声が返ってきた。


『予定どおり、二時に艦の補給ハッチへ迎えの台車を回します。あんたは、用意した箱の中に入っててください。あとは、俺が輸送船まで運びます』


『それと、箱の内側に、青いボタンを付けときました。どうしても無理になったら、押してください。救難信号が飛んで、すぐに迎えが行きます。……家まで送り返す迎えですけどね』


「押さないわよ、そんなの」


『みんな、そう言うんですよ』


 私は、クローゼットの奥から、大きな箱を引っぱり出した。


 中には、毛布と、クッションと、非常食のキャンディを一袋。空気穴も、ちゃんと開けてある。


 宛先は、オメガ・ハブの宿屋。


 中身は、私。


 ――私は、私を送るのよ。


 *


 午前二時。


 箱の中で膝を抱えていると、ごろごろと台車の音が近づいてきた。


 がこん。


 箱が持ち上げられて、台車に載る。


「お嬢さん、聞こえます? ルークです。しゃべらないでくださいよ」


 小声がして、台車が動き出した。艦の補給用の通路を抜けて、ハッチへ向かっていく。


 その途中で、台車が止まった。


「……ずいぶんと、重いお荷物ですな」


 ハインリヒの声だった。


 息が止まった。


 箱の壁一枚向こうに、ハインリヒがいる。ゴーグルの奥で、私はぎゅっと目をつぶった。


 お願い。開けないで。


「明日の補給品の返品です。注文違いがあったそうで」


 ルークの声は、まるで落ち着いていた。


 こん、こん。


 箱の表面を、指で軽く叩く音がした。


「……天地無用、取扱注意。よろしい。丁重に運ぶように」


 台車が、再び動き出した。


 私は、箱の中で、そっと息を吐いた。


 危なかった。


 ハインリヒも、さすがに箱の中身までは分からなかったみたいね。


 *


 本当に危なかったのは、宇宙港の荷物ゲートだった。


 ルークが手続きをしている間、箱はベルトコンベアに乗せられて、検査装置の列に並んだ。


 ごとん、ごとん、ごとん。


 前の荷物が、一つずつ検査装置をくぐっていく。そのたびに、ぴっ、と軽い音が鳴る。


 私の番が来た。


 箱が、光のアーチの中へ入っていく。体の上を、ぼんやりと青い光がなでていった。


 ぴぴぴぴぴ。


『生体反応あり。生体反応あり』


 甲高い警報が鳴り響いた。


「なんだ? 生き物か?」


 係員の足音が近づいてくる。コンベアが止まった。


「おい、密輸か? 開けるぞ」


 箱の留め具に、手がかかる音がした。


 かちり。一つ目が外れた。


 終わった。


 私の家出は、たった二時間で終わるのね。


 かちり。二つ目。


 蓋が、わずかに浮いた。隙間から、白い光が細く差し込んでくる。


「待った待った待った!」


 ルークの声が、通路の向こうから飛んできた。走ってきたらしく、息が切れている。


「それ、ペットです! うちのお客の、デカい猫!」


「猫? この大きさでか?」


「宇宙猫ですよ、宇宙猫! 人見知りが激しくて、知らない人が蓋を開けると、引っかいて暴れるんです。この間なんか、係員さんの顔に三本線を――」


 係員が、ぴたりと手を止めた。


「……届け出は」


「出てます、出てます。ほら」


 端末を操作する音。しばらくの沈黙。


 私は、箱の中で、必死に息を殺していた。


 ……にゃあ。


 なぜか、気がついたら、小さく鳴いていた。


 沈黙が、もう少しだけ長くなった。


「……確かに、届け出は出てるな。通っていい」


 蓋が閉められて、留め具がかけ直された。


 コンベアが、ふたたび動き出す。


 ……猫じゃないわよ。


 それに、届け出なんて、いつの間に出していたのかしら。さすがはプロね。


 *


 輸送船の貨物室は、想像していたより、ずっとひどい場所だった。


 寒い。暗い。そして、ひどく揺れる。


 発進の時には、見えない手で床に押しつけられるみたいだった。息をするのも苦しくて、私は毛布にしがみついた。


 ようやく揺れが収まると、今度は寒さがやってきた。貨物室の温度は、荷物のために低く保たれているらしい。キャンディを舐めても、歯の根が合わない。


 毛布にくるまって震えていると、どこかで、かしゃん、かしゃんと金属の足音がした。


 荷物を見回る、点検用のロボットだ。


 足音が、少しずつ近づいてくる。赤いセンサーの光が、箱の空気穴の向こうを横切った。


 ロボットが、私の箱の前で止まった。


 ぴぴっ。


 スキャンの音。


 また、生体反応が出たら。今度は、ルークはいない。


 私は、ルークに言われたことを思い出した。


『貨物室で何かあったら、箱の内側の、赤いシールを押してください』


 手探りで、箱の内側をなぞる。指先に、つるりとしたシールが触れた。


 押した。


 ぴっ。


 小さな音がして、ロボットのセンサーの光が、青に変わった。


 かしゃん、かしゃん。


 足音が、遠ざかっていく。


 ……何だったのかしら、今の。


 プロの道具って、すごいのね。


 それからしばらくして、船がワープボックスを抜けた。すとん、と体の芯が落ちるような感覚があって、私は思わず目をつぶった。


 寒さは、ひどくなる一方だった。


 キャンディは、もう最後の一粒だ。指先の感覚が、なくなってきている。吐く息が白いのが、暗闇でも分かった。


 手探りで、箱の内側をなぞる。赤いシールの隣に、もう一つ、丸いボタンがあった。


 青いボタン。


 これを押せば、すぐに迎えが来る。温かいお風呂。ふかふかのベッド。給仕ロボットが温めてくれる、朝の紅茶。


 指が、ボタンの上で止まった。


 押せば、全部元どおりだ。


 着る服も、会う人も、話す言葉も、誰かが決めてくれる。社交の場で、笑って立っていればいい。兄様の言うとおりに。


 ……そんなの。


「……冗談じゃ、ないわ」


 私は、ボタンから指を離した。


 代わりに、作業着の上着を脱いで、ボタンの上にぐるぐる巻きにした。うっかり押さないように。そして、二度と迷わないように。


 毛布を頭からかぶって、膝を抱え直す。


 ヴァルキリーだって、一人で辺境に降り立った時は、寒くて、怖くて、お腹がすいていた。それでも、絶対に引き返さなかった。


『怖いのは、最初の一歩だけ』


 私は、もう一歩、踏み出したんだもの。


 最後のキャンディを口に放り込んで、私は暗闇に向かって笑ってやった。


 何日たったのか、分からない。


 ようやく箱が止まって、留め具が外された時、まぶしい光が差し込んできた。


「宿屋『流れ星亭』さん、お届け物でーす」


 箱の蓋を跳ね上げて、私は立ち上がった。


「到着ーっ!」


 目の前で、宿屋のおかみさんが、悲鳴を上げてひっくり返った。


 宿屋の小さな窓から、オメガ・ハブの空が見えた。


 人工の空に、ぎらぎらと光る看板。行き交う、傷だらけの船。お屋敷の窓から見ていた景色とは、何もかもが違う。


 ……お母様。見てる?


 私、来たわよ。自分の目で、見に来たのよ。


 *


 同じ頃。


 《ヴァイス・クローネ》の執務室で、ハインリヒは、静かに頭を下げていた。


「お嬢様は、無事にオメガ・ハブへご到着なさいました。お荷物として」


 窓辺に立つ大柄な男が、ゆっくりと振り返った。


 ヴィクトール・アムシェル・ロートシルト。SD社の総統にして、セレナの父である。


「……止めなかったのか」


「旦那様は、以前、お嬢様にこう仰ったと伺っております。『お主の好きに、生きるがよい』と」


 ヴィクトールは、答えなかった。


「お嬢様が掲示板にお書き込みになった日に、警備部門から報告が上がってまいりました。運び屋のルークは、警備部門の者でございます。荷物ゲートの届け出も、点検ロボットの識別シールも、あの者の手配でございました」


 ハインリヒは、淡々と続けた。


「オメガ・ハブまでは、ルークに見届けさせました。ですが、その先は――お嬢様ご自身の旅でございます。ルークは、もう引き揚げさせております」


 ハインリヒは、少しだけ間を置いた。


「救難信号のボタンは、最後まで押されませんでした。貨物室の温度は、かなり下がっていたはずでございますが」


 ヴィクトールの眉が、わずかに動いた。


 ヴィクトールは、窓の外の青い惑星を見下ろした。


 しばらくして、低い声が漏れた。


「……あの子は、SDには馴染まぬ」


「左様でございますな」


「ならば、せめて自由にさせてやれ」


「かしこまりました」


 ハインリヒは、深々と一礼した。


「ところで、旦那様。お嬢様の物まね、なかなかのものでございました」


「……似ておったか?」


「少々、お声が高うございましたが」


 ヴィクトールは、むすっとした顔で、咳払いを一つした。


 *


 その夜、私は宿屋の近くの酒場にいた。


 オメガ・ハブの酒場は、ホロ映画で見たよりずっと騒がしくて、ずっと汚かった。義手の傭兵。宇宙服のままの作業員。誰も、私のことを「総統閣下のお嬢様」なんて呼ばない。


 最高だった。


 一時間後。


 私は、酒場のど真ん中のテーブルに陣取っていた。


「それでね、ヴァルキリーが最後に何て言ったと思う?『あんたたちの悪事も、ここで弾切れよ』って!」


「おおーっ!」


 強面の傭兵たちが、ジョッキを掲げて歓声を上げる。片目に傷のあるおじさんも、義手のお兄さんも、さっきまで私を胡散くさそうに見ていた人たちだ。


 話しかけたら、みんな意外といい人だった。


 片目のおじさんには、「その傷、すっごく格好いいわ! ヴァルキリーの相棒にそっくり!」と言ったら、照れて耳まで赤くなった。義手のお兄さんの腕相撲には、両手で挑んで、ぎりぎりで負けた。酒場じゅうが、腹を抱えて笑っていた。


 私は、椅子の上に立ち上がった。


「決めた! 私、傭兵になるの! 自分の力で、一からやっていくのよ!」


「いいぞ、嬢ちゃん!」


「船はどうすんだ、船は!」


「これから手に入れるのよ!」


 どっと笑いが起きた。


 バーテンダーが、やれやれという顔で、私の前にミルクを一杯置いた。


「お嬢ちゃん、ここは酒場だ。酒は、あと何年かしてからだな」


「――素晴らしいお考えです、お嬢様」


 隣の席から、声がした。


 振り向くと、身なりのいい男の人が、グラスを片手に微笑んでいた。


「お嬢様って呼ばないで。セレナよ」


「失礼。俺はライラック。あなたのような方と出会えたことを、幸運に思います」


 ライラックは、胸に手を当てて、優雅に一礼した。


「……ずいぶん、そういう言葉に慣れてるのね」


「女性を褒めるのは、男の嗜みですよ」


「そういうところが慣れてるって言ってるの!」


 私が頬を膨らませると、ライラックは楽しそうに笑った。


 気障で、格好つけで、口がうまい。


 でもこの人は、私を「総統閣下のお嬢様」として見ていない。ゴーグルを首にかけた、ただのセレナを見て、声をかけてくれた。


 この広い宇宙で、初めての味方を見つけた。


 私は、本気でそう思っていた。


 この人に、私の全財産を持っていかれることになるなんて。


 あの時の私には、思いもよらなかった。


 お読みいただき、ありがとうございました。


 この短編は、連載中の『無実の賞金首、銀河を出し抜く 〜トップ傭兵だった俺の、最底辺からの大逆転〜』に登場する、セレナの前日譚です。


 酒場で出会ったライラックに、全財産を持っていかれたセレナ。オメガ・ハブの路地裏で泣いていた彼女は、やがて傭兵ギルドの受付嬢として働きはじめます。そして一年後、彼女のカウンターに、全宇宙から追われる賞金首の傭兵がやって来ることに――。


 続きは、本編からどうぞ。作品ページ上部のシリーズのリンクからも移動できます。


 『無実の賞金首、銀河を出し抜く 〜トップ傭兵だった俺の、最底辺からの大逆転〜』


 https://ncode.syosetu.com/n1921my/


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