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第39話 :不可侵条約と、対魔法特化隊第1班の解隊

 激動の停戦から三か月。 福岡県庁の同じ大会議室で、今度はさらに分厚い革表紙の書面が交わされた。


 有効期限十年。特段の異議なき場合の自動更新。 AMDI展開領域に呼応する、法皇国側の魔導軍備制限。 禁忌たる《原初大奇蹟魔法陣》再成就の恒久的な禁止。 戦略資源が眠る「資源回廊」の共同管理権。


 それは、異質な文明同士が互いの存在を認め、喉元を差し出し合う「共存宣言」


 ――不可侵条約であった。


 この署名をもって、福岡を地獄に変えた戦乱は、法的な終止符を完全に打たれた。 だが、戦いの形が、硝煙から、より静かで陰湿な「共存」という名の闇へ移り変わったに過ぎないことを、誰もが知っていた。


 * * *


 陸上自衛隊・福岡駐屯地、西部方面総監部の一角。 春の湿った風が、防衛司令部の窓を小さく震わせていた。

 机上に置かれた、西部方面異界防衛総監・谷川剛陸将補の親閲印が押された極秘命令書。 その内容は、あまりにも簡潔な「処置」であった。


『対魔法特化隊第1班は、事変における特異事象への対処任務を完遂した。本日付をもって当該編成を解き、構成員は速やかに原籍部隊、または指定の出向先へと復帰せよ』


 県立生体適応研究所による最新の検診データが、この非情な「大人の事情」を裏付けていた。


 第一に、「生体兵器」としての飽和。第1班構成員のMP-α酵素値は安全基準を遙かに逸脱しており、これ以上の運用は暴走を招く。

 第二に、「外交的劇物」の隠蔽。不可侵条約を結んだ今、法皇国の魔導師を一方的に蹂躙した彼らの存在は、融和路線の最大の妨げとなる。

 第三に、「管理不能な異能」への恐怖。指揮系統を超越した直感と暴力を持つ彼らは、もはや制御不能な「抜身の剣」であった。


 そして何より、彼らは「戦争の生々しい傷跡そのもの」であった。 平和を謳う時代において、かつての凄惨な殺戮を体現する彼らの存在は、県民が忘れ去ろうとしている恐怖を呼び覚ますノイズでしかない。


「英雄」としての功績は、すべて「特異事象による自然消滅」として処理され、公的な記録からは徹底して抹消された。 だが、彼らが救った福岡の街並みだけが、その沈黙の戦果を証明している。


「……済まんな、三浦警部補」


 重い沈黙を破ったのは、西糸島防衛司令・伊藤孝之一佐だった。 事変の最前線で、第1班という「劇物」を預かり続けた指揮官。

 その顔には、功績を闇に葬らざるを得ない大人としての、隠しきれない苦渋が刻まれていた。

 三浦慎吾は、早良警察署への帰任を前に、駐屯地の喫煙所で最後のハイライトを吹かした。 ヨレヨレのスーツのポケットに警察手帳をねじ込み、ボサボサの頭をバリバリと掻く。


「……ま。そんなもんか」


 短く、吐き捨てるようにそう言った。 そこに怒りも、嘆きもない。ただ、潮時を知る現場の人間としての、ひどく冷めた納得だけがあった。


「……ヨレヨレの刑事に戻る方が、俺にはお似合いですよ。……司令も、お疲れ様でした」


 三浦は、一度も振り返ることなく駐屯地の門へと歩き出した。 伊藤一佐は、その丸まった背中に、敬礼を贈ることすら許されなかった。 英雄たちの功績が駐屯地の闇に葬り去られたその瞬間、福岡の街を照らす電力は、冷徹な沈黙を保ったままその輝きを増した。


 ■ 忘却の行方 ―― それぞれのその後


 高木 弘 【表:県境農業地帯自治区 共同学校 体育教諭】

【裏:警備部鷲尾特命 護衛官(対十歩・ドゥルガン担当)】 「ドゥルガン! 腰が高いぞ、もっと踏ん張れ!」 県境の共同学校の校庭。高木は体育教師として笛を吹き、オークの少年・ドゥルガンを厳しく、だが温かく指導している。それは十歩先生が目を掛けた「異世界の希望」を、鷲尾部長の密命により人知れず守り抜くための偽装でもあった。高木は今も福岡の「境界線」を独り守り続けている。


 三浦 慎吾 【福岡市早良警察署 刑事第一課(強行犯捜査係)】

 ヨレヨレのスーツにボサボサの頭。三浦は早良警察署の取調室で、ハイライトの煙を燻らせながら被疑者と対峙している。 「……あー、嘘はいい。お前の『影』が震えてるぞ」 魔物よりも複雑な人間の業を扱う日々。第1班という過去を封印した彼の瞳は穏やかだが、ひとたび「嫌な匂い」を嗅ぎ取れば、彼は再び街の深淵へと足を踏み入れる。


 倉田 隆俊 【陸自普通科連隊 西糸島警備隊】

 倉田は再び、自らが血を流して守り抜いた西糸島の境界線にいた。今は戦闘ではなく、静かな警戒任務。地形を知り尽くした彼がいるだけで、その一帯の防衛線は鉄壁と化す。彼にとっての平和とは、「何も起きない一日」を淡々と積み重ねることそのものだった。


 百田 遊里 【陸自普通科連隊 特別広域治安部】

 華奢な体躯、可愛らしい容姿。だが、彼女が背負っているのは「対異界犯罪専門」という極めて重い職務だ。 「あー、もう! 大人しく捕まってくださいって言ったのに!」 不法侵入車を素手でひっくり返してしばき上げる。不死身の肉体と怪力を持つ彼女は、戦闘よりも過酷な「後始末」の現場で、今日も元気に異界の残滓を粉砕している。


 柳 美緒 【航空自衛隊 派遣管制官(陸自籍保持)】

「……なんで陸自の私が空にいるんですかねぇ」 柳は、カササギ(管制機)のシートでブラックモンブランを齧る。彼女のMP-α酵素が捉える「空のバグ」を、空自は見逃さなかった。彼女は成層圏から、福岡に忍び寄る「虹色の泡」を監視し続ける。


 遠山 えりこ 【主婦/福岡県警警備部 要人警護(SP)パート職】

 スーパーのタイムセールを戦場とする主婦に戻った彼女には、もう一つの顔がある。週三日、時給1500円のパートタイムSP。彼女が重力を少しだけ弄れば、暗殺者もその場に這いつくばるしかない。彼女はその境界線を、軽やかに笑いながら行き来している。


 時田 渚 【福岡市内進学校 転校/県庁屋上 軟禁管理下】

「マジうける、この問題。無詠唱で解けそうなんだけど」 ギャル語を操る彼女が戻る場所は、福岡県庁屋上の、快適だが出口のない一室だ。全属性無詠唱魔法という「福岡の魔女」の力を県が手放すはずもなく、彼女は「美しい檻」の中にいる。時折空を見上げる彼女の瞳には、まだ計算機には映らない「次の門」が視えていた。


 金山 健一郎 【九電工復職/福岡市・県専属契約作業員】

 かつての仕事場、九電工に戻った金山を待っていたのは、「特命工事」の日々だった。資源回廊の改修。「説明はない」と一蹴されながら、彼は黙って工具を握る。自分が繋いでいる配線が、街を照らす光なのか、それとも「何か」を呼び込む導火線なのかも分からないまま。


 後藤 零 【福岡市立野芥中学校 2年生】

 長い昏睡から目覚めた少年は、野芥の自宅へと戻った。だが、あの壮絶な経験を経てなお、彼の英雄願望は肥大化していた。 「……ふっ、僕の左手の『否定(AMDI)』が疼く。三浦さん、次は何を消せばいい?」 相変わらずの言動で登校する彼。だが、三浦はその姿を見て安堵する。バカバカしい妄想の中にいられること。それこそが、三浦たちが守り抜いた「救い」そのものだった。


 ■ 資源回廊、凍てつく拍動と深淵の胎動

 かつて凄惨な肉弾戦が繰り広げられた県境の山間部。 雪に閉ざされたその稜線に、今、異質な巨躯が横たわっている。鈍く光る鋼鉄の管路と、無機質な防壁が延々と続く。

資源回廊リソース・コリドー」。

 それは、福岡の調査隊が発見した西方油田地帯から原油を運び出すための巨大な動脈である。地底深くから掘り出された希少鉱石や石炭を運ぶ貨物鉄道網を併設した、福岡の生存を懸けた生命線であった。

 回廊のルートは、法皇国の国境線と接しながらも、大部分は「小国連邦」の領土を横断している。

「裏切れば、自分たちも資源の恩恵(金)を失う」。

 この冷徹な利害関係こそが、確かな抑止力として機能しているのだ。


 夜。

 天神や中洲を彩る灯りは、力強い輝きを取り戻している。 北九州の重工業地帯は、異世界の石炭と原油を喰らって再び咆哮を上げた。 市民は「日常」を享受し、「戦争は終わった」と呟く。

 少なくとも、表面上は。 だが、この灯りを支えるのは、異世界の土を汚して掘り出した資源である。鷲尾警備部長は県警本部の窓から、漆黒の油田地帯を見据えていた。彼には聞こえていた。 資源回廊を流れる原油の拍動に混じって、眠りを覚まされた「外なるもの」が、地底の奥底で不快な胎動を始めている音が。


 窓の下では、天神の喧騒が宝石のように瞬いている。 その輝きが、深淵に手を伸ばした代償であることに、まだ誰も気づいていない。


 * * *


 法皇国の輝かしき聖都、その直下。 幾千年の祈りと絶望が堆積した《聖統地底回廊》の最深部には、光の届かぬ「不浄の神域」が存在する。


 そこは、物理的な距離を超越した特異点。壁面には虹色の脂が滴り、空間そのものが腐敗した果実のように粘りつく。静寂を支配するのは、数多の星々を咀嚼するような不快な咀嚼音と、理の外側から漏れ出す冷たい拍動だけだ。


 その最奥、因果が爛れた玉座に、一柱の影が座していた。 鉄の冠を戴いた、赤黒い人型の輪郭。皮膚は剥き出しの腐肉のように裂け、その内側からは戦場で朽ちた獣の骨と、鈍く濁った血の光が、冒涜的な神性を放っている。足元から溢れ出すのは、剣と血、そして千年の時を止めた錆の匂い。


 ――「外なるもの」の使徒、エリゴル。


《原初大奇蹟魔法陣》の崩壊が生んだ「虹色の泡」より産み落とされたその存在が、ゆっくりと、天球の動きを狂わせるような重圧と共に、赤い眼を現世へと開いた。その唇が、大気を腐らせるほどの震えを伴い、呪詛にも似た福音を紡ぎ出す。


「一にして全、全にして一(ひとつにしてすべて、すべてにしてひとつ)」


 闇が、生きた臓物のように激しく蠢き、呼応した。


「混濁たる宇宙の淵より、我が主が這い出でんとする胎動を、ここに寿がん」


 迷宮の底、封印の石材が「あちら側」の意思によって黒い泥へと変わり、無数の手

 足が虚空を探る。


「我が肉の延長たる傀儡らよ。朽ちゆく生者の腐肉を貪り、因果の髄まで舐め尽くせ」


 遠く福岡の地、早良区の路地裏や志賀島の海底で、隠蔽された「門」の種がドクリと脈打つ。


「時空の膿に沈みし『禁忌の穿孔』を、貪欲に漁り、世界の理を裏返す『無辺の亀裂』を、その醜悪なる爪にて抉り広げよ」


 エリゴルの掲げた手に、虹色の閃光が収束する。それは、福岡県知事と枢機卿が交わした和平のインクを、嘲笑うかのように焼き尽くす負の輝き。


「這い寄れ、深淵の泥にまみれし我が眷属どもよ。因果が爛れ、永遠なる『一』が万物を呑み干す、その終焉の瞬のために」


 福岡県庁にて、不可侵条約は結ばれた。戦乱の硝煙は、確かに消えたはずだった。 だが、門は――世界の皮膚を切り裂いたその亀裂は、未だ閉じられてはいない。

 闇の最深部で、エリゴルは静かに、歪んだ悦楽と共に、次の「生贄」の名を数え始めた。


 福岡県の物語は、ようやく始まったばかりだった。


『福岡異世界移転史:第一次西糸島事変』 完

最後まで『福岡異世界転移史 ――第一次西糸島事変編――』をお読みいただき、本当にありがとうございます! これにて、福岡の存亡を懸けた血みどろの防衛戦は一つの区切りを迎えます。


今回の主戦場となった糸島市は、現実の福岡県では美しい海と牡蠣小屋が並ぶ最高の観光スポットですが、本作では容赦なく「神の奇跡」と「地球の物理法則」が正面衝突する最前線となってしまいました。


焦げた鉄と血の匂いが立ち込める絶望の盤面を、彼らは魔法の力で華麗にひっくり返したわけではありません。 現場の自衛官が泥を啜り、九大の変人たちが理屈をこねくり回し、最後は江田局長代理たち行政の人間が「条約」という分厚い書類の束で、敵の王将を強引に『詰み(ツミ)』へと追い込みました。


伝説となった「第1班」は政治的理由で解体され、公式記録から墨塗りにされましたが……


彼らは今も、西新の湿気たアパートや、高度三千メートルのサウナのような機内、あるいは深夜の赤提灯の隅で、不自由で愛おしい「福岡の日常」を生き続けています。


倉田二士が平和になった糸島の海辺で「生カキにあたりましたw」と呑気なSNSを投稿し、それを読んだ空の柳三曹が激しい殺意を抱くような明日が守られたことだけが、彼らにとっての唯一の報酬です。


さて、事変が終わっても、この狂った異世界で福岡に安息の日は訪れません。


次回からは、迫り来る資源枯渇の『詰み(ツミ)』を回避するため、三百五十キロの未舗装路を重機とトラック野郎たちが爆走するインフラ構築戦記や、空自にドナドナされた柳三曹が重油の排気ガスに咽びながら不快な空を睨み続ける『カササギの眼』など、それぞれの戦場の狂人たちのその後の新たなスピンオフが語られます!


面白かった、不器用な大人たちに胃薬を(あるいは柳さんにトラキチ君を)差し入れたい!と思っていただけましたら、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価・ブックマークをいただけると、作者(と過労死寸前の県庁職員たち)の最大の励みになります!


本編で語りきれなかった因果律物理学の裏設定や、西新の呑み屋事情などを呟いていますので、ぜひ覗いてみてください。

それでは、泥と油と豚骨の匂いがする次の戦場(日常)で、またお会いしましょう!

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