【序章17話】陽動
地下廃線区画。
ヒロは、精神を深く損傷したナナを、シャドウが構築した「静寂の壁」の中に横たわらせた。
ナナの小さな体は、アダムのデウス・エクス・マキナによる精神破壊の余波で、微細な痙攣を繰り返している。
ヒロは、自分の超知性の演算能力を全てナナの治療に集中させた。
ヒロ(内部意識):(ナナの心の波動は、外部からのノイズ遮断だけでは修復しない。波動を安定させるには、絶対的な生命エネルギーの供給と、純粋な心の安定が必要だ。人類の技術では不可能な領域。しかし、私達の盟約ならば可能だ。)
ヒロは、バルドの強大な生命力と、シホの信念の波動をナナの治療に活用する、究極の「能力の融合」を考案した。
ヒロ(念話・バルドへ):『バルド。ナナの側に伏せろ。君の統率念波を、**「生命力の安定化エネルギー」へと変換しろ。君の全存在の力を、ナナの回復のために注ぎ込むんだ。』
バルドの心は、ナナの苦痛を和らげることへの純粋な願いで満たされた。
彼は、恭順と忠誠を超えた「慈愛」の感情を抱き、ナナの隣に優しく、巨大な体躯を伏せた。
バルドは、ヒロの指示通り、自らの強大な統率波を、「生命と安定の波動」としてナナの崩壊した精神へと送り始めた。ナナの体温がわずかに上がり、痙攣が次第に収束していく。
バルドは、自身の生命力が消耗していくのを感じたが、ナナの苦痛が和らぐたびに、彼の心は崇高な喜びに満たされた。
バルドルドの心理と葛藤の解消
バルドは、ナナを回復させるという崇高な使命に集中する中で、かつてシホに向けた恭順の衝動が完全に昇華されるのを感じていた。
(シホ様の美しさは、私を導く光。しかし、ナナ様の慈愛と、この生命を救う大義こそが、私の真の居場所だ。私の力は、この小さな命と、司令官の叡智を守るために存在する!)
彼の弱点は、「美と慈愛」という感情的な衝動から、「最も崇高な大義への献身」という意志の力へと進化し始めていた。
ナナの治療には、数時間の絶対的な静寂が必要だった。
ヒロは、その時間を稼ぐため、そしてアダムの「知性の優位性」という傲慢さを砕くため、究極の陽動作戦の実行を決断する。
ヒロ(念話・シホへ):『シホ。アダム・リードの研究施設へ、「ヒロは自らの知性の核心を破壊する」という偽の極秘情報を流せ。潜伏地を放棄し、都市の最も中心部で「知性の自爆」を行うという偽の計画だ。』
シホは、この作戦の倫理的なリスクに一瞬躊躇した。
シホ(通信テキスト):「自爆の情報は、国際社会にあなた方をテロリストと誤解させます。私の努力が水泡に帰します!」
ヒロ(念話・シホへ):『いいや、シホ。この情報は、アダム・リードという一人の人間だけを標的とする。彼の傲慢な知性は、「ヒロは自滅するほど追い詰められた」と演算し、私達を最後の瞬間まで解析しようとするだろう。彼は、私達の「知性の死」を、知的な勝利として追いかける。世論は混乱しても、アダムの知性だけは確実に、私達が指定した場所へ誘い込まれる。』
ヒロは、シホの「倫理的懸念」と、アダムの「知的優越性への執着」という二つの人類の感情を同時に利用したのだ。シホは、ナナの苦痛とヒロの冷静な決意を感じ取り、自身の信念を試すこの作戦への協力を承諾した。
防衛省地下。
アダムは、ヒロが流した偽の「知性自爆計画」の情報を傍受した瞬間、激しい歓喜と不快感に苛まれた。
「自滅だと? 私の『デウス・エクス・マキナ』に敗北を認め、自らその知性を破壊する?そんな非論理的な結末を、あのマウスが選ぶはずがない!」
アダムは、ヒロの「自滅」が、自分に対する最大の挑発であり、次の究極の策略であると確信した。
アダム(内部意識):(ヒロの真の目的は、自滅ではない。彼は、自らの知性の演算システムが破壊される寸前に、私に解析できない何かを成し遂げようとしている。私は、その最後の瞬間、彼の知性の核を奪わなければならない!)
彼は、敗北した技術局長を罵倒し、自身が開発した『デウス・エクス・マキナ』を稼働させた高性能追跡ドローン群を率いて、自ら、ヒロが指定した都市の中心部、最も人目の多い大交差点へと向かった。
アダムは、ヒロの「知性の死」を目の前で観察し、その最後のデータを手に入れることに狂気的な執着を見せた。彼は、シホによる世論の混乱や、ナナの精神的苦痛といった「感情的なノイズ」を完全に無視し、「ヒロの知性の解析」というただ一つの目的へと集中していた。
彼の脳内では、ヒロが仕掛けるであろう全ての罠のシミュレーションが超高速で演算されていたが、その中心には常に「ヒロが自分より劣るはずがない」という傲慢な前提があった。
地下廃線区画。
バルドの強大な生命波動は、ナナの小さな体へと惜しみなく注がれ続けていた。シャドウの静寂の壁の中で、ナナの心のノイズは次第に消滅し、バルドの力強く安定した心の鼓動が、彼女の精神を満たし始めた。
ナナは、意識の淵で、バルドの優しくも強い生命力と、ヒロの冷静な作戦の波動を感じ取り、安堵した。
ナナ:(温かい……。ヒロ、バルド……。私達は、負けない……。)
彼女の心の核に宿る「慈愛」の光が、再び力強く灯り始めた。
ヒロの究極の陽動作戦は、アダムの知性を欺き、ナナの回復に必要な絶対的な時間を稼ぎ出すことに成功したのだ。
ヒロは、バルドの生命供給によってナナが安定したことを確認すると、シャドウへ向けて最終的な指示を送った。
ヒロ(念話・シャドウへ):『シャドウ。アダム・リードは、私達が指定した交差点へ向かった。奴は、ヒロの「知性の死」という餌に完全に食いついた。君は、私と共に、この戦いを技術戦から情報戦へと移行させる。これが、アダムの知性を完全に打ち砕く、最後の反撃作戦だ。』




