【序章12話】心の壁
旧東京ドーム競技場。
巨大なドームの中央、簡素なテーブルを挟んで、異様な光景が展開していた。一方には、冷徹な表情の人類代表団(研究所所長と技術局長)
もう一方には、ヒロを背に乗せ、堂々と立つ統率ハスキー・バルド。
人類側の所長が、威圧感のある声で交渉を開始した。
「テロリストども。対話の場へようこそ。まず、すべての犯罪行為を認め、速やかに武装解除し、捕獲に応じれば、あなた方の主張の一部は検討しよう」
その言葉は、既に交渉ではなく一方的な服従の要求だった。
ヒロは、バルドの背中で、人類側の足元に仕掛けられた音響兵器と念話遮断用の電磁波ジャマーが、今にも起動される熱源を演算で把握していた。
ヒロ(念話・ナナへ):『ナナ。開始だ。彼らの技術が起動する。心の力で、この戦場を私達のものにしろ。』
人類側の技術局長が、テーブルの下で隠し持っていた起動ボタンを強く押した瞬間、ドームの床下と天井から、バルドの統率波を粉砕する逆位相の超音波が、静かに、しかし凄まじい勢いで放出された。
グウウウウウ……
その超音波は、人間の耳にはほとんど聞こえないが、バルドの強化された聴覚と神経回路を直撃する。
バルドの全身の毛が逆立ち、統率の念波が一瞬で麻痺した。
バルドの脳内は、即座に激しいノイズに満たされ、群れとの意識の接続が断たれる。彼は、最大の危機に瀕した。
しかし、その瞬間、競技場の地下換気口近くに潜んでいたナナの共感波動が、超音波の発生源へ向けて逆の調整を始めた。
ナナ(念話・バルドへ):『バルド!超音波の周波数を、私達の心臓の鼓動と同じリズムに変えるわ!私の声だけを聞いて!』
ナナは、自身の強大な共感能力を、物理的な波動調整へと応用した。
音響兵器の逆位相超音波は、ナナの心の力によって、人類の意図とは裏腹に、バルドの神経を優しく鎮静させる低周波の揺らぎへと変換された。
バルドの体は激しく震えながらも、瓦解しなかった。彼は、超音波のノイズの中から、ナナの慈愛に満ちた波動だけを選び出し、その心の鼓動に同調する。
人類側の代表団は、バルドが倒れないことに驚愕した。
「なぜだ!?超音波シールドは確実に作動しているはずだ!」
バルドの精神は、ナナによって安定を保っていたが、彼は別の強烈な波動に襲われていた。
それは、テーブルの向こう側に座るシホの、動物への強い信念と知的な美しさが放つ波動だ。
バルドは、ナナの鎮静の波動と、シホの信念の波動という、二つの「美」と「慈愛」の力に挟まれ、激しい葛藤に苛まれる。
(ナナ様は私を道具ではないと認めてくれる。しかし、シホ様は、私達の存在自体を人類に認めさせようとしている!私は、どちらの美しい意志に従うべきか...!)
ヒロは、バルドの激しい動揺を察知し、交渉が破綻寸前だと悟る。
ヒロ(念話・シホへ):『シホ。彼らに、交渉の真の目的を理解させろ。』
シホは、この混乱の最中、冷静に立ち上がり、研究所の所長を厳しく見据えた。
「所長、あなた方は交渉の席で軍事技術を使っている。これこそが、あなた方の傲慢さだ!彼らはテロリストではない。彼らは「共存」を求めている!」
シホの言葉が、人類側の卑劣な行為を暴いた瞬間、ドームの天井にある大型照明が一斉に点滅し始めた。
「通信が!照明システムが外部から制御されている!」
シャドウの介入だ。彼女は、競技場のセキュリティ中枢を完全に掌握し、人類側の内部通信を遮断し、視覚的な混乱を引き起こした。
人類側の代表団がパニックに陥る中、バルドの背中のヒロが、この一瞬の優位を逃さなかった。
ヒロ(念話・人類代表団へ):『(シャドウを通じて、競技場全体のスピーカーに歪んだ音声で再生)人類よ。私達は、あなた方の卑劣な技術を既に予測し、無力化した。あなた方の命脈は、今、私達の手の中にある。』
ヒロは、シホの協力を得て、交渉開始前から彼らの技術的優位性を完全に打ち砕いた。
バルドは、シホの信念とヒロの叡智が融合した圧倒的な力を体感し、自身の葛藤を乗り越えた。彼の忠誠は、特定の美しさや慈愛ではなく、「私達の革命」という最高の美しさと正義へ集約された。
彼は、恭順の姿勢を完全に捨て、力強く立ち上がった。
「交渉は、対等な地位で行う。さもなくば、この競技場から、あなた方の隠された全ての秘密を、全世界に公開する」
人類側の技術局長は、絶望的な顔で、仕掛けた全ての兵器が無力化されていることを確認した。
彼らは、技術を超越した知性の前に、完全に敗北したのだ。




