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余命僅かな令嬢、シングルマザーとして生きていきます!  作者: 黒猫ている
1章:偽りの終焉

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6:言葉なき別れ

領地のバリントン侯爵邸。

私は父ヘンリーの執務室を前にして、緊張した面持ちで大きな扉を見上げた。

……最後にお父様と会話をしたのは、いつだろう。

お父様は多忙な方で、招待を受けた王都の式典さえも中座して、単身領地に戻るほどだった。

王都のタウンハウスに滞在している間も、式典の間も……一度も、言葉を交わすことはなかった。


勇気を出して、扉を叩く。

聳え立つ扉を前に、ノックの音は弱々しく響いた。


「……入れ」

「失礼します」


扉を開けて、執務室へと一歩足を踏み入れる。

重い空気に、圧倒されてしまいそうだ。

幼い頃から、父はいつもこの部屋に居た。

こんなに近くにあるのに……遠い部屋。

滅多に足を踏み入れることは許されない場所だ。


「なんだ」


重々しい声が響く。

……ここで、気圧されてはいけない。

ちゃんと、望みを伝えなければ。


「お父様は……私の病状については、もうお聞きでしょうか」

「あぁ、聞いている」


私の問いに、お父様が頷く。

……余命僅かと報告を受けていても、この態度。

やはり、お父様にとって、私はその程度の存在なのね……。


どこかで、まだ期待していたのかもしれない。

お父様の口から、せめて「無理をするな」の一言でもあれば、それだけで救われたのに。

そんな願いすら、今はもう滑稽に思えてしまう。


感情が揺れ動くこともなく、彼はただ、静かに私の死を待つのみ。

親子の情なんて、存在しない。

いや、お父様にとっては、私の存在自体が元々取るに足らないものだったのだろう。


こんなの、今に始まったことではない。

分かっていたはずなのに……どうして胸が痛むのか。


「でしたら、どうか静かな場所で余生を過ごすことを、お許しください」


痛む心に蓋をして、淡々と言葉を紡ぐ。

これ以上、この屋敷に居たくない。

その想いは、ますます強くなった。


「お母様が好きだったという別荘で、最後の時を迎えたいのです」


バリントン領の外れ、海に面した地域にある、小さな別荘。

侯爵邸と比べたらまるで民家のような、その小さな別荘が、母のお気に入りの場所だったと聞いている。

今はもう住む者も訪れる者もなく、管理こそされてはいるが、静かにひっそりと朽ちていくのを待つだけの建物──私が最期を迎えるのに、相応しい場所ではないか。


「……好きにするがいい」

「ありがとうございます」


言質は取った。

これで、もう家族のことで心煩わされることはない。


さっさと荷物を纏めて、この屋敷を出ていこう。

ローラとケネスが帰ってきたら、あれこれ言われてうるさいだろうから、彼等が王都から帰ってくる前に。


これ以上、貴方達に縛られることはない。


「どうか、お元気で」


父であった人に、最後の言葉を掛ける。

扉を閉めるまで──返る言葉は無かった。



◇◆◇◆◇



私ヘンリー・バリントンと同じ色を持って生まれたアシュリーだが、あの子は母親似だ。

会う度に、亡き妻を思い起こさせる。


後妻を娶った今も、私が愛する女性は、ノーリーンただ一人。

日に日に彼女に似ていく娘に、どう接して良いか……私は分からずに居た。


アシュリーは、愛するノーリーンが命を賭けて生を与えてくれた子供だ。

ノーリーンを失ったあの日──もう、私に残されたものはこの子しか居ないのだと悟った。


だが、その子供さえも、長く生きられない運命だった。

私は、どうしたらいい?

余命幾ばくもない娘と、どのように付き合えばいい?

あの子を大事に思えば思うほど、心が張り裂けそうになる。


やがて消えゆく命を、どう愛すれば良いのだ。

すぐに、砂のようにこの手から零れてしまうというのに……。




後妻のサマンサ、連れ子のケネス、そして妹のローラまでもが、アシュリーを疎んでいた。

私はそれを知りながらも……アシュリーに、声を掛けることさえ出来ずに居た。

顔を合わせれば、妻と同じ顔立ちをしたあの子に、心乱されてしまう。


私は、再び妻を──ノーリーンを失うのか。

いや、あの子はノーリーンではない。

それは、分かっている。

分かっているはずなのに……どうしても、面影が重なってしまう。


ノーリーンを失ったあの日、世界から色が消えた。

全てがモノクロと化した世界の中、ただあの子だけが、色を帯びている。


やめてくれ。

もう二度と奪われたくはないのに……あの子は、早世の運命だなんて……。


あの子を忘れることが出来れば。

あの子を目に入れなければ──この胸を押し潰されるような悲しみから、逃れることが出来るだろうか。

そうして、私はずっとあの子を避けて生きてきた。


あの子がどんな境遇にあるかを知りながら、手を差し伸べることもしないで──。




私は最低の父親だ。

あの子はきっと、私を恨んでいるのだろう。

だからこそ、最後の時を別荘で一人静かに過ごしたいなど……この屋敷を出ていきたいなどと言い出したのに違いない。


静寂が、執務室に残された。

扉の向こうで足音が遠ざかっていくにつれ、胸の奥が締めつけられる。

もう二度と、あの子の声を聞くことさえ出来ないのだろう。


『どうか、お元気で』


最後に掛けられた言葉。

その声に、返す言葉が見付からない。

私はなんと情けない父親だろうか。


机の上に置かれた古い懐中時計が、静かに時を刻んでいる。

妻が亡くなる前に贈ってくれた品が、今も止まることなく動き続けていた。

だというのに、私の世界だけ、時間が静止していた。

私の心は──あの日、ノーリーンを亡くした時と同じ。


あれだけあの子を意識しないように、目に入れないようにしていたつもりだというのに……気付けば、私の心は深い悲しみに沈み込んでいた。


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