4:変わりゆく夜
「王太子殿下……!!」
私の声に被せるようにして声を掛けてきたのは、我がファインズ王国の王太子トリスタン殿下だ。
夜空の元でも光り輝く金色の髪を靡かせて、大股でテラスへと立ち入ってくる。
月光に照らされた殿下の姿は、まるで神話に登場する英雄のようだった。
だが、その美しさの裏にある冷徹な光を、私は知っている。
あの金の瞳が笑うとき、誰かが沈むのだ。
王太子殿下の登場に、ジェレミーお兄様と私だけではなく、リスター公爵までも恭しく頭を下げた。
「本日の主役がこのような場所で歓談とは、寂しい話ではないか」
殿下の皮肉げな笑みが突き刺さる。
彼が何を言いたいかは分かるけれど、それに付き合う義理はない。
「本日の主役は、国王陛下でございましょう」
「何を言うか。会場は御主の話でもちきりだぞ」
喉を鳴らして笑う王太子殿下。
私の余命も、彼にとっては些末事なのだろう。
良い酒の肴が手に入ったくらいに考えているに違いない。
「今や時の人ではないか」
「その時も、残り僅かでございます。今だけの盛り上がりでしょう」
「そうやもしれんな」
王太子殿下は、人の悪さを隠そうともしていない。
それも当然だろう、この国には彼に逆らえる者など居ないのだ。
傲慢な態度が板に付いているのも、当然と言えよう。
「面白くないな、もっと悲嘆に暮れているのかと思ったが」
「お涙頂戴がお好みですか?」
「芝居は要らん」
同情されるよりも、あからさまな悪意の方がずっと楽だ。
少なくとも、その瞬間だけは“可哀想な病人”ではなく、一人の人間として見られている気がするから。
私は、王太子殿下の歯に衣着せぬ物言いが嫌いではない。
ローラのように可哀想アピールをされるよりも、よっぽどマシだ。
だが、同席している二人はそうは思わなかったようだ。
「殿下、その言い方はあまりではありませんか」
リスター公爵が、苦言を呈する。
ジェレミーお兄様も、公爵様に同意するかのように、大きく頷いた。
「なんだ。ティリット侯爵令息はともかくとして、リスター公爵、御主にとっては他人事ではないか」
「他人だからといって、人の不幸を見せ物にするような態度は、いただけません」
公爵様の紅色の瞳と、王太子殿下の碧眼が、真っ正面からぶつかる。
二人の間に流れた空気は、まるで薄氷の上を歩くように張りつめていた。
遠くでは楽団の音が響いているというのに、この小さなテラスだけは、世界から切り離されたように静まり返っている。
「当人が気にした風ではないのに、どうして其方が噛みついてくるのだ」
「道義に背く発言だからです」
一瞬、夜風が止んだように感じられた。
「ほう……」
王太子殿下の瞳が、鋭い光を放つ。
扉一枚を隔てた向こう、ホールの中からは、チラチラとテラスの様子を気にする視線が投げかけられていた。
王太子殿下と、公爵閣下。
王国の二大権力者が揃って睨み合っているのだから、何事かと皆が気にしているのだろう。
「ちょっと、どうしてお二人がそんな空気になるのですか」
堪らず、割って入ってしまった。
ああ、面倒臭い。
面倒臭いけれど、私のせいで揉め事にまで発展するよりはずっとマシだ。
「辛気くさくなるよりは、笑って送り出してくださいまし。せっかくですから、死出の旅路を笑って送り出してはいただけませんか? 最後くらい、盛大に飲み明かしましょう」
「う、うむ……」
流石に先ほどの言い方は悪かったと思っているのか、王太子殿下が曖昧に頷く。
私がパンと掌を合わせたなら、もうそこで言い合いはおしまいだ。
「では、会場からワインをいただいてきましょう。皆様、好みの銘柄はありますか?」
「そうだな。令嬢と飲み交わす最後の機会だ、秘蔵の赤ワインを開けようか」
「まぁ、それは楽しみです」
殿下のはからいで、テラスにはあっという間に小さな宴席が仕度された。
銀の燭台に火が灯され、夜風が揺らすたび、赤い液体が月明かりを反射して煌めく。
葡萄酒の甘い香りに混じって、庭園の薔薇の匂いがふわりと漂った。
この一夜だけは、命の残り火さえも煌めいて見える。
王家秘蔵の赤ワインと言うだけのことはあって、飲みやすく芳醇で甘い香りに、ついつい杯を重ねてしまう。
「なかなかの飲みっぷりではないか」
「お褒めにあずかり光栄ですわ、殿下」
王太子殿下も上機嫌で、グラスを傾けていた。
一方、リスター公爵はと言えば、どうしてかむすっとした表情のまま、黙々と杯を呷っている。
ジェレミーお兄様は私を気遣い、料理を盛ってくれたりなど、あれこれ甲斐甲斐しく世話をしてくれていた。
そんな中、扉を叩く低い音と共に、鋭い気配がテラスに差し込んだ。
場の空気が、僅かに引き締まる。
「失礼します」
声を掛けてきたのは、長身で屈強な男性──美丈夫なルーサー・ファインズ王弟殿下だ。
アレックス王太子殿下と似た顔立ちながら、しっかりと鍛えた体格は、護衛の騎士達をも上回る。
それもそのはず、ルーサー殿下はこの国の騎士団長を務めている。
何を隠そう、我が従兄のジェレミーお兄様が、その補佐役の副団長なのだ。
「叔父上、どうなさいましたか」
「少々、ティリットに話がありまして」
どうやら、副団長であるジェレミーお兄様に内々の話があるらしい。
王弟殿下と目が合うと、険しかった顔つきが、ふと柔らかくなる。
私は幼い頃、ジェレミーお兄様と一緒に、王弟殿下に剣を習ったことがある。
身体を鍛えることで、足りない魔力を少しは補えるのではないか……そんな淡い期待を込めてのことだった。
筋は良いと褒められはしたが、やはり剣技と魔力は異なるもの。
肉体を鍛えたところで、魔力の増幅はまったく見られなかった。
結果は最初から分かりきっていたことだったから、ショックを受けたりはしない。
むしろ、何かに打ち込む毎日は、とても楽しかった。
王弟殿下にお目に掛かると、当時のことを思い出して心が温かくなる。
あの頃は、剣を握るたびに息が苦しくなったけれど、それでも楽しかった。
誰かと、共に鍛錬する喜び。
誰かと時間を共有している──それだけで、生きている意味があると思えたのだ。
「アシュリー嬢、暫しティリット令息をお借りします」
「かしこまりました」
豪華なパーティーの真っ最中とはいえ、王都の守護を担う騎士達は多忙な身。
いや、むしろ式典の最中こそ、警護に気が抜けないのだろう。
慌ただしくテラスを出ていく二人の背中を見守った私に、王太子殿下がにんまりと笑顔を向けた。
「邪魔者はいなくなったことだし、思いっきり飲むか!」
「殿下!?」
そんな殿下に、公爵様が上擦った声を上げる。
「いいだろう、王国一の美姫とは時間を共にしたいと常々考えていたのだ」
「誰が王国一の美姫ですか」
お酒が入ったからだろうか、殿下の口も、私の口も、かなり軽くなっている。
「皆言っているぞ。バリントンの宝石は、病さえなければ社交界の華となれたであろうに……と」
バリントンの宝石とは、バリントン家の色を受け継いだ私のことを指す。
妹ローラが私を憎む理由が、これだ。
「たらればの話をしても、仕方有りませんわ。社交界に出られるのも、これが最後でしょうし」
「そうだな。であれば、今宵は存分に飲み明かそうではないか!」
高らかに笑う王太子殿下を、リスター公爵が忌々しげに睨み付ける。
きっと、私の体調を心配してのことだろう。
殿下は殿下で、公爵様が露骨に反応するものだから、面白がっているのだわ。
風に揺れる燭台の火が、笑い声を黄金色に照らしていた。
グラスの縁がぶつかる音が、まるで祝福の鐘のように響く。
思いがけず、王城で楽しい一時を過ごしてしまった。
いや、楽しすぎたのだ。
後になって思い返せば、これが良くなかった。
この夜、この後の記憶を、すっかりと無くしてしまったのだから──。
フィアロン(従兄の家)とファインズ(王族)が少々紛らわしかったので、従兄の名字をティリットに変更しました。









