3:最後の舞踏会
国王陛下の生誕式典当日。
私は家族と別れ、ジェレミーお兄様と一緒にティリット侯爵家の馬車で王城へと向かっていた。
正直、ホッとする。
家族と一緒に居るところを、ジェレミーお兄様に見られたくはない。
お兄様に、不要な心配をさせたくはないから。
当然、家族もティリット侯爵家の一員であるジェレミーお兄様の前で、私を堂々と貶めるようなことはしないだろうが……いや、ローラなどはやりかねないかもしれない。
母方の親戚であるティリット侯爵家と血の繋がりがあるのは私だけなので、ジェレミーお兄様と親戚付き合いがあるのも私だけだ。
むしろ、ジェレミーお兄様は私がバリントン侯爵家で肩身の狭い思いをしていることを知っている為、私の家族を憎んでいる節がある。
ま、血の繋がらない継子に腹違いの姉妹、後妻の連れ子と来たら、仲良くやっていける方が稀というものよね。
ましてや、私は魔力欠乏症という病まで抱えているのだし……。
「行こうか、アシュリー」
「はい」
王城の門に入れば、馬車を降りて、徒歩で会場へと向かう。
ジェレミーお兄様と腕を組んで、王城内を歩く。
時折、好奇に満ちた視線がこちらに向けられる。
目映い銀の髪は、バリントン侯爵家の特徴。
遠目で見ても、私が誰かは丸わかりだ。
こういう時、目立つ外見というのは面倒に感じてしまうものね……。
「ジェレミー・ティリット令息、アシュリー・バリントン令嬢のご入場です」
案内係が、朗々と私達の名を読み上げる。
広い吹き抜けとなった、豪華なパーティー会場。
一歩足を踏み入れた瞬間、不快さが肌に纏わり付くようだった。
幾つもの視線。
いつもならばローラが言いふらす噂によって、こちらを見下す目や唾棄するような視線が多いのだけれど、今日は違う。
そこに奇妙な憐憫と、優越感が混じっている。
その原因は、すぐに分かった。
「そうなのよ、ついにお姉様が余命宣告を受けたの! 今年の冬は越せないだろうって!!」
会場中に響くような、甲高い声。
誰が言いふらしているかは、顔を見なくても分かる──妹のローラだ。
「まぁ、お気の毒に」
「良い姉とは言えなかったけれど、死んでしまうとなったら、少し可哀想に思えてきたわ」
心にもないことを言う。
弾んだ声音だけで、彼女が私の不幸を喜んで吹聴していることがよく分かる。
ローラにとっては、私の不幸は良い噂材料に過ぎないのだろう。
哀れな私を見下すことも出来れば、今だけは姉を失う不幸な妹を演じることも出来る。
ローラの周りには、小さな人だかりが出来ていた。
しかし、私に声を掛けてくる者は誰も居ない。
将来バリントン家を継ぐローラに顔を売っておくことは利があるが、余命宣告を受けた私と親しくしたところで、メリットなど何も無いのだ。
「お気の毒に」「可哀想に」
そんな言葉だけが漏れ聞こえてくる。
纏わり付く視線はやけに粘着質で、気を抜いたなら絡め取られてしまいそう。
「アシュリー……」
「大丈夫よ」
心配そうにこちらを覗き込んでくるジェレミーお兄様に、笑顔を見せる。
大丈夫、こんな視線にも慣れたもの。
それに……好奇の目に晒されるのは、これが最後だもの。
ローラもまた、同じように考えていたらしい。
「あら、お姉様」
私に気付いたローラが、珍しく声を掛けてくる。
彼女が社交の場で私に声を掛けてくるなんて、私を見下し、馬鹿にする時だけだ。
「お体は大丈夫ですの? 余命僅かなお姉様にとっては、これが最後のパーティーになるでしょうから、存分に楽しんでくださいね」
ローラは涙ぐむように微笑んでいた。
その瞳には、計算された潤みが宿っている。
表向きは私を気遣っているように見えて、彼女の声は、周囲に聞かせる為に着飾られたものだ。
可哀想な姉を気遣う、優しい妹を演出して見せている。
まぁ、いいわ。
無視をするのも大人げ無いし、相手にするのも疲れるだけだから、適当に頷いてその場を離れようと思ったら──、
ガシャンと、背後からグラスの割れるような音が聞こえてきた。
曲の合間で音楽が静止して、一瞬ホールが静まり返る。
人々の視線が、一点に集中する。
「……?」
何だろうと振り返れば、ワイングラスを持つポーズのままで硬直している男性が居た。
彼が手にしていたらしきグラスは、ホールの床に落ちて、破片と化している。
「まぁ、リスター公爵様!!」
彼の姿を見るなり、ローラが猫なで声で近付いていった。
クライヴ・リスター公爵──我がファインズ王国が誇る公爵家の当主。
漆黒の髪と紅色の瞳を持つリスター公爵家は呪われた一族と言われ、その強大な力から一部では恐れられているものの、北方の守護を担う我が国には必要不可欠な人材だ。
そんな彼が、グラスを取り落としたまま呆然として、紅色の瞳が虚空を見つめていた。
「大丈夫ですか? ちょっと、さっさとグラスを片付けなさい!」
ローラがヒステリックな声を上げて、給仕を呼びつける。
その間も、リスター公爵は何も言わずに目を見開いたままだ。
「今の話は……本当ですか?」
「え?」
ようやく、彼が掠れた声を振り絞った。
「アシュリー嬢が、余命僅かというのは……」
「そうなんですのよ、公爵様!!」
リスター公爵の言葉に、ローラが飛びつく。
「今年の冬は越せないだろうと言われていて……まぁ、なんてお可哀想なお姉様!」
お可哀想って言う割には、楽しそうな声に聞こえるけどね。
まぁ、いいわ。
「公爵様にお目に掛かるのも、これが最後になるかと思います。どうか、お変わりなく」
「アシュリー嬢……」
リスター公爵に一礼したなら、彼は紅色の瞳を僅かに眇めた。
クライヴ・リスター公爵……私が魔力欠乏症と診断されていなければ、私は彼の婚約者になる予定だったと聞いている。
漆黒と白銀、紅と夜色。
互いに唯一無二の色を持つ一族。
その結びつきを、私達の祖父が望んでのことだった。
けれど、私は長くは生きられぬ身。
それでも構わないとリスター公爵家側からの申し入れはあったそうだが、私の両親──現バリントン侯爵と継母のサマンサ様が、ローラを代わりに婚約者に立てると打診したそうだ。
バリントン家の跡継ぎであるローラだが、生まれてきた子供にリスター公爵家とバリントン侯爵家をそれぞれ継がせることにすれば良いだろうと、特にサマンサ様が強く推したと聞いている。
しかし、ローラはバリントンの色を持たぬからと断られて、婚約は不成立。
でありながら、ローラは今もリスター公爵を見る度に、必死に自分を売り込もうとしている。
もっとも、彼女がアプローチしている相手は、公爵様に限った話ではない。
「そろそろ始まるようですね」
ジェレミーお兄様の、囁く声。
見れば、ホールの中央で王太子であるトリスタン・ファインズ殿下がグラスを高々と掲げていた。
「本日は我が父アレックス・ファインズの為に、よくぞ集まってくれた。今宵は国父が生を受けた目出度き日、皆も存分に楽しんでおくれ」
王太子殿下の声に呼応して、ホール中から歓声が上がる。
いよいよ、パーティーの開幕だ。
楽団が音楽を奏で、人々がホール中央に進み出て、舞い踊る──華やかな時間が始まった。
皆がくるくると舞い踊る中、私とジェレミーお兄様はあえて壁際へと退いていた。
注目を集めるのは、好きではない。
ジェレミーお兄様もそれを知ってくれているからこそ、私に付き合うようにして、一緒に談笑してくれている。
チラチラと、貴族令息達からの視線が纏わり付く。
でも、相手が誰であろうと踊る気にはなれない。
余命僅かと言われた私を、無理に踊りに誘う人も居ない。
今日くらいは、病人顔していても許されるだろう。
最後のパーティー、せめて静かに過ごしていたいものだ。
「テラスでのんびりしようか」
「そうですね」
ジェレミーお兄様の提案に頷き、テラスに出ようとした、その時だった。
「アシュリー嬢……」
声を掛けてきたのは、リスター公爵だ。
紅色の瞳を細め、じっとこちらを見つめている。
多少なりとも縁があった私のことを、気遣ってくれているのだろうか。
「どうにかして、治療する方法はないのだろうか」
「……もしあったなら、これまでに魔力欠乏症で苦しむ患者は居なかったでしょうね」
「それはそう、だが……」
公爵様は、沈痛な面持ちを浮かべている。
しかし、そんな彼の様子さえ、周囲の貴族達には格好の見物なのかもしれない。
ジロジロと探りを入れてくるような、好奇に満ちた視線。
それらから私を庇うように、ジェレミーお兄様が一歩進み出た。
「ひとまず、テラスに移ろう。リスター公爵様も、お話があるならばそちらで伺います」
「あ、あぁ……」
そうは言ったものの、公爵様にはそれ以上の話など無いのだろう。
テラスに場所を移したところで、彼は無言のままだ。
それでも、人目に付かないところは良い。
涼しい夜風が、会場の熱気にあてられた頬を冷やしてくれた。
「大丈夫なのですか、アシュリー嬢……」
公爵様がようやく口にしたのは、そんな陳腐な一言だった。
「これが私の運命と思って、諦めております」
何も昨日今日魔力欠乏症に罹った訳ではない。
生まれた時から、先は長くないと言われ続けてきたのだ。
人生を諦めもしようというものだ。
「アシュリー……」
そんな私に、ジェレミーお兄様まで切なげな声を漏らす。
「お二人とも、そんな顔をしないでください。辛気くさいのは、嫌いです」
「そうだな、俺も同感だ」
無理に明るく言った私の声に、快活な笑い声が重なった。









