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余命僅かな令嬢、シングルマザーとして生きていきます!  作者: 黒猫ている
2章:芽吹きの村で

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20/20

17:呼び戻された名前

……まるで、深い海の底を彷徨っているかのようだ。


私ジェレミー・ティリットは、領境の森で発生した大恐慌(スタンピード)の鎮圧に向かっていたはずだ。

それが、どうしてこんなところに居るのだろう。


思考が何も纏まらない。

このまま、黒い海の底に溶けて眠ってしまいそうだ。


それもまた良いか……とさえ思えた。

もはや自我を保つことさえ出来ずに、ゆっくりと身体が沈み込んでいく。


闇の底に、柔らかな波紋が広がる。

聞こえるはずのない“声”が、確かに私の名を呼んだ。


(ジェレミー、お兄様……)


もう、聞けるはずのない声だった。

助けられなかった少女。

あの呪われた家で、彼女はどのようにして、自ら命を絶つ決断をしたのだろう。


そんなことならば、もっと早くに──己の元に呼び寄せるべきだった。

この声は、私の後悔が具現化したものなのだろうか。


ああ、そうか。

私は──このまま死ぬのだな。

愛する女性一人も救えなかった愚か者には、似合いの末路だ。


(お兄様、どうか……)


アシュリーの声が響く。

優しい、温かな声。

ああ、最後に君の声が聞けたなら……それだけで、この死に様も悪くないと思えてしまう。


ふわりと、身体が光に包まれる。

……温かい。

このまま、彼女の元に行こう。


アシュリーに会えるのならば──死さえも、怖くはない。

そう思っていたのに……、


(お願い、生きてください──!)


祈りのような声が響いた瞬間、眩い光が裂けるように闇を貫いた。

焼ける痛みが、いつしか温かなぬくもりへと変わっていく。


深い海の底から、ゆっくりと浮上する感覚。

やがて、視界が光で溢れて──。




「ここ、は……?」


気付けば、天幕の中だった。

状況が分からず、上体を僅かに起こしたままで、呆然と周囲を見回す。


「ジェレミー様!!」


中隊長のウォーレン・メイスンが、慌ててこちらに駆け寄ってくる。

こいつがこんなに取り乱すところは、珍しい。


「私は……気を失っていたのか?」

「う……っ」


顔を上げて、ギョッとした。

厳つい大男のメイスンが涙を浮かべるところなど、早々見られるものではない。


「気を失っていたどころの話ではありません。一歩間違えれば、いや、治療が間に合わなければ、命を落とすところだったのですよ!?」

「そう、か……」


ここに来て、ようやく私は状況を理解した。

ああ、なるほど。

私は死の淵にあったのか。

そこで、アシュリーの声を聞いた。

きっと、彼女が私を生の世界へと送り返してくれたのだろう。

とはいえ、現実的には私を治療した医師に例を言うべきなのかもしれない。


そこで、ふと気が付いた。

身体のどこにも、痛みはない。

見下ろす肉体は、いつも通り。

いや、むしろいつもよりも身体が軽い気がする。


「私は……死にかけていたのではないのか?」

「は、それが……」


メイスンが、何やら口籠もる。


「そういえば、この村には凄腕の治療師が居ると聞いたな。私もその人の世話になったのだろうか」

「い、いえ、決してそのような!!」


慌てて声を上擦らせる様子は、やはりいつもとは違う。

こいつ……私に何かを隠しているのか?


「では、他の者が治療を行ったというのか?」

「それ、は……」


メイスンの視線が一瞬だけ逸れた。

……どうにも、歯切れが悪い。

こいつ、こんなにハッキリとしない男だっただろうか。


まぁ、いい。

私の治療をしたのがこの村の治癒師ではないにせよ、部下達が世話になっている以上は、一度礼をしなければと思っていたところだった。


「この大恐慌(スタンピード)が落ち着いたら、一度その治癒師の元に向かおう」

「は……」


答えるメイスンの顔は、やはりどこか浮かないものだった。



◇◆◇◆◇



魔獣の発生は収まり、後は鎮圧だけ。

村を混沌へと陥れた大恐慌(スタンピード)は、ようやく下火を迎えていた。


とはいえ、いまだ発生した魔獣が全て駆逐された訳ではない。

騎士達も、冒険者達も、日々辺境の森に向かっては魔獣の討伐にあたってくれている。


とはいえ、大量の魔獣に囲まれていた当初よりは、負傷する騎士達も減ってきた。

臨時治療師としての役割も、そろそろ終わりそうと考えていた、そんな頃だった。




「は~い」


ノックの音が響いて、扉に向かう。

また負傷者がやってきたのだろうか。

最近は重症者がめっきり減ってきたため、軽傷でも、私の元にやってくる騎士達が増えていた。


ティリット家の騎士達と交流を持つつもりはないのだけれど、私を慕って来てくれる彼等を追い返すのは、忍びない。

最近では“辺境の聖女様”なんてご大層なあだ名まで一部で囁かれている始末だ。


やめてほしいんだよなぁ。

そんな風に言われていることが万が一教会の耳にでも入ったら、大問題だ。

せっかく病を乗り越えたというのに、聖女を騙った罪で罰せられるなんて、死んでも死にきれない。


扉を開けた瞬間、春の陽光が部屋に流れ込んだ。

日の光を背負い、陰になった訪問者の姿。

じっと彼の顔を見上げれば、こちらを見つめる碧色の瞳と視線が交差した。


「あ……」


彼の視線に絡め取られ、身動きが取れなくなる。

幼い頃から、ずっと私を見守ってくれていた瞳。

懐かしい色合い。


優しい彼の眼差しが、今では驚愕に見開かれている。


「ア……シュリー……?」


震える声で、名前を呼ばれた。

ダメだ、内心の動揺を気取られてはいけない。

認めてしまえば、私は再び“アシュリー・バリントン”として生きなければならなくなる。


「あの、どちら様でしょうか?」


私の声に、ジェレミーお兄様がハッと身体を強張らせる。

……ごめんなさい。

嘘を吐くのは心苦しいけれど、私は今の生活を守らなければいけないの。


「あ……」


ジェレミーお兄様は口を開きかけたままで、呆然と私を見つめている。

今の私は目映い銀の髪を、黒く染めている。

それでも、顔立ちも、瞳の色も同じ。

従兄である彼ならば、私がアシュリーであると簡単に察することが出来るだろう。


「紹介します、こちらが当家の騎士達を治療してくれたシェリーさんです」


ジェレミーお兄様に付き添っていたのは、あの時の中隊長さんだ。

どうやらお兄様の治療が私だと知られた訳ではないらしい。

あくまで、村の治癒師に礼を述べに来たということか。


それならば……。


「御礼をされるようなことではありません。騎士団の皆様からは、既に十分過ぎるほどの謝礼をいただいております」


玄関先で、深々と頭を下げる。

向こうから名乗りはしていないが、中隊長さんが丁寧に接している時点で、傍目にもジェレミーお兄様が地位のある方だとは分かるはずだ。

そんな御方を、小汚い民家に招き入れる訳にはいかない。

こちら側の事情も、ある程度は察してくれるだろう。


「ですから、どうか──」


お引き取りを……と、言いかけた時だった。


「あら、お客様ですか?」


階段を降りてくる足音と、弾むような明るい声。

声の主が、私の背後から玄関先を覗き込む。


「あ──」


表れた侍女のナンシーに、再びジェレミーお兄様が硬直してしまった。


専属侍女のナンシーは、あのバリントン侯爵家での、数少ない味方だ。

私はいつもナンシーと一緒に居た。

そのことは、ジェレミーお兄様も良く知っている。

そんなナンシーが、私の後ろから姿を見せたのだ。


「やはり、君は──」


呟くジェレミーお兄様の声は、もはや確信に満ちていた。

その言葉の続きを、聞きたくはない。


──止まっていた歯車が、再び、軋む音を立てた。

20話となりましたので、先行公開はここで一時ストップとします。

以降の更新は、今暫くお待ちください。

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