2:運命への招待状
爽やかな初夏の風が、頬をくすぐる。
領地から遠く離れた王都。
賑やかな街の喧騒が、風に乗って侯爵邸にまで運ばれてくるみたい。
通りには花を飾った馬車が行き交い、商人たちの声が響いている。
祝祭の季節の王都は、まるで別の国のように華やかだった。
けれど、その賑わいを窓越しに眺めていると、私だけが別世界に取り残されたような気になってくる。
私達バリントン侯爵家一行は、王都の屋敷に来ていた。
この時期になると、毎年国王陛下の生誕を祝う大きな式典が開催される。
余命幾ばくもないと言われていても、侯爵家の令嬢である以上は、私の元にも招待状はやってくる。
貴族家に籍を置く以上は、外せない行事。
パーティーにさえ参加すれば、後はもう、私が王都に居る用事はない。
全てが終わったら、どこかの別荘で静かに余生を過ごそう。
それくらいは、お父様も許してくれるはず。
今の私には、それくらいしか楽しみは残されていない。
「お母様、今はどんなドレスが流行っているのかしら」
「色々見て回りましょう。パーティーで、貴女が一番綺麗に見えるように」
「もちろんです!」
窓辺に座る私の元にまで、屋敷を出た妹ローラと継母サマンサ様の声が聞こえてくる。
領都よりも、流行に聡い王都のブティックでドレスを用立てることを選んだのだろう。
買い物に出掛ける二人の声は、とても楽しげだ。
「あの、お嬢様は新しいドレスを用立てなくて良いのでしょうか……?」
専属侍女のナンシーが、おずおずと声を掛けてくる。
「私はいいわ。前に来たものを少し手直ししてもらえば、それで」
「でも、皆様新しいドレスを仕立てて来られるに決まっています。同じドレスを着ている方なんて……!」
高位貴族であれば、令嬢のドレスはステータスの一つ。
どれだけお金をかけて贅沢なドレスを仕立てるか、これはいわば貴族としての見栄のようなもの。
同じドレスを着ていったりなどしたら、ドレスを新しく買う金も惜しんでいるのかと馬鹿にされることだろう。
「レースや宝石などを付け替えて、それと分からないようにしてもらうわ」
「で、でも……」
「私に新しいドレスを用意するなんて、勿体ないもの」
これは、ここに来る途中でローラが言っていた台詞だ。
『どうせすぐ死んでしまうお姉様にドレスを買うだなんて、そんなの勿体ないじゃない』
当人は私を貶めるつもりで口にしたのだろうが、その言葉に一番納得したのは、私自身だった。
式典で恥をかいたとて、それは一時のこと。
私一人が我慢すればいい。
新しいドレスも、華やかな宝石も、私には必要ない。
私に求められているのは、ローラを引き立てる為の役割だから……。
「そんな……っっ」
なおも何か言いかけるナンシーに、笑いかける。
「それなら……ドレスにお金をかけなくても、綺麗に見えるよう、ドレスアップしてもらえるかしら」
「も、もちろんです!!」
長年我が家に仕えているナンシーは、侍女としての腕は最高だ。
彼女が私に忠誠を誓ってくれているのが、申し訳なくなるくらい。
たった一人でも、こうして私を気遣ってくれる人が居る……それだけで、心満たされる気がした。
そう、思っていたのに。
「アシュリーお嬢様に、お客様がお見えです」
「お客様?」
来客を告げられたのは、ローラとサマンサ様が出て行ってから、暫く経ってからのことだった。
自室を出て、客が待つという応接室に向かう。
「お待たせしました」
応接室の扉を開けた瞬間、やわらかな光が差し込んだ。
その光の中に立っていたのは、懐かしい姿だった。
「アシュリー!!」
「……ジェレミーお兄様?」
私にとっては母方の従兄にあたるジェレミー・ティリット侯爵令息だ。
お母様の兄──つまり伯父の息子であり、私よりも三つ年上の頼れる従兄。
私のことを嫌っていない、数少ない人物だ。
「大丈夫か、前より痩せたのではないか?」
「そんなことありませんわ。ジェレミーお兄様は心配しすぎです」
数年ぶりの再会だった。
変わらない優しい笑顔に、胸の奥がじんと熱くなる。
「しかし……っ」
ソファーから立ち上がったジェレミーお兄様が、心配そうに私の頬を撫でる。
「嫌な噂を聞いたものだから……」
「嫌な噂?」
聞き返すと、ジェレミーお兄様は俯き視線を下に向けてしまった。
その態度で、おおよそのことは察することが出来てしまう。
「それなら、事実ですわ」
「アシュリー……?」
「おそらく、来年の春は迎えられないだろうと……医師の判断です」
真実を聞いたジェレミーお兄様の顔は、一瞬で蒼白になった。
「なんて……ことだ……」
「あまりお気になさらないでください。いずれそうなると、覚悟はしておりましたから」
明るく言ったつもりだったけれど、上手く笑えていただろうか。
こちらに微笑み返すジェレミーお兄様の表情は、ぎこちないものだ。
「アシュリーは……式典には参加する予定なのか?」
「ええ、一応は」
「それなら……」
ジェレミーお兄様が、応接机に置かれた大きな木箱の蓋へと手を掛ける。
中から現れたのは、濃い青色の生地に白いレースを幾重にもあしらったドレスだった。
光の加減で青が銀に変わり、裾には小さな真珠のような飾りが縫い込まれている。
「君に、ドレスを贈らせてはくれないだろうか」
「ジェレミーお兄様……?」
こちらを見つめるジェレミーお兄様の瞳は、柔らかく笑んでいた。
慈しむような眼差し。
ケネスの私を見る目とは、まったく異なるものだ。
「私と一緒に、式典に行こう。君を、エスコートさせてほしい」
「ありがとう、ございます……」
私が昨年と同じドレスで向かおうとしていたこと。
エスコートしてくれる相手など、何も考えていなかったことなど、彼には全てお見通しだったのだろうか。
「当日、迎えに来るから」
「はい、お待ちしています」
かくして、従兄の気遣いで式典当日を迎えることになった。
私の運命を大きく変えた一日がやってくる──。









