表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
余命僅かな令嬢、シングルマザーとして生きていきます!  作者: 黒猫ている
2章:芽吹きの村で

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/20

16:治療の代償

ジェレミーお兄様が、倒れた──?

耳に届いたはずの言葉が、まるで遠い水底から響いているようだった。

世界が音を失い、私の胸の奥で、何かが軋んだ。


いつも優しい、ジェレミーお兄様。

家族に虐げられていた私を、唯一気遣ってくれていた人。

そんな彼が、負傷したと──?


「容態はどうなんだ!」


中隊長さんが、慌てた様子で伝令の騎士に声を荒らげる。


「この村の医師が現在治療にあたっていますが、いまだ意識は戻らず……」


息を呑む音。

私が上げたものか、それとも中隊長さんか。


「現在傷口の縫合中ですが、出血も多く、状況はかなり絶望的かと……」


伝令に来た騎士の声は、尻すぼみだった。

そんな中、伝令の騎士と中隊長さん、二人の視線がこちらに向けられる。


「……シェリーさん」

「はい」


ごくりと、唾を飲み込む。


「どうか、お願いします。ジェレミー様を……領主様のご子息を、どうか助けてはいただけないでしょうか」


私は死を装って、隠れ住む身。

そんな状況で従兄と顔を合わせることなど、避けなければならない。


それは分かっている。

分かっているが──その従兄が死に瀕しているとなれば、話は別だ。


こんなの……放っておける訳がない。


「一つだけ、お願いがあります」

「何なりと」


中隊長さんに向き直り、息を整える。

一歩間違えれば、今の生活が崩壊してしまうかもしれない。

その危険を冒してでも──私は、ジェレミーお兄様を助けたい。


「私が治療したということは、内密にしてはいただけないでしょうか?」

「それは……それで治療していただけるのならば、構いませんが……何故?」


中隊長さんの声は、戸惑いがちなものだった。

それはそうだろう、侯爵家の令息を助けたとなれば、相当な謝礼や報酬が期待出来る。

その権利を、自ら放棄しようと言うのだから。


「知っての通り、聖属性の使い手は稀少です」

「え、えぇ、まぁ確かに……」

「ですが、私はこの村が好きです。目立つことなく、この地で静かに暮らしていきたいのです」


じっと、中隊長さんのトパーズ色の瞳を見上げる。

彼はじっとこちらを見つめ、重々しく頷いた。


「分かりました。どうか、ジェレミー様の治療をお願いします」


中隊長さんが深々と頭を下げて、伝令の騎士もそれに倣う。

……彼等に頭を下げられるまでもない。

ジェレミーお兄様は、私にとってもあの辛い生活を支えてくれた、大事な恩人なのだ。


「案内してください」


この決断が、自らを窮地に追い込む可能性が高いことは、分かっている。

分かっていて、なお──私には、彼を見捨てることなど出来なかった。




マルコム村の、中央。

広場に敷かれた、いくつもの天幕。

その中の一つに、ジェレミーお兄様は居た。


人払いを済ませたテントの中に残っているのは、医師のエリックと中隊長さん、そして今回の総指揮官であるギル・ウィルミントン卿だけ。

ウィルミントン卿は、王国中にその名を轟かせた大将軍だ。

年老いたとはいえ、彼の名はいまだティリットの守護神として健在。

そう言われていたというのに──今私の目の前に居るウィルミントン卿は、頬が痩せこけ、憔悴しきっていた。


……仕えるべき主のご子息が、このような状況なのだ。

将軍は勿論、兵士達も気落ちするのは仕方ない。


だからこそ、ジェレミーお兄様には元気な姿を見せてもらわなくてはならない。

皆の為に。

そして、マルコム村の平穏の為に。


「失礼します」


エリックと入れ替わるようにして、横たわるジェレミーお兄様の傍に屈み込む。

彼の胸から腹にかけて、おそらく魔獣の爪牙だろうか、惨たらしい傷が遺されていた。

エリックによって傷口は縫合されたようだが、縫い合わせた箇所から滲み出る血が、今も白い手ぬぐいを赤く染め続けている。


大量の出血、戻らぬ意識。

ここに来るまでにすれ違った騎士達の表情が蒼白だったのも、致し方ないことだろう。


でも、ここには私が居る。

ジェレミーお兄様を、死なせはしない。

悲壮な空気が漂っていた天幕は、それを振り払うかのように、眩しい光に包まれた。


「……っ」


手をかざした瞬間、温かな光が掌から零れ落ちる。

それは炎ではなく、春の日差しのような光。

傷口を包み、静かに命の鼓動を呼び覚ましていく。


「ジェレミー様!!」


声を上げて駆け寄ろうとした中隊長さんを、ウィルミントン卿が制止する。

大量の出血で先ほどまで蒼白だったジェレミーお兄様の頬には、うっすらと桜色が差していた。

傷口はすっかり塞がって、赤く染まった糸が申し訳程度に傷の名残を匂わせている。


逞しい胸は、ゆっくりと上下している。

先ほどまでの苦しげな様子もなく、静かに眠っているかのようだった。


「大丈夫……なの、か?」


中隊長さんの不安げな声が響く。


「おそらく……私に出来るのは、ここまでです」


振り返り、皆に笑顔を見せる。

途端に、足元が崩れるような感覚に陥った。


「おっと」


その場に(くずお)れそうになった私を支えてくれたのは、老騎士のウィルミントン卿だ。


ウィルミントン卿とは、私が幼い頃に、一度だけお会いしたことがある。

ティリット侯爵家を訪れた際に、ご挨拶した程度のことだ。

……一度会っただけの子供のことなど、流石に覚えてはいないだろう。

そう自らに言い聞かせ、笑顔を浮かべる。


「ありがとうございます、助かりました」

「いえ、御礼を申し上げるのはこちらの方です。我が主家のご子息を治療していただき、感謝の言葉もありませぬ」


老将の声は掠れていたが、不思議と力強かった。

その瞳には、かつて幾多の戦場を見てきた者だけが宿す光があった。

将軍と呼ばれるほどの方に頭を下げられるのは、流石に恐れ多い。


「今はまだ体力が戻りきっていない状態ですが、暫くすれば、じきにお目覚めになると思います」

「そうですか……」


中隊長さんが、ホッと安堵の息を吐く。

そう、ジェレミーお兄様が目覚めるのは、時間の問題。

ここでのんびりしている訳にはいかない。


「それでは、私はこれで失礼させていただきます」


恭しく頭を下げ、天幕を後にする。


……大丈夫。

ジェレミーお兄様には気付かれていないし、後は中隊長さんが約束通りに私のことを黙っていてくれたなら、何も問題はない、はず。

そう自らに言い聞かせ、早鐘を打つ鼓動を落ち着かせる。


せっかく得た、安息の地。

穏やかな暮らし。

今の生活を、失いたくはない──。




そんな願いは、我が従兄ジェレミー・ティリット侯爵令息の訪れによって、脆くも崩れ去るのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちらで公開している短編小説「どうして私が出来損ないだとお思いで?」が、ツギクルブックス様より書籍化されることになりました!

どうして私が出来損ないだとお思いで? 販促用画像


また、現在ピッコマで掲載されている小説

【連載中】二股王太子との婚約を破棄して、子持ち貴族に嫁ぎました

【連載中】捨てられた公爵夫人は、護衛騎士になって溺愛される ~最低夫の腹いせに異国の騎士と一夜を共にした結果~

【完結済】魔族生まれの聖女様!?

こちらもどうぞよろしくお願いします!
どうして私が出来損ないだとお思いで? 表紙画像 二股王太子との婚約を破棄して、子持ち貴族に嫁ぎました 表紙画像 捨てられた公爵夫人は、護衛騎士になって溺愛される ~最低夫の腹いせに異国の騎士と一夜を共にした結果~ 表紙画像 魔族生まれの聖女様!? 表紙画像
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ