15:騎士団来訪
チェスターの言葉は、見事に的中した。
最初は、些細な異変だった。
森はざわめき、鳥たちは夜を待たずに飛び立った。
兎や鹿が怯えたように村へ駆け込み、畑を荒らす。
まるで、森そのものが“何か”から逃げているようだった。
そう、魔獣の大発生。
森の奥で渦巻いた瘴気が大量の魔獣を生み出し、それから逃れる為に動物達が里へ下りるなどの異常行動を見せていたのだ。
マルコム村付近の森で大恐慌が発生したという報せは、すぐに領都にもたらされた。
それからというもの、マルコム村は魔獣討伐の最前線基地となった。
多くの騎士達と依頼を受けた冒険者達が村を訪れ、建物が足りない為に、仮設の宿営地を用意して過ごしている。
魔物の大量発生は、いつ終わるのか。
そもそも、無事に魔物を討伐しきれるのか。
村の平和が、この数日で一気に塗り替えられてしまった。
「おかあさん、まじゅうってそんなに強いの?」
こちらを見上げる幼いルーカスの瞳には、恐怖よりも好奇心が滲んでいた。
「魔獣の強さは、それぞれよ。人間にも強い人と弱い人、様々な人が居るでしょう?」
「うん」
「弱い個体も居るけれど、だからといって油断していたら、強い個体と出会うかもしれない。魔獣の強さは、一概に言えるものではないの」
果たして、五歳の子供にどれだけ通じるだろうか。
そう思いながらも、言葉を続けずには居られない。
「だから、決して魔獣を侮ってはダメよ。今は、絶対に森には近付かないで。お母さんと約束してちょうだい」
「わかった!」
好奇心は旺盛だが、ルーカスは母思いの良い子だ。
ルーカスはルーカスなりに、父の居ない我が家で、私を守ろうとしてくれているのだろう。
「騎士の皆様が魔獣を退治してくれたら、また森で遊べるようになるからね。それまでは、村の中で我慢しましょう」
素直に頷くルーカスを、ぎゅっと抱きしめる。
こんな異常事態は、今だけだ。
大恐慌が収まれば、騎士達は領都に戻って、村はまた元の平穏を取り戻す。
その間だけ、我慢すればいい。
そう、必死に自分に言い聞かせていた。
騎士達が村に滞在するようになってからというもの、私は極力家から出ずに、室内で静かに過ごすようにしていた。
ここティリット領の騎士達は、すなわち我が伯父であるカルヴィン・ティリット侯爵に仕える騎士達だ。
流石に顔見知りの騎士は居ないとは思うが、どうも居心地が悪く、落ち着かない。
今の私は、アシュリー・バリントンであった頃とは、大きく違っている。
魔力欠乏症は完治して、すっかり健康な身体を取り戻した。
バリントン家特有の銀の髪は黒く染めて、どこにでも居る夫を亡くした未亡人となっている。
大丈夫、バレはしない。
そう自分に言い聞かせて、二階の窓から小さな村を行き来する騎士達の姿を眺めていた。
──次の瞬間、心臓が凍り付いた。
鼓動が遠のいただけではない、それまで聞こえていた雑音、風の音さえも聞こえなくなっていた。
静まり返った、無音の世界。
その中で、彼の姿だけがやけに大きく目に映る。
──ジェレミー・ティリット侯爵令息。
騎士に囲まれた中に、我が従兄の姿があった。
彼が、この村に来ている。
先ほどは止まっていたかのような心臓の鼓動が、今度はうるさく鳴り響く。
大丈夫、直接顔を合わせるような機会は、早々ない。
向こうは侯爵家の令息。
領主様のご子息で、私達平民にとっては、雲の上の御方だ。
下手に村の中をほっつき歩いたりしなければ、偶然顔を合わせることもないだろう。
そう思っていたというのに。
「貴女がシェリーさんですか?」
「はい……」
ノックの音がして扉を開けたら、そこには長身の騎士達が立っていた。
彼等は礼儀正しく一礼して、平民の私にも丁寧に名乗りを上げてくれる。
「我々はティリット侯爵家の騎士です」
「は、はい……魔獣討伐の為に来てくださったんですよね、ありがとうございます」
逸る気持ちを抑え、ゆっくりと息を整える。
大丈夫、彼等はアシュリー・バリントンを訪ねてきた訳ではない。
あくまでこの村に住む“シェリー”に会いに来たのだ。
「それで……どのようなご用件でしょうか」
努めて平静を装い、笑顔を浮かべる。
騎士達は一瞬目を見開いた後、すぐさま口を開いた。
「貴女の噂を村で聞いて、お願いに参ったのです」
「私の噂?」
「ええ、なんでも素晴らしい力をお持ちだとか」
ぎゅっと、心臓が鷲掴みにされた気分だった。
そうだ、シェリーとしてこのマルコム村で暮らす中で、私は特に自分の力を隠したりはしていなかった。
私が聖属性であること、人を治癒する魔力を持つことは、私と親しい村人ならば知っている。
それが、ティリット家の騎士達の耳に入ってしまった。
「どうか、我等に力を貸してはいただけないでしょうか」
「それは……」
こちらを見つめる騎士達の瞳は、真剣そのものだ。
それはそうだろう、彼等にとっては命が掛かっている。
負傷した騎士達を癒やせる聖属性の使い手が居るならば、迷うことなく声を掛けるだろう。
魔力欠乏症に罹りやすい聖属性の使い手は、とても稀少なのだ。
ましてや実際に魔法を発動して、他者を癒やせるほどの力を持つ者は、大半が神殿や治療院に所属することになる。
私のように、田舎の村で普通に暮らしているなんてのは、きっと稀なのだろう。
「勿論、謝礼は支払います。どうか傷付いた騎士達の為に、力を貸してはいただけないでしょうか」
“癒しの力”を持つことが、こんな形で再び自分を縛るとは思わなかった。
私の前に立つ騎士達は、どこまでも誠実だ。
彼等は大恐慌という過酷な状況の中で魔獣討伐を担い、日々生命の危険に晒されている。
その危険から少しでも身を守る為に、治癒魔法の使い手が居ると聞いて、こうして訪ねてきてくれたのだ。
決して、上から目線で命令されている訳ではない。
私のことを尊重し、あくまで“お願い”という形で話を進めてくれている。
こんな時だというのに、伯父が取り仕切るティリット騎士団の教育がしっかり行き届いていることに、嬉しくなってしまう。
「協力することにはやぶさかではありませんが、我が家には幼い子供も居ます」
こんな風に頼まれて、無下に断ることも出来ない。
無理に拒んでしまえば、その態度に不審を持たれるかもしれない。
「ですので、怪我した方をこちらに連れてきていただけたなら……私に出来る範囲で、治療をさせていただきます」
「それだけでも、助かります!!」
従兄のジェレミーとの遭遇は絶対に避けること。
それを考えたら、この家から出て村を歩くのは危険だ。
でも、怪我をした騎士達を治療するくらいなら……ジェレミーお兄様に見付からない範囲で、少し協力するくらいなら、私にも出来るのではないだろうか。
大丈夫、ここに居るのは銀の髪を持つバリントン家の令嬢ではない。
黒い髪をした、平民の母子。
「あまり大勢は治療出来ないので、その点はご理解ください」
「ええ、勿論。無理強いをするつもりはありません」
良かった。
これで大勢の騎士達が家に押しかけてくることもなく、陰ながらジェレミーお兄様の力になれる。
そう思って、臨時で治療師の真似事のようなことを始めることになった。
私が魔法で治療するのは、一日に三人まで。
代わりに、医師のエリックが騎士達の詰所で大勢の治療行為にあたってくれている。
私の元にやってくるのは、皆傷付いた騎士達。
こちらの素性を探るようなこともしない、私とナンシー、幼いエリックに乱暴を働くようなこともない。
怪我が治った後は、皆笑顔を浮かべて詰所に戻っていく。
魔獣の討伐は、順調に進んでいると聞く。
このままだと、じきに元の平和な暮らしに戻るのでは……なんて、甘い考えを抱いていた頃だった。
その日もまた、傷付いた騎士の治療を行っていた。
今日の患者さんは、騎士団の中隊長さんらしい。
顔に傷を持つ強面の騎士様だけれど、態度は凄く紳士的だ。
「シェリーさんには、いつも部下がお世話になっています」
「いえ、皆さん親切な方ばかりで助かります」
最近では治療を終えた騎士の皆さんが、何かと差し入れを持ってきてくれるようになった。
討伐した魔獣の肉だったり、毛皮だったり、装飾品に使える爪や牙だったり。
報酬目当てで治療している訳ではないので、こちらが申し訳なくなってしまう。
「まったく、あいつらにはちゃんと注意しておきます」
私の言葉とは裏腹に、中隊長さんの口からは、ため息が零れた。
やれやれと言わんばかりの態度に、思わず首を傾げてしまう。
そんな中、外から慌ただしい足音が聞こえてくた。
「──大変です!!」
どうやら伝令らしい騎士が、中隊長さんの居る部屋へと駆け込んでくる。
「落ち着け、シェリーさんの前だぞ!」
「それどころじゃないんです!!」
民間人である私の協力を仰いでいることは、騎士団の皆が知っている。
私達を気遣う余裕がないほどに、一大事ということなのだろうか。
席を外すべきか躊躇しているところに、次の言葉が発せられた。
外のざわめきが、一瞬遠のいた気がした。
息を呑む間もなく、伝令の声が響く。
「小侯爵様が──ジェレミー様が、討伐中に負傷してお倒れになったと!!」









