14:森がざわめく夜
子供の成長は早いというが、最初の頃は日々の世話をするだけで毎日が手一杯だった。
頻繁な授乳、おしめの交換、夜泣き、ぐずり……ナンシーだけではない、エリックの手まで借りて、三人での子育て体制。
時には、隣家のクレアさんやチェスターも手伝いに来てくれた。
そのおかげか、我が子ルーカスはみるみるうちに大きくなっていった。
今では目立つ銀の髪を私と同じように黒髪に染めて、すっかりマルコム村の生活に馴染んでいる。
「おかあさん!」
片田舎の、小さな村。
青々と茂る大地を走る我が子──ルーカスは、五歳になった。
「ルーカス、どこに行っていたの?」
「チェスターおじさんといっしょに、森にいってきたんだ! おじさんが狩りをするところを、見せてもらったんだよ」
「邪魔はしていない?」
「だいじょうぶ!!」
笑顔を浮かべるルーカスは、男の子なだけあって、元気いっぱい。
少々やんちゃ過ぎるのが、玉に瑕。
子供は元気な方が良いのだろうけど、好奇心が強すぎて、目を離したらどこかに行ってしまいそう。
子供が生まれることも少ない村だ、ルーカスのことは村の皆が可愛がってくれている。
その分すっかり甘やかされてしまって、村のあちこちを我が物顔で走り回ったり、時には森にまで行こうとするから困ったものだ。
「はい、おかあさん、これおみやげ」
「え……?」
差し出された、小さな手。
そこに握られていたのは、森に咲く野の花だ。
「採ってきてくれたの?」
「うん!」
……我が子は、元気なだけではない。
心優しい子に育っている。
「ありがとう、ルーカス」
「へへ」
身を屈めて、ぎゅっとルーカスを抱きしめたら、嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた。
本当に可愛い、愛おしい我が子。
この子が無事に成長してくれたことが、何よりも嬉しい。
「家に入って、手を洗ってしまいなさい。今日はナンシーがクッキーを焼いてくれていたはずよ」
「はーい」
パタパタと駆けていく姿に、自然と表情が綻ぶ。
バリントン家のような裕福な暮らしはさせてあげられないけれど、その分、ここには自由がある。
そして、心優し人達に囲まれている。
家を出たことに、後悔はない。
私達は、小さな村での生活を満喫していた。
「花が少し萎れてしまったわね……」
ルーカスから貰った花を活けようとして、茎が少し萎れていることに気が付いた。
きっと、ルーカスが握りしめていたせいだろう。
花が元気ないと気付けば、きっとしょんぼりしてしまうに違いない。
小さな花瓶に花を活けた後、そっと目を閉じ、掌で包み込んだ。
一瞬、小さな光が溢れる。
光が収まった時には、もう花は野に生えていた頃の活力を取り戻していた。
「これでよし、と」
生まれてからずっと私を悩ませていた、魔力欠乏症。
その症状は、妊娠を境に消えた。
出産を終えた後も、再び症状が現れることなく、今に至る。
むしろ妊娠を経験したことで、魔力量が増えたようだ。
魔力欠乏症に罹っていた頃は、怖くて魔法なんて使う気になれなかったけれど、今では簡単な魔法ならば苦も無く使うことが出来る。
私が生まれもった属性は、癒やしと浄化を司る聖属性。
どちらも体外に放出する力だけに、聖属性を持つ人は、魔力欠乏症に罹りやすい。
魔法を使う力が弱ければ、体外に放出する魔力も少なくて済む。
強い力を持てば持つほど、自らの命を蝕んでしまう。
他者を癒やす聖属性は、己の命を削る魔法でもあるのだ。
聖魔法の使い手が他属性よりも魔法を使う力が弱いのには、そんな理由があった。
だと言うのに──。
「……どうしてこうなってしまったのかしら」
花瓶に飾られた花を前に、苦笑が零れる。
瑞々しい花びらと、ピンと張った緑の葉。
花瓶に活けた野の花は、大地に根付いているかのように元気に咲き誇っている。
どうやら出産を終えた後の私は、魔力が増大してしまったようなのだ。
ルーカスは妊娠中に私の命を繋ぎ止めただけでなく、私の体質そのものをすっかり変化させてくれたらしい。
どれほどの魔力に恵まれたなら、そんなことが出来るのだろう。
ルーカスは、まだ五歳。
魔力や属性の判定を行うには、幼すぎる。
しかし、あの子が並々ならぬ魔力を所持しているだろうことは、半ば確信していた。
「本当に、誰の子なんだか……」
ルーカスは髪の色も瞳の色も、私と同じだ。
色だけで、父親が誰か判断することは出来ない。
目を閉じて、父親候補と思われる男達の顔ぶれを思い浮かべる。
美味しいお酒をご馳走してくれた、トリスタン・ファインズ王太子殿下。
一緒に飲み明かしたクライヴ・リスター公爵。
私を送り届けてくれた、ルーサー・ファインズ王弟殿下。
私のエスコート役でもあり、王弟殿下と共に私を送ってくれた従兄のジェレミー・ティリット侯爵令息。
……彼等四人の子供ならば、誰の子供であっても、それだけの魔力を保持していてもおかしくはないのかもしれない。
ああ、あの日の記憶さえあれば……それはそれで、罪悪感に苛まれてしまいそうだけれど。
まぁ、いいわ。
父親は誰か分からないけれど、ルーカスは元気に成長している。
エリックとチェスターが父親代わりになって、あの子に色々と教えてくれている。
貴族としての裕福な暮らしではなくとも、人としての幸せが、この村にはある──そう実感していた。
コンコンと扉が鳴り、その向こうから隣人のチェスターが顔を出す。
「これ、持ってきたんだ」
「まぁ、今日は狩りに行っていたんでしょう。お裾分けかしら」
チェスターの手には、血抜きされた立派な雉が握られていた。
冒険者であるチェスターは、優秀な狩人でもある。
時折森で狩った獲物を、こうして我が家にも差し入れてくれるのだ。
「いや、これはルーカスが仕留めたものだ」
「え……?」
告げられた言葉は、私の予想を裏切るものだった。
「仕留めた……って、あの子が?」
「ああ、前からせがまれて、度々弓の使い方を教えていたんだがな。すっかりマスターしたみたいだ」
なんてことだろう。
あの子は、まだ五歳だ。
翼を持ち自由に羽ばたく鳥は、凄腕の狩人でも仕留めるのが大変と言われているのに……それを、幼いルーカスがやったというの?
「あの子は、何においても飲み込みが早い。先が楽しみだ」
「何においてもって……まさか、変なことは教えてないでしょうね?」
むすっとしてチェスターを見上げたなら、顔を逸らされてしまった。
これは、弓以外にも何か教えているわね?
村の人達がルーカスを可愛がってくれるのは、素直に嬉しい。
でも、あの子の行動の責任を取れるのは、母親である私だけだ。
「まったく、もうっ」
チェスターのことだ、悪いようにはしないと信じてはいるけれど……親としては、つい心配になってしまう。
私のふて腐れたような顔を見て、チェスターは目を細めて笑っていた。
ルーカスが仕留めた雉を使って、その日の夕食は豪勢に振る舞われた。
ナンシーが肉を捌き、雉のソテーを作ってくれた。
私も料理を手伝って、温かなシチューも並んだ。
……と言っても、食材の下ごしらえなんかは、全部ナンシーがしてくれたんだけど。
ルーカス曰く、自分も手伝った! とのこと。
もっとも、彼の言う「手伝った」は、味見役のことを指しているみたい。
とはいえ、メインである雉を仕留めたのはルーカスなのだから、たいしたものだ。
私とルーカス、ナンシーとエリックだけではない。
隣家のチェスターとクレアさん、ブルーノさんも招待して、ささやかな食事会が催された。
優しい人達に囲まれた、楽しい一時。
平和で満ち足りた日常が、これからも続くものだと思っていた。
異変は、食後に隣人の口から告げられた。
「妙な兆候……?」
「ああ、暫くは森に立ち入らない方が良いかもしれない」
いつもは穏やかなチェスターの、久しぶりに見る険しい顔つきだった。
外から聞こえる木々のざわめく音が、今夜はやけに不気味に感じられた──。









