11:小さな村の、あたたかな日々
私の到着に遅れること二十日、諸々の後始末を終えた医師のエリックがマルコム村に到着した。
彼もこの村で生きる覚悟を決めて来てくれたらしく、こぢんまりとした旅装を抱えてやってきた。
「良いのかしら、トゥイガー先生にも何も言わずに来てしまったのでしょう?」
「知る人が多くなれば、そこから話が漏れる可能性が増えますからね」
トゥイガー先生はバリントン侯爵家のお抱え医師で、エリックに医術の手ほどきをしてくれたお医者様だ。
エリックにとっては師と呼べる相手。
そんな相手にまで真実を告げぬままこんな田舎に来るだなんて、申し訳なさが募る。
「なぁに、医者というのは田舎ほど喜ばれるものですからね」
マルコム村には、医師がいない。
以前は薬師が住んでいたが、その薬師が亡くなってからというもの、病人や怪我人が出た時は、隣の村まで運んでいたらしい。
そんな小さな村だから、エリックの到着は村人総出で歓迎されたものだ。
今では怪我人や具合の悪い人が居れば、往診に向かってくれている。
「お産は命に関わるからねぇ。お医者様が来てくれて、安心したよ」
そう言って笑うのは、パン屋の女将クレアさんだ。
私達は、すっかりクレアさんとブルーノさんが焼くパンの虜になってしまった。
今もこうして、三人でパンを買いに来ている。
最初は「お産のことなら経験者に任せておきな!!」と胸を張っていたクレアさんだが、そう言いはしても、実際には不安だったのだろう。
医師のエリックが来てくれたことで、ふっくらとした顔には目に見えて安堵の表情が広がっていた。
「最初はシェリーさんのいい人が来たかと思ったんだけどねぇ」
「そんな訳ないじゃないですか」
クレアさんの冗談に、こちらも声を上げて笑う。
エリックは見目の整った若い男性で、しかも医者だ。
彼が村に来た途端に、村の女性達の注目を一身に集めているんだとか。
私のせいで、面倒事に巻き込んでしまったからね。
エリックには、今からでも自分の幸せを大事にしてほしいと願っている。
とはいえ、どうやら彼にはいまだそんなつもりはないらしく、度々家に投げ込まれる恋文を読んでは、苦笑を浮かべている。
ナンシーも一人で村を歩けば、すぐに村の若い男性達から声を掛けられるらしい。
私はと言えば、たまに挨拶はされるものの、せいぜいそれくらいだ。
どうやら村の新参者三人のうち、私だけが異性人気が無いらしい。
まぁ、それも当然かもしれない。
いまだ平民の暮らしに慣れない私は、すぐにズレたことを言ってしまって、いつも冒険者をしているお隣のチェスターさんに助けてもらってばかりだ。
ナンシーなどは「いつもチェスターさんが目を光らせているから、誰もお嬢様に声を掛けられないんですよ!!」と言うが、流石に大袈裟過ぎるだろう。
彼がちょくちょく様子を見に来てくれるのは、妊婦の私を心配してくれてのことだろうし。
そういえば、チェスターさんとエリックは、どうも反りが合わないようだ。
チェスターさんはエリックのことを怖い目で睨み付けているし、エリックはと言えば、チェスターさんから目を逸らしてばかりいる。
とはいえ、なんだかんだ一緒に居ることも多いから、それほど心配する必要は無いのかもしれない。
今もパン屋で買い物をした後、少し村を散歩したいという私に、ナンシーとエリックとチェスターさんの三人が付いてきてくれている。
村の広場では、子供達が木の実を拾い、年寄り達が縫い物をしていた。
薪を背負う男達の笑い声が、夕暮れの風に混ざって聞こえてくる。
王都では決して見られなかった穏やかな光景に、胸の奥がじんわりと温まった。
「ねぇチェスターさん、この村の冬支度はどのような感じなの?」
「今の時期は、森に入って皆で薪を集めている。各家でも備蓄はしているが、広場にある集会場で村全員が冬を越せるくらいの薪は確保しているはずだ」
少しずつお腹が大きくなるにつれて、気温は下がっていた。
エリックの話では、出産時期は春から初夏になるだろうとのこと。
「私達も、冬が来る前に薪を調達するべきかしらね」
侍女のナンシーは勿論のこと、医師のエリックも、力仕事にはとんと向いていない。
身重でさえなければ、私がやるのに……なんて考えていると、
「俺が届けよう」
チェスターさんが申し出てくれた。
とても有難い……けれど、好意に甘えるにしては、かなりの重労働だ。
「でしたら、報酬を支払わせてください」
「そんなもの……」
私の申し出に、チェスターさんが戸惑った表情を浮かべる。
「……それなら、俺が森で作業をしている間、弁当を届けてもらえないか?」
「お弁当?」
チェスターさんが提示してきたのは、破格の条件だった。
そんなの、報酬とは別に用意したって良いくらいなのに。
「そんなの、御礼になりません」
「まぁまぁ、良いじゃないですか、お嬢様」
ムッと声を上げる私に、ナンシーがニコニコ笑顔を向ける。
「こういうのは、甘えちゃえばいいんですよ」
「そう……なのかしら」
ナンシーの言葉に、チェスターさんは無言のままで頷いている。
国境付近には、未開発の森林が広がっている。
ここマルコム村も、村外れに向かえば、そこはもう巨大な森の入り口だ。
森には野生の動物だけでなく、凶暴な魔獣も出るのだから、森での作業には危険を伴う。
冒険者であるチェスターさんは荒事には慣れているだろうけど、危険な作業を無報酬でやらせるのは、流石に気が咎めるのよね。
どれだけ謝礼の話を持ちかけても、
「俺がそうしたいと思ったから、やっているだけだ」
なんて、取り合ってはくれない。
お隣さんだからって甘え過ぎるのも申し訳ないのだけれど、どうしたものかしらね?









