1:はじまりは、終わりの宣告とともに
「おそらく、今年の冬を越すことは出来ないでしょう……」
「そう」
主治医から突きつけられた、余命宣告。
今更動揺することもない。
来年の春を迎えれば、二十歳。
これまでよく保った方だと思う。
私が成人まで生きられないであろうことは、生後間もない頃から分かっていたのだから──。
──魔力欠乏症。
私が生まれ持った病。
この世界に生まれた者は、皆魔力を保持している。
魔力とは、すなわち生命力。
この世界の源であり、生命が活動するのに必要な力。
私には、その魔力が足りない。
体内で生産される魔力よりも、放出される魔力の方が多い──それが、魔力欠乏症の特徴だ。
やがて枯渇し、消えゆく命。
むしろ、よくぞ十九歳まで生き長らえたものだ。
お母様は、私が生まれたと同時に命を落とした。
愛した妻が唯一残した娘が、余命幾ばくもないと分かった時──お父様は嘆き、慟哭した。
それでも、由緒正しいバリントン侯爵家の当主であったお父様は、家門の為に血を残すことを優先した。
後妻を迎え入れ、新たな子供を儲けたのだ。
次代の侯爵家は、妹のローラが継ぐと決定していた。
「聞きました? アシュリーお嬢様の件」
「ええ、もう長くはないんですって?」
部屋を一歩出れば、侍女達が囁き交わす声が聞こえてくる。
「“今年の冬は越えられないだろう”ですって!」
「まぁ、ではいよいよ……」
どの屋敷でも、侍女達はお喋り好きだ。
それは、令嬢である私が居るところでも変わらない。
「やっと、あの邪魔なアシュリーお嬢様が居なくなるのね!」
使用人達の大半は、跡継ぎであるローラの味方だ。
私の居場所など、この家にはない。
「貴女達、なんてことを言うの!!」
「きゃっ」
侍女達の話を聞いていたらしい、別の侍女が血相を変えて駆けてくる。
「それでも、バリントン家に仕える侍女なの? 恥を知りなさい!!」
乳母の娘であり、幼い頃から姉のように私を支えてくれた唯一の人物──専属侍女のナンシーだ。
針の筵のようなこの侯爵邸において、ナンシーだけが常に私の味方をしてくれていた。
「何よ、本当のことを言っただけでしょう!?」
「アシュリーお嬢様を庇うのなんて、貴女くらいよ、ナンシー」
「良い子ぶっちゃって……」
侍女達の心無い言葉に、ナンシーが肩を震わせる。
侯爵邸で働く侍女同士が、一触即発の空気だ。
ため息を吐いて、その間に割って入る。
「いいのよ、ナンシー」
「しかし、お嬢様!!」
なおも侍女達に何か言おうとするナンシーに、ゆるりと頭を振る。
「構わないわ。いつものことだもの」
「お嬢様……」
そう。これがバリントン侯爵家での日常。
私の毎日だ。
今更注意したところで、きりがない。
そう自分に言い聞かせて、軋む心に蓋をする。
こんなことで心揺れ動かされるようでは、とてもこの屋敷では生きていられない。
大半の使用人達にとって、仕えるべき次代の主は妹のローラなのだ。
私に味方したところで、得などない。
むしろ、私を嫌うローラの反感を買うだけだ。
腹違いの妹ローラも。
継母のサマンサ様も。
その連れ子である義兄のケネスも。
皆前妻の子であり魔力欠乏症に罹っている私を、疎んでいた。
唯一血の繋がった父ヘンリーは、前妻を失ったあの日からずっと、私を居ない者として扱っている。
この屋敷に居る味方は、ナンシーと主治医のトゥイガー先生だけ。
食堂に辿り着いた頃には、既に妹ローラと義兄ケネス、そして継母のサマンサは食事を終えて、食後の紅茶を楽しんでいた。
「あら、お姉様。もう間もなく息絶えてしまう身でも、食欲はおありなのですね」
ローラが笑顔で声を掛けてくる。
とは言っても、その内容は最悪だ。
私が余命宣告を受けたことが、そんなにも嬉しいのだろうか。
半分は同じ血が流れる姉妹とはいえ、私とローラは全く似ていない。
ローラは継母譲りの栗色の髪とエメラルド色の瞳を持つ。
バリントン家代々の銀髪と深い夜色の瞳は、妹には受け継がれなかった。
小柄で華奢な体格も、私やお父様とはまったく違う。
長身で細身、そして目映く輝く銀色の髪──それが代々のバリントン家当主の容貌だ。
後継者でありながら栗色の髪を持って生まれたローラは、幼い頃から私を憎んでいた。
何を羨むことがあるのだろう。
私が持っているのは、この銀の髪と深い夜色の瞳だけ。
それ以外、この手には何一つとして残されていないというのに。
既に食事は全て下げられていた。
私が座る席には──何も置かれていない。
「少々遅くなってしまったようですね。今日はこのまま、部屋に戻ります」
それだけ告げて、一礼する。
纏わり付くような視線は、きっとケネスのものだろう……が、今は相手をする気にもなれない。
視線から逃れるように背を向けて、食堂を後にする。
背後から、ローラの楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「このままだと冬を待たずに、ぽっくり逝ってしまうんじゃないかしら。それならそれで、有難いけどぉ」
私が居なくなる日が、待ち遠しくて仕方が無い……そんな感じね。
妹と継母の楽しげな声を背に、廊下を歩く──そんな私の背後で、再び扉が開く音がした。
「待てよ、アシュリー」
声を掛けてきたのは、義兄のケネスだ。
ローラと同じ緑色の瞳で、じっとこちらを見つめている。
「なに?」
「なに、じゃなくてさ……」
ケネスは何やらもじもじとしている。
言い辛いことでもあるのだろうか。
「病気の件、聞いたよ」
「……そう」
私が魔力欠乏症に罹ったのは、昨日今日の話ではない。
幼い頃から、長く生きることは出来ないと言われていたというのに、今更何を……という思いが否めない。
「これから先、長くないと言うのなら、さ」
しどろもどろなケネスを、じっと見つめる。
視線が交わると、緑色の瞳がぷいと逸らされた。
「俺と一緒に、離れで暮らさないか……?」
「………………は?」
ケネスの唇から零れたのは、予想外の言葉だった。
「どうせここに居たって、お前だって肩身が狭いだろう。離れで俺と一緒に居る分には、誰にも邪魔はさせない」
「それは……私に、妾になれということ?」
ケネスが時折好色な視線を向けていることには、気付いていた。
とはいえ、今の私は血は繋がっていないとはいえ妹であり、侯爵の血を引く令嬢だというのに……本気で言っているの?
「形式的にはそうなるが、だってどうせすぐに死ぬのに、籍を入れる訳にもいかないし……その分、可愛がってやるからさぁ」
ゾクリと、背筋が震えた。
この男に良いようにされて余生を終えるだなんて、冗談じゃない。
継母の連れ子だったケネスは、ローラが物心つく前から、率先して私を虐めていた。
ローラがあんな風になったのは、この男の影響だと言える。
思春期に差し掛かった頃からは、私を異性として意識するようになったらしく、乱暴な行為は減っていったが……だからといって、幼い頃に何度も髪を掴まれて引き摺られたことを忘れられるはずもない。
「悪いけど、最後の時は一人で静かに過ごしたいと思っているの」
それだけ言い残し、ケネスに背を向ける。
「待てよ、アシュリー」
背後から、どことなく焦った声が掛けられる。
でも、ここで振り向く気にはなれない。
「ごめんなさい」
謝罪ではない。
明確な拒否として言葉を紡ぎ、そのまま歩き出す。
残り少ない人生、せめて、嫌いな人からは距離を取りたい。
最後の時くらい嘲られることなく、人として死にたい。
死を目前にして、ようやく私に叶えたい“願い”が出来た。
ああ、そうだ。
この家を出よう。
死を待つだけの鳥籠の中で、羽ばたきもせず朽ちていくなんて、まっぴらだ。
療養の為にどこかの別荘で過ごしたいとお願いすれば、なんとか聞き入れてはもらえるだろう。
そこでナンシーと二人、静かに過ごしたい。
死を迎えるその時くらいは、心安らかで居たい。
芽生えた小さな願いが、私の心に火を灯す。
最期の時を目前にして、ようやく歩き出した気分だ。
そんな私の人生が、大きく変化することになるなんて──この時は、予想すらしていなかった。









