07:// 星空を駆ける橋
魔女と夢が出会うとき、世界の針は動き始める。
星と星とを、現在と未来とを繋ぐように。
<1>
昨日の夕食のときも薬が出た。今日の朝食のときも薬が出た。もしかしたら今後一生この薬を飲み続けるのかもしれない。そう思うと食欲がなくなってきた。
「レイ、どうかしたの?」
「……なんでもない。」
いっそすべてを受け入れてしまえば、魔女ということにしてユウナに殺されてしまえば……そんな考えが頭をよぎって、レイはそれを振り払うように腕と頭を振った。
(私は絶対に故郷に帰るんだ。それまでは何としても生き延びるんだ。)
レイは自分にそう言い聞かせ、よくわからない薬を飲み干した。食事も、薬も、どれも味がなかった。
<2>
レイは今日もリッカ先生の診察室にやって来ていた。先生は相変わらず穏やかな口調だったが、その目は何かを見極めようとするものだった。やっぱりこの人も自分のことを魔女だと疑っているんだと思うと無性に腹が立って、真面目に答える気はすっかり失せてしまった。
「レイくん、お薬を飲み始めてから何日か経つけど、何か変わったところはある?」
「……あれを飲み始めてからよくここに来るようになった気がしますね。」
「そう。あれを飲んでから何か心の変化はあった?」
先生はレイの皮肉を無視して質問を続けた。
「自分でもよくわかりませんが、特にないと思います。」
「そう。落ち着いてきているんならそれでいいんだけどね。」
レイはここ数日先生や母親の様子を見て、魔女とは何かについて考えていた。薬が出ているということは何か病気のようなものなのだろうか。
<3>
昼下がりの柔らかい光がカーテン越しに差し込む中、レイは机に向かって、授業の代わりにと渡されたプリントをめくっていた。
(……暇だな……)
あまりの退屈さに、ついペンを走らせる手が止まっていると、ベランダからコンコンという音が聞こえた。レイはまたユウナが銃を片手に襲いに来たのかと思って、今持っていたペンを構えながら振り向いたが、そこにいたのは月詠だった。
「……え?」
「あ、け、て」
なんで二階のベランダに、それも授業中のはずのこの時間にいるのかとも思ったが、ちょうど退屈していたから都合がいい。レイは月詠を部屋の中に招き入れた。月詠は勝手にレイのベッドの上に座ると、鞄からプリントの束を取り出した。
「はいお届け物。」
「……プリント? っていうかなんでお前がここに……?」
「秘密。でももう分かるよ。」
月詠にしては珍しく笑顔だった。月詠は自分の役目は終わったとばかりにベランダに向かう。
「待て待て。まさかこれ渡しに来ただけって……」
「夜になったらまた会おうね。」
月詠はそのままベランダから飛び降りた。レイが下をのぞいた時には、もう月詠の姿は見えなくなっていた。
<4>
部屋には再び静けさが戻っていた。机の上に置かれたプリントの束、その端を綴じている金属の輪っかを取り外そうとして、レイはあることに気づいた。
「なんだこれ。どうやって外せばいいんだ……」
輪っかには継ぎ目のようなものはなかった。レイはしばらくこれの外し方を考えてみたが、全く思いつかなかったので仕方なくハサミで端を切り取ることにした。カラン、と音がして机に輪っかが落ちる。紙をはさんでいない状態で見ると、どこか指輪のようにも見えた。
その夜、レイが入浴を済ませて部屋に戻ると、月詠から渡された指輪が淡く光っていた。最初は照明の反射かとも思ったが、寝る前に明かりを消した後も部屋が微かに明るかったから間違いない。レイはほんの興味本位で指輪を手に取って、ほとんど無意識に左薬指にはめた。
(……いやいや何やってるんだ)
レイは我に返って指輪を外して引き出しの中にしまい、ベッドに横たわるとすぐに眠りについた。レイの左薬指にはしっかりと指輪がはまっていた。
<5>
レイが指輪をはめて寝ている間、ユウナはペンを握って学園の課題をこなしていた。目に入るのはどれも数年前に習った問題ばかりなのに、すらすらとは解けない自分が心底嫌いになってきた。
「……なんで私がこんなこと……」
教会の命令である以上、学園生活はきっちり送るし、対策係の監視もちゃんとこなしている。ただ、心のどこかで少しずつ、自分は信用されていないのではという疑念がわきあがっていた。
「……早くあいつを片付けないと……」
ユウナは決めた。次にレイを見かけたら問答無用で断罪して、すぐにこの学園から出ようと。
<6>
身体を支える床が、緩やかに揺れていた。レイがゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは古い列車のような、見たこともない景色だった。天井には星座のレリーフ、床や壁には木目が描かれていて、シートもどこか硬く重厚な雰囲気だった。
レイが窓の外を見ると、そこに広がっていたのは宇宙だった。無数の星たちが列車の窓を流れていく。列車は夜空の下ではなく、星空の中を走っていた。
「……夢、だよな?」
「起きたみたいだね、魔女さん。」
声が聞こえたほうを向くと、前の車両の扉から月詠が現れた。いつもと同じ、ボブカットの黒髪に緑色の瞳。ただし、着ていたのはいつもと同じ制服ではなかった。白と赤を基調とした巫女のような衣装で、太陽のような紋様が描かれた鱗を繋ぎ合わせたような飾りを腰に巻いていた。まさか月詠は普段こんな暑苦しそうな格好で寝ているのだろうか。
「えっと、月詠……なのか?」
「そうだよ、私はツクヨミ。ちゃんと指輪はつけてくれたみたいだね。」
ツクヨミは歩み寄りながらレイの左手を見て満足そうに言った。
「ここは夢の中ってことでいいんだよな?」
「まあ半分はね。まずは運転士に挨拶しに行かない? 話はそれからにしよう。」
ツクヨミはそう言って前の車両のほうへ向かった。レイは夢の中なら何が起きてもいいかと思いながらそのあとを付いていったが、もう半分は何なんだろうとも思った。
<7>
連結部を抜けて先頭車両へ行くと、ふわふわと浮かんでいる少女が何やら計器を叩いていた。夢の中だから当然かもしれないが、ここへ来るまでの連結部で息ができなくなるなんてことはなかった。
「聞いて驚け! アタシはセカイ、この天之方舟の運転士よ!」
少女は振り返ってこちらを向くと、妙にテンションの高い声で言った。運転士を名乗ってはいるが、ドレスのようなものを着ているせいかとてもそうは見えない。おまけにそのテンションが出会った頃のユウナを彷彿とさせたせいで、レイはいまひとつ信用できなかった。
「それで? アンタがアタシを呼んだってわけ? ふーん……」
「いや、全く呼んでないどころか勝手に連れてこられたと言ったほうがいいな。ここはいったいどこなんだ?」
セカイは値踏みするようにレイの全身を見た。レイはどうにもいい気分がしなくて、苛立ちをぶつけるようにセカイに尋ねると、セカイは呆れたように言った。
「アンタねぇ……まさか何も知らないでアタシを呼んだわけ? ここは天之方舟、地上の迷える子羊ちゃんをルナリアまで運ぶ宇宙船なんですけど。」
「レイが今はめてるフィオルクヒルデの指輪、それで方舟を呼べるの。」
レイの混乱した様子を見かねてか、ツクヨミが解説した。どうやらあの指輪にはそんな効果があったらしい。つまりこの夢は指輪の本来の持ち主であろう月詠が見せているということだろうか。目的は分からないが、マイペースもいい加減にしてほしかった。
「まあ月まであと五万マイル、時間で言うと四時間かかるから、アンタたちは席に戻ってたら?」
「じゃあねセカイ。最後まで運転よろしく。」
ツクヨミはそのまま運転室を出ようとしたが、レイはつい振り返ってセカイを見てしまった。セカイはもう謎の計器たちのほうを向いていたが、レイの視線を感じたのかセカイも振り返ってレイを見た。
「……どうしたの? 別にアタシは後ろから刺したりしないから普通に帰っていいんですけど?」
レイには最後までセカイが言っていることの意味が分からなかったが、きっと精霊はこういう喋り方しかできないんだと思って納得することにした。
<8>
二人はさっきまでいた車両に戻って席に座り、到着までの時間をつぶすことにした。後方へと流れていく星々を見ながら、ツクヨミが窓の外を見ながらレイに話しかける。
「それにしても、レイって普段そういう格好で寝てるんだね。」
「……別になんだっていいだろ。ツクヨミこそ、そんな格好だと暑くないか?」
「私のこれはパジャマじゃなくて、ここでの衣装みたいなものだからね。流石にこんな格好で寝てたら死んじゃうよ。」
ツクヨミがこんなに饒舌なのはここが夢の世界だからだろうか。このツクヨミを知っているのは学園では自分だけかもしれない――そう思うとなぜだかとても気分がよかった。
「……ん……」
ふと、急な睡魔がレイを襲った。ツクヨミとセカイによればここは夢の世界とのことだが、ここで寝たらどこに行くんだろうか。そんなことを考えていたらツクヨミがレイの寝ぼけ眼を見つめてきた。
「まだ夜なはずだけど、もう起きちゃうの? レイってショートスリーパーだったんだね。」
「……ふわぁ」
ツクヨミが話しかけてきたが、レイが返事をしようとして口を開いてもあくびしか出なかった。
「またおいで。夜か授業中ならだいたいここにいるから。」
「いや授業中は――ああ、そういうことか。」
星と月の光が揺れる中で、レイの意識は暗転し、現実へ、地球へと静かに呼び戻されていった。
<9>
次に目を覚ましたとき、レイは自分の部屋の中、自分のベッドの上にいた。シーツの感触、天井の暗がり、喉の渇き。まぎれもなく現実のものだった。
(……なんか変な夢だったな。)
レイはそう思ってふと自分の左手を見やり、違和感に気づいた。寝る前に引き出しにしまったはずの指輪が薬指にはまったままだ。
「なんか最近変なことばっかだな……水でも飲むか」
レイは一旦頭を冷やそうと夜の空気を吸って、一階に降りた。誰もいないと思ったそこに母親の姿があって、レイは一瞬どきっとした。
「……母さん?」
「あら、まだ起きてたの? 水でも飲む?」
レイがうなずくと、母親はコップに水を入れて持ってきて、レイの前に置いた。
「それで、こんな時間にどうしたの?」
「……ちょっと変な夢を見ただけ。それで眠れなくって。」
「そう。よかったらその夢の話、聞かせてくれる?」
どうせ今日も天根先生のところに行くから言わなくてもいいかとも思ったが、なんとなく逃げられないような雰囲気を感じたレイは大人しく椅子に座ることにした。
<10>
「――それで宇宙を列車が走っててさ。巫女服着た人が出てきてこれは月へ向かう列車だって。変な夢でしょ?」
レイはなるべく嘘をつかないように、なるべく情報を与えないように喋った。母親はふむふむと相槌を打ちながら、レイの話を黙って聞いていた。レイは母親を観察するように見ていたが、ときおりコーヒーをすする以外、特に動きはなかった。
「ふうん。それで?」
「それでって――あ、母さんはルナリアって言葉、聞いたことある?」
レイが少し試すように訊くと、急に母親が難しい顔になった。母親はさっきまでとは違う、やや強めの語気でこう言った。
「その話、絶対に母さん以外の人に話したらダメよ。リッカ先生にも。それから、もうその列車にも巫女服の人とも関わらないこと。いいわね?」
どうやら知らない間に平穏とは程遠いところまで来てしまったらしい。レイは大きくため息をついて、コップに残っていた水を飲み干した。
<11>
翌朝、結局どうにも眠れなかったせいで寝不足の目をこすりながら、レイは医療棟に向かった。昨日と同じように診察室に入り、昨日よりも気を引き締めて先生に向き合う。おそらくツクヨミのことがばれたら魔女と確定するのだろう。故郷に帰るためにはあと半年間、あるいは疑いが晴れる日まで隠し通すしかないとレイは思った。
「レイくん、今日はずいぶん体が固くなってるけど、何か悪夢でも見た?」
「……すみません。あまり覚えてません。ただ少し変な目覚め方だったような気がします。」
「じゃあ今日はレイくんの現実感について話しましょうか。」
先生はいくつかの質問をして、レイは最低限の回答で答えた。ときどき核心を突くような質問もあったが、たぶんやり過ごせただろうとレイは感じていた。
<12>
レイが夢の世界で目を覚ますと、この前と同じ座席に座っていた。ツクヨミも同じ位置に座っていて、まるであの瞬間に時間が巻き戻ったかのようだった。母親にはもう方舟には乗るなと言われたが、ここには今の自分が欲しているもの、真実とでもいうべきものがある気がして、結局レイはここに来てしまっていた。
「やっと来たんだね、レイ。」
「……まさかずっとここにいたのか?」
ツクヨミはどうだろうねと言って小首をかしげ、窓の外の星を眺めた。月に近づいているからか、窓の外の景色は徐々に幻想的になっていって、今は草原のような場所を走っている。試しに窓を開けてみたら、涼しげな風が入り込んできた。
「どうする? この前の話の続きでもする?」
「……なあ、一つ教えてくれ。ここは本当に夢の中で、現実とは関係ない世界なのか?」
「……月に着いたらきっと分かるよ。」
ツクヨミは外を見たまま適当な返事で流した。月はだいぶ近づいていて、だんだんとその表面が見えてきた。授業で習ったような不毛の大地ではなく、森と、海と、町がそこにはあった。町が見えたとき、レイはふと気になった。確か初めてここに来たときも魔女さんと呼ばれたが、あの町にも魔女はいるのだろうか。
「なあ、魔女って知ってるか?」
「知りたいなら本物に会ってみる? あ、そろそろ着くみたい。」
方舟が速度を落とし始めた。月の表面は、おそらく都市のものであろう明かりが自ら光を放っていた。
<13>
方舟が停まったのは駅のような場所だった。レイはツクヨミに手を引かれて方舟を降りた。レイが振り返るとすでに方舟は消えていて、線路のない駅のホームだけがそこにあった。レイはツクヨミについていき、駅の改札を通り抜けて外に出た。ツクヨミは大きな門を一歩くぐったところでレイのほうを向き、その手を差し伸べながら言った。
「ようこそ魔女の国へ。ここが私たちの国、ルナリアよ。」
レイは正門の上に刻まれた文字を呼んだ。やけに凝った飾り文字でこう書かれていた。
『THOU SHALT COMMIT ADULTERY』
魔女が門をくぐったとき、どこかで月の鐘が鳴り響いた。
何かの終わりを告げるように。何かの始まりを告げるように。