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06:// 堂々巡る、僕らの迷子教会

 神のため、世界のため、人のため、自分のため。

 少女たちは今日も祈り、戦い続ける。

 それがいつの日か楽園を創るのだと、そう信じて。

 <1>


 仕事用の携帯が鳴った。取り乱さないようにと自分に言い聞かせてから、ユウナはベッドの上に寝転がったまま電話を受けた。


「おはようございます。対策係に魔女を奪われたそうですね。」

「……はい。申し訳ございません。」

「協議の結果、あなたには魔女だけでなく対策係の動向も監視してもらうことになりました。できますね?」

「できます。やらせてください。」


 ユウナは力強く返事をした。その返事が上司に対してのものだったか、それとも自分に対してのものだったか、ユウナにはよく分からなかった。電話の向こう側にいる直属の上司は、最後にもう一言だけ付け加えた。


「――あと、この前の試験ですが、随分と酷い結果だったそうですね。任務と並行して学業にも励み、その成績はしっかり是正するように。これは猊下直々のご命令です。」

「……了解しました。」


 ユウナは通話の切れた携帯を見て起き上がり、ラックから少し皴のついた制服を取り出した。制服はこの一日で随分と色あせたように見えた。


 <2>


 ステンドグラスの光が差し込む、荘厳な雰囲気の会議室。世界連合教会の総本山であるこの場所では今日、何人かの枢機卿と学園都市の理事長たちが議論をしていた。


「この件に関しては、観察を続けるべきだと思いますよ。もしかしたら魔女の起源や性質を理解する鍵になるかもしれない。」

「魔女は観察し理解するものではなく断罪するものです。あなたは魔女の前に教会と世界を観察し理解するべきではないですかね、九折坂理事長?」


 統括理事長の一人が発言し、それに枢機卿が反論する。魔女を真に理解することは不可能と結論付けられているこの場で、九折坂理事長の発言は異端思想と言ってもいいものだった。枢機卿が言葉を続ける。


「もしかしたら、程度の理由で魔女を野放しにして、世界が滅ぼされたらどうするつもりですか?」

「そうならないための結界でしょう。それに、もしかしたら、程度の理由で魔女ではないかもしれない市民を断罪するのと何が違うんでしょうかね、ペトロヴィチ猊下?」


 今度は理事長が反論した。枢機卿たちは視線を交わしつつも、特に口を開いたりはしなかった。


「我々は世界の秩序を維持するための組織であり、魔女の謎を究明する組織ではありません。」

「一切が謎の存在からどうやって世界の秩序を保護するんでしょうかね。」


 会議は続く。結論は出そうにない。


 <3>


 梅雨が長引いているせいで外は暗く、教室の空気がいつもより少しだけ冷たく感じた。机も椅子も、先週と変わらずそこにある。ただ、隣の席だけは空席だった。先週まではそこにレイがいたというのに、レイはこの前からリッカのもとで経過観察となっていて教室にはいない。ユウナもリッカのもとに通いつめようかと思ったが、授業を受けるのも任務と言われた以上、そういうわけにもいかなかった。


「――であるからして、この式は――」


 先生の声とチョークの音だけが教室に響く。ユウナは先生が書いたことをノートに正確に写し取ったが、どうにも頭に入らなかった。


(……はぁ……何やってんだろ私。早くここを出て次の仕事がしたいなぁ……)


 本当なら次の魔女を断罪しに世界を飛び回っているはずなのに、と思うと教室が監獄のように思えてきた。ほんの一瞬だけ、レイの言っていたことがわかったような気がして、ユウナは慌ててその理解を脳内から追い払った。


 <4>


 昼休み、どうにも授業に集中できなかったユウナがふらりと校舎裏に向かうと、いつも授業を聞いてすらいない月詠がベンチに寝そべっていた。ユウナが月詠の隣のベンチに腰を下ろすと、月詠は面倒そうに体を起こした。


「あ、転校生さん。おはよう」

「またお昼寝? 今日は教室のほうが温かいんじゃない?」


 ユウナはなるべく自然体を装って話を続けた。正直月詠はあまり得意なタイプではなかったが、今さら席を立つのはそれはそれでなんだか気分が悪かった。


「レイと喧嘩でもした?」

「……してない、けど、なんで?」

「なんとなく、かな。今日のあなた少し静かだし。」


 月詠の一言に図星を突かれたような気がして、ユウナは一瞬返事が遅れた。返事が遅れたこと自体が、はいそうですと言っているようなものだった。


「まあお仕事頑張ってね。」

「あ、雨降ってきた! 私教室に戻るね! 月詠さんもちゃんと授業受けないとダメだよ!」


 ぽつりと雨を感じたのを理由に、ユウナは教室に逃げ帰った。振り返ると、月詠の制服だけが濡れていなかったような気がした。あるいはほかの全員も。もしかしたら、この学園にいるのは全員魔女なんじゃないかと、ユウナは思い始めていた。


 <5>


「おはようレイ。具合はどう?」

「う~ん……特に問題ないかな。」

「ならよかったわ。はい、朝ごはん。」


 レイの自宅、テーブルの上にはトースト、ハムエッグ、サラダとまるで代わり映えしないメニューが並んでいる。ただ、水の入ったコップとともに一つの薬が置かれている点だけはいつもと違っていた。


「……これが魔女なんとかの薬?」

「そうよ。心が落ち着く薬よ。」


 レイは思った。これを飲まされているということは、やはり自覚はないがもう自分は魔女になっているのだろうと。


 <6>


 ユウナはノックもせず、蹴破るように風紀委員会室に入った。ユウヒは相変わらず椅子に座って書類を整理している。


「やあ川澄さん、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ。榊原くんは一緒じゃないの?」

「レイはしばらくお休みなんだよね。ちょっと色々あって。」

「そうか……仲のいい友達がお休みなのは寂しいね。それで僕に何か用かい?」


 ユウヒは朗らかに話しかけ、ユウナは少し口ごもってからテーブルの上に教科書とノートを広げた。


「……ちょっと成績があれで、その……結構ピンチっていうか……だからユウヒ! 勉強教えて!」

「もちろん構わないよ。でも僕より榊原くんのほうが頭いいと思うよ?」

「……それは、ちょっと今は会えないっていうか……」


 榊原――その名前に、ユウナは一瞬顔を強張らせたが、ユウヒは見て見ぬふりをしたのか、それとも本当に見ていないのか、特に何も言ってこなかった。


「それじゃあまずは数学からいこうか。」

「うん! ありがとうユウヒっち!」


 <7>


 ユウナの足はリッカの診察室へと向かっていた。もちろん任務の一環として、リッカら対策係の動向に怪しい点がないかを監視するためだ。少なくともユウナはそう思っているつもりだった。


「ユウナさん、入って。」


 リッカは普通の生徒を招くような調子で言った。ユウナはドアを開けて部屋に入り、注意深く見回したあとで椅子に座った。


「それで、今日はお仕事? それとも個人的な相談? レイの件ならまだ経過観察中よ。」

「そうでしょうね。あなたなら、レイが魔女だって分かったとしてもそう言いそうですけどね。」


 ユウナはふん、と鼻息を鳴らして、探るようにリッカの目をじっと見つめた。


「どうしてレイを庇うんですか? レイが魔女だってことくらい、気づいてるんでしょう?」

「そうね。確かにレイは魔女に近い状態にあるけど、まだ手遅れの状態じゃないわ。」

「だったら手遅れになる前に殺さないと――」

「魔女になる前なら効く薬があるの。今はまだ試験中なんだけどね。レイにはそれを飲ませているわ。しばらくすればあなたの心配もなくなるから安心してちょうだい。」

「……わかりました。今日のところはそういうことにしておきます。」


 ユウナは自室に戻った後でレコーダーを聞き返した。自分の心臓の音が、しっかりと録音されていた。


 <8>


 ユウナは携帯を片手に考え事をしていた。人が魔女になるのを防ぐ薬。そんなものが実在するなんて信じられなかった。


「こんな時間にどうしたんですか?」

「はい。少し興味深い情報を得ましたので報告と確認をと思いまして……」


 ユウナは眠りについた。仮にそんな薬があったとして、自分はそれの存在を


 <9>


 卒業式の鐘が鳴っていた。鐘の音は重く、そしてよく響いていた。聖堂にいるのはユウナを含めて二人だけだった。教会の職員を育成するための学部、神学部。その年は二人しかいなかったため、半ば必然的にユウナが主席になった。


「おめでとう。あなたの未来には、人類の未来が懸かっているのよ。」


 卒業証書を渡しながら、ユウナの祖母がそう言った。教会の枢機卿の一人で、厳格で容赦がなくて、だけど誰よりも正くて優しい人。ユウナはそう感じていた。


「ま、主席は主席だよね。」


 卒業証書を受け取った瞬間、ユウナはそう言って笑った。本当はもっと大勢と競った上で欲しかった称号だったが、そもそも神学部に入れる人数が少ないのだから仕方がないとも思った。


「正しさを忘れないように。魔女の脅威から世界と人々を守る――それこそがあなたの生まれた意味よ。」


 <10>


 初めて正式な任務に向かう前の夜、珍しく祖母に呼ばれて一緒に食事をした。いつもより料理が豪勢だったのは、魔女と戦ったら無事では済まないかもしれないからだろうか。祖母はワインを傾けながら言った。


「聖騎士の任務は、ただ魔女を断罪するだけじゃないの。魔女になりかけていたり、魔女になるかもしれない人々を見つけて芽を摘むこと。これが本当に魔女から世界を守るということなのよ。」

「……わかってる」

「もし迷ったら、自分の正しさを信じなさい。常に正しくあること。それが魔女に対する唯一の武器で、あなたが魔女ではない証よ。」

「うん。それじゃあ、行ってきます。」


 ユウナはグラスに注がれているワインを一気に喉に流し込んで、最後の支度にをしに部屋に戻った。


 <11>


 ぐっしょりと濡れたシーツの感触でユウナは目を覚ました。そこまで蒸し暑いわけでもないのに、まるで熱病にうなされたかのようだった。


「……夢、なんだっけ……」


 ユウナが起き上がって時計を見ると、任務の登校時間まであと一時間もなかった。ユウナは急ぎぎみに浴室に入ってパジャマを脱ぎ捨て、頭からお湯を浴びた。汗で冷えた身体が徐々に温まり、頭の中の靄が晴れていくようだった。浴室から出て、手早く朝食を済ませながら制服に着替える。


「よし……任務、再開!」


 ユウナは自分を元気づけるように、鏡の前であえて大きな声で言った。梅雨が明けた空の下、今日も学生の仕事が始まる。


 <12>


 教会の本部では終わることのない会議が続いている。今日は月の勢力がやり玉に挙がった。


「知っての通り、あそこの魔女は地上のそれとは別格で、自由などという幻想をもって我々に抗い続けています。これは神と悪魔の戦争であって、我々は神の代行者としてこれに完全な勝利を齎さなければなりません。」


 その場にいる全員がうなずく。理事長たちはすでに各々の学園に戻っており、今ここに反論する者はいなかった。もっとも、理事長たちがいたとしても止める理由などないのだが。


「ではもう決まりでいいでしょう。あの者たちが存在する限り、我々の世界は常に脅威に晒されます。この夏の聖戦で全ての、月と地上の全ての魔女を断罪するのです。」


 議論などほとんどされないまま、一つの世界の運命が決定された。


 <13>


 風紀委員会の腕章をつけたユウナが屋上のドアを開けると、さっきまで鍵がかかっていたはずなのに月詠がいた。


「月詠さんおっはよー! こんなところにいちゃ危ないよ! ささ、教室に戻りなさい!」

「風が気持ちいいとよく眠れるよね。どう?」


 ユウナはレイに話しかけていたときにも似たテンションで月詠に注意した。月詠の黒髪は風になびいているが、ユウナの言葉には一切なびかないようだった。


「あのねえ……私は風紀委員、世界の秩序を守るのが仕事なの! わかったら早く――」

「……正常な世界にいられないものって、どうしたらいいと思う?」

「は? 何のこと?」


 ユウナが詳しく話を聞こうとしたときには、月詠はすでに屋上の階段を降りていた。


「さあ、誰のことだろうね。」

 地上の灯火は揺らぎ、月の灯火は吹き消されようしていた。

 最後の夏が始まる。

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