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04:// 風紀委員会の一存

 世界は神に守られているが、神がどんな存在かは誰も知らない。

 もし神の正体が悪魔だったとしても、誰も気づかないだろう。

 <1>


 レイは目覚まし時計が鳴るのをぼんやりと聞いていた。寝不足だ。結局あれから一睡もできなかった。レイが重い瞼と足を引きずりながら階段を降りると、テーブルには昨日と全く同じトースト、ハムエッグ、サラダが二人分置かれていた。


「おはようレイ。食欲はちゃんとある?」

「おはよー。まあそこそこ。」


 母親はいつもと変わらない優しい声で朝の挨拶をしてきた。レイも同じようにいつもの挨拶で返す。昨日の夜のような意味深さはどこにも感じられなかった。


「ねえ母さん、昨日の夜誰かと話してたりした?」

「……どうしてそう思うの?」

「……実は昨日の夜あんまり寝付けなくて、なんか話し声みたいなの聞こえたから。」


 質問したあとで、レイはしまったと思った。この学園で平穏に過ごすには余計なことに首を突っ込んだらいけないのに、つい気になって訊いてしまった。母親は一瞬顔をしかめたが、すぐにいつもの笑顔に戻って答えた。


「別に、ちょっとリッカ先生と話してただけよ。」

「そっか。」


 母親はレイの担当医師の名前を出した。レイはそろそろ定期面談の時期が迫っていることを思い出し、初めて真面目に相談してみようと思った。


「あ、そうだ。今日は一応この傘持っていきなさい。」


 そう言って母親はずっしりと重い折りたたみ傘を渡してきた。外は雨など降りそうもない快晴だったが、レイの心の中はすでに一面を雨雲が覆っていた。


 <2>


 校門前までの道は平和そのもので、昨日の大波乱が実はただの夢だったのではと錯覚させるには十分だった。故郷の景色にも似た桜並木を通り過ぎて、校門前でバスを降りる。後ろから聞こえてくる、とびっきり明るくてうるさい声でレイはたちまち現実に引き戻された。


「あ、レイっち! おっはよー!」


 後ろからユウナが大声で呼びかけながら走ってきた。周りの生徒たちが何事かとこっちを見ている。まったく、あいつには羞恥心ってものはないんだろうか。変なあだ名というか通称も付いているし。


「昨日聞き忘れたんだけど、レイっちって部活とか入ってないの?」

「何言ってるんだ。帰宅部だって立派な部活だ。学園に登録されてないだけで。」

「それならちょうどいいね! 私今日から風紀委員会に入るから、レイっちも一緒に入ろ!」

「めんどくさそうだからパス」

「え~。でもレイっちって平穏な生活が好きなんでしょ? だったらそれを守ろうよ!」


 確かにレイは平穏な生活を望んでいる。ただそれはあくまで目立たないため、波風を立てないためにそうしているだけであって、平穏な生活のために自分から事件に首を突っ込むなんて本末転倒もいいところだった。


「これ以上お前の我がままに付き合わされるのはごめんだ。どうしてもやりたいんなら他の奴と――」

「レイっちとじゃないと意味ないんだってば。あ、シエルちゃんおはよー」


 なんで自分なんだろうかとレイはため息をついた。ユウナはシエル先生に何かこそこそと話している。きっと今日の放課後には風紀委員になっているに違いない、とレイは確信していた。最後の一年は決して平穏には過ごせないことも。


 <3>


 放課後になって、レイはユウナに腕を引っ張られて聖堂のような建物にやってきた。レイは特に何も言わずに引っ張られていく。どうやらユウナは自分の思い通りの展開になっている間は大人しいらしく、これに気づいたレイはシエル先生を見習ってユウナに反発するのをやめることにした。


「はいとうちゃーく! ここがうちらの部室ね!」


 部屋の真ん中にはよくある長机が置いてあって、椅子が三脚置いてある。そのうちの一つに座っている男子がレイをちらりと見て話しだした。


「やあ、はじめまして。僕の名前は天木ユウヒ。ここ第三学区の書記をやらせてもらってるよ。ここに来たってことは君も僕の友達だ。いいね?」

「……私は榊原レイ。今こいつに強引に加入させられそうになってるんだ。友達なら助けてくれないか。」

「でも川澄さんも僕の友達だからね。あまり悪く言わないでほしいな」


 ユウヒは笑ってレイの言葉を無視した。頼まれてもいないのにユウナが自己紹介の続きを引き受けた。


「それで私と、あとは顧問のシエルちゃん。メンバーはこれで全員! 覚えやすくていいでしょ!」

「クラスだけじゃなくて委員会も一緒なのね~。よろしくね、レイくん。」

「あ、そうだ! レイっち、ちょっとこっち来て!」


 レイが言われるままに近づくと、ユウナはレイの左腕に腕章をピン止めした。盾が三つ、教会の紋章だ。教会も、神も、まったくと言っていいほど信じていないレイがこの腕章をつけるなんて、酷く罰当たりに思えた。


 <4>


 次の日から、レイはユウナに連れまわされて学園中を巡回することになった。ユウナ曰く、「何かが起きてからじゃ取り返しがつかないこともある。だから私たち風紀委員が先回りして安全を確保するの。」

とのこと。普段のユウナはバカっぽいというかいつもふざけた感じなのに、こういう世界とか秩序とかに関する話のときだけは人が変わったかのように真面目になる。レイにはどちらが本当のユウナなのかいまいちわからなかった。


「あ、悪人発見! ほらレイっち行くよ!」


 ユウナは廊下で口論をしている二人の男子生徒のもとへ走っていった。風紀委員は廊下を走ってもいいらしい。レイは走るのが面倒だったので歩いていくことにした。レイが現場に着いた時にはほとんど口論というより喧嘩になっていた。


「あなたたち! 神に守られたこの学園で何をしてるんですか! 今すぐに和解しなければ撃ちますよ!」


 ユウナが物騒なことを言いながら説得、いや脅迫しているが、頭に血が上った二人には聞こえていないようだった。いつもシエル先生に命令しているからユウナの声には不思議な力でもあるのかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。


「いい加減にしなさい!」


 ユウナが護身用の拳銃を取り出した。普通なら脅しだろうが、ユウナの行動力なら引き金を引くところまでやりそうだ。事件現場の目撃者になりたくなかったレイは鞄から折りたたみ傘を取り出して、生徒に向けて一振りした。するすると伸びた傘の先端が二人の腕を叩き、レイがボタンを押すと傘が開いて二人の生徒をはじき飛ばした。


「……二度と私の平穏の邪魔をするな。」

「わーお! レイっちってばやっぱりヒーローじゃん!」


 隣でユウナが何か言っていたが、レイは適当にあしらって教室に戻った。教室に戻ると、レイの机にあの爆睡少女が座っていた。


「……レイも風紀委員っぽいことするんだね」

「なんだ、起きてるなんて珍しいな。」

「たまにはね。いつも月にいる人なんていないよ。」


 爆睡少女はすぐに元の席に戻って机に突っ伏した。


 <5>


 職員棟の一室で、ユウナとシエルはコーヒーを片手に会話を弾ませていた。机にはレイの顔写真が印刷されたレポートが散らばっている。


「ねえシエルちゃん。レイっちってどう思う?」

「どうって言われても……数字上は問題ないんじゃないの?」

「……データなんていくらでも改竄できるでしょ。本当に、問題ないと思うの?」

「ユウナちゃんは相変わらずねえ。」

「そりゃこれが私の仕事だからね。世界を守るため、誰かがやらないといけないことだよ。」


 ユウナが席を立った後、シエルは残された書類を見て呟いた。


「……あなたの中ではもうとっくに結論は出てるのよね。」


 <6>


 四月の半ばになって、レイは母親に連れられて医療棟の精神科までやってきた。いつもの定期面談なはずなのに、ここに来るのがずいぶん久しぶりに感じた。


「レイくん、入って。」


 天根先生に言われて部屋に入る。部屋にはベッドや椅子だけではなく、観葉植物や積み木などが置かれていて、診察室というよりかは先生の私室のようだった。


「一ヶ月ぶりね。そんなに緊張しないで。私はあなたの敵じゃないから。」


 パソコンを叩く手を止めて、先生がレイのほうを向いた。優しい口調でレイに問いかける。


「最近何か困ったこととか、変わったことはあった?」

「……そうですね。母さんから聞いているとは思いますが、クラスに転校生が来ました。その……彼女にずっと付きまとわれていて、それが少し困っているかもしれません。」

「……そう。川澄さんね。あとで言っておきましょうかね。他には?」


 先生がパソコンに入力しながら話の続きを聞いてきた。レイはほんの少し迷ったが、ある質問をしてみることにした。


「先生、月に人が住んでることってありますか?」

「それはどういう意味?」

「……いえ、ちょっと夢で見ただけです。大した意味はありません。」

「……そう?」


 先生は何かを知っているようだったが、レイに語ることはなかった。レイもこれ以上質問することはしなかった。


 <7>


 レイがユウナに目をつけられてから一ヶ月が経とうとしていた。ユウナは今日もレイに付きまとっている。


「ねえレイっち、今度の休みどっかに遊びに行こうよ! 風紀委員会全員で!」

「……なんで風紀委員が遊びに行くんだよ。そこは止めるべきじゃないのか?」

「わかってないなあレイっちは。風紀違反者を捕まえるためには違反者のいるところまで行かないといけないんだよ?」


 レイの認識では風紀委員会の管轄はあくまでも校門の内側だけなのだが、ユウナにとっては学園都市全体が管轄らしい。言っていること自体は間違っていないが、その範囲が広すぎる。まさかユウナは普段から学園都市全体を巡回しているとでもいうのだろうか。


「行きたければ二人で行ってくれ。私は自分の平穏のために風紀委員をやってるんだ。自分とは関係ないことに首を突っ込むなんて冗談じゃない。」

「えー、いつかレイっちに関係してくるかもしれないのに?」

「そんな可能性いちいち心配してられるか。」


 ユウナが真顔で訊いてきたが、いつものように強引に連れ出したりはしなかった。珍しいこともあるものだとレイは思った。


 <8>


 相変わらずユウナはレイに付きまとってくるが、天根先生に相談したのが効いたのか、ほんの少しだけ距離が離れたように感じていた。本来なら喜ぶべきところだが、この一ヶ月間ずっと貼りつかれていたせいで心身ともに慣らされてしまったのか、かえって違和感すらあった。


「……って、何考えてるんだ……」


 レイは自嘲気味に呟いた。あの騒がしい日々が日常になっているなんて、認めたくなかった。


 <9>


「それじゃあ来週には中間試験がありますからね~。しっかり復習しておくように~。」


 五月も中旬に入って、中間試験期間が始まった。ほとんどの生徒が憂鬱そうな顔をしていたが、ユウナはいつも通りの笑顔だった。


「ねえレイっち、私と勝負しない?」

「いやいい。そもそも何を勝負するんだ?」

「そんなの試験の成績に決まってるじゃん! いいでしょ別に!」


 教会が常日頃から平等を掲げているせいか、試験結果で勝負をするような生徒はあまりいない。ただ、ユウナは例外のようだった。普段あれだけ正義にこだわってるなら「試験の成績で人を評価するなんて教会の理念に反しています!」とでもいうかと思ったのに、よほど自信があるのだろう。


 <10>


 この前の定期面談から一ヶ月が経った。レイは今日も母親に連れられて天根先生のところに来ていた。ドアの向こうから先生の声が聞こえる。


「レイくん、入って。」


 レイは部屋に入って周囲を見渡した。ベッド、椅子、観葉植物、積み木。何も変わっていない。先生が次に言うセリフもきっと同じだろう。


「一ヶ月ぶりね。川澄さんは今はどう?」

「……最近は少しですが付きまといの頻度が減った気がします。先生が何かしたんですよね?」

「ちょっと彼女とお話をしただけよ。それじゃあ今は問題ないのかしら?」


 先生に言われてレイはほんの少し悩んだ。あの執拗さが薄れたときに感じた違和感、あれを言うべきかどうか迷っていると、先生がこう言った。


「――そういえば、最近川澄さんからも相談があったのよね。」

「は?」

「もちろん具体的な相談内容は言えないけどね。彼女も少しずつ変わってきているんじゃないかしら。」

「……そうですか。」


 先生が何を言っているのかは分からなかったが、仮にあのしつこさが治るということならレイとしてはありがたい限りだった。去年までの日常が戻ってくるかもしれないと思うと、明日ユウナに会うことすら楽しみだった。


 <11>


「レイっち、やっぱり風紀委員会としては勉強会とかやるべきじゃない?」

「なんでそうなるんだ。風紀委員会の仕事は学園の秩序の維持なんじゃなかったか?」

「そうだよその通りだよ! だったら勉強も大事じゃない? まずは何が許されて何が許されないかを知るところから、つまり教育も風紀委員会の仕事だよ!」


 朝一番にユウナが話しかけてきた。昨日聞いた話から考えればこいつにも何か悩みがあるということだろうが、果たしてこれほどの陽キャが何を悩むのだろうか。レイには想像も付かなかった。


 <12>


 流石のユウナも転校初の試験ともなれば緊張するようで、その日は妙に静かだった。


「はーいみんな~。席について~。今から試験始めますからね~。」


 教室のドアががらりと大きな音を立てて、シエル先生が入ってくる。先生はいつもと変わらない調子でそう言うと、試験が印刷された紙の束を配り始めた。ちょうど配り終えたとき、チャイムが鳴って試験が始まった。紙をめくる音と、ペンを走らせる音の二つだけが教室に響き渡る。


(……暇だな)


 試験時間が半分ほど過ぎたころ、レイはペンを置いた。去年も、一昨年も同じ時間にペンを置いた気がする。ふと隣の席を見ると、ユウナと目が合った。ユウナもペンが止まっている。


(……なんだよ)


 レイは目線だけでそう言った。ユウナの表情がどうにも暗い。別に難しいも問題でもないだろうに、何をそんなに焦っているのだろうか。ユウナはしばらくレイを見つめていたが、やがて今が試験中であることを思い出したようで、慌てて答案に向き直った。


「はい、それじゃあ答案用紙を回収します。後ろの人は持ってきてくださいね~。」


 先生の軽い調子の声で試験の終わりが告げられ、教室は喧騒を取り戻した。レイはまた一つ故郷に近づいたような気がしていた。


 <13>


 一週間後、試験の結果が返された。順番に答案用紙が返されて、生徒たちの顔色が変わっていく。何人かの生徒は補習を言い渡されていたが、レイには関係ないことなのは分かり切っていた。


「レイっち、テストどうだった?」


 ユウナが声をかけてきた。普段と変わらない笑顔だったが、どこか引きつっているようにも見えた。


「はいこれ。まあこれくらいは――」

「……なんで……」


 ユウナは驚きのあまりかいつもの声が出ていなかった。ふとユウナの答案を見ると、点数の部分だけが破り取られていた。

 少女は静かに壊れていく。

 神にも魔女にもなりきれない彼女は、いったい何になるのだろうか。

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