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02:// 約束のオストラント

 遠い遠い昔、ひとりの魔女に滅ぼされた世界があった。

 魔女は青い翼を纏い、その手に持った剣ですべての人間を切り裂いた。

 これは、そんな魔女がまだ人間だったころの物語――

 <1>


「わあ……すっごい! 星空の中に立ってるみたい!」


 オフィスの照明、道端の街灯、広場の蝋燭、その他、町じゅうを彩るイルミネーションの光たち。ビルの展望台から見える景色は、春に起きた大海嘯が夢だったんじゃないかと思えるくらいキラキラしていた。


「綺麗でしょう? これが本物の夜景よ。」

「これが本物……」


 ガラスに両手をぺたりとくっつけて、真下にある町の光を見下ろす。ガラスの向こう側に広がっている世界は、写真で見たときよりもずっとずっと鮮やかで、この景色なら永遠に見ていられるような、そんな気がした。


「――ねえママ、私ここに引っ越したい!」

「ここにって……無理に決まってるでしょ、ここは家じゃないのよ?」

「むぅー、でもずっと見てたいんだもん。」

「そんなこと言っても、こんなに綺麗なのは今日だけで、明日からは普通の町よ。」

「そんなあ……」


 私は大げさにがっかりしてみたけど、心の中ではそれもいいかも、と思った。一年に一日しか見れない景色なんて、まるで魔法みたい。


「あ、もうこんな時間。そろそろほかの場所も見てみない?」

「やだー! もうちょっとだけ、もうちょっとだけここにいる!」

「わがまま言わないの。せっかく来たんだから、もっと色んな景色を見ておきたいでしょ?」

「……わかったよ……でもその代わり、全部見るまで帰らないからね!」

「しょうがないわね……明日からはちゃんと早く寝るのよ。」

「やった! じゃあ今すぐ見に行こ!」


 私はママの服の袖を引っ張りながらエレベーターに駆け込んだ。エレベーターが地上に向かって降りていく。しばらくすると、チン、という音がしてドアが開いた。ドアが開くのと同時に走り出してビルの外に飛び出すと、クッションの中身みたいな雪がふわふわと舞っていた。


「みてみて! ホワイトクリスマス!」

「あんまりはしゃいで風邪ひかないようにね。」

「はぁーい」


 両腕を広げて、爪先立ちでくるくる回りながら全身で雪を浴びた。雪はちょっと冷たかったけど、意外と寒さは感じなかった。


「それじゃあ、まずはあそこ見に行こっか。」

「うん!」


 それから私たちはさっき上から見た場所を見て回った。七色のライトで着飾ったクリスマスツリー、端から端までピンク色の観覧車、お花の形に並べられた蝋燭、どれも忘れられそうにないくらいきれいだった。


「――それで、今年のクリスマスプレゼント、どうだった?」

「えっとね、すっごく楽しかった! また見に来たい!」


 さっきコンビニで買った温かいお茶を飲みながら私がそう答えると、ママは少しだけ悲しそうな顔をした。


「そうね……いつか、また見に来れるといいね。」


 最後にもう一回だけあの星空を見ておきたくて、私は後ろを振り向いた。ビルの上を、赤と緑の流れ星がゆっくりと横切っていた。


(……いつかまた、この場所に戻ってこれますように)


 <2>


 冬休み。七年ぶりに故郷の町に帰ってきた。あと一週間早く帰れてたらクリスマスに間に合ったのに――そう思うと、どうしても素直に喜べなかった。

 じいじもばあばも、久しぶりに私が帰ってきたことをすごく歓迎してくれて、お正月の朝にはテーブルの表面を埋め尽くすほどのおせち料理が並んでいた。でもあの量はとても食べきれないから来年はその半分でいいよ。


「そういえば、少年、将来の夢はちゃんとあるのか?」


 ふいにじいじがテレビを見ながらそんなことを訊いてきた。テレビでなにかそういう話でもしてたのかなと思って覗いてみたけど、別にそういうわけでもなさそうだった。


「うーん……特にまだ決めてないけど、なんか楽しい仕事がいいな~」

「バカ言え。仕事ってのは汗水垂らしてやるもんだぞ。だいたい、俺が子供の頃はな――」


 じいじはテレビをつけたまま私のほうを向いて、意気揚々と自分の苦労話を始めた。ああよかった。もし「早く大人になってあのド田舎から抜け出すことです」なんて言ってたら、絶対にお説教だったに違いない。でも、それ以外の夢って何だろう?

 私がしばらく考え込んでいると、お皿を洗い終えたばあばが話に加わった。


「ユイ、これから初詣行くから、あんたも着替えてきなさい。」

「え……今から? まあいいけど……」


 さっき食べすぎたおせち料理がまだ胃の中でぐるぐるしてるから、本当はあんまり動きたくなかったけど、せっかくお参りするなら田舎のよりも都会の神様のほうがいいに決まってる。私は重くなった体を起こして着替えに行った。


「うわぁ……」

「迷子にならないように、ちゃんと手を繋いでなさい。」

「はーい」


 都会の神社にはものすごい数の人がいた。私たちはそこらじゅうの人混みに押されたりぶつかられたりしながら少しずつ参道を歩いて、やっと最前列についた。ママから渡された五円玉を賽銭箱に放り投げて、少しだけ悩んでから、心の中で願い事を繰り返した。


(なんかいい感じの夢が見つかりますように……)


 とりあえず神様にお願いしておいたから、将来の夢はこれで問題ないはず。何を見つけてきてくれるのかなあ。


 <3>


 私たちが田舎に戻った数日後には三学期が始まった。そういえば私が初めてこの村に来たときも確かこれくらいの季節で、あのときは通りすがりの上級生にいきなり殴られたんだっけ……ああ、思い出したらなんか頭痛くなってきた。


「おはよー邪神様ー。冬休み何してたー?」

「ん? なんだキサマか。そうだな……今年は数年ぶりに神界に帰る用事があってな、やはり私の居場所はこんな辺境ではないと、つくづくそう感じたよ。」


 私が過去の記憶に耽っていると、私を邪神に仕立て上げた張本人が声をかけてきた。出会ったころはそれこそ毎日喧嘩してたはずなのに、いつの間にか友達になってるなんて、不思議なこともあるものだ。


「ふーん。俺はゲームしかしてなかったからな。正月に新作のゲーム買ってさ。邪神様もお年玉とかもらったりした?」

「えっと、これくらいだったかな?」


 私は指で厚みを再現してみた。故郷を離れるとき、じいじとばあばから渡された封筒。数えてはいないけど、たぶんゲームが束で買えるくらいはあったと思う。まったく、おせちの量から何まで加減ってのを知らないんだから。


「いや多すぎるだろ。半分くれ。」

「それが母親に没収されてもう手元にないんだよね。ってか邪神に金せびるな。」

「いいじゃんかよー。神様なんだから『おおケンよ、貴様に褒美を取らせよう』とかないの?」

「ない」


 神様って言っても邪神様だけどね。まあいいけど。お年玉の話をしたせいか、ふとじいじの言葉が浮かんだ。将来の夢ねえ。せっかく目の前に同世代のサンプルがいるんだし、私はさりげなく訊いてみることにした。


「そういえばさ、将来の夢ってなんかある?」

「は? どしたの急に。なんか変なキノコでも食べた?」

「いやちょっと神界で聞いたんだが、人間ってのはそろそろ生きる道を決める時期だそうだ。で、お前は何になるのかなーって。ゲーマー?」

「そうだなー。別にそこまで考えてはいないけど、まあ一回くらいなってみたいよな。」


 ……うん。やっぱり私の考えすぎかな。まだ大人になるまで時間はあるし、もっとのんびりいこう。そんなことを考えていたら、教室のドアが開いて担任の先生が入ってきた。


「えー、皆さんおはようございます。提出物は前のカゴに入れてください。」

「やっべ、課題なんもやってねー。じゃあまたあとでな。」

「はーい。ああ、ひとつ言い忘れていた――『世界にあらゆる災いを齎す神の名において、今後も我が忠実なる眷属として仕えることを命ず。』」

「はいはい。言われなくてもそうするって。」


 <4>


 これは田舎に限らずどこでも同じなんだろうけど、三学期というのは一学期、二学期よりも短めに設定されている。だから冬休みが終わればあっという間に試験期間に突入するし、気づけば今日で試験は終わっていた。


「やあケン、地獄の責め苦から解放された気分はどうかね?」

「相変わらず邪神様は余裕そうだな。俺もいつも通りって感じ。」

「いやお前はもうちょい勉強しろ」


 さっきまであんなに静かだった教室は、解放感でテンションがおかしくなったクラスメイトたちの叫び声で満たされてすごくうるさくなっていた。先生も少しは怒っていいと思うのに、特に何も言わずになんだか慌ただしそうに出て行ってしまった。仮に叫んでいるのが私だったら絶対怒ってただろうな。そう思うと途端にムカついてきて、一発引っ叩いてやろうかとも思ったけど、明日からは元に戻るだろうから今日だけ我慢してあげることにした。


「えー、皆さん、突然ですが今から放送がありますのでしっかり聞いてください。あとこのプリントを後ろに回してください。」


 六時間目が終わって帰りのホームルームが始まったとき、いつもとは違う始まり方だった。学校内にテロリストが侵入したとかでもないだろうに、一体なんだっていうんだろうか。


『――全校生徒の皆さん、まずは学年末テスト、お疲れさまでした。さて、皆さんに悲しいお知らせがあります――』


 おじさんの声が聞こえてきた。誰かは分からないけどきっと偉い人なんだろうな。さっきまで奇声を上げていたクラスメイトたちは隣の席の子とひそひそ話をしている。なんでもいいけど、私は疲れてるんだから早く家に帰してほしい。


『――大陸で発見された瘴気がこの国の都市部でも流行していることは知っていますね。現在、その瘴気がこの町でも広がりつつあるとのことです。そこで私たちは皆さんの安全のため、瘴気が落ち着くまでの間、臨時休校とすることを決定しました――』


 クラスじゅうが大歓声を上げた。みんな「明日から春休みだ!」とか言ってはしゃいでいる。私も春休みが早く始まるのは嬉しかったけど、放送の言い方がちょっとだけ引っかかっていた。まるで私が帰省したときにこの村に瘴気を持ち込んだせいでこうなったと、そう言っているみたいだった。あとここを町って言うな。


「はい。今聞いてもらったとおり、今日で三学期は終了となります。今から課題を配りますので、受け取り次第まっすぐ家に帰ってください。以上でホームルームを終わります。」


 こうして私の一番短い三学期は終わった。やっぱりあいつら一発引っ叩いとけばよかった。


 <5>


 町全体が暗いせいか、あまり勉強する気になれない。翠の机にはいつの間にかマンガと小説ばかりが積まれていて、参考書とかは本棚の奥に追いやられていた。最近ハマっているのは、ウイルスが人型になって人間を襲うというマンガ。外の瘴気もいつか人型になって襲ってきたり……するわけないか。そんな意味のない想像をしていると、ふいにスマホの着信音が鳴って、友達からメッセージが届いた。


『ミドリ、誕生日おめでとう!』


 そうだった。ずっと家にいるせいで日付の感覚がなくなってたけど、今日は翠の誕生日だった。翠の誕生日はゴールデンウィークの真っ最中だから、もう学校が休校になってから二ヶ月ってことになる。早くまた学校に行って友達と遊びたいなあ……うん、考えてもしょうがない。何か絵でも描いて気を紛らわそう。翠はタブレットの電源をつけて、さらさらとペンを走らせた。やっぱりこれが一番楽しい。

 大陸から来た瘴気、強制ひきこもり生活――そういえば、小学校のころに外国から転校してきた子がいたっけ。ほとんど話したりしなかったけど、今は何してるのかなあ。


 <6>


 歴代最長になった春休みも無事に終わって、ようやく今日から学校が再開した。瘴気は始業式だけじゃなくて梅雨までも先延ばしにしたらしく、六月だというのに雨が降る気配はどこにもなかった。三ヶ月ぶりに制服を着て学校に行くと、学校の玄関先にはクラス替えの看板が出されていて、その前に生徒たちが群がっていた。


「……邪魔だなあ」


 あえて聞こえるように言ってみたけど、人混みが割れてくれることはなかった。仕方ない。私は鞄を持ち直して、生徒の群れをなぎ倒すように振り回しながら進んで、やっと校舎内にたどり着いた。


「えーっと……『そこの人間よ、諸悪の根源にして邪悪の化身たる我が命ずる。我が向かうべき部屋と王座の位置を答えよ。』」

「はぁ~? ユイはクラス替えの看板見なかったのぉ~? 三年一組、いつもの場所よぉ~、間違えて二年一組に入らないようにねぇ~」


 私はさっき見逃した看板の代わりに、去年まで担任だった、そしてどうせ今年も担任であろうおばさんに話しかけた。先生はいつもどおりの嫌味な口調で答えてくれて、これ以上会話したくなかった私は返事もせずにさっさと教室へ向かった。

 教室の席はもう半分くらい埋まっていた。残りの半分は今も下でキャーキャー騒いでる子たちの席なんだろうな。私はいつもの位置に座って、ケンが話しかけてくるのを待つことにした。周りの子に話しかけてもよかったんだけど、どのモードで話せばいいのかまだ分からないからね。ただ、ホームルームの直前まで待っていても「おはよー邪神様ー」の声は聞こえてこなかった。いつも休憩時間のたびに話しかけてくれたんだけどなあ。まさか別のクラスにされたりは……いや、この村の先生たちなら絶対にそうする。この村の人たち、私のこと嫌ってるもん。


「……ねえ、もしかしてユイ?」


 隣の席の子が声をかけてきた。えっと、誰だっけ?


 <7>


「まさか教室でユイを見かける日が来るなんてね。」

「失礼な! 中学からはちゃんと毎日通ってたもん。」


 声をかけてきたのはミドリちゃん、私が小学生のころのクラスメイトだった。私は小学校にはほとんど通ってなかったからあんまり覚えてないけど、なんかすっごく優しい子がいたことだけは覚えている。たぶんこの子だったんだろうなあ。


「それにしても、まさかあのミドリお嬢様が私のお世話係にさせられるなんて、先生たちも酷いよね。」

「どういうこと?」

「えっとね、ほら、普通は出席番号順に席並ぶでしょ? でも私の周りはちょっと特別で、面倒見がいい子っていうか、おせっかいな子が集められるようになってるんだ。」

「そうなんだ……」


 私がいる教室の特別ルール。私のことを赤ちゃんか何かだと思ってる先生たちの嫌がらせ。ミドリちゃんはこの村じゃ結構有名なお茶屋さんのお嬢様なのに。そんな子が私のお世話係なんて、普通なら「なんでこのワタクシがそんなことをしなくちゃならないんですの?」とか言って嫌がるだろうに、ミドリちゃんは嫌な顔一つしないどころかちょっと楽しそうだった。


「はい皆さん、おはようございます。ちゃんと全員揃ってますね。」

「あ、ホームルーム始まったみたい。また後で話そ。」


 担任の先生が教室のドアを開けて入ってきた。わかってはいたけど、やっぱり去年、一昨年と同じあの先生だった。相変わらずブルドッグみたいな顔しちゃってさ。せっかくミドリちゃんと友達になれるチャンスだったのに、邪魔だから早く出て行ってくれないかな。


「――ですから今年はより時間の有効活用を心がけてください。以上でホームルームを終わります。はい、起立、礼。」


 やっと終わった。なんで先生ってのはいつも話が長いんだろう? 時間の有効活用って言うならまずはその長話を直すべきなのに。


 <8>


 新年度が始まってから二週間くらいが経った。私の話し相手がミドリちゃんしかいなかった上に、ミドリちゃんがすごく聞き上手だったから、私の机は少しずつミドリちゃんのほうに近づいていった。


「ミドリちゃん、何読んでるの?」

「これはね……」


 ミドリちゃんがカバーを取って表紙を見せてくれた。そのタイトルならアニメで見たことある。ミドリちゃんってこういうのも読むんだなあ。ちょっと意外かも。


「……あ、これもしかして今アニメやってるやつ?」

「そうそう! 原作はマンガなんだけどね。流石に学校にマンガ持ってくるわけにはいかないでしょ?」

「私なら普通に持ってくるけどね。ねえ、あとでそれ私にも読ませて!」

「それはいいけどやっぱり原作見てからのほうが……そうだ! 今度うちにおいでよ! この前全巻揃えたからさ!」

「え、いいの? 行く行く!」


 おうち、かあ。友達の家に行ったこと自体少ないのに、女の子の家なんて初めてかも。何持っていけばいいのかな。何着ていけばいいのかな。


 <9>


「何言ってるの。そんなのダメに決まってるでしょ。」

「ええー……でももう約束しちゃったもん。」

「明日断ってくればいいでしょ。」


 夜ご飯を食べてるとき、「友達のおうちに呼ばれたから行ってもいい?」って訊いてみた。パパは何も言わなかったけど、ママがばっさりと却下した。明日断ればいいって……そんなことしたら絶対嫌われちゃうよ。せっかく友達になれたのに……


「そもそも友達って、ユイに友達なんていないでしょ。誰に呼ばれてるの?」

「……ミドリちゃん」

「ミドリちゃんって……女の子の家なの? だったらなおさらダメよ。」

「なんで女の子の家だとダメなの? いいじゃん別に。」

「それは……それにユイ、あの子の家どこにあるか知ってるの?」


 なんか露骨に話逸らされた気がするけど、言われてみれば確かに、ちょっと山を下りたとこにあることくらいしか知らないかも。明日ミドリちゃんに訊いておかないと。説得できないんならこっそり行くしかないけど、そのためにも道はちゃんと覚えておかないとだもんね。


「とにかく、瘴気もまだ収まってないんだし、もし事故とか事件に巻き込まれたらどうするの?」

「……わかった、わかったから……でも、これでもしミドリちゃんに嫌われたら責任取ってよね。」

「はいはい。いいから今日はもう寝なさい。」


 <10>


 せっかくできた友達に嫌われに行くなんて、憂鬱にもほどがある。本当はサボろうかと思ったけど、ママが行きなさい行きなさいってうるさいからしょうがない。


「おはよう、ユイ。どうだった?」

「……えっとね……ママに『他の人のおうちに遊びに行くなんてダメ』って怒られた……」


 嘘をついてもよかったけど、アニメとか童話だとこういうときは正直に言ったほうが案外許してくれる。だから私は正直に言うことにした。女の子の家はダメって言われた部分も言おうとしたけど、それだとミドリちゃんが悪いみたいだからそこだけは言わないでおいた。


「そっか。まあ今は外に出るのってあんまりよくないもんね。なんていうか、ごめんね。」

「あ、じゃあ今日の放課後私が寄っていくってのはどう? 部活サボればその時間に遊びに行けないかな?」

「えっと、翠もいきなり人を呼ぶのはちょっと無理かな……一応お父さんお母さんに言っておかないといけないから。あ、でも――」


 ミドリちゃんはメモ帳を一ページちぎって、そこに宝の地図みたいなものを書き始めた。山、学校、バス停、お城……ミドリちゃんって絵描くの上手いんだなあ。しかもなんか楽しそう。


「はいこれ。この町の地図ね。ユイの家の場所はちょっと分からないんだけど、どのあたり?」

「このへんかな。山の上。」


 ミドリちゃんは私が指さしたあたりにもう一つお城を描いた。いや私の家はお城じゃないんだけど。まあせっかくミドリちゃんが描いてくれたんだから、お城だと思うことにしよう。


「土日はだいたい家にいると思うから、もし来れそうなら来てよ。家には上げられなくても玄関先で話すくらいならできるし本も貸せるから。」

「わかった! ありがとう!」


 ……なんとかミドリちゃんには嫌われずに済んだっぽい。あとはやっぱりママを何とかしないといけないってことか……去年ケンの家にゲームしに行ったときはそこまでダメダメ言われなかったんだけどなあ。なんでミドリちゃんの家だとダメなんだろう? お嬢様だから?


「あれぇ~。ユイが来るなんて珍しいこともあるもんだねぇ~。てっきりもう成仏したのかと思ってたんだけどねぇ~、幽霊部長さぁ~ん。」

「……ふん。どうやら私には来てほしくなかったようだな。貴様こそ幽霊顧問ではないか。なぜここにいる。」


 放課後、久しぶりに美術室に遊びに行ったら、私のクラスの担任兼嫌がらせ担当兼美術部顧問の先生がそこにいた。ママのいる家に帰るのが嫌でここに寄ったのに、もっと嫌なやつに会うことになるとは。いつも職員室で休んでるんだから今日もそうしてくれればよかったのに、なんで今日に限ってここで仕事してるんだよ。


「まあまあそう言わずにぃ~。ところで――ユイはミドリさんのこと、好きなのかなぁ~?」

「――?」


 なんかすっごく気持ち悪い笑顔でこっちを見てる。ブルドッグって笑うとこんなに怖いんだ。これなら怒ってる顔のほうがマシかもしれない。っていうかこの人今なんて言った?


「最近いつもべったりくっついてるからねぇ~。今日もミドリさんからラブレターもらってたでしょ~。先生はちゃんと見てますからねぇ~。」


 まったく、おばさんってのは何でもかんでもそういう話に持っていこうとするから困る。私が誰かと仲良くしてるのがそんなに変なのかな? しかもなんかミドリちゃんの描いた地図がラブレターってことになってるし。ミドリちゃんの親切心を恋愛感情だと勘違いするとか、先生というか人として恥ずかしくないのかな。


「……ふむ、何やら映画の観すぎのようだな。仮にも人にものを教える立場、少しは夢と現実の区別くらいつけたらどうかね。」

「照れなくてもいいのにねぇ~。あんなに分かりやすかったら誰だって気づくよぉ~。」


 ああ、もうダメだ。これは完全に話通じないやつだ。この人の中ではそういうことにしておいてあげよう。そしてもう帰ろう。なんとなくママが言ってたことが分かった気がする。この田舎にはこういう不審者すれすれみたいなのがいっぱいいるから気を付けないと攫われるぞってことね。私は妄想で気持ち悪い笑みを浮かべている可哀そうなおばさんからそっと離れて、なるべく静かにドアを閉めて、そのまま全速力で家に帰った。


 <11>


「それで? 話って何?」

「ごめんママ。やっぱり私、ミドリちゃんのおうちに遊びに行く!」

「……昨日の話聞いてなかったの? ダメって言ったでしょ。」


 その日の夜、私はママにもう一回お願いをしてみることにした。ママには悪いけどちょっとズルい手も使わせてもらおう。


「えっとね、今日ミドリちゃんにおうちの場所教えてもらったんだ。だから一人でも迷子にならずに行けると思うの。」

「何言ってるの。一人で外出なんて危ないでしょ。」

「じゃあママも付いてきて。それなら危なくないよ。」


 私を一人で行かせるか、それとも私に付いていくか。暗にそう伝えたら、ママは諦めたような顔をして、それでも首を縦には振ってくれなかった。


「なんでそこまでして行きたがるの? 本を読むだけなら別に図書館とかでもいいじゃない。ミドリちゃんは優しいから、それくらいで嫌いになったりはしないと思うわよ。」

「うん、それはそうなんだけどね。でもさ、去年私がケンの家でゲームしてくるって言ったときはそこまでダメって言わなかったじゃん。なんで?」

「あの子のお母さんとは連絡取ってたのよ。ユイが毎日喧嘩してたから。それに男の子同士だったし、何よりも去年はまだ瘴気なんてなかったでしょ?」

「……大丈夫だよ。ママはたぶん私がミドリちゃんのこと好きなんじゃないかって心配してるんだよね。もちろん嫌いってわけじゃないけど、私とミドリちゃんは友達。ママが思ってるような感じじゃないから安心して。」


 私は息を整えながらママの顔を見上げた。ママは少し珍しいものを見るような目で私の顔を見下ろしていた。このままいけば勝てそうな気がした私は、そのまま一気に続きを言った。


「どうしても気になるなら、やっぱりママも一緒に行けばいいんだよ。そこでミドリちゃんのママとお話したらいいんじゃない? それに、瘴気がどうのこうのって言うなら、学校のほうが人が多いんだからよっぽど危ないと思うけど、学校には行かせてくれてるじゃん。」


 ママは特に反論してこなかった。うん、私の勝ちってことでいいよね。私ってもしかしたら相手を言い負かしたりするの得意なのかも。将来は人に命令する仕事なんてのもいいかもなあ。


 <12>


「お邪魔しまーす!」

「来てくれてありがとう! 上がって上がって!」


 週末、日曜日。ママと一緒に車でミドリちゃんのおうちにやってきた。ママはお店のほうで大人の話を始めて、私はミドリちゃんに案内されておうちのほうに行った。本当は目の前じゃなくてもうちょっと手前で降りて一人で来たっぽく見せたかったんだけど、パパは気が利かないしママは心配性だからしょうがない。パパは私たちを降ろしたあと一人で買い物に行った。


「それにしても広いお屋敷だね……なんていうか、ちょっと旅館っぽいかも。」

「そうかな? おじいちゃんおばあちゃんも住んでるし、お店の倉庫もあるからそんなに広くないよ。」


 おうちの中は外と同じで、これぞ伝統的な和風建築って感じの雰囲気だった。流石は何百年って続いてるお茶屋さんのおうちなだけはある。


「ここが翠の部屋。ちょっとお茶取ってくるから中で待ってて。」

「うん! 座っててもいい?」

「もちろん、好きなとこに座ってていいよ。」


 ミドリちゃんはそう言うとさっきの廊下を早足で戻っていった。

 私はベッドの表面を撫でてみたり、クッションに指を突き立ててみたりしながら、ミドリちゃんのお部屋を探索した。外は厳格そうなお屋敷って感じなのに、このお部屋は普通の家っぽいというかポップな感じで、本棚には参考書とか小説だけじゃなくてマンガも入ってるし、机の上には色鉛筆と高そうなタブレットがおいてあった。壁に飾ってある絵はたぶんミドリちゃんが描いたものなんだろうな。


「お待たせ―。座ってていいよって言ったのに。何か気になるものでもあった?」

「あ、えっと、なんていうか、ミドリちゃんらしい部屋だなって思って、ついね。」

「ありがと。それでね! この前言ったマンガなんだけど――」


 それから私たちは二人でお部屋に寝転がってマンガを読み漁った。ミドリちゃんの持ってるマンガはダークファンタジーとバトルものがかなり多くて、本人のふわふわした性格からはちょっと想像できないラインナップだった。でもこういうギャップもミドリちゃんのいいところなんだろうな。


「……ねえユイ。こうやってマンガ読んでるとさ、ちょっといいなって思わない?」

「どういうこと?」


 積み上げたマンガの山を半分くらい読んだころ、ミドリちゃんが話しかけてきた。私はマンガを読みながらだったから話半分に聞いてたけど、ミドリちゃんはちょっと本気そうな顔をしてた。


「あのね、実は翠、将来はイラストレーターになりたいって思ってるんだ……」

「え、ミドリちゃんなら絶対なれるよ! だって普通に上手いもん!」

「そうかな? そう言ってくれると嬉しい! ねえ、ユイには将来なりたいものとか、やりたいこととかある?」


 半年前にも全く同じ質問された気がする。一応そのとき神様にお願いはしてるからいつかは見つかるだろうけど、まだ見つけてきてくれてないんだよね。


「う~ん……夢ってわけじゃないんだけど、私って世界観設定とか作るの好きだからさ。なんかそういうのだったらいいなー、みたいな?」

「確かにユイっていつも自分の世界にいるもんね……翠もたまに小説書いたりするんだけど、設定考えたりするのって楽しいから分かる気がする!」


 小説家かあ。なんかいっつも締め切りに追われてホテルに幽閉、みたいなイメージだけど実際はどうなんだろ? でもミドリちゃんなら両方やってても違和感ないなあ。私がそんなことを考えていたら、ミドリちゃんがすごく面白そうな提案をしてきた。


「……あのさ、それじゃこういうのはどう? ユイがお話を作って、翠がそれを絵にするの。いつか二人で本とか出してみない?」

「それいいかも。なんか楽しそう!」

「じゃあ約束ね。」


 ミドリちゃんはそう言って小指を差し出してきた。私はその細くて柔らかい指にそっと自分の小指を絡めて、指切りげんまん、と約束をした。

 ありがとうミドリちゃん。将来の夢見つかったよ。


 <13>


 家に帰る車の中で、私はずっしりと重くなったバッグを両腕に抱きかかえていた。中身はもちろん、いつかミドリちゃんと一緒に本を書くときのための参考資料、つまりミドリちゃんから借りたマンガたち。ミドリちゃんの絵に相応しいお話を書くには、ミドリちゃんの好きなものをちゃんと知っておかないといけないからね。


「それで、どうだったの?」

「どうって?」

「楽しかったかって訊いてるのよ。」


 助手席に座ってるママが話しかけてきた。よく見たらママも何か袋を持っていて、袋の端っこにはミドリちゃんのお茶屋さんの名前が書いてあった。たぶん中身はお茶なんだと思う。


「そりゃもちろん楽しかったよ! 将来やりたいことも見つかったし!」


 将来の夢に関してはまだ二人だけの秘密だけどね。でも、いつか完成したらママにも読んでほしいなあ。

 二人の夢はいつしか約束になって、約束は二人を永遠に繋ぐ絆になった。

 五年後も、七千年後も、どちらかが魔女になったとしても。

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