恋人について
恐らく遠距離における恋人の連絡頻度の減少についてかと
こういう事でお別れした人がいたんだ。
最初、とてもたくさん構ってくれて、
でもジワジワと電話をする時間が短くなって…
それを寂しいと言うにはあんまりにもワガママだと自覚してるから、
あたしなりに我慢した。
こういうのはね、
結局相手を放置して平気な時点で相手への気持ちが冷めてるんだとあたしも思う。
あたしはあたしがワガママで寂しがり屋な事をとてもよく理解してるから、
出来る限りギリギリまで我慢する。
返信が無かったらメールもめんどくさい事書いてないか、何回も読み直して後悔したり悩んだりして、
大概杞憂に終わって終了で、ホッとしたり。
約束した時間に電話が無かったら、色々な意味で心配だし。
ただね。
こういう形の話ではなくて、
そこに気持ちがあるのか無いのか、
そこが問題なんだよね。
物凄く多忙の人と付き合ったら、
そんな頻繁に構ってもらえるわけも無く、
そんな頻繁に話が出来る訳がなく、
時間だってすれ違う事もあるんだろうけど…
その多忙な人が無理して作ってくれた5分と、
自分に全く負担なく、余った余力で貰った1時間とじゃ、
そこに籠められた気持ちが全然違うもの。
愛していて、
更に離れていて、
時間もなかなか噛み合わないと、
ほんの少しの無理をしてでも、話したいと思うはずなんだ。
相手が要求するから、とりあえず構ってるって時点で、
その人に対する愛は冷めてるように思う。
だって、そこには自分の意志が無いもの。
きっと、こういう事を言うと言われる。
「じゃあ自分の時間を犠牲にしろって言うのか?」
「無理してまで一緒にいなきゃいけないのか?」
多分、
自分のスタンスを何もかも守りながら、
誰かと一緒にいるなんて無理なのではないかな?
付き合っていくと、特に男の人は「自分」を守りたがるようになる。
特に若いコだと、自分を変えるのが嫌で恋人を作らないとか言う。
それは永久に発展も進化も何も訪れないんだよね。
恋人は自分の人生に大きな傷も残すけど、
自分を変えてくれる一番重要な人達でもあるんだ。
知識を共有する事。
価値観を共有する事。
想いを共有する事。
友達がもたらすモノとは明らかに違う、溶け合いと変化が自分の中にあるのに、
「自分は自分」
なんて斜に構えて安全な場所で恋愛ゴッコしてるのは、
勿体無いし、目の前に対面してる恋人にも失礼なんじゃないだろうか?
付き合うってそもそも何?
相手が自分の一番近い所に入る事をお互いが承認した関係なのではないの?
自分の一番根に近い所に相手を入れるから、
付き合う事には意味がある。
それを付き合ってもない人に暴かれたり傷つけられたりすると、
深い深い傷になる。
そういう深い場所に触れ合う事すらないのなら、
「付き合う」なんて、ただのセフレなんじゃないだろうか?
恋人の間は向き合ってるんだ。
相手を見つめて、じっと見つめて、愛おしく感じたり、同じ所を見つけたり、違う所を確認したり。
そうすると見えて来る自分がいて、また自分の新しい所を見つけたり、確認したり、構築したり。
恋人である間は、その信頼関係を作る時間なんだ。
で、その先があるもの同士なら、
ずっと一緒にいようと思うんだ。
そして基本的には結婚をして、夫婦になる。
そこからはまた、違う方向を見なきゃいけなくなる。
そこからなんだろうと思うんだ…
自分を守るのは。
一足飛びで、さっさと熟練した関係になんかなれる訳がない。
「自分」を守りながら恋人したいなんて、
何の信用も信頼も積み重ねていないのに、
「俺を信じてお金貸して」とか言われてるのと変わらないんじゃないかな?
相手を好きだという事と、
相手を信じている事は必ずしもイコールではないんじゃないのかな?(*‘ω‘ *)
「俺を信じてないの?好きなら信じられるでしょう?」
この理屈はおかしいんだよね、やっぱり。
「好きだけど、信じてない。
それだけの関係を築いて来てないから。」
こういう返答をされた時、
「お前にとって俺はその程度なんだね」
って言う人はね、
「仕事とあたしどっちが大事?」
って言う女の人と変わらない と思うんだ…。
相手の信頼を勝ち取りたいって、
そういう熱意が相手に対して持てなくなってる時点で、
自分自身の相手への気持ちをもう一度見直してみる必要があるんじゃないのかな?
そして、自分だけが楽なのなら、恋人なんて要らないんだよ。
…まあ、別の所で利害が一致してる者同士なら、
この全てではないとは思います( ´ ▽ ` )ノ
これはどうだろう。
変わった…んだろうか?
今の自分はもうこういう感傷を持ち合わせてないからなぁ。
でもこの当時の自分を可愛らしく思える。
自分が如何に真面目に人を好きなっていたのか、物語ってる言葉だね。
真面目な奴なのは今も変わらないけど、当時の自分はそこに初々しい感性がある。
もう少し楽に、肩の力を抜いて向き合ってもいいんじゃないかな?と言ってあげたい気がするな。
今は若い世代は恋人を作らない人が多いと聞く。
そんな統計があった。
人生において恋人がいない事、作らない事が必ずしも不幸とは限らないよね。
今の若い世代を否定する気はない。
でも当時の私が言ってる事の一理あるのは、
恋人って友人よりも距離感が近いんだわ、人との触れ合いの形として。という所。
若い感性の間にそういう触れ合いをして、
鉄は熱い内に打てばいいんじゃないかな?とは思う。
精神の研鑽というものは異なる者との遭遇と触れ合いでしかなされないんだわ。
恋愛で傷ついた人の心なんて恋愛経験者にしかわからんわよ、やっぱり。
親友を持った事のない人にはその良し悪しを測る事は出来ないだろうし。
私の話をするならば、私はありがたい事にその両方を持てて、そのどちらとも深い関係を持つ事が出来た。
なので言えるけど、友人に預ける自分と恋人に預ける自分は全然異なる。
そしてその異なる自分は間違いなくどっちも自分なので必要な事だったと言える。
別れの原因となった色々な理由に傷ついたりしても、その傷は明らかに新しい私を作ってくれたので、今となっては全てに感謝…とはいかないけどね。
恨みや辛み、でも感謝も含めて、人間が一面では構成されてない事を奥深く自覚出来るのは、恋人という存在があってこそだったと思う。
なのでね、傷つく事を恐れているだけの理由で恋人を作らないのならば、
やっぱりそれはちょっと人生損してるんじゃないかと思う。
恋は人の研鑽の近道だとは思いますよ。薦めはしないけど。