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二度目の挑戦

 結局、昨日の夜はペンのインクとノートを無駄に消費しただけで、ロクに作業が進まなかった。ちくしょう、おれの精神がぐずぐずになって傑作が書けないようになったらあいつらのせいだぞ。どう責任を取ってくれるんだ。


 このまま家にいてもダメだ。気分を変える必要がある。必要最低限のものを持って家を出たおれは、行きつけの作業場へ向かった。


 目指すは池袋にある献血ルーム。別に血を取られるのは趣味じゃないが、あそこは菓子とジュースが食い放題飲み放題。おまけに待合室は掃除が行き届いていて清潔。たまに喧しいオバさんがいたり、暇を持て余したクソ大学生カップルみたいなのが来たりするが、基本的には静かで過ごしやすい。なにより、こちらには貴重な血を取られたという大義名分があるもんだから、長時間居座っても良心が痛まない。執筆作業にはうってつけの場所である。


 電車に揺られて三十分。電車を降りて改札から出て五分ばかり歩けば目的地のビルに着く。時刻は十一時少し前。予約をしてないから多少は待つことになるだろうが、却って好都合だ。せんべいをむさぼって、いつまでだって居座ってやるぜ。


 気合を入れてエレベーターに乗り込み、献血会場まで昇っていく。スムーズに受付を済ませて適当な席に座り、額の汗を拭いつつさっとノートを開けば、無遠慮にも隣に座ってくる奴がいた。誰かと思えば三池の野郎だ。なにを隠そう、「カネがないなら献血ルームを喫茶店代わりに使うといいぜ」と学生時代のおれに教えてくれたのはコイツである。


「なにしに来たんだよ、三池」

「ここに来たんだから目的はひとつだろ、献血だ。タップリ400ml。俺はもう済ませた後だけどな」

「そうかよ。だったらとっとと帰れよ」

「帰るかよ。こんなところで会ったんだ。せっかくだから勧誘してくぜ。新山田、観念してうちのボスのために脚本書け」


 いつもなら「ふざけろ」と切り捨ててやるところだが、からかってやるのも悪くない。おれは勝ち誇ったようにふんぞり返り、「悪いな」と吐き捨ててやる。


「実は先約があってな。映画の脚本ならもう書いてるんだよ」

「冗談だろ。あれだけ書かないって言ってたじゃねえか」

「書いてるもんは書いてるんだから仕方ないだろ。ま、高校生が撮る映画の脚本だけどな」

「……ますます信じられん。どうしてお前がなんの得にもならないことなんてやってんだ」


「若者に未来を感じてな」と軽くかわして天狗女鈴木の存在を誤魔化したおれは、追求を逃れるべくさらに続ける。


「ところで、三池。お前、アマチュア向けのコンテストの情報とか知らないか。なるべく有名で、権威のあるやつがいい。あの高校生どもは素質がある。いっちょ、そういうのにも参加していいかなって思ってな」

「知らんことはないけどよ、んなこと独断で決めていいのかよ。全員の賛成を集めるのがスジってもんだろ」

「お前がスジなんてマトモなこと語るんじゃねえよ。それともなんだ、おれが映画界で実力を発揮すんのが怖いのか」


 頬杖をついた三池は苦々しい表情でため息をついた。


「……直近なら、今年の年末に大きなコンペがある。提出期限は十二月四日。お前がよく知ってる、《ゆうゆう国際ファンタスティック映画祭》だ。参加登録の期間は終わってるけど友人のよしみだ。俺がなんとかしてやるよ」

「なんとかって、いつからそんな権力者になったんだよ、お前は」

「俺がなったわけじゃない。うちのボスが権力者なんだよ」

「……ボスっていうと、つまり――」


「小津杏。うちのボスが審査員のひとりなんだ。それが嫌じゃなけりゃ参加できるように頼んでやるけど、どうする?」





 どうする、だって? 三池の野郎、偉そうなこと言いやがって。どうもこうもあるかよ。やるに決まってんだろ。相手が小津ならなおさらだ。願ったり叶ったりだ。おれの映画を観て、あの日おれを褒め称えなかったことを、どんな手を使ってもおれを脚本家として抱き込まなかったことを後悔しやがれ。


 さてその日の夜。夕飯を食いながら扇子フォンを手に取ったおれは、鈴木に電話をかけた。電話はすぐに繋がって、扇面には頭にタオルを巻いて、牛乳瓶を片手に持つ鈴木の姿が映る。どうやら風呂上りらしい。上気した頬が上気した頬が高校生らしからぬ色気を放っている。まあ、そもそも実年齢はとんでもない婆さんなわけだが。


「珍しいですね。新山田さんから連絡してくるなんて」

「伝えておきたいことがあってな。今年の十二月、映画のコンテストが開催される予定なんだが、それに参加することになった」


 途端に咳き込んだ鈴木は飲んでいた牛乳を鼻からたらりとこぼした。よほど慌てているものと見える。


「ちょ、それ、急過ぎません?」

「急でも何でも、決まったもんは決まったんだ。やるぞ。おれたちの映画でグランプリを取る」

「な、なんです。やけにやる気じゃないですか。なにかあったんですか?」

「別に何も。ただ、せっかくいい映画ができそうなんだ。公開範囲を高校程度に留めておくにはもったいないだろ?」


 沈黙が数秒。やがて鈴木の口角がわずかに上がり、照れ臭そうな笑みが扇面に浮かんだ。


「わかりました。やりましょう。何事も経験ですもんね。出すだけだったらタダですし。みんなには、わたしから説明しときます」

「ああ、そうしてくれ。鈴木、次の撮影からは一層気合入れていくぞ」

「言われるまでもありませんよ。みんなで、満足できる一本を作りましょう!」


「期待してるぞ」と答えたおれは通話を切り、扇子フォンを閉じた。


 満足できる映画? いや、どうせ目指すなら完璧な映画だ。こうしちゃいられん。脚本にもっと磨きをかけなけりゃ。箸を卓に置き、ノートとペンを手に取ったおれは、プロットと脚本の推敲をはじめる。


 序盤の台詞に新たな意味づけを加えたうえで終盤にもう一度持ってくることはできるか? 終盤でもうひと捻り展開を加えることはできないか? そもそも、全体を通して芯の通ったテーマは確立しているのか? ちくしょう。こんなことなら、たかが高校生騙しなんて侮らず、はじめからもっと力を入れて書いておくべきだった。


 まあ、今さら後悔したって仕方ない。おれの力をもってすれば、ここからだって挽回できるはずだ。

小技大技裏技禁じ手、あらゆる技術を総動員して肉付けしろ。誰に見せても恥ずかしくないものを書き上げろ。


 すべては、小津を見返してやるために。

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