一匹ゴジラ
翌日の撮影は映画部連中の授業終わりを待つ関係で、午後の四時にはじまった。場所はどこぞの郊外にある広い公園。主人公の里中考がヒロインのキリの正体を訝しむという重要な場面の撮影。
鈴木の力によって降りしきる白い雨の中、撮影は順調に……順調に、進んでいなかった。
その原因は他でもない、ヒロインを務める憑依型女優の厳島秋葉。で、そいつがなにをやらかしているのかといえば――。
「だーかーらー! 何度言ったらわかるんですか新山田さんっ! キリは強くてしなやかな芯を心に一本持った性格なんですっ! 他人の言うことにいちいち振り回されないんですって!」
などとほざきやがって、おれの書いた脚本に文句をつけてきて、指示通りに演じようとしないのである。ふざけろ。女優は黙って演じてりゃいいんだ。台詞を書くのはこっちの仕事なんだよ。
まだ素人といえどおれにだって物書きとしてのプライドがある。ふつふつと湧いてくる苛立ちを、おれはそのまま言葉にして厳島にぶつけた。
「そっちこそ、何度言わせりゃわかるんだよ。台詞のひとつひとつに意味があるんだ。鼻くそほじりながら適当に書いてるわけじゃねえ。書き直しはなしだ。意地でもな」
「わかりました! わかりましたよ! じゃいいんですね?! この台詞ひとつでこの作品が駄作になっても!」
「なるわけねえだろ。意味があって言わせてるんだから」
十五分前から似たようなやりとりを延々続けている。クソ暑い中で雨に打たれてうんざりしているところへ面倒くさいことを言われているものだから、もう何もかも投げ出したい気分になる。
睨み合いを続けていると、厳島はぷいとそっぽを向き、「ちょっと休憩行ってきます。気分乗らないんで」と吐き捨てて雨の中を歩いていった。勝手にしやがれ。そのまま風邪ひけ。
おれ達の言い合いを横で見ていた鈴木は、遠のいていく厳島の背中を見ながら「うーん」と困ったように後頭部をかく。
「はじまっちゃったなぁ、秋葉ちゃんの悪いクセ。新山田さん、台詞は変えるつもりないんですよね?」
「ない、断固としてな。おまえだって、元のままでいいと思うだろ」
「わたしは、ホラ。新山田さんに全部お任せしてる立場なので」
責任のないことを言った鈴木は、「とりあえず、ちょっと秋葉ちゃんの説得行ってきます」と雨の中を歩いていく。しばらく時間が開きそうだ。手持ち無沙汰になったおれは暇そうにスマホをいじっている松丸に「おい」と声をかけた。
「松丸。話違うぞ。厳島のこと、憑依型俳優の極致とか言ってなかったか。モスラとか言ってなかったか。なんだよアレ。全然憑依してねえじゃねえか。モスラどころかワガママキングギドラだろ、あれじゃ」
「いやいや、憑依してるじゃないですか。演技へのプライドが無駄に高く、スタッフとしょっちゅう揉めるものの、秘めたるセンスは抜群と業界で囁かれる絶賛売り出し中の若手女優に」
「どんな憑依の仕方だよそれ。なんでそんな複雑な設定の女優ワンクッション挟んでんだよ。素直にヒロインに直接憑依しとけばいいんじゃねえのかよ」
「そんな単純でないのが厳島さんなんですよ。魅力的じゃないですか」
ダメだこの男は。顔がいい女と見りゃ全員無条件でなんでも受け入れやがる。話にならん。
これまでの創作はずっとひとりでやってきたから、こうやって自分が制御不能なところで足止めを食らうのははじめてだ。ええい、イラつく。
堪らず空を見上げていると、ちょいちょいと背後からシャツの袖を引かれた。誰かと思えば飯綱だ。
「なんだ、どうした」
「新山田さん。台詞、書き直して頂けないでしょうか。秋葉ちゃん、ああなると長いんです」
「いやだね。おれは脚本家だぞ。いちいち演者の言うことに振り回されて堪るかよ」
「ですが、言いたいことを言い方を変えて発信するのも腕の見せ所ではないでしょうか。私、新山田さんの本気、ぜひとも拝見させて頂きたいのですが」
飯綱の言うことには一理ある。一理どころか二理三理ある。しかし年下に正論をぶつけられるのは我慢ならん。我慢ならんが……耐えるしかない。大人として。
胃袋を吐き出しそうになるのを堪えながら「わかった」と吐き出したおれは、ノートとペンを取り出した。
◯
おれが台詞の書き直しをしてやったおかげもあって、空が暗くなる前にはその日のぶんの撮影が終わった。所用ということで一旦外した鈴木を除いた部員連中とおれは、部室に戻って汗をかきながら撮影道具を片付けている。今日の撮影についてあれこれ喋りながら笑う連中に囲まれたこの状況では、「なんでおれまで片付けなんて面倒なことやらなくちゃなんねえんだよ」なんて腐ったことは言えない雰囲気だ。面倒くせえ、ああ面倒くせえ。
「新山田さん、大丈夫?」
背後から突然話しかけてきたのは、メイクを落としてヒロインから根暗女へと退化を遂げた面倒くさい憑依型女優、厳島である。
「大丈夫って、なにがだよ。おれはいつでも大丈夫だよ」
「でも、なんだか今日はずっとむすっとした顔だったから」
「生まれつきだよ生まれつき。生まれを否定すんな。差別に厳しい時代だぞ。仏頂面にだって生きてる価値はあるんだよ。BLM(仏頂面・リブズ・マター)だよ」
適当にあしらってやると、厳島は「そう」と小さく呟いた。これで終いかと思えば、奴は飽きもせず「ねえ」と続ける。
「新山田さんは、どうして映画撮影に参加したの?」
「どうしてって、なんでそんなの聞くんだよ」
「だって、あんまり楽しそうじゃないし。ずっと難しい顔してない?」
楽しいわけがあるかよ。おれは地位名誉名声その他諸々のために仕事をしてるだけだぞ。プロになりたい一心で、あの脚本をひねり出しただけだぞ。お前らと違ってお遊びでやってるわけじゃねえんだよ。
とはいえ、おれは青春の空気をぶっ壊すほど無遠慮な男じゃない。おれは「鈴木に誘われたからだ」と無難な受け答えをしたが、厳島は「そんなの、みんな一緒だけど」と一蹴してきた。
「みんな誘われたうえで、楽しいからここにいるんだよ。楽しくないのにこんなことやって、辛くないの?」
クソ面倒なこと言ってきやがって。いっそのこと本音をぶちまけてやろうか。どす黒い腹の中身をこのキラキラ空間に吐き出してやろうかと、いよいよ破壊的な気運が高まってきたところへ、松丸が「まあまあ」と割って入った。
「厳島さん。別に新山田さんだって楽しんでないわけじゃないですよ。ただ、僕たちとは少々歳が離れているので、なかなか馴染めずにいるだけです」
「そうなの? そういう風には見えないけど」
「考えすぎですよ。でなければ、こんな心躍ることをしているのにもかかわらず、餌が貰えない犬みたいなしかめっ面してる人が存在するわけないじゃないですか」
松丸は「ねえ」と上がり調子で言うと、おれに向かってウインクを飛ばしてきた。
奴の出した助け舟に「まあ、そんなとこだ」と遠慮なく乗り込んだその時、勢いよく部室の扉が開き、我らが監督サマが帰還した。
「みんなー、お待たせ! アイス買ってきたー!」
所用というのがなにかと思ってたらアイスかよ。まあ、ありがたく食うが。
「好きなの取ってー」と言って鈴木は机にコンビニのビニール袋を置く。金持ち連中が食うためのアイスなんだ。さぞ高級なものを買ってきたのだろうと期待しつつ中を覗けば、スーパーカップにガリガリ君にパピコと、庶民の味方ばかりが詰まっていやがる。
おい、ハーゲンダッツはどうした。レディーボーデンはどうした。白熊くんのビッグはどうした。おれは数年ぶりに高級アイスが食いたいんだよ。ガリガリ君なんぞいつでも食えるんだよ。
愕然とするおれを他所に、他の連中はワイワイとアイスを選んでいる。おい、お前たちだって高級品がいいはずだろ。こんな一個百円がせいぜいなアイスなんぞ、お前たちの口に合わないはずだろ。
ふと、肩に手が置かれた。振り返ると、松丸が腹の立つほど爽やかな笑みを浮かべていた。
「僕と半分こしてもらえませんか、パピコ。こういうの、夢だったんですよね」
ふざけろ。なにが楽しくて高校生とパピコ分け合わなきゃならんのだ。なんて叫びは届くこと無く、松丸は笑顔で半分に分けたパピコをおれに手渡した。
◯
その日の夜。豚バラ肉を塩胡椒で焼いたものを白飯と一緒に食っている最中も、風呂に入ってつむじまで湯に浸かっている最中も、くだらんテレビを見ている最中も、次作のネタを考えている最中も、頭にチラつくのは映画部連中の顔だった。
こんなことは小学生当時の初恋以来だが、おれは別にあいつらのことを愛して愛して堪らないわけじゃない。あいつらの青春があんまりにも強烈すぎて、脳裏に焼き付けが起きているだけの話だ。
あいつらに付き合っていると、高校生に戻って満喫しきれなかった青春を再び送っているような気分になってしまう。それを面倒くさいと思うと同時に、悪くないと思っている自分がいる。悪い傾向だ。過去を懐かしむようになったら創作者は終わりだ。しっかりしろ、おれ。このままじゃおれの高潔な精神が腐ったナスみたいにぐずぐずになるぞ。
思い出せ、おれの使命を。
両頬を叩いて集中。卓に向かってあぐらをかき、ノートを開いてペンを手に取ったおれは、次作のネタを練り始める。
鈴木の力によりプロになるのは確定しているようなもんだが、そこからが本当の勝負なんだ。ネタはいくらあっても困らない。
時刻は夜の八時過ぎ。幸い、明日から神海高校がテスト期間に入るとかで丸々四日間撮影は中止だ。今日は深夜まで起きていても問題ない。
ペンを動かせ、新山田牧人。おれはゴジラだ。一匹ゴジラなんだぞ。