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『雨の日には中指を立てろ』

 ――里中考は雨が嫌いだ。傘を開くと、大切な幼馴染を失った二年前の雨の日を思い出すから。


 ある十月の日。雨の中、憂鬱な気分で傘を差しながら学校に向かう考の目に、かつて死んだ幼馴染と瓜二つの女性・キリが映る。「ただの他人の空似ですよ」と微笑むキリの笑顔がどうしても気にかかり、考は会うたびに彼女へ声をかけるようになる。


 キリとは不思議と雨の日にしか会えない。考は嫌いだった雨をだんだんと受け入れられるようになってきた。そんなある日、巨大な台風が彼の住む街を襲い……。



 おれが書いた脚本、『雨の日には中指を立てろ』のプロットはだいたいこんな内容だ。高校生にはうってつけの恥ずかしくなるくらいド青春映画。


 気がつけば、いつの間にか夜が明けていた。腹が鳴る。眠い。酒を飲みすぎたせいか頭が痛い。くそ、三年前までは完徹なんてたいしたことなかったんだが。


 時間を見ればもう昼の二時を過ぎ。ざっくりとした設定はなんとかなった。プロットは七割弱。結末は決めているが、もう間に合わんか。


 とりあえず全身を支配する眠気を取り払うために、風呂場でシャワーを浴びてからリビングへと戻ってくると、突如押入れがひとりでに開いた。何食わぬ顔でそこから出てきたのは天狗女の鈴木である。もうこの女がなにしたところで驚かない自信がある。


「……押入れから出てきていいのはドラえもんだけだぞ、鈴木」

「一緒にしないでください。わたし、あのロボットの全長くらい足長いですよ」

「足の長さが129・3cmもありゃそれはそれで気持ち悪いだろ。なんの用だよ。言っとくけど、まだモノは出来てないぞ」

「わかってますよ。さすがに無茶なこと言っちゃったのは理解してますし」


 鈴木は押入れの中に腕を突っ込むと、大きな水筒とピクニック用のバスケットを取り出した。


「ご飯作ってきたんです。食べませんか?」


 ちょうど腹にも限界がきていたところだ。「食う」と即答し、半ば奪うように鈴木の手からバスケットを受け取り、中を見てみれば入っていたのは拳ふたつぶんほどあるおにぎりが五つ。早速ひとつ食ってみれば、茹で卵と豚肉を刻んでマヨネーズで和えたものが入っている。カロリー過多っぽいが関係あるか。うまいもんはうまい。


 水筒を傾ければ味噌汁が出てきた。おにぎりと交互に口にしていると、鈴木が「書き上がったところまでで構わないので、見せてもらえません?」と、テーブルに置いてあるおれのノートを指した。


「ほらよ」と渡してやれば、「どうもどうも」と受け取った鈴木は、ノートをぱらぱらとめくり始める。自分以外の奴に作品を見せる瞬間は、何度経験したところで緊張する。心臓がはち切れそうだ。


 十分ほど黙って待った後、恐る恐る「どうだ?」と訊ねてみれば、鈴木はにんまりと笑みを浮かべた。


「イイですね。まさに、わたしの求めてたものです。日常の中の〝すこしふしぎ〟を描いた作品。新山田さんらしいですよね」


「もっと具体的に」という言葉が口をついて出そうになったが、そんなことを聞くのも野暮だ。ふたつ目のおにぎりを頬張りながら、おれは冷静を装い続ける。


「ともあれ、プロットの完成まではもうひと息だ。今日の夜まで待ってくれれば――」

「待てません。言ったじゃないですか。文化祭まで時間がないんです」


 鈴木はおれの手を強く掴む。なんだか久々に他人の体温を感じたような気がした。


「行きますよ、新山田さん」

「お、おい。行くってどこに」

「決まってるじゃないですか。撮影現場です。今日の放課後からクランクインなので、新山田さんにはプロットをもとに現場で台本を作って貰わないといけません」

「待てよ。そんなことしたらほぼ即興劇みたいなもんじゃねえか」

「ええ、即興です。でもきっと悪くないですよ、こういうのも」


 拒否権すら与えられることもなく、おれは鈴木の細腕に似つかわしくない剛力によって押入れの中に引きずり込まれた。





 引きずり込まれた押入れから出てみれば、そこは四畳ばかりの掃除用具入れだった。おれの部屋よりかび臭くて息が詰まる。「ここで撮影するのか」と眼前にある鈴木の後頭部に訊ねれば、「そんなわけないじゃないですか」とあっさり答えた奴は扉を開けて掃除用具入れを出ていく。あとをついて行けば、そこはどこぞのビルの中だ。資本主義の首輪を巻かれたスーツ姿の大人が行き交うところを見るに、恐らくここはオフィスビルか何かだろう。


 周囲の視線が痛い。当然だ。制服姿の女子高生とティーシャツ短パン男の組み合わせなんぞ、資本主義の首輪をつけられた社会人の巣窟たるこの場所では異物に他ならない。「おいこんな場所にいて平気なのかよ」と小声で鈴木に問えば、「いまは平気じゃないですね」とあっさり答えやがった。


 兵士の行進の如く堂々と腕を振って歩く鈴木の背中を追っていると、背後から「おい」と声をかけられた。恐る恐る振り返ってみれば、置物の狸みたいに腹が出た男がいる。血色の悪いその顔はこちらへの敵意で満ちていた。


「こんなところで何やってんだ」と男は言う。


 男の方へとのんびり振り向いた鈴木は、とぼけた調子で首を傾げた。


「映画撮りに来ただけですけど。いけません?」

「なに言ってんだお前。警察呼ばれたいのかよ?」

「そんなの呼んだら、捕まるのはあなたですけど」

「は? お前、ふざけるのもいい加減に――」

「やめてください、そんな声を荒げるのは。縄張りを荒らされた野良犬じゃないんですから、まったく」


 鈴木は男の目の前に右手を伸ばすと、パチンと指を鳴らした。途端に男の目が虚になり、口が半開きになる。


「わたしたちがここにいても、問題はない。ハイ、復唱」

「……あなたたちがここにいても、問題はありません」

「はい、よくできました。じゃ、お仕事に戻る前に、ビルの外に四人の高校生がいると思うんで、中に連れてきてもらえません?」


 男は「ハイ」と頷いて千鳥足で歩き出す。下手くそな人形使いに操られているような動きは見ていて危なっかしい。


「……あのリーマンになにやったんだ、鈴木」

「神通力のひとつです。まあ、強力な催眠術のようなものですかね」

「……そんなの使えるなら、おれにもそれ使って脚本書かせりゃよかったんじゃねえのか」

「いやですよ。自由意思を奪ってまで、あなたに創作をさせるつもりはありません。わたしはあくまで新山田さんに、新山田牧人としてモノ創りをしてもらいたかったんです」


 軽やかな足取りで歩き出した鈴木は近くにあったエレベーターのボタンを押した。


「さ。行きましょうか、新山田さん。みんなとは屋上で待ち合わせしてるんですよ」





 屋上の扉を開ければ、眼球が痛くなるくらいの太陽光がおれの全身を突き刺してきた。とんでもない晴れ方だ。徹夜明けのインドア派を殺しにかかってきやがる。


 屋上にはすでに映画部の面々がいて、おれたちの到着を待っているところだった。餌を待っていた水族館のペンギンの如く「脚本見せて」「どこまで出来たんですか」と群がってくる奴らにノートを投げ渡し、日に当たらないところで休んでいると、部の面々は何やら「これならいいかも」「うん、いいじゃん」「青春っぽい」「一晩で書いたとしては上々ですね」などと勝手に盛り上がっている。どうせ感想を呟くのならおれに直接言えばいいだろうにとは思ったが、「イマイチですね」とか言われるよりはマシだろうと思い文句は口に出さなかった。


 壁に背を預けてひとり蚊帳の外にいるおれを他所に、映画部の奴らはノートを覗き込みながらアレコレと話し合っている。


「ファーストカットは空に向かってパン。晴れから一転して雨。低い雲を浅めのローポジで撮って、晴れと雨の境界線を見せる、っていうのはどうかな」と呟いたのはローテンション女の厳島。


 それに飯綱が「独白も入れたりするとなおいいかもしれませんね」とおっとりした口調で続く。


「独白ありきの映像であれば、この場で台詞を考えて貰わなければいけませんね」などと勝手なことを言ったのは松丸。


 鈴木がこれを「大丈夫。新山田さんなら、後からでもうまく合わせたセリフを書いてくれるはずだから――っと、紫苑ちゃん、絵コンテの方の準備はどう?」と受け、眼鏡の鞍馬に目を向ける。


「うん。簡単にだけど、こんなカンジかな~?」と答える鞍馬は、その手に持っていたスケッチブックを広げてみせた。

「ん、いい感じ。さっすが紫苑ちゃん。じゃ、このイメージでちょっと撮影行ってこよっかな。みんなはここで待ってて」


 手際はそれなりにいいらしい。若さにも才能にも溢れているとは。異業者だから捨て置くが、同業者なら撫で斬りにしてるところだ。


 扇子を片手にふわりと浮かび上がった鈴木は、「いってきまーす」と手を振りながら空へと駆けていく。ご機嫌な天狗だ。うらやましくなるくらいに。


 あくびを堪えつつ鈴木がカメラを回す様を眺めていると、映画部唯一の男子生徒、松丸がふとおれの隣に立った。こうして近くで見ると、やはり顔がいい。その上に身長は軽く見積もって185cmはある。モデルでもやりゃキャアキャア言われることだろう。クソ。天はこいつに何物与えりゃ気が済むんだ。せめてこの股間に付いているもの以外の一物をおれにも寄越せよ。


 松丸は空を見上げながら「新山田さん」と声を発した。


「脚本、軽く読ませて貰いました。悪くないですね」

「悪くない止まりかよ。お世辞でも『最高でした』とかいうもんだ、こういう時は」

「すいません。物語はラストまで読んでこそだと思っているタチですので」


 かわいくない野郎だ。足を踏んづけてやりたい。


 恨みを込めた目で睨んでやったが、松丸はそれを気に留めることもなくぽつぽつと続ける。


「新山田さんは驚かないんですね。鈴木さんの力を見ても」

「あの人型ドラえもんみたいな力はもう何回も体験済みだ。ここまで来たのもあいつのどこでもドアのおかげだしな。もういちいち驚いていられるかよ」

「ドラえもんじゃなくて天狗ですよ。あんなスタイルのいいドラえもんがいますか」

「さすが高校生。爽やかクソ真面目な顔して見るとこ見てんだな」

「見ますよそりゃ。見なきゃウソです。見るでしょう、普通」


 とんだムッツリがここにいやがった。だってのに、整った顔のおかげで真夏のカルピスみたいに爽やかだ。死ね、シンプルに。


 おれは奴のムカつく横顔を眺めながら言葉を吐き出す。


「だいたい、あの天狗を普通に受け入れてるのはそっちも同じだろ。怖くないのか。洗脳とか平気でやるぞ、あいつ」

「怖くないっていえば嘘になるかもしれませんね。事実、彼女はなんだって出来ます。しかも、ドラえもんと違って自分の身体ひとつで。ですが、怖いよりも興味と好意が勝つんですよ。素敵じゃないですか、鈴木さん」


 松丸はそう言って口元を笑みで緩めた。吐き気を催すほどキザったらしいセリフだったが、イケメンがやると何をしてもサマになるのがズルい。


 すっかり打ちのめされたおれがふてくされて何も言わないでいると、松丸はすっと人差し指を天に指した。


「そんなことより上を見ておいた方がいいですよ、そろそろ鈴木さんの本領発揮ですから」

「どうした。パンチラチャンスか」

「そんなことよりもっと凄いものです」

「高校生のそんなシーン心待ちにするほど飢えちゃいないぞ、おれは」


 などと硬派なことを言いながらも気になってしまうのが男のサガ。それとなく空を見上げてみれば、鈴木はカメラを構えながら優雅な空中散歩の最中だ。太陽の光を受けてより白く光る脚をじっと眺めてみたが、パンチラはおろかそれ以上のものなんて見える気配がない。ちくしょう。いっぱい食わされたか。


 奇妙なことが起きたのはその時のことだ。つい数秒前まで晴れ渡っていた空に、突如、煙草の灰を落としたような灰色の雲が発生し始めたのである。


 まるで空気で膨らむおもちゃのようにムクムクと膨らんでいく雲は、あっという間に天を覆う。太陽の気配はすでに一切感じられない。湿った風が頬を撫で、甘い匂いが鼻につく。ミルク色の雨がにわかに落ちてきたと思ったら、あっという間に目の前が霞んで見えるほどの土砂降りになった。


「なんだよ、ちくしょう。どうなってんだこりゃ」

「鈴木さんですよ。彼女が超局所的に雨雲を発生させて、雨を降らせてるんです。雨が白いのは、カメラで映した時にこれが雨だとはっきりわかるようにするため。普通の雨だと、映像にした時に雨が降っているとわかりづらいんですよ」


 松丸に言われて空を見上げれば、空中にいる鈴木は左手に持った扇子をひらひらと扇いでいる。渦巻いた空気は霧へと変わり、それが急速に雲へと発達しているようだ。やりたい放題と言っても限度があんだろ。

「……天気まで変えられんのかよ。もはや神様だな、ありゃ」

「だから何度も言ってるじゃないですか。彼女は神様なんかじゃありません」


 おれの独り言に反応した松丸は、これ見よがしに息を吐いてフッと笑った。


「ドラえもんですよ、彼女は」

「いや、天狗だろ」


 瞬間、天が白い光に包まれ、胃を震わせるほどの雷鳴が鳴り響く。大粒の雨が身体中を穿ち、毛穴の奥まで染み込んだストロングゼロを溶かして流した。


「うへぇ」と叫びながら慌てて屋根のある場所へ避難するおれとは対照的に、映画部の面々は撮影を続ける鈴木を楽しそうに眺めていた。


 見てらんねぇよ、眩しすぎて。





 撮影がすべて終わり、部室に戻ったのが夜七時過ぎ。撮影した映像のチェックや道具の片づけを終えた後、思い立ったように長机の上に飛び乗った鈴木が、爽やかな笑みで深々と頭を下げた。


「今日はお疲れ様でした! いい撮影だったね!」


 突然の奇行に固まるおれを余所に、映画部の連中は拍手でそれを受け入れる。


「幸先は最高っ! こっからどれだけ仕上げられるか、楽しみだね〜」

「やれますよ、私達なら。なんだってやれます」

「飯綱さんの言う通り。僕達は無敵です」

「ねえ。みんなで写真撮らない? クランクインを記念して」

「秋葉ちゃん、それナイスアイデア~。早速撮ろっか! これが、伝説のはじまりだ! ってカンジで!」

「三脚、用意しますね。皆さんは扉の近くに並んで待っていてください」


 素直にすごいな、コイツら。普通の精神状態なら、急に机に昇る奴が目の前にいたら友達付き合いを考え直すとこだぞ。暴力的なまでの青春に若干引いていると、松丸が「ほら、新山田さんも」とおれの腕を引く。


「おれは別にいいだろ。映画部じゃないんだから」

「いいわけがありませんよ。あなたは鈴木さんが連れてきた脚本家なんですよ」


 いくらそんなことを言われたって写真に写る意味がわからない。「いやだ」「そんな子供みたいなこと言わずに」と互いに譲らず引っ張り合いをしていると、鈴木が「あの。ちょっといいかな」と手を挙げた。


「ごめん。わたし、写真はちょっと体質的にダメでさ。撮影する側に回ろうかなーって」


「天音ちゃん、写真が体質的に駄目って生まれてはじめて聞いたんだけど」と淡々と突っ込んだのは厳島。そりゃそうだ。そもそも、鈴木がそんなヤワで繊細は女には見えん。


「いやいや! ほら、わたし、天狗でしょ? 写真に写らないんだよねー、これが」


 それは吸血鬼の伝承だ。しかし、部員たちはそこに突っ込むことなく、「まあそれなら仕方ないかー」などと口々に言って納得した様子である。


 スマホを手に取った鈴木はこちらへレンズを向ける。おれは慌てて逃げようとしたが、左右の腕を松丸、鞍馬の両名に捕まれ身動きが取れない状態にされた。こうなりゃもう諦めるしかない。


「ほら、みんな笑ってー! はい、ムービー!」


 聞いたことのない掛け声と共に、鈴木はカメラのシャッターを切った。

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