クリエイター
翌朝。目が覚めたのは午前九時過ぎ。テレビをつければ、某アイドルの書いた小説がナントカとかいう新人賞を受賞した、なんてニュースがやっていたせいで寝起き早々気分が悪くなって、思わずリモコンを床にたたきつけ、ひとしきり地団太を踏んだ後、布団を被って「うぉぉん」と咆えた。
出版不況と言われる昨今、ネームバリューのあるヤツに本を書かせれば一定数の販売が見込めるのはわかる。わかりたくはないが、まあ仕方ない。とはいえ、出版社側に作家を育てる気概がないのなら、この不況は永遠に続くことは間違いない。
気づけ、在野に転がっているおれのような才能の原石に。そして育てろ。芥川賞と直木賞を同時受賞するくらいの大作家に。
朝飯を食い、手早く家事を済ませ、執筆作業に没頭していると、いつの間にか午後の一時半を回っていた。カップ麺で腹を満たし、着替えを済ませれば時刻は昼の二時過ぎ。ちょうどいい時間だ。
天狗女・鈴木天音の通う神海高校はおれの住むアパートから電車と徒歩で一時間弱のところにある。真っ直ぐ向かえば約束の時間より少々早く着く予定だが、念のためにバイト先を覗いてから行くので問題ない。昨日、鈴木は「バイトのことならなんとかする」と言っていたが、やはり気になる。
アパートを出て自転車に跨り、十分ほどペダルを漕げばバイト先の和食レストランに着く。店の様子を遠くから伺えば、なにやらやけに騒がしい。近づいてみれば、水たまりみたいに浅い人生観で日々を生きている森田という店長が、呆けた顔で店の外壁に背を預けているのが見えた
おれは店長に歩み寄り、「どうしたんですか」と声をかけた。
「ああ、新山田くんか。参ったよ、マジで。もう最悪っていうか、あり得ないっていうか」
「なにかあったんですか」
「店の備品が示しを合わせたみたいに全部一斉に壊れたの。エアコンはもちろん、冷蔵庫、コンロ、電子レンジ、食洗機……もう全部。呪われたかな、マジで」
森田は力なく笑った。
「当分、店の営業はできないから。申し訳ないんだけど、しばらく休みってことで」
◯
鈴木が口にした「なんとかする」という言葉があのような意味を持っているとは恐れ入った。さすが天狗だ。やることが違う。しかし、あの森田の表情は気分爽快だった。
森田の奴はおれが夢見るフリーターであることを内心小馬鹿にしている。おれと話をするときの表情を見れば一目瞭然だ。それに、おれに断りもなく土日のピーク時間にシフトをぶち込んできやがったときは、「フリーターなんだからいいでしょ」なんて平然と言ってきやがった。
バチが当たったんだと思って反省しやがれ。あわよくば責任を取らされてクビを切られて無職になって落ちぶれろ。
晴れやかな心持ちで自転車を漕いで駅へ向かい、電車に乗って最寄りの駅へ。時間帯のおかげか、電車内にはたいして乗客もいない。こういう時、おれはあえて座席の端ではなく真ん中へ陣取ることにしている。隣の席に荷物を置いておけば、誰も傍に座ってこないからだ。
十五分ばかり優雅な時間を過ごしていると、目的の駅まで辿り着いた。改札を抜けた後は徒歩移動。十分ばかり歩けば神海高校だ。
神海高校。学費も高ければ偏差値も高い、おまけに恐らく通っている奴らのプライドも高い。近隣の金持ち共が蟻のようにうごうごと集まる鼻持ちならない私立高校。これはおれの持論だが、あの高校をブチ壊せば世界は一歩平等に近づく。爆弾を落とすならあの場所だ。
さて高校の校門までやって来たのが午後の三時二十分。鈴木の姿が近くに見当たらず、仕方がないのでその場でじっと立っていると、警備員の爺さんが「そんなところで何をしているんですか」と言ってきやがった。この野郎、おれのことを不審者と決めつけたらしい。ふざけやがって。おれは呼ばれてここに来たんだ。いわば客だぞ。
などと爺さん相手に言ったところで暖簾に腕押し。無駄な労力を使いたくないので、「あ、すいません」と頭を下げて適当に躱そうとしたのだが、爺さんは「いやいやすいませんじゃなくってね」と食い下がってくる。
この野郎死ねと、心中でシンプルな呪詛を唱えたその時のこと、「新山田さーん」と救いの声が聞こえてきた。学校敷地内の方から手を振るのは天狗女・鈴木である。
「お待たせしました。学校の許可は取ってあるのでそちらからどうぞー」
鈴木の言葉で勝ちを確信したおれはふんぞり返るように胸を張って歩いたが、警備員の爺さんはといえば、「用があるならそう言ってくださいね」と自分の非を認めない。このジジイ、とっととクビにされろ。
鈴木は「こっちです」と言いながらおれを先導して歩く。職員玄関から校内に入り、無駄に広くて掃除の行き届いた廊下を進む。まぶしい制服姿の若い奴らがおれとすれ違うたび、異物を発見した白血球みたいな目つきで見てきやがる。
高校を卒業してはや十年。おれなんて、高校生からすりゃたしかにバイキンみたいなもんだ。ハイハイ。どうせ時代に取り残された人間ですよ。なんて投げやりな気分になったところで、前を行く鈴木が上がり調子の声で言った。
「いやあ、楽しみですねぇ。わたし、放課後にこんなイベントがあるって考えたら、昨日の夜は七時間しか寝られませんでしたよ」
ばっちり寝てるじゃねえかと思いながらも、おれは「そりゃいけませんね。育ち盛りなら八時間は寝ないと」と適当に相槌を打つ。
「大丈夫です。つまんない授業中はだいたい寝てたんで、合計十時間以上は寝てますから」
「あ、そすか」と呆れるおれの心中を知ってか知らずか、鈴木は軽やかに続けた。
「そうそう。新山田さん。敬語、やめてもらえません? そういうキャラなら別ですけど、年下相手に下から目線で話すのはガラじゃないですよね?」
おれが敬語を使っていたのは、この女が年下だからじゃなくて自称天狗で怪しげな力を使うからだったのだが、向こうから敬語が不要だというのならそれでいいだろう。
「じゃ、そうする」と答えれば、鈴木は「はい。そうしてください」と満足そうに頷いた。
神海高校は全三階建て、A棟からC棟まであり無駄に広い。主に部室が集まるというC棟の三階へ連れられたおれは、「こちらへどうぞ」と言われるままに『映画部』なる札が提げられた扉を開いた。
部屋は意外にも殺風景な様子だった。長机にパイプ椅子に雑誌や映像ソフトが詰められた棚にMac系のデスクトップパソコン。広さは十二畳ほど。クーラーが設置されているおかげで学校らしからぬ涼しさを感じる以外は至って庶民的な空間。置いてあるのは部屋の隅の大きなクリアコンテナくらいで、その中にはスマホやら三脚やらマイクやら撮影道具が詰まっている。こんなんで映画が撮れんのかと心配になったが、全編スマホで撮影した映画もあるくらいだ。この程度でなんとかなるんだろうと納得したところで、扉が開かれ見知らぬ奴らが入ってきた。
男がひとりに女が三人。全員そろって神海高校の制服を着ており、アウェー感が否めない。自然と背筋がしゃんとした。
「みんなー。この人が、わたしが話してた脚本家の人!」
鈴木がにこやかに声をかければ、高校生連中四人のうち唯一の男子生徒の奴が、早速とばかりに「はじめまして」と切り出した。背が高く、それなりに筋肉もあるところになんとなく威圧感がある。無駄に整った顔に浮かべる生真面目そうな表情は、硬い性格を思わせた。
「松丸明といいます。新山田さんのお話は、鈴木さんの方から聞いております。大変期待しておりますので、どうぞよろしくお願いします」
松丸の事務的な挨拶に「なにそのマジメキャラ。どこの引き出しから引っ張り出したの?」と笑って肘で小突いたのが、長い髪をふたつ結びにした眼鏡の女。ブレザーの下にマリリンモンローの顔が描かれたロングTシャツを着ており、なにやらサブカル女的な香りを感じる。
「ども〜。あたし、鞍馬紫苑っていいます〜。脚本の方はめちゃ期待してるんで、いいのお願いしますよ~」
鞍馬のあとにゆるりと頭を下げたのが、赤みがかった髪をショートカットにした淑やかそうな女。目尻がトロンと下がった顔つきは、育ちの良さを感じさせた。
「飯綱愛乃と申します。このたびはわたくし達の撮影に協力して頂き、ありがとうございます」
飯綱のスロウなペースの挨拶に続けて、「ども」と短く言ったのが、目が隠れるくらいまで雑に髪を伸ばした陰気そうな女。あまりお近づきになりたくないタイプの奴だな、コイツは。
「厳島秋葉です。よろしく」
いやに小さな声の厳島の自己紹介に続き、おれの方からも「新山田牧人です」と挨拶が終わったところで、鈴木が「さて」と手のひらを叩いた。
「お互いの名前も知ったところで、早速本題に入りたいと思います。最高の一本を作るために、みなさんのご意見を是非ともくださいな」
スマホで確かめてみれば時刻は三時半。制作会議は定刻通りに始まった。
〇
会議開始から二時間余りが経過し、時刻は五時半を回った。どれだけ時間が経とうとも意見がまとまる気配は無く、相も変わらず会議は平行線を辿っている。そのはずだ。飛び交うのは半ばふざけているのかと思うほど支離滅裂な意見ばかり。
会話を抜粋してみると、このような感じだ。
「流行る漫画って必ず刀が出てくる、なんていうよね~。映画だとどうなのかな~」
「流行っているかどうかはさておき、嫌いではないですがね、僕は。バイクに乗って刀を振り回すなんて、男の子って感じじゃないですか」
「あら。松丸くん、バイクと日本刀は〝ジョン・ウィック〟の専売特許じゃありませんよ」
「初出は韓国映画の〝悪女〟。わたしが知る限りは、だけど」
「いくらなんでも高速道路の貸切は天音ちゃんパワーでもキツいんじゃな~い?」
「全然キツくはないよ。でも、高校生がバイクを無免許運転って、上映したらちょっと怒られるかも。国に」
「それなら提案。わたしがバイクに乗らないで日本刀を振り回す。黄色のトラックスーツを着込んで」
「厳島さん。それ、ただの〝キル・ビル〟ですから。だいたい、それなら僕だって汚い着物を着込んでチャンバラやりたいですよ」
「待ってください皆さん。そもそも、刀を出すからってアクションにするという前提が固定観念に囚われていると言わざるを――」
ふざけた意見のぶつかり合いもブレーンストーミングというやつだろうと思いしばらく我慢していたが、そろそろ限界だ。ここは、創作者の先輩として意見を出さなきゃならん。おれは「ちょっといいか」と声を上げた。
「お。硬く口を閉ざしてたヤマっちがとうとう意見。楽しみ~」と鞍馬はおどけた調子で言う。ふざけろ。なにがヤマっちだ。
ひとつ咳払いしたおれは連中を見回す。
「あのな。さっきから聞いてたけど、お前らの話は一番重要なものが抜けてる。なんだかわかるか?」
「急に真面目。なんかヘンなスイッチ入った?」と言ったのは厳島。この女子高生ども、とことん大人を舐め腐ってやがる。
しかしここは我慢の場面。おれは大人だ。ぐっと怒りを堪えたおれは、「いいか?」と前置きしてから続ける。
「創作にあたって、一番大事なのは客だ。客の目だよ。客がいないと何を作ったって自己満足にしかならんからな。客がなにを望んでいるのか、どんなものを見たいのか、今のトレンドはなにか。そういったことを考えなけりゃいいモノは作れん。今回の場合はラクだろ。相手は高校生って決まってるし、制作側も高校生なんだから。てことで、それを踏まえて話し合い再開だ」
これぞ至極真っ当かつ覆しようのない正論。当然、拍手のひとつでも送られて然るべきだと思っていたが……どうにも皆の反応がよくない。いやそればかりか、全員そろってイナゴの佃煮を見るみたいな目をこっちに向けてきやがる。
「……なんだよ、その顔。なにが不満なんだ」
おれの問いかけに「いえ」と首を横に振ったのは唯一の男子高校生、松丸である。
「ただ、鈴木さんが連れてきた方がどんな人かと思えば、ずいぶんとトンチンカンなことを言い出す残念な方なんだな、と思いまして」
「おれの意見のどこがトンチンカンなんだ。日本刀がどうこうとかいうお前たちの会話の方がよっぽどトンチンカンだろ」
「バカなことを言わないでください。新山田さんの仰ったことはそれ以前の問題ですよ。だって、逆じゃないですか」
「逆? なんだよ、逆って。なにが逆なんだ」
「創作をするにあたって主体となるのは、結局のところどこまでいっても創作者――つまりは我々です。決して観客じゃありません。客の望んでるものを創る? 今のトレンドを追いかける? 無理ですよ、そんなの。時代は常に動いているし、映画は時間のかかる創作です。作り終えた頃には既にもう〝時代遅れ〟になっている。流行りを作るのはこちら側。それくらいの気概を持って臨まなければ」
反論がすぐに思い浮かばず言葉に詰まる。なかなか痛いところ突いてきやがったな、高校生のくせに。
心にできた小さな刺し傷が癒えぬところへ、二の矢を放ってきたのは飯綱だ。
「作者が自分の欲望を残らず詰め込んで、自分の人生を残らず詰め込んで、それでようやく自分だけのものが出来上がる。いいか悪いかなんて評価はあとからついてくるものだと思います。人気取りが目的、もしくは前提で作られた作品は、どこまでいってもその匂いが消えることはありませんよ」
さらに追い打ちをかけるように、鞍馬がそこへ「そうそう」と斬りかかってくる。
「もちろん! 評価を気にするのは我々にとって大事なことだとは思うんですけどね~。かといって、評価ありきじゃ攻めていけないんじゃないかな~って思いますけどね~。我々クリエイターはただ創ればいい! 評価云々を気にするのはプロデューサーとか、そういう人の役目だと思いますよ~」
次から次に正論の洪水をわっと浴びせてきやがって。汚いぞ。大人になればそんなの通用しないってわかるんだよ。世界は評価ありきなんだよ。
饒舌な心中とは裏腹に言葉がさっぱり出てこない。すっかり打ちのめされているところへ、厳島がおれの顔をじっと覗き込んで言った。
「新山田さん。あなた、いったい何が目的なの? 別に誰かに売るわけじゃないんだから、創りたいものを創るんじゃだめなの? 少なくとも、わたし達はそのために集まってるんだけど」
止めの一撃により正中線から身体を真っ二つに引き裂かれ、おれは思わずがっくりうなだれた。ちくしょう、若さという棒で好き放題に殴りやがって。勝てるわけがないだろうがよ。こんな真っ直ぐな奴ら相手に。場違いに決まってんだろうがよ。こんな希望の源泉みたいな場所におれみたいな現実のヘドロがいたって。
その時、アラームのような音があたりに響いた。
「あ、すいません。私、そろそろ行かないと」と言って慌てたようにパイプ椅子から立ち上がり、荷物をまとめ始めたのは飯綱だ。
「おーっと。もう愛乃ちゃんの門限の時間かぁ~。ざんね~ん。一旦ここまでだぁ」
「申し訳ありません。また、夜に連絡しますね」
にこやかに一礼した飯綱は急ぎ部室を飛び出した。飯綱が帰ったのを皮切りに、他の連中も帰り支度をはじめ、「じゃ、またねー」などの言葉を残して部室を去っていく。
取り残されたおれが未だソファーから立ち上がれずにいると、いつの間にか背後にいた鈴木が、ぽんと肩に手を置いてきた。
「新山田さん。わたしたち、今日の夜もオンラインで会議する予定なんですけど、参加できます?」
「……行けたら行く」
「わかりました。じゃ、これ渡しておきます。これなら通信料かかりませんから」
そう言って鈴木はおれに扇子を手渡した。開いてみれば、『天狗になってなにが悪い』と苦々しいほどの達筆で書いてある。
「……なんだよ、これ」
「扇子フォンです。基本的な使い方はスマホと同じですね。閉じた状態で放り投げれば、心から探したいと思うものの方向を指して倒れるので、探し物をするときは便利ですよ。あ、でも、暑いからってあおいで使うのはやめてくださいね。天狗風が吹きますから」
ふざけたもん渡しやがって。要するにたずねびとステッキと風神うちわじゃねえか。結局ドラえもんじゃねえか。などと毒を吐く気力すら、いまのおれには残っていない。