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色あせた青春

 天が割れ、地が裂け、概念が崩れた。空間の外殻が塵となり、残されたのは宇宙の出来損ないみたいなどこまでも黒い世界。どこまでも広がっているくせに、どこへ行っても何もない。北海道の牧草地の方が何千倍もマシだ。


 そんな世界の中に小さな背中がぽつんとひとつ、体育座りで丸まっている。後ろ姿だけで鈴木だとわかった。


 隣に並んで座ってみると、鈴木はこちらに視線を向けないまま喋り出した。そよ風が吹けば聞こえなくなるくらい小さな声だったが、虚無の空間ではいやによく響いた。


「……どうして残ったんですか、新山田さん。もう帰れませんよ」

「安心しろ。お前と一緒に必ず帰るつもりだ」

「話聞いてないんですか? 帰れないって言ってるじゃないですか。わたしにどうにもできないことが新山田さんにどうにかできるって思ってるんですか?」


 冷たくて刺々しい口調だった。話す気がないというよりも、何もかもどうでも良くなっているのかもしれない。


「なあ、鈴木。どうしておれを選んだんだ?」

「選んだって、なにがですか」

「お前は自分の映画を撮ろうって決めて、神海高校に学生として忍び込んだんだろ? 演者もスタッフも高校の生徒から集めて、どうして脚本だけわざわざおれを選んだのか、って思ってな」

「……はっきり言っていいんですか?」

「言え言え。どんどん言え」


「……正直、話題性だけなら全員高校生で固めた方がオイシイとは思ったんです。でも、話題を集めすぎるのも面倒じゃないですか。わたし、カメラにも映ったらダメなんですから。だからあなたを選びました。たまたま小説投稿サイトで見かけた、長年くすぶり続けた末に根性がめちゃめちゃにひん曲がったあなたを。それ以上でもそれ以下でもありません」


「……言うじゃねえか、クソ」

「新山田さんが言えって言ったんですよ?」

「わかってるよ。でも、だったらどうして《ゆうゆう国際ファンタスティック映画祭》に応募することに反対しなかったんだよ。あんなの、どうやったって注目を集めんだろうが」

「そんなの」


 言葉に詰まった鈴木は視線を宙に漂わせた後、今までよりもさらに小さな声で続けた。


「……そんなの、ただの気まぐれですよ。それに、あの程度の作品なら箸にも棒にも引っかからないで、誰の注目も集めずに終われると思ったからです」

「そうか? 挑戦しようっておれが言った時、お前ずいぶん興奮してたように見えたけどな」

「そ、そんなこと――」

「作ってるうちに、自分の作品を色んな人に見て欲しいって考えるようになったんじゃないのか。色んな人に自分の才能を認めて欲しいって思ったんじゃないのか」


 真一文字に唇を結んだ鈴木はおれに背を向け押し黙ってしまった。おれは負けじと鈴木の前に回り込み、逃げられないよう細い両肩をがっちり掴む。


「鈴木、このままここにいていいのかよ。外に出てまた映画撮りゃいいんじゃねえのか。自分が生きた証を、自分にしかできない方法で残せばいいんじゃねえのか」

「……できませんよ」

「できるだろ。むしろ、お前なんて楽な方だろ。スタッフ集めからロケの許可取り、天候の変化にドアトゥードアの長距離移動。なんだってできるんだ。黒澤明もお前の前じゃ道を譲るぜ」


「……そういう話じゃなくて。わたしには、単純に映画の才能が無いんです。わたしは、新山田さんが脚本を書き直すって言い出した時、あり得ないって思いました。あの作品があれ以上良くなることは無いって思ってました。でも、違った。あなたは脚本をきっちり修正して仕上げてきました。それどころか、編集や構成にもアイデアを出して、あの作品自体を何段階も上のレベルに引き上げました。聞きましたよ。『雨の日には中指を立てろ』、観客賞を取ったらしいですね。でもそれは新山田さんの手腕のおかげです。わたしじゃない。わたしが作り上げたのは、子供だましの駄作です」


 ボトン、ボトンと泥のように重い言葉を吐き出した鈴木は、卑屈な笑みで口元を歪めた。


「わたしは、なにも残せないんです。ここでひっそり死んでいくのが、天狗の……わたしの運命なんです」


 顔がカッと熱くなっていくのを感じた。血液がぎゅるんと全身を巡る。自分を落ち着かせるために、おれはひとつ大きく深呼吸したが――やはりどうにも我慢ならず、おれは鈴木の両頬を交互に引っぱたいた。


 驚いたように目を見開いた鈴木から間髪入れずにカウンターの平手が入る。


「な、なにするんですか?!」なんて女みたいな声上げやがって。クソ。骨が折れるかと思ったぞ。


 早くも腫れつつある右頬を撫でながら、おれは「アホか」と吐き捨てる。


「才能がない程度でどんだけ落ち込んでんだよ。弱音ばっかり吐いてどうなるってんだよ。なんか解決すんのか。しねえだろ。ただ気分が落ち込むだけだろ。もう一回言ってやるよ。アホか、お前は」

「あ、アホアホ言わないでください! 新山田さんにはわかりませんよ! 才能がある新山田さんには――」


「うるせえ! あんなのまぐれ当たりのラッキーパンチに決まってんだろ! だいたい、才能がありゃこの年になって小説家になるなんてスタートラインにすら立ててないような不甲斐ない結果になってねえよ! 天狗の神通力に頼ろうなんて思わねえよ! ねえんだよ、才能! おれは! でも作り続けなきゃいけねえんだよ!」

「なんでそんなことしなくちゃいけないんですか! 駄作を重ねれば傑作になってくれるんですか?! なりませんよね! なら、おとなしく諦めた方がラクじゃないですか!」

「どこまで行っても真っ暗闇でも結局のところは進むしかないんだろ?! 進むことでしか光を見つけられないんだろ?! 足を止めたところで何にもならないんだろ?! お前がおれに言ったんだぞ! 発言に責任を持てこのアホ天狗!」


 思い切り叫んだら心のモヤがようやく消えた。連休初日の朝みたいに晴れやかな気持ちだ。勢いつけて「ヨイショ」と立ち上がったおれは、未だ体育座りを続ける鈴木へ手を伸ばす。


「映画撮れよ、鈴木。鈴木天音ここにアリって証を、この世界にガンガン刻んでやれ」

「……できると思うんですか、わたしに」

「できるできないじゃねえだろ。やるんだよ。どんだけ辛くてもな。目標があるなら、そうする以外にねえんだ。おれも、お前も」

「……なんか、青春って感じですね」

「百歳超えた年増天狗と三十路間近の半オッサン男のやり取りって、青春って呼ぶには色あせすぎだろ」

「いいんじゃないですかね。いくつになっても青春ですよ」


 言いながらおれの手を取った鈴木は、目頭を押さえながら湿っぽい息を吐いた。


「青春ついでにすいません。少し、泣きますね」


 堪えきれなかった僅かな涙が、頬をつたってあごの先へと降りていき、行き場をなくして宙へと飛び出す。重力に逆らわずやがて足元へと落ちたそれは、小さな波紋を生み出した。


 波紋はおれたちを中心にして静かに浸透し、それに呼応して上空には大小さまざまな星が米をばら撒いたように急速に広がる。黒い世界に星があるのか。それとも、星の隙間を黒が埋めているだけなのか。それすらもわからない。この景色を前にすりゃ、天の川だって道を譲るはずだ。


 まるで宇宙の中心に立っているような、そんな感覚に陥っていると、鈴木がふと「そろそろ帰りましょうか」と呟いて立ち上がった。


「だな。名残惜しいけど」

「はい。名残惜しいですけど」


 鈴木はおれの右手をきゅっと握った。


「新山田さん。みんなに謝る時、あなたも隣にいてくださいね。じゃないとわたし、爆発しちゃうかもしれませんから」


 太陽みたいに強くなった星の光がおれたちを包んだ。





 光が収まり、視界が開ける。おれと鈴木が立っていたのは元いた世界――『ミヤモト』の店内だった。どうやら無事に戻ってこれたらしい。ホッとひと息吐きながら背後に感じた気配の方へ視線をやれば、映画部の面々が目を丸くしてこちらを見ている。驚くのはわかるが、「お帰りなさい」のひと言くらいあってもいいだろうに。


「おう。お前ら、帰ったぞ」


 おれが声をかけてやれば、四人はハッと我に帰ったように眉を動かすと、穏やかな笑みを浮かべながらスタスタとこちらへ歩み寄ってくる。感動の再会ってヤツだ。創作だったらみんなで抱き合ってるシーンだな、なんて思いつつ笑みを返していたら、抱き合うどころか飯綱の手により放たれたビンタがおれの右頬を正確に貫いてきたもんだから驚いた。なんだよ。おれが何したってんだ。


 痛みよりも先に困惑が襲ってきて、固まるおれを他所に映画部の女性陣は鈴木を囲む。


「天音ちゃ〜ん! よぉく無事で戻ってきたね〜! 平気〜? ケガとかしてない〜?」

「あのままお別れかと思いました。よかったです、本当に」

「でも、ああやって話もせずにサヨナラしようとするのはズルいと思う」

「秋葉ちゃ〜ん、いまそれ言わなくってもいいじゃん? ま、意見自体には全面的に同意するケドさ〜」


 いやいや。無事に帰ってきたのは鈴木だけじゃなくておれもなんだけどな。むしろ、おれが鈴木を無事に帰したんだけどな。いや、まあ、どうでもいいけど。どうせおれなんてアイツらからしてみりゃただのオッサンだし。なんて風に心中で卑下していると、唯一おれの元へ歩み寄ってきてくれた松丸が「仕方ありませんよ」と励ますように肩を叩いてきた。


「仕方ないってあるかよ。それなりに頑張ったけどな、おれ」

「頑張ったのは百も承知です。ですが、新山田さんは何も言わずに僕たちを突き飛ばして、ひとりで鈴木さんの元へ向かうなんてカッコつけた真似をしたわけですからね。不満を持たれるのも致し方ないかと」

「……カッコつけたわけじゃなくて、お前らを心配しただけだろ。万が一のことが起きた場合に、全員そろってなんて笑い話にもならんだろ」

「余計なお世話……というのが、女性陣の言いたいところなのでしょうがね。少なくとも僕は感謝していますよ」


 感謝しているのが松丸だけというのはイマイチ納得いかないが、ここで声を荒げるほど落ちぶれちゃいない。ため息ひとつで不満な思いを不問としたおれは、鈴木たちに視線をやる。


 子どものように何度も「ごめんね」と繰り返し、息の仕方も忘れるくらいに泣く鈴木と、干したての布団みたいな笑顔で鈴木を包む三人の姿は、安い言葉ではあるが〝友情〟なんてものを感じさせて、鼻の奥につんとくる兆しがあったのは、おれの不覚であるといえた。


 一通り再会を喜び合った後、「お祝いしよっか!」と鞍馬が言い出し、それからの行動は早かった。

厳島、飯綱のふたりが鈴木を連れてスムーズに買い出しに出る一方、鞍馬は店内に残されていた紙とペンを使って『おかえり 天音ちゃん』と書かれたカラフルな横断幕を作り、手持ち無沙汰のおれと松丸は店内の掃除に専念した。


 パーティーが始まったのが午後の一時。飲めや食えやで一時間ほど騒いだ後、「映画でも見よう」と鞍馬が言い出し、部屋にあったホームシアターセットを使っての鑑賞会が始まった。それからは『期待はずれだった続編フェア』というお題で、映画部部員の独断と偏見により選ばれた作品が次々と流された。


『ターミネーター3』から『インディ・ジョーンズ4』、『スターウォーズエピソード8』に『パシフィック・リム:アップ・ライジング』、締めの一本に『ゴッドファーザー』のパート3……全て終わる頃にはとっくに日付が変わっていて、部員一同揃ってノックダウンという散々な有様だった。おれはといえばなんだか妙に目が冴えるせいで眠るに眠れず、かと言ってこの状況でひとり家に帰るのもなんとなく気が引けて、仕方がないのでそっと窓を開けて、冷たい風が頬の熱さを奪っていく感覚を楽しみながらぼぅっと夜空を眺めていた。


 都内の空は星が少ない。あんな死にかけのホタルみたいな光じゃ、たとえホウキでかき集めたところで部屋を照らす灯りに使えるかどうかも微妙なところだ。目をつぶれば、まぶたの裏には鈴木と共に見た無限の星々がひしめき合う景色が映る。おれが死ぬまでの間、あれ以上の景色を見ることはないに違いない。


 ふと、背後に人の気配を感じた。不思議と、振り返らなくても鈴木だとわかった。


「寝なくていいのか」

「なんだか寝てられなくって。新山田さんの方はいいんですか、寝なくて」

「同じだ。寝てられなくてな」


 おれの隣にそっと立った鈴木は、おれと同じように空を見上げはじめた。


「新山田さん。すいませんでした。わたし、ウソついてたんです」

「ウソ?」

「はい。わたし、たまたま見つけた新山田さんを脚本家として選んだなんて言ったと思うんですけど、あれウソです」

「じゃあなんだ。くじ引きでも引いて選ばれたってか」


「いえ。単純にわたし、新山田さんの作品が大好きなんです」


 心臓が小指で突かれたような気分だった。我慢しきれなかった笑みで頬が緩み、恥ずかしいのを誤魔化すために「ウソじゃねえだろうな」なんて疑り深い言葉が咄嗟に口を突いて出る。


「本当です。本当に本当ですよ。ウソだったら――」

「わかってる。疑って悪かったよ」


 必死にすがるような鈴木の視線から逃げるため、おれは「それで」と話を切り替えた。


「なんで急にそんな告白したんだ」


「いや、その……頼みたいことがあるんです、真剣に。いいですか?」


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