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ドラえもん

 小学生の時分、便利な道具をドラえもんから貸して貰えるのび太君が大変羨ましかった。「おまえの道具の使い方はなってないんだよ。おれの方がよっぽどうまく『もしもボックス』を使えるぜ」、なんて他愛のないことは幾度と考えた。夜、寝る前にはひみつ道具の使い方を夢想するのが日課だった。


 中学生に上がる頃には、ドラえもんについて考えることなんてなくなった。ドラえもんの映画やアニメも、いつの間にか見なくなっていた。


 ……二十八歳にもなって、まさかあの青タヌキに助けを請うとは思いもしなかった。


 助けてくれ。本当に助けてくれ、ドラえもん。


 眼前のスクリーンでは、主役らしき外国人俳優が黒服に身を包んだ敵らしき奴らに追われながらニューヨークらしき街中を必死に走っている。なんでこの男が追われているのかすらも、おれにはわからん。先ほどから全ての情報が意味を伴って脳内に入ってこない。何でもいいからここから出たい。


 チカチカする映像をなんの感情もなく眺め続け、時間が経つのだけをひたすら待ち続けていると、いつの間にか後ろの席に座っていた鈴木が声を掛けてきた。


「新山田さん、新山田さん。どう思います、この映画」

「……いや、その、アレですね。原作であんなこと言ってたのに、今さらになって恐竜狩りが違法だとか言い出すのはどうかと思いますよ、あの青タヌキ」

「誰が『のび太と恐竜』の話してるんですか。この映画ですよ、『イミテイター』ですよ。どうです?」


 そんなこと聞かれても感想なんて出てくるわけねえだろ。こっちは延々心中でドラえもんに助け求めてるんだぞ。映画なんて毛ほども見てないんだよ。


 そんなことを答えてこのバケモノめいた女の機嫌を損ねるのも怖い。かといって、適当な感想を述べるのもまた怖い。仕方がないので、「まあボチボチですかね」と当たり障りのないことを言えば、鈴木は「えぇ~?」とさも不満そうな声を上げた。終わった。終わりのない地獄に叩き落される。夏休み32日目みたいな空間に放り込まれる。


「新山田さん。それ、センスなくないですか? わたし的にはこの映画、全然ナシってかんじなんですけど」

「で、ですよね。無いですよね、こんな映画。本当サイアクの出来だと思いますよ、マジで」

「やっぱそうですよねぇ。こーんなくだらない映画なら、わたしだって作れますよ」

「いやぁ、いけると思いますよ鈴木さんなら。だから、こんなところでこんなクソみたいなもん観てないで、さっさとご自分の映画を作る準備――」

「あ、新山田さんもそう思います? じゃ、協力して貰えません?」


 おれの肩に手が置かれる。恐る恐る後ろを振り向けば、鈴木は妖怪のように不気味に微笑んでいた。

「新山田牧人さん。あなたに、わたしの作る映画の脚本を書いて欲しいんです。ウチの部で高校の文化祭で上映するための映画撮ることになりまして」

「……映画の脚本、ですか? おれが?」

「はい。いけません?」

「……いけないっていうか、なんていうか、というか、どうしておれなんです?」

「わたしがあなたのファンだからですけど。あなたがネットに投稿してる小説は、全部読ませていただいてますよ。それ以外の理由って必要ですかね」

「……いや、そりゃありがたいんですけどね。でも無理じゃないですかね。おれ、あなたみたいな妖怪の類みたいな方の満足するようなもの書ける気がしませんよ」

「誰が妖怪ですか、誰が。わたしはただの天狗ですって」

「いやいや何を言って……いや、天狗?」

「はい、天狗」


 鈴木はパチンと指を鳴らした。


 ものの見事に意識が両断され、視界が黒く塗りつぶされた。


 ――一般的な天狗のイメージといえば、赤い面に長い鼻、葉っぱの団扇に修験者めいた服装だろう。

だとしたら、その天狗三種の神器を持たない、見た目はただの女子高生の自称天狗、鈴木天音は何者だ?

どうして全席買い占めなんてマネができる。どうしておれの名前を知っている。どうして四次元ポケットも持たないのにひみつ道具も驚きの芸当がこなせる。


 わかっているのはひとつだけ。


 あいつは確実に人間じゃない。





 意識を取り戻すと、そこは一面暗幕に覆われたような真っ暗な空間だった。目を開けているのかつぶっているのかすらわからない。どこだ、ここは。無間地獄か?


「新山田さん、起きました?」


 鈴木の声が上空から響いてきた。慌てて体を起こして黒い空を見渡せば、月のかわりに奴の顔が浮かんでいる。頬をつねるまでもなく現実である。


「……あの。すいません。なんですかね、この空間。あれですか、地獄とかですか?」

「あれ。ひょっとして落ち着きません? 暗い空間の方が好みかなーって思ったんですけど」

「いや暗いのは落ち着くんですけどね。空に喋る人間の顔が浮かんでるとどうにも落ち着かないっていうか。いや、鈴木さんが悪いわけじゃないんですよ。ただ、こういうのが初体験なので」

「大丈夫ですよ。わたし、人間じゃないですから。天狗ですよ、天狗」


 話通じてねぇよコイツ。我が道を行く織田信長スタイルだよ。取りつく島は遙か彼方だよ。問題は人間か天狗かじゃなくて喋る顔が浮いてるとこなんだよ。どうすりゃいいんだよ。

「ま、ここが落ち着かないっていうなら仕方ありません。改装するので少々お待ちを」


 俺の困惑など知らぬ調子でそう言うや否や、鈴木の顔が見る見るうちに膨張していく。限界まで膨らんだ奴の顔は瞬く間に空を覆い――破裂。思わず伏せた顔を恐る恐る上げた時には、星の少ない東京の夜空に景色が変わっていた。同時に、忘れかけていた夏の夜の蒸し暑さが全身を覆う。


「さあ、これで落ち着いて話せますよね」


 今度の声は背後から。振り返れば、鈴木は丸い貯水タンクの上に足を組んで座っていた。どうやらここは地獄などではなく、どこぞの集合住宅の屋上らしい。とりあえず、自分がまだ生きているようでホッとした。


 おれはとりあえずその場に腰を下ろし奴を見据えた。夜闇の中に白い脚が艶めかしく光っている。


「改めまして、新山田さん。わたしが作る映画の脚本を書いてもらえませんか?」

「いや、その……さっきも言ったんですけどね。無理な気がしますよ。あなたみたいな天狗さんが満足するような脚本を書くのなんて。そもそもおれ、素人ですし」

「素人っていっても、ネットに小説投稿してるじゃないですか」

「いやいや。あそこに投稿してるのは全部遊びの作品ですし」

「でも、プロ志望ではあるんですよね。公募に落ちた作品を投稿してるって、プロフィール欄に書いてるじゃないですか。だったら、映画の脚本くらい書けておいた方が仕事の幅が広がると思いますけど」

「それは一理あるとは思うんですけどね」と答えるおれは、脚本を書く自信が無いわけではない。むしろ、ある。アリアリだ。おれはただこの天狗だかなんだかわからん女と付き合いを持つのが嫌なだけだ。


 もごもご言い訳をするおれを見て、天狗女・鈴木は息を吐く。


「ま、急だったんで仕方ありませんよね。考える時間も必要だとは思いますし。とりあえず、今日は諦めます」


 鈴木は「それじゃ」と手を振って、貯水タンクから飛び降りた。突然のことに「あっ」と声が出るその直前、見えない糸に引かれるようにふわりと持ち上がった奴の身体は、蝶のように空を舞い始めた。


「また来ますからね、新山田さん。その時こそお返事ください」


 不穏な言葉を残した鈴木は、すいと空を漕ぎだして、夜闇の中へと消えていった。


 ひとり取り残されたおれは、だんだんと遠のいていく奴の頭にタケコプターが着いていないかを必死に探した。

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