天狗の住処
翌日の午前十時。おれは喫茶店『アンリ』の窓際ボックス席に座り、うまくもまずくもないホットコーヒーをすすっていた。対面の席には不満そうな表情で窓の外を眺める松丸が、おれの隣には無の表情でなにもないところを見つめる厳島が座っている。
コーヒーの液面をマドラーでいたずらにかき混ぜる松丸は、ふと深いため息を吐いた。
「……せっかく短い冬休みが始まったというのに、こんな喫茶店でなにをしてるんでしょうかね、僕は」
「そんなこと言わなくたっていいだろ。せっかくここまで来たんだからよ。ゆっくりコーヒーでも飲んでろって」
「『絶対に来い。じゃないと一生後悔する。』なんてメッセージを知人から送りつけられたら、普通の人は面倒だと思いながらも来ると思いますよ」
「そんなもんかね。どうでもいい相手からそんな嘘くさいメッセージ送りつけられても無視するけどな、おれだったら」
松丸は黙ってコーヒーをすする。その横顔はいかにも不貞腐れていたが、かわいいもんだと余裕で構えられるんだから、おれもずいぶん成長したもんだと思った。
しばらくコーヒーを飲んでいると、背後に人の近づいてくる気配を覚えた。背中を刺すようなそのひりついた空気だけで、やってきたのは店員ではなく、待ち合わせ相手である飯綱、鞍馬のふたりであることがわかった。
「……入り口で愛乃ちゃんに会ったからまさかって思ったけど、やっぱこのメンツなんだ。会うことはないと思ってたんですケドね~」
「それで、いったいなんの御用でしょうか。つまらないことでなければいいんですが」
それぞれうんざりした口調で恨み言を吐き捨てたふたりは松丸の隣に腰掛ける。四人がけのボックス席は整理されていない物置みたいにぎゅうぎゅうだ。
おれは単刀直入に切り出した。
「鈴木を探す。会って話をしたいんだ。おまえたちも手伝ってくれ」
するとすかさず、飯綱から針のように鋭い視線と共に「馬鹿にしないでください」という冷たい言葉が浴びせられる。想定通りの反応に、おれは堪らず苦笑した。
おれは自分のペースを崩さず、コーヒーをすすりつつのんびり語る。
「ところで、おれたちで作ったあの映画、《ゆうゆう国際ファンタスティック映画祭》で観客賞取ったんだぞ。知ってたか?」
「知ってます。それがなにか?」と飯綱はあくまで険しい顔を崩さない。
「いや。素直にすごいなって思ってな。高校生でこれだけの結果残すなんて、なかなか出来ることじゃない。しかも、その結果を鼻にかけようともしない。なんだよお前ら、完璧超人かよ。おれだったらすっかり天狗になってるとこだぞ。神通力も使えないのに」
「天狗、という単語を口に出さないでください。思い出さなくてもいいことまで思い出します」
「思い出さなくてもいいことってなんだよ。みんなで汗かいて努力して映画を作ったあの毎日のことか? どうして思い出したくないんだよ」
「……そんなこと――」
「楽しかったんだろ? だから思い出したくないんじゃないのか? 思い出すと辛くなるから、思い出したくないだけじゃないのか?」
矢継ぎ早にぶつけられた言葉に、飯綱は首筋まで真っ赤にした。口元からギリギリと歯を食いしばる音が漏れる。
赤く滲んだ瞳でおれを睨んだ飯綱はテーブルを平手で打つと――。
「わかってるなら……わかってるなら黙ってください!」
一気に、抑えていた感情を爆発させた。
店内の乾いた空気が冬の朝のようにぴんと張り詰める。有線放送の静かなオーケストラがその場に漂う緊張感をより高めた。
「あの毎日が偽物だったから許せないんじゃないですかっ! わかりますか?! 何もかも、天音さんの思う通りにやらされていたかもしれないんですよ、私達はっ! 一挙手一投足が彼女の思いのままだったかもしれないんですよっ! 友達だと思っていた彼女に操られていたんですよ! ……信じられますか、許せますか、そんなこと!」
「――わたしは、許せるけど」
青い叫びに即答したのは他でもない、厳島だった。
この答えがあまりに予想外だったのか、飯綱は口を半開きにしながら目を白黒させる。他の部員たちも似たような反応だ。
そんなことはどこ吹く風の厳島は、その場にいる全員の顔をゆっくりと見回しながら言った。
「わたしが子役やってたの、みんな知ってるでしょ? あれね、お母さんに言われて半分無理やりやらされてたの。いろんな役をやって、褒められることだっていっぱいあったけど、楽しいなんて思ったことは一回もなかった。ただ、言われたからやってただけ。みんなが喜んでくれるからやってただけ。演じることに、わたしの感情は少しも関わってなかった。
でも、今回は違ったよ。天音ちゃんに誘われて……って言っても、もしかしたら操られて『うん』って言わされたのかもしれないけど、とにかく一緒に映画を作って、生まれてはじめて演じることを楽しいって思えた。もしもこの感情が天音ちゃんに作られたものだとしても、わたしは、それで構わない」
湿った雰囲気の中に、厳島の独白が確かに響いた。
「会いたいな。会って、話したいな。天音ちゃんと」
二度目の沈黙。しかしその場に漂う空気は、先ほどとは違ってどこか温もりの感じられるものだった。
ぽつりと、松丸が「僕は」と口を開く。
「僕は、厳島さんとは違います。簡単には許せませんよ、鈴木さんのことは。楽しかったといえど、操られていたかもしれないなんて……だから、僕だってもう一度彼女に会いたいです。会って、話をつけたいです」
それに賛同するように、鞍馬が軽く右手を挙げる。
「ま、このまま逃げられたんじゃ、気になってマトモに年も越せないしね〜。どう転ぶにせよ、話つけたいってのは賛成。でも、どうやって探すの?」
鞍馬の視線がこちらへ向く。期待されたところで何か意見が言えるわけでもない。だいたい、アイデアを持っているのなら、はじめからそれを試してるに決まってんだろ。
黙って首を横に振ると、鞍馬は「ありゃりゃ」とこぼし、平手でぴしゃりと額を叩いた。
「相手は空を自在に飛び、扉があればどこへでも消える天狗ですよ? まさか、無策で私達を誘ったんですか?」
「そのまさかだ」
「……ふざけてますね」
たった七文字の鋭い切れ味でおれの無能っぷりをばっさり切り捨てた飯綱は、勢いよく席を立つと、懐から何かを取り出してそれをテーブルに叩きつける。それはおれたちにとって馴染みの深い、鈴木謹製の『天狗フォン』だった。
「行きますよ。私に考えがあります」
◯
天狗フォンの主たる機能はスマートフォンと同じである。通話、カメラ、ネットサーフィン……。また、おれの扇子に限った話ではあるが、開いた状態で傾ければストロングゼロが出てくるという仕様になっている。
「――ですが、この扇子の機能はそれだけではないんです」
そう語る飯綱は扇子フォンを天高く放り投げた。ゆっくりと半回転してコンクリートへ着地したそれは、コンパスのように回転した後、南南東を指し示す。
そう。説明されていたはずのおれでさえすっかり忘れていたこの扇子フォンの隠された機能。見つけたいと心から願うものの方向を指し示す、『たずねびとステッキ』だ。
先頭を行く飯綱の背中に、「よく覚えてたな」と声をかければ、「自転車の鍵が見つからなくなった時にはなかなか重宝しました」などとわりと庶民的な答えが返ってくる。
「しかし、こんな手段を思いついてたなんて、本当は飯綱も鈴木を探そうとしてたんじゃないのか」
「いけませんか? だって、話くらいしたいじゃないですか。友人がなにも言わずに消えてしまったんですよ」
少し震えた飯綱の声が、乾いた冬の空によく響いた。
扇子フォンが指し示すままに道を行く。空はよく晴れており、上着を着ていると汗ばんでくる。この〝ひみつ道具〟を信じれば、とりあえず鈴木が地上のどこかにいることは確かだが、たとえば奴がニュージーランド辺りにいたら厄介だ。扇子フォンはあくまで鈴木の場所を指し示すだけであって、最短距離を指してくれるわけじゃない。万が一、海を指されたらどうすりゃいい? ボートでも用意して大冒険の始まりか?
なんてことを考えながら歩いていると、飯綱がふと立ち止まって、「ここのようですね」と扇子が指す方向に目を向ける。
そこにあるのは二階建ての建物であった。ひとことで表せばボロ家。それ以上で表せば、時代の残りカスというべきか。家主はなにか商売をしていたのだろう。庇代わりに備え付けられた店舗用テントに、掠れた文字で『ミヤモト』と書いてある。締め切られたシャッターはひどく錆び付いていて、開くかどうかすら不安なところだ。
「……天狗の住処にしては、ずいぶん貧相だな」
「で、ですが、この扇子は間違いなくここを指してます」と飯綱。そんなおれたちの間に鞍馬が、「まあ。もしかしたら、天音ちゃんの力で中はすっごく豪華なのかもしれないしね~」と割って入る。
そんな会話をかわすおれたちを置いて、厳島はオンボロシャッターを数度叩いた。
「天音ちゃん、天音ちゃん。いないの?」
しかし、案の定というべきか中から反応はない。少し強めに叩いても同じ。
鞍馬はおれの背中を押した。
「よぉ~し、新山田さんっ! こうなったらばちーんと割っちゃってください、窓!」
「なんでおれなんだよ。お前がやりゃいいだろ」
「だって、あたしたちがやったら犯罪になっちゃうじゃないですか」
「おれが割っても犯罪だろ」
すると、神妙な表情をした松丸がおれの肩に手を置いた。
「仕方ありませんね。一旦帰って、また夜に出直しましょう。新山田さんはバールか何かを用意しておいてください」
「結局おれにやらせるつもりじゃねえか。なんだよ。フリーターならなにさせてもいいと思ってんのかよ」
おれたちのやり取りを見て鼻から小さく息を吐いた飯綱は「とはいえ」と言った。
「本当にどうしましょうか。このままでは強硬手段を取るしかありませんよ」
「でも、それしか方法がないなら、やるしかないかも」
厳島が強い決意を感じさせる言葉を呟いたその時、「オイ。なにやってんだ」とふいに背後から声をかけられた。
まさか、おれたちの犯罪計画がどこからか露呈したのか。いざという時には真っ先に逃げるために、脚に力を込めつつ振り返れば、そこにいたのはなんと三池だ。ビビって損した。
「なんだ、三池かよ。脅かすな」
「なんだとはなんだ。ただ声かけただけだろ?」と三池はへらへらしながら電子タバコの煙を天に向かって吐き出す。相変わらずの不健康男め。
「知り合い?」と厳島はおれにぼそぼそと問うてくる。
「学生の時からのな。近づくなよ。基本的にこの男は周囲の人間に悪い影響を与える」
「人をバイキンみたいに言うんじゃねえっての」
少し不服そうな表情を浮かべた三池は馴れ馴れしく肩を組んできた。骨ばった腕が首筋に当たってうっとおしい。
「しかしよお、若い連中引き連れて、こんなところ覗き込んでなんの用だよ」
「なにやってたっていいだろ。お前には関係ないんだから」
「ところが、関係あるんだよなあ、これが」
「なんだ。お前の実家か何かなのか」
「ちげーよ。俺、ここの管理任されてるんだ。掃除に来たんだっての」
三池は鍵の束を上着のポケットから取り出し、おれの目の前でちらつかせながら長い説明をはじめた。
曰く、この『ミヤモト』という店はもうずいぶん前に潰れたレンタルビデオ店なんだという。風が吹けば倒壊してしまいそうな外装とは裏腹に、店の奥には元店長が趣味をこじらせた挙句に奥さんにナイショで作ってしまった、100インチを超えるスクリーンと5つのスピーカーが完備された最高級シアタールームが広がっているらしい。
三池が学生のころに所属していた『白鯨』という映画クラブは、元店長から「店をいつでも使っていい」という条件の元、ここの清掃並びに管理を任されていたらしいのだが、数年前に彼が亡くなって以来、ここにはしばらく彼の孫が住んでいたんだという。で、その孫とやらも最近になって自分の家を持ち、その結果、空き家となったこの店の管理を再び任されるようになったのが三池という話である。
なるほど。こりゃ好都合だ。
おれは三池の持つ鍵束に手を伸ばす。
「三池。それ、寄越せ」
「……待て、待てって。話聞いてただろ? 俺は、信頼されてこの店を任されてんだよ。友人とはいえ、『おう、いいぜ』でここの鍵を渡せると思うか?」
「思わん。でも、おれがなんの理由もなくこんなこと頼むと思うか?」
「だったらその理由とやらを話せっての」
「天狗の女子高生がここに閉じこもってる可能性がある」
「アホ。それを信じろってのか?」
「信じないなら力づくだ。人数考えろ。五対一だぞ」
「いや、さすがに力づくはちょっと……」と松丸が腰の引けたことを言い、他の部員たちも首を縦に振ってその意見に追従する。
「なら一対一だ。とにかく、それ寄越せ」
三池はおれの顔をじっと覗き込んできた。おれの真意を測ろうとでもしているのか、今日までの付き合いの中でほとんど目にしたことのない妙に真面目くさった表情をしてやがる。腕組みで構えたおれはその視線を正面から受け止めた。
やがて、観念したようにうなずいた三池はおれに鍵を投げ渡した。
「……わかったよ、持ってけ。ただし、明日必ず返せ。それと、中の掃除はお前たちでやっとけ。約束だからな」
「わかったよ。約束だ」
おれの答えを待たずに歩き出した三池は、電子タバコを咥えて白煙を空に噴き出した。
「いい友達ですね」と呟いた松丸の肩を小突いたおれは、錆びたシャッターの鍵穴に鍵を差し込んだ。




