栄光の瞬間
劇場を出たおれは鈴木のことを探して映画館を歩き回った。たいして広くもない館内は五分足らずでほとんど回り終えることができたが、鈴木の姿はどこにも見当たらない。スタッフに鈴木のことを見ていないか訊ねたが、目を白黒させながら首を横に振るばかりで頼りにならない。まさか授賞式を前にしておれたちに何も言わずに帰ったわけではないだろうとは思うが、あの迷子の顔を思い返すとなんとなく不安だ。
とりあえず唯一足を踏み入れてない場所、女子トイレの前でじっと待っていると、中から人が出てきた。鈴木ではない。
妖怪の類みたいに長い黒髪に、180cmに迫る長身。ジーパンにトレーナーの飾り気内ラフな服装は昔と変わらない。見間違うわけもない。おれにとって不俱戴天の仇――だとおれが勘違いしていた相手、小津杏だ。
「すまない。なにかを拭くものを持っていないだろうか? 席に忘れてきてしまってね」
顔が濡れて半分目をつぶっているせいだろう。小津はおれをおれと認識しているわけではないらしい。「ああ」と答えながらハンカチを渡してやれば、「助かる」と答えた小津はそれを受け取る。
小津は顔を拭きながら言った。
「先ほどの映画を観たかい? アレはすごかったな。撮影もさることながら、構成が見事だ。完全に一本取られたよ」
「……そうか。そりゃよかった」
「ああ、よかった。私は一応審査員でもあるから、自宅でもあの作品は観たのだがね。やはりスクリーンで観るとまた違った魅力がある。素直に拍手を送るよ。監督はもちろん、君にもね。ずいぶんと久しぶりだ、新山田牧人」
名前を呼ばれて、心臓が内側から破裂しそうになった。
顔を上げた小津はニヒルに微笑み、畳んだハンカチをおれに差し出す。震える手でそれを受け取った瞬間、奴はおれの手を握手の形で力強く握った。
「やはり、私の目に狂いはなかった。君の書いた脚本、素晴らしかったぞ」
「……たまたまだ。あんなの、二度と使える手じゃない」
「二度と使える手じゃないとしても、一度目は君だ。それに、創作はたまたまじゃ通用しないぞ。君には、人を楽しませる力がある」
その時、背後から「おい」と聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ると、煙草代わりにチュッパチャップスを一生懸命に吸う三池がいる。
「新山田――って小津も。なにやってんだ、ふたりして。そろそろ授賞式だろうがよ」
「悪いな。すぐに行く」
パッと手を放した小津はおれに背を向ける。腰ほどまで乱雑に伸びた黒髪が楽しそうに暴れた。
「ではな、新山田。そのうちまたゆっくりと話そう。今度こそ、逃がさないからな」
「……逃げねえよ、今度は」
早足で歩いていく小津をその場で見送っていると、三池が再び「おい」と声をかけてきた。
「ウチの大将となに話してたんだよ」
「……たいしたことじゃねえよ。それより、ウチの監督見なかったか」
「あの美人女子高生か? 見てねえけど、入れ違いで席に戻ったんじゃねえのか」
「だといいんだけどな」
急ぎ元の劇場へ戻ろうとするおれの背中へ、三池の声が追いすがる。
「新山田。ウチの大将に惚れんなよ」
「うるせえ」と答える代わりに、おれは天に向かって中指を立てた。
〇
劇場後方に用意された神海高校映画部の席へと戻ったが、鈴木はおろか全員の姿が見当たらない。みんなそろってトイレってわけじゃないだろうに、どこ行きやがった。
授賞式を前にして、劇場内はにわかに色めきだっている。こういう雰囲気の中、ひとりでいるのは心細い。仕方なく席に座って待っていると、おれの元へやってくる奴がいた。待ちかねた映画部員の誰でもなく三池だった。
しなびたポテトを咥えながらこちらに歩み寄ってきた三池は、おれ以外誰もいない席を見て目を丸くした。
「おいおい。そっちは大将どころかお前以外誰もいねえじゃねえか。どうしたんだよ、ボイコットか?」
「んなことする奴らじゃねえよ。たぶん、鈴木を探しに行ってんだろ」
「とはいえ、ミイラ取りがミイラになったんじゃどうしようもねえな。とりあえず、ひとりしか席にいないんじゃ締まらねえ。俺も一緒にいてやるよ」
偉そうなことを言いながら三池は松丸の座っていた席に腰掛けた。いつもなら余計な世話だと追い返してやるところだが、今日ばかりはこいつの図々しさが頼もしい。
時刻は七時ちょうど。ふっと場内の照明が落ち、前方の壇上にライトが当てられる。そこに立つのは、めかしこんだ服装の男女ふたり組。恐らく授賞式の司会者だろう。共に整った顔立ちだが、うちの看板役者たちには及ばない。
「さあさあ皆さんお待たせいたしました! お待たせしすぎたかもしれません! わたくし、第三十八回《ゆうゆう国際ファンタスティック映画祭》、各賞の受賞作品発表並びに授賞式の司会を務めさせていただきます、園と――」
「北野でございまーす!」
息ぴったりで自己紹介した司会者コンビへ会場から拍手が送られた。それを受けて全方位に向けて両手をぶんぶん振ったふたりは、さらに続ける。
「今年も例年同様! いやそれ以上に力作揃いということで、どの作品がどの賞を受賞するのか! 楽しみですね、北野さん!」
「どの作品がどの賞を受賞してもおかしくないスからね! いやーっ! どの作品も本当に楽しかった!」
「ここから一番を決めなければならないのが本当に辛いところなのですが……お時間も押しに押しておりますので、早速、発表の方に移らせていただきたいと思います! そういうわけで、まずは脚本賞から!」
舞台袖からスーツ姿の男が出てきて、北野とかいう司会の女に白い封筒を手渡した。それを受け取り封を開け、中に入っていた手紙を取り出した司会は、確かめるようにひとつうなずき、神妙な面持ちで会場を見渡す。
しなくてもいい緊張が全身を縛る。とても平静じゃいられない。貧乏ゆすりが止まらない。「あわよくば」なんて思いが心のどこかにあるのだろう。
「それでは、発表します。第三十八回《ゆうゆう国際ファンタスティック映画祭》脚本賞、受賞作品は――」
海の底みたいな沈黙がその場を支配している。窒息しそうな重苦しさの中、天を刺すような声が会場に響いた。
「『君へ。』です! おめでとうございまーす!」
全身の力が抜けていく。落ち込んだというよりも、どこかホッとした節さえある。そりゃそうだ。あれで賞なんて獲れてたら何も苦労してない。
隣に座る三池が、いやらしく笑いおれの肩を肘で小突いてきた。
「残念だったな。リベンジならず、ってか」
「別にあれで賞なんて取れるとは思ってねえよ。ただの一発ギャグみたいなもんだからな」
「オトナだなオイ。俺が知ってる新山田牧人だったら、前の座席蹴ってるとこだぜ」
「やるかよ、そんなこと」
三池の手からしなびたポテトを奪ってかじる。塩が薄く、食いごたえのないポテトだ。
脚本賞を受賞した女が壇上に呼ばれ、司会にマイクを渡された。目に涙を溜めながら感謝の言葉をいくつか述べ、「ありがとうございました」と震える声で締めた女は目元を拭いながら席へと戻っていく。会場に響く拍手の音の一助となりながらおれは、「次こそみてろ」と呟いた。
「さあさあお次は! 観客賞の発表でございます! 北野さん、よろしくお願いしまーす!」
司会の進行を聞いておれは思わず首を捻った。観客賞なんて、九年前にはなかったはずだ。その点を三池に問えば、「四年前からできたんだよ」という。
「ライブビューイングで観てる観客も含めて、映画祭に参加した一般客にその日観た映画のうち一番を決めてもらうんだ。で、得票数が一番多かった映画が観客賞に輝くってわけだな」
「人気投票みたいなもんか」
「そゆこと。新山田が一番嫌いなことだな」
「んなわけねえよ」と言っても今日までの行いを振り返ればまったく説得力がないため、仕方なく沈黙に徹しているうち、司会に例の封筒が手渡される。
封筒を開いて中の手紙を取り出した司会は、驚いたように目を丸くしながら微笑むと、ぐるり場内を見渡した。
「第三十八回、《ゆうゆう国際ファンタスティック映画祭》観客賞受賞作品は――神海高校映画部、『雨の日には中指を立てろ』です! おめでとうございまーす!」
途端に強く心臓が跳ねる。思わず席を立ち上がってしまったところへ、眩いスポットライトが降り注いだ。夢じゃねえ。現実だ。あいつら、どうしてこんなタイミングに誰一人いないんだよ。
「それでは、神海高校映画部の代表者の方、壇上へどうぞー!」
響く拍手と司会の声が主役の登場を煽りに煽る。出ていくべきやつがいないのに、誰か出ていかなきゃどうしようもない。
「お、おい。どうすりゃいいんだよ、三池」
「どうするっていくしかねえだろ、お前が。俺が出るわけにゃいかんだろ」
「そうは言ってもおれだぞ? おれなんて、ただの雇われ脚本家で――」
「いいから行けっての! 向こうはお前の事情なんざ知らねーんだよ!」
背中を押される形で一歩前に出ると、自分の席は既に遥か後方だ。こうなりゃヤケだ。行くしかない。
拍手に包まれながら恐る恐る壇上へ上がる。場内の視線がおれだけに集まっている。待ち望んでいた景色はあまりの緊張のせいか、異様に遠くなったかと思えば、急に眼前まで迫るのを繰り返している。ズームイン、ズームアウト。『オールドボーイ』のクライマックスを思い出す。
やがて、拍手が止んだ。おれのスピーチを待っているんだろう。声を絞り出そうとしたら、「あー」とか、「その」とか意味のない言葉ばかり出てきた。そうじゃねえだろ。なんだっていい。とにかく、思ったことだけをただ話せ。
おれはただ前を見据えながら、頭に浮かんだ言葉を紡ぐ。
「……まずは、皆さんに謝らなくちゃいけません。おれはこの壇上に上がる資格なんてないんです。本来、ここに立って挨拶しなきゃいけない奴が、ちょっと席を外してまして。それで、おれがここに立ってます。場違いだとはわかってますけど、すいません。おれが、代わりに挨拶させてもらいます。
それで……おれがこの場所に来たのは、今日が二回目になります。一回目が九年前、小津杏監督の作品、『ライリーにささぐ』の脚本を書かせて頂いたのがキッカケでした。ご存知の方も多いかもしれませんが、あの作品は最優秀作品賞を、小津監督は監督賞を受賞しました。脚本を書いたおれには、なにもなかったですけど。あのときの監督のスピーチは今でも覚えてます。『月並みな言葉ではありますが、私がいまここにいるのはみんなのおかげ』なんて綺麗事を並べてました。
……正直、おれは小津監督のことを恨んでました。おれの名前を前面に出してくれれば、もっと有名になれたのになんて。でも、恥ずかしながら最近になってようやくわかりました。小津監督の言うことはなにひとつ間違ってない。映画ってのは役者ひとりの力だけでも、スタッフひとりの力だけでも、脚本家ひとりの力だけでも、もちろん監督ひとりの力だけでも成立しない。全員の力が重なって、ようやくひとつの作品になり得るんです。ひとりだけじゃ到底作れないんです。こんな当たり前のことに気づくまで、ずいぶん時間がかかりました。
……長くなりましたので最後にひとつだけ。こんなおれを脚本家として誘ってくれた鈴木監督に、ありがとうと言わせてください」
深く、頭を下げた。遠くから拍手が聞こえてきた。恥ずかしくて仕方ない。顔から背中まで汗でしっとり濡れているのを感じる。
顔を上げて場内を見回したが、ここにいるべきあいつらの顔は未だどこにも見当たらない。もう一度頭を下げたおれは飛ぶように壇上から降りて、急ぎ劇場の外へと向かう。
慌てておれの後を追ってきた三池が肩を掴んでくる。
「おい、新山田。どこ行くつもりだよ。もしかしたらお前たちの作品、最優秀作品賞だってあるかもしれないんだぜ」
そんなもの、ひとりで受け取るにはあまりに重すぎる。「知るか」と返したおれは、大事なときにどこかに消えたあいつらを探しに向かった。




