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逆転

 ――最近、なんだか妙な胸騒ぎが止まらない。映画は無事に撮り終わって、文化祭で行われた上映会は満員御礼の大盛況。なのに、どうして――なんて、わざわざドラマティックに考えなくたってわかる。


 わたしの心をざわつかせるのは新山田さんだ。正確にいえば、あの人が書き直すと豪語した脚本だ。


 新山田さんは本当に書いてくるんだろうか? 新山田さんは本気で書けると思ってるんだろうか? あの映画はあれで完成している。なにをやったところで無駄なんだ。


 あれ以上のものは出来上がらない。あの映画はあれで終わり。そうに決まってる。


 そう自分に言い聞かせながら過ごすうちに数日が経った。新山田さんから連絡はない。


 諦めて、尻尾巻いて逃げちゃったのかな、なんて意地悪な考えが頭によぎったその時、扇子フォンからプルルと呼び出し音が鳴った。


 電話をかけてきたのは新山田さんだった。わたしはなるべく平静を装いながら、「新山田さんじゃないですか。どうされたんです?」と訊ねてみる。


「鈴木、朗報だ。追加分の脚本ができた。あの映画は、もっと楽しくなるぞ」


 わたしの心臓がどきんと跳ねた。





 アイデアが浮かんでからは早かった。その日のうちに追加分の脚本を書き終え、部員たちに部室に集まるように連絡。翌日、神海高校へ赴いて完成したそれを奴らに読ませた。


 部員たちは脚本を読み回すと、互いの顔を見合わせ、それからいたずらっぽく微笑んだ。


「なるほど。これは、観客の笑顔に熱湯を浴びせるような脚本ですね」と松丸。これに鞍馬が「熱湯っていうか、センブリ茶的な? 文化祭で映画観た人たちにこの脚本見せたら、きっとニガ〜い顔すんだろ〜ね」と続けば、「俺達を馬鹿にしているのか、なんてことまで言われてしまいそうですけど」と飯綱が上品に笑い、「悪くないかな。むしろ、わたしは好き。こういうの。短編映画の醍醐味じゃない?」と厳島が好意的な意見で締める。


 おおむね感触は悪くない。残る部員は鈴木だけだが、奴は不思議と脚本を手に持ったまま動きを止めたままだ。なにか意見があるのだろうか。


「鈴木、お前はどうだ」


 おれが問いかけてみると、鈴木は「わたしは」と小さく口にしてまた固まる。常に頬を彩っていた朗らかな笑みは消え、感情の消えたガラス玉のようになった瞳がこちらを見つめている。


「……わたしは、みんなが言うなら反対しないけど。でも、撮り直しなんて上手くいくのかな? 映画祭までの時間だって限られてるし、それに何より、あの映画はあれで完成してるんだよ。完成品に手を加える行為なんて……どうなのかな?」


 予想外に鈴木は及び腰だ。コイツなら、二つ返事で「やろうやろう」なんて答えてくれるもんかと思ってた。


 腹の虫の居所でも悪いのかと思い、「どうしたんだよ」とおれが問いかけるより先に、松丸が「あの」と挙手しつつ発言する。


「鈴木さん。だからこそいいのだとは思いませんか? たしかに、作品の方向性はがらりと変わるかもしれません。しかし完成品をひっくり返すからこその良さがあると、僕はそう思いますが。それに、再撮影だってこれならワンシーンで済む。提出期限には十分間に合います」


 途端に重い沈黙がその場を支配する。葬式みたいに喋り辛い空気が蔓延し、松丸は慌てて頭を下げた。


「出過ぎたことを言いましたね。申し訳ありません」

「ううん、いいの。松丸くんの言う通りだと思う。そういう良さもアリ、だよね?」


 慌てて首を横に振った鈴木は、おれたちを見回しながら言った。


「じゃ、やってみよっか。ちょっと不安かもだけど」





 追加撮影は翌日早々に行われた。一分強の長さのシーンを撮るためだけに掛かった時間は約五時間。現場での思いつきで主観視点での撮影もしたから、予想よりもはるかに時間が掛かってしまった。相変わらず効率の悪い創作だとは思うが、まあそういうもんだと理解すれば楽しめないこともない。


 天狗的神通力でロケ地から部室に一瞬で戻ってきたおれたちは、早々に撮影した映像のチェックをはじめた。パソコンに映し出される映像を真剣な目つきで見つめる映画部のメンバーは、「よく撮れてるな~」、「これならリテイクは必要ないですね」などと満足げに口にしている。この反応なら明日から編集作業に入れると考えてもいいだろう。映画祭の提出期限にはなんとか間に合いそうだ


 映画についての心配は目下見当たらない。気に掛かるのは鈴木の態度だ。撮影中はスタートとカットを掛ける声にどこか張りが無かった。撮影が終わったいまは、部員と一歩離れたところでぼぅっと立ちながら窓の外を眺めている。その姿は機嫌が悪いとか、そういうようには見えないのだが、どこか心ここにあらずといった様子だ。


 おれは鈴木に歩み寄り、そっと小声で話しかけた。


「どうした、鈴木。腹でも痛いか」

「いえ。そういうわけではないですけど。変な風に見えました?」

「変ってか、いつもはもっとうるさいくらいに元気だろ」

「いやですねぇ。わたしだって静かな時くらいありますよ」


 鈴木は乾いた笑い声を上げる。なんだかますます心配になってきたが、どう接してやればいいのかわからない。おれなんかじゃ役に立たんだろう。


「……とにかく、お前もあいつらと一緒に映像確認しろよ。監督だろ?」

「ですね。すぐ行きます」


 色の無い微笑みを浮かべた鈴木は部員の輪の中に混じっていく。部の連中に任せりゃいいと思っていたが、失敗だったかもしれん。


 ふと思えば、なんだかあいつは文化祭の日から妙にテンションが低い。燃え尽き症候群というやつなんだろうか。あるいは、元の脚本の方が気に入っていたのだろうか。もしかしておれは余計なことをしたのか。いやしかし、部員全員の合意の上でやったことだし……。


 腹に抱えたモヤモヤした思いが行き場を無くして気持ち悪い。とりあえず外の空気でも吸ってこようと廊下へ出ようとしたその直前、部員達が「うーん」と唸る悩ましげな声が重なって響いた。


 全員そろってパソコンの画面を見つめ、難しい顔をしている。


「どうした、お前ら。なんかあったか」というおれの問いに代表して答えたのは編集作業を一手に担う飯綱だ。


「追加撮影分の映像について悩んでおりまして」

「もしかして、ノイズが酷くて使いものにならないとかか?」

「いえ、そんなことはないんですよ。ただ、撮影の時にはこのままラストに差し込むだけで問題ないかと思ったのですが、ちょっとクドくなってしまいそうでして……いいアイデアが浮かばないんです」

「ちょっと見せてみろ。素人考えが役に立つこともある」


 おれは先ほど撮影した映像をざっと確認した。たしかに、このまま差し込むにはこの映像はクドすぎるというのが正直な感想だ。だとすれば、この問題に対する最適解は――。

 瞬間、脳裏に浮かぶ作品。あれだったらいけるんじゃないか。


「……飯綱。たとえばなんだけど、この映像をぶつぎりにしてサブリミナル的に差し込んだらどうだ?」

「サブリミナル、ですか?」

「そうだ。市川崑の金田一耕助シリーズ、見たことあるか? それによく使われてる手法だよ」


「す、すいません。勉強不足で……」と飯綱は申し訳なさそうに頭を下げる。


「だったら是非とも観てみろ。すごいぞ、ありゃ。とにかく、その手法ならハマると思うぜ。台詞じゃなくて絵で説明する映画の良さも出るはずだ」


 おれの話を聞いた鞍馬はタブレット端末を鞄から素早く取り出し、なにやら調べ始める。「うげ〜、古い映画〜」と声を上げつつ部員を手招く。画面を見て目を丸くし、「新山田さん、よくこんな古い映画観てたね」と呟いたのは厳島だ。


「友人に映画バカがいてな。そいつに付き合わされて、色々と見てるだけだ」

「ふーん。今度紹介してよ。興味あるかも」

「断る。あんな男を女子供が視界に入れたら、今後の成長に悪影響が出る」


「けち」と呟いた厳島は長机に置かれたタブレットに視線を落とし、他の奴らと同じように石坂浩二が演じる金田一を眺め始めた。しばらくは鑑賞会の時間だろうな。


 ふと見れば、鈴木はいつの間にか部員たちとは一歩距離を置いたところに立っている。「観なくていいのか」と訊ねると、「ソーシャルディスタンスを大事にしてるんです」と一昔前に流行った概念を振りかざす。


「それにしても新山田さん、すごいんですね」

「別にすごいことなんてねえよ。たまたま知ってて、たまたま思い浮かんだことを言っただけだ」

「創作の世界にたまたまなんてありません。どうです? わたしの代わりに監督やりますか?」

「よせよ。監督はお前だけだ。他に代わりなんていない」


 黙って微笑んだ鈴木はその場に浮かび、宙空で寝そべりながら眠そうな目をタブレットに向けた。





 十二月八日の午前十時十分。おれは喫茶店『アンリ』にて、ホットコーヒーをすすりながら人を待っていた。待ち合わせ時間は十時ちょうど。となれば、そろそろ――。


「待たせたか」とちっとも悪びれていない様子の声が背後に聞こえたのは、スマホで時間を確かめたその時のことだ。現れたのは三池である。


「悪いな、三池。急に呼び出して」

「構わねえよ? で、どうした」

「映画が完成した。そいつをお前に渡そうと思ってな」


『雨の日には中指を立てろ』を焼いてあるディスクをテーブルの上に置くと、三池は下手な口笛を吹いた。


「驚いたな。正直、お前から連絡きた時はギブアップ宣言かと思ったぜ」

「おれ以外の奴らが死ぬほど気合入れたからな。なんとかなった」


 卓に店員がやってきて、三池の注文を訊ねにきた。「カフェオレひとつ」と言いつつ煙の出ない電子タバコを咥えた三池は、にやりと笑ってこちらを見る。


「で、新山田。どうだったんだよ、映画作りは」

「んなこと聞いてどうするつもりだよ」

「参考までにな。で、どうだった?」

「……すべてにおいて効率が悪い。なにをするにも不便。いちいち家の外に出るのが面倒。でも、まあ、全体的にはそこまで悪くなかった」


 三池は「そりゃよかったな」と吐き捨て、小馬鹿にするように鼻で笑った。若干ムカつくが、あれは三池の機嫌がいい時の笑い方である。


「悪くなかったならなによりだ。何事もやってみるもんだろ?」


「だな」と答えると同時に思わず苦笑が漏れ出たのは、かつての自分自身に巻きつけた鎖の存在をふと思い出したからだ。


「なに笑ってんだよ、オイ。頭のネジ緩んだか?」

「いや、くだらんことを思い出した。何年か前にした一匹ゴジラの話、覚えてるか?」

「よく覚えてるよ。四年に一度レベルのくだらん話だったからな。それがどうしたってんだ」

「ゴジラってのは確かに一匹だ。でもあいつ、結構な割合で人間に協力するよな、なんて思ったんだ」


 三池はゲハハと下品な笑い声を上げる。


「おいおい、〝非力な人間〟と手を組んだ言い訳か?」

「よせよ。そんなんじゃねえ」


 おれがモゴモゴと否定したタイミングで、店員がカフェオレと伝票をテーブルへ運んできた。


 三池はカフェオレを自らの手元に寄せる一方、伝票をおれの方に弾き、それから「ふん」と鼻で笑った。


「この前は俺が払ったはずだよな。だからここはお前の奢りだ。いいだろ?」

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