みんな死ね
おれより才能のある奴なんて、みんなまとめて死ねばいい。そうすれば自動的におれが繰り上がりでナンバーワンで、おれがウォルト・ディズニーだ。少なく見積もっても世界中から数千単位で人が死ぬことになるが、人間なんて七十億以上もいるんだ。少しくらい減ったところでたいして問題もないだろう。
ある九月の火曜日の昼間。天気は快晴。おれは近所の映画館にいた。さすが平日というべきか、館内は客よりも店員の方が多いという有り様である。閑古鳥の鳴き声が虚しく響き、甘いキャラメルポップコーンの匂いが無暗に漂っている。
暇を持て余した店員が店番する売店で、暇を持て余して来たであろう老夫婦が仲睦まじく割高のドリンクを買うのを横目に眺めていると、「大変お待たせいたしました。スクリーン2にて13時35分から上映の『イミテイター』、入場開始時刻となりました」といった内容のアナウンスが響いた。
チケットを片手に入場口まで行くのはおれひとり。寂しくはない。むしろ、それを狙ってこの映画を選んだ、まである。
人のいない映画館は大好きだ。両隣の席を勝手に使っても問題なし。それどころか、前の席に足を置いたところで注意ひとつされない。なにより単純に広い。最高のおひとり様空間。同じひとりといえど、六畳一間の我が家にいるのとは大違いだ。
入場口でやる気が無さそうに立っていた店員にチケットを確認させ、劇場に足を踏み入れる。薄暗い空間では自動車教習所の地方CMが流れていた。思っていた通り、おれ以外に客はいない。
予約していた中央やや上寄りの席に腰掛ける。ここに来るまでに予め近くのコンビニで買っておいたペットボトルのウーロン茶の蓋を開け、上映前に一杯やっていると、場内に人の入ってくる気配がした。店員かと思って慌ててウーロン茶を懐に隠したが、やって来たのはどうやら客だ。
制服を着た高校生らしき女がひとり。透き通るほど白い肌が暗闇に映える、髪の長い狐顔の女。この時間はまだ授業中だろうに。不良め。とはいえ、ツレがいないのはホッとした。友人あるいはカレシを連れて来られて、上映中に騒がれたら堪らん。
安堵しつつ隠したウーロン茶を再び取り出し、CMを眺めながら飲んでいると、あろうことかその女が「ヨイショ」とやけに年寄り臭い声と共に隣の席に座ってきた。なんだコイツは。俺のおひとり様空間を邪魔しやがって。だいたいこれだけ席が空いてるんだから、もっと別の席を予約すればいいだろうに。
ともあれ、隣に見知らぬ奴がいたんじゃ落ち着かない。黙って席をふたつ後ろの席へ移動すると、女が声を掛けてきた。
「そこ、チケット買ったんですか?」
整った顔立ちを盾にして面倒くさいことを言ってきやがる。これだけ席が空いてるんだから、どこに座ったっていいだろう。事を荒立てても仕方ないので、「取ってるけど」と適当にあしらおうとしたところ、「本当に?」とまた面倒な答えが返ってきた。しつこい女だ。中途半端な正義感振りかざしやがって。
「本当だよ。嘘ついて何になるってんだ」
「じゃあ、なんでさっきまでこの席座ってたんです?」
「間違えたんだよ。それだけ」
「ああ、そうだったんですね。でも残念。その席も間違ってますよ」
「なんでそんなことがわかるんだ」
「だってその席、わたしが買ってますもん」
「だったら、そっちだっていま座ってるその席、間違ってるだろうよ」
「わたしはいいんです。この席も、その席も、わたしが買ったものですから」
アホなこと言いやがる。どうせ嘘を吐くならもっとマシな嘘を吐けばいいのに。しかし、言い争うのも飽き飽きしてきた。「ならこれならいいだろ」と隣の席に移れば、「そこも買ってます」とすかさず指摘してきやがる。さらに隣の席に移っても同じ。
「というか、あなたが元いた席以外、全部わたしが買ってますけど。大人しく戻ってきたらどうです?」
救いようのないアンポンタンに絡まれちまった。こうなりゃ頼れるのは店員しかいない。黙って席を立ったおれは劇場を出て、なにをしているでもないのに忙しそうにパソコンを弄っている店員に「あの」と話しかけた。
「どうされましたか?」と答える店員は面倒くさそうな態度を隠そうともしていない。
「これから上映されるシアター2の『イミテイター』なんですがね。なんだか変な客がいまして。空いている席と交換して貰えませんか? どこでもいいんで」
「ご迷惑をお掛けして大変申し訳ありません。すぐに手配させて頂きます」
一礼した店員は手早くパソコンを弄り始める。これで解決だと思いきや、顔をしかめた店員はもう一度「大変申し訳ありません」と言って頭を下げた。
「もう既にすべての席が埋まっているようなんです」
「いやいや。劇場にはおれともうひとりしか客がいませんよ」
「ですが、実際に全席完売しておりまして……」
そんなアホなことがあるかと、怒りに任せてカウンターに身を乗り出して店員の弄っていたパソコンを無理やり覗き込めば、あろうことか全席真っ黒に塗りつぶされている。たしかに完売してやがる。アホなことが起きちまった。どういうことだ、こりゃ。本当にあの女が全席買い占めたのか? どこのバカ富豪だ。
「じゃ、いいです」と言い残し、急ぎシアター2へ戻れば、入り口近くの席に移っていた先の女が「どうでした?」と勝ち誇ったように言ってきやがった。
「どうもこうもあるか。どういうこった、こりゃ」
「こういうことですよ。ここには、わたしと、あなたしかいません。諦めて映画観てください」
「いやだ。隣に名前も知らん人間がいる状態で映画を観るだなんてまっぴらごめんだ」
「鈴木天音です」
「は?」
「だから、鈴木天音です。花の高校二年生。ほら、これで名前も知らん人間じゃないでしょ?」
ペニーワイズかよ、この女は。もう付き合っていられん。1800円は払った後だが、コイツと一緒に二時間ばかり過ごすくらいならカネなんぞ川に落としたと考えて家に帰った方がマシだ。
黙って回れ右をして、分厚い扉を乱暴に押して外へ出たが、どういうわけだか扉を開けた先はまたシアター2。あの女がにこやかに「おーい」とこちらに手を振っているのが見える。
たしかにおれは劇場から出たはずだ。たぶん寝不足かなにかだろう。「いやいや参るな」とぼやきつつ背後の扉から外へ出たが……待っていたのはまたシアター2、女の笑顔。
……どうやら、人類はおれの知らん間にどこでもドアの開発に成功したらしい。しかしつまらんことをする奴もいたもんだ。シアター2からシアター2へドアトゥードアで行けたところで店員すら得せんだろう。しずかちゃんの風呂を覗こうとするのび太の方がまだマシな使い方をしてるぞ。
落ち着いて、あくまで落ち着いて、それでいて早足で非常口へ向かい扉を開いたが……その先に広がっていた景色はまたもやシアター2。
心臓がぎゅうと握られたような気分になった。なんだこりゃ。おれがいったい何の罪を犯してシアター2無間地獄へ叩き落とされなきゃいかんのだ。ペットボトル飲料とお菓子をこっそり持ち込んだ罪にしてはデカすぎるだろ。
「助けてくれぇ、おれが悪かったから」とへなちょこな声を上げながら扉を何度も叩いたが、当然のように返事はない。ふざけろ。1800円払ってるんだぞ、おれは。
「無駄ですよ。これから上映する映画をわたしと一緒に観ない限り、ここからは出られませんから」
くだらん邦画のCMの音声に混じり、鈴木何某とかいう女の声が聞こえてくる。
「新山田牧人さんはどこへなりとも、お好きな席に座ってください。わたしからの奢りですので。どうぞ遠慮なく」
なんで名前を知ってやがる、なんて些細なことは今更言わない。言いたいことはただひとつ。
助けて、ドラえもん。