2話『チンピラに絡まれる』
突然だが、俺はこの世界の人間ではない。
生まれも育ちも現代日本の、どこに出しても恥ずかしくない日本男児だ。
そう、前世はそうだった。
ごく普通の両親に育てられ、ごく普通のFラン大学を卒業。
その後、ごく普通のブラック企業に就職しただけの平凡な人間である。
毎朝「あーあ、会社に隕石落ちてこねえかなー」と思いながら目を覚まし。
夜は「あーあ、キラークイーンで客と上司爆殺してえなー」と思いながら電気を消していた、ごく普通の会社員だ。
そんなだから、ぶっちゃけ車に轢かれて死んでもなんとも思わなかった。
むしろ、転生できると知ったときは「よっしゃやりい!」と恒例の何もない空間でガッツポーズを決めたくらいだ。
気がつくと、俺はラッドという名前で異世界の農村に転生していた。
王都からは遠く離れ、水洗トイレもない中世ファンタジー的な田舎だ。
最初はスマホもネットもないことに絶望したが、すぐに気を取り直した。
そう、俺にはチートが授けられていたからだ。
気づいたきっかけは、母親が大事にしていた花瓶を割ってしまったときのこと。
「ヤバい! 殺される!」と真っ青になった瞬間、花瓶の破片がひとりでも元通りになった。
俺に与えられた力。それは『復元』
こと直すことにかけては、時間の巻き戻しに等しい最強の能力だ。
これがあれば、俺は一生食いっぱぐれることはないだろう。
それどころか、英雄として名を馳せることも可能かもしれない。
そんな風に胸を踊らせていたのもつかの間だった。
アレクシア・シュレーディンガーという圧倒的な規格外が、俺のすぐ近くにいることに気がつくまでの、淡く儚い夢だった。
彼女のぶっ壊れっぷりに比べたら、俺など便利なお世話係に過ぎない。
結局、この世界でも俺は主人公にはなれないのだ。
ああ、どうしてこうなった俺の異世界転生……!
「どうしたの、ラッド。泣いてるの?」
「……いや。目にゴミが入っただけだ」
心配そうにこちらを覗き込んでくるシアから俺は顔をそむける。
今、俺たちがいるのは、魔法学院のある王都だ。
村から馬車で三日かけてたどり着いた王都は、思わず圧倒されるほどの活気に満ちていた。
「さあ二人とも! わしについて来い! わしがいれば何も心配はいらんぞ!」
保護者として、シアのお爺さんこと村長が同伴してくれていた。
御年八十になろうというのに、その足取りは頼もしい。
聞けば昔は冒険者として、それなりにブイブイ言わせていたのだとか。
夕飯に招かれるたびに武勇伝を聞かされたから、パターン1から24くらいまでぜんぶそらで言える。
そして、学院に入学するといえば、恒例のアレが待っているはずだ。
「村長。学院って入学試験みたいなのはあるんですよね?」
「む、よく知っとるなラッド。その通りじゃ。だがお主なら問題なかろう。試験内容は、簡単な読み書きと、魔法の適性を見るだけじゃ。試験と呼ぶほどのものではない」
ガハハと笑う村長。
しかし、俺が心配していたのは、受かるかどうかではない。
「魔法の適性って、具体的にはどうやって調べるんですか?」
「なーに簡単なものよ。試験官の前で、得意な魔法を一つ披露すればよい。中級以上の魔法が使えればそれで合格じゃ」
「はあ……」
試験官の前で魔法を披露、か。
さっそく嫌な予感がしてきたぞ。
俺はチラ、と横目にシアを見た。
すると、彼女は安心させるようにほほえみ、
「大丈夫。あなたは落ちないわ」
零号機のパイロットみたいなことを言い出した。
「はは、ありがとな。でも別に心配してないよ」
「あなたが落ちたら、学院を吹き飛ばして村に帰るから」
綾波はそんなこと言わない。
というか、頼むから何もせずに帰ってほしい。
「ガッハッハ! 責任重大じゃの、ラッド!」
そこ笑うとこですか、お爺さん?
……なんて言えるはずもなく、俺は曖昧に笑った。
そんな他愛ないやり取りをしているうちに、目の前に学院の建物が見えてきた。
白亜の殿堂、と呼ぶにふさわしい純白の校舎。
周囲を白レンガの壁に囲まれ、荘厳な趣きの校門がそびえ立っている。
学院の名はモンテヴェルデ魔法学院。
何でもそれなりに歴史ある学校だかで、今年で創立二百周年を迎えるのだとか。
「おお、でかい門だなー……あいてっ!」
「ってえな、気をつけろ、田舎もんが!」
立派な門扉を見上げて感心していると、後ろから誰かにぶつかられた。
金色の髪をオールバックにした、いかにもいいとこの坊っちゃん風な少年だ。
かたわらには、従者か何かと思しき女の子も立っている。
見たところ、少年も女の子も俺たちと同年代のようだ。
俺はむっとして言い返した。
「止まってた俺にぶつかったってことは、そっちだってよそ見してたんだろ!」
「何だと!?」
「お前だって本当は門を見上げながら歩いてたんじゃないのか?」
「て、テメエ……オレが誰だか知らねえと見えるな! おいシルヴィア! 教えてやれ!」
「はっ、こちらの方はレシオ・ボング・リッケンバッカー様でございます。リッケンバッカー公爵のご子息にして、当家の次期当主となるお方です」
「そうだ! オレは公爵家の長男なんだよ! おら、分かったらとっとと這いつくばって許しを請いやがれ!」
俺の鼻先に指を突きつけ、レシオとやらは得意げに言い放った。
村長が目をかっと見開く。
「リ、リッケンバッカー家の令息じゃと……!」
「知っているんですか、村長?」
「知っておるも何も、王都では知らぬ者のいないバカ息子じゃ。最近では出来のいい弟の方を当主にたてようという動きもあるとかないとか……」
「じ、ジジイィいいい――! テメエ、どこでそんな話を……!」
わなわなと震えるレシオをよそに、シルヴィアなる従者の女の子が言った。
「ご老人、よくご存知ですね」
「ガッハッハ、伊達に歳は取っとらんわい」
「シルヴィアアアアア――! 主人がコケにされてんのに何ボケっとしてんだ! 怒れ! オマエも!」
「しかし、事実ですので」
「きぃイイイイイ――!」
「安心したかラッド。こんな放蕩息子でも金さえ払えば学院には入れるんじゃ」
「う、うん……」
とうとうレシオは顔を真っ赤にして怒り出した。
「もう許さねえ……! テメエはここで地獄に送ってやるぞ、このクソ田舎もんがあああ!」
――え、俺?
しかもクソがついて罵倒がパワーアップしていやがる。
「おら、くたばりやがれ! 『メガ・ファイアーボール』!」
何やら大層な呪文を唱えると、レシオの掲げた手のひらの上で、真っ青な炎が燃え盛った。
村長が焦ったように後ずさった。
「くっ……! あの小僧、勉学や作法はてんでなっとらんと聞いていたが、なかなかどうしていい魔法を使いよるわ!」
「そうなんですか!?」
「うむ。青い炎は通常の赤い炎よりも温度が高い! それだけ威力も大きいということじゃ!」
「解説ご苦労ォおおお――! 三人まとめて消し炭になりやがれえええ――!」
轟! と唸りを上げて青い炎が襲いかかる。
俺の復元魔法に、直接的な攻撃力はない。
万事休すかと思ったそのときだった。
さっきからぼーっと門を見上げていたシアが、突然くしゃみをした。
「へくちっ」
ボシュン!
『メガ・ファイアーボール』はあっさりと消えてしまった。
まるで、ロウソクの火のような呆気なさ。
「な、何しやがった、そこの女……」
「? 私のこと?」
「たりめーだろ! オマエ以外に誰がいんだよ! いったいどうやってオレの『メガ・ファイアーボール』を打ち消しやがった!? まさか『マジック・キャンセル』か!? しかし、詠唱をした様子は……!」
額に玉のような汗を浮かべながら、レシオがうろたえている。
だが、シアはおなじみのきょとんとした顔のまま首をかしげた。
「どうやってって言われても……ただくしゃみをしただけだけど?」
「く、くしゃみだと!? バカな、『メガ・ファイアーボール』は炎属性の上級魔法だぞ! それをただのくしゃみなんぞで打ち消せるはずが……!」
「なら、さっきの『メガ・ファイアーボール』? は調子が悪かったんじゃない? もう一回試してみたら?」
「な、なめやがって……! 後悔するなよ、女ァああああ――! 『メガ・ファイアーボール』!」
「へくちっ」
「バカなァああああ――!」
哀れにも『メガ・ファイアーボール』は、またも泡沫のごとく中空へと消え去った。
自信を完全に喪失したのか、レシオはがっくりとその場に膝をついた。
……気持ちは分かる。
この規格外な少女を前にすれば、誰もが無才に等しい。
しかも、何がしゃくにさわるかというと、
「あれ? 私、また何かやっちゃった?」
すっとぼけた調子で、シアは気の抜けた声を発する。
このように、本人は己の実力にまったく無自覚なのだ。
あくまで自分こそがグローバルスタンダードだと信じて疑わない。
他人は自分より劣っているのではなく、たまたま調子が悪いだけだとしか思っていない。
その無意識の配慮が、どれほどプライドを傷つけるか、こいつはまったく理解していないのだ。
「ふ、ふざけるな……このオレが……女なんぞに負けるはずがねえ……」
よろよろとレシオが立ち上がる。
そして、ギラついた目で俺をにらんだ。
「テメエ、よくもオレに何度も恥をかかせやがったな……!」
「いや、俺は何もしてないって」
「許さねえ、許さねえぞ……! うがああああ――!」
とうとうレシオは拳で俺……ではなくシアに殴りかかった。
俺はとっさにレシオと彼女の間に立ちはだかる。
……ああ、何やってんだ俺は。
別にこいつには、俺の助けなんて必要ないってのに。
迫りくるレシオの拳を前に、俺は強く目をつぶった。
だが、
「お坊ちゃま。そのへんにしておいてください」
「へぶぅっ!」
風のような速さでシルヴィアが割り込み、レシオにボディブローをぶちこんだ。
ぐったりとしたレシオを肩に担ぐと、シルヴィアは器用に俺たちに一礼した。
「申し訳ございません、お坊ちゃまがとんだご無礼をいたしました。当家を代表して謝罪申し上げます」
「いや、まあ別にこっちは怪我もなかったんで」
「寛大なお言葉、感謝いたします。一度、お坊ちゃまにはキツい折檻が必要と考えておりましたので、いい薬になったものと存じます。では」
何やらそれっぽいことを言って去ろうとするシルヴィアを、村長が呼び止めた。
「待たれい。うちの可愛い孫たちに手を出しておいて、ごめんで済ませるのがリッケンバッカー家のやり方かの? もちっと誠意を見せてもらいたいもんじゃの、え?」
「……入学金の肩代わりという形で手を打っていただければ」
「許す!」
誠意とは金だった。
こうして、俺たちはタダで学院に入学できることになった。
いや、まだ試験受けてないけど。
次回から入学試験です。
恒例のイベントがやって来ます。