Good bye my best friend.
「行ってきます」
俺しかいないアパートの部屋を出て、階段を下りる。いつもと同じ時間。このまま歩いていけばアイツとのいつもの待ち合わせ場所にいつもの時間で辿り着くだろう。
近所の公園の柳の下。そこがアイツと俺の登校の待ち合わせ場所だ。
いつもアイツは俺より先にそこに着いており、小説や教科書を読みながら待っている。
しかし、今日はいない。
日直はまだの筈だ。
何かあったのかもしれない。
そんな事を考えながら待っていると、アイツはふらりと現れた。
「遅ェぞ白菜!いつもより5分は遅かった!」
「ご、ごめんね。ちょっと寝坊しちゃってさ………」
ふらりふらりと揺れる白菜は一見健康そうに見えるが、しかしよく見ると顔が少し青白い。心なしか肌の張りも悪く見える。
不意に白菜がよろめいた。俺は素早く白菜の腕を掴み、引き寄せる。
「………おい、大丈夫か?顔色悪いぞ白菜?」
「ぼ、僕は大丈夫だから………早く学校行こう?」
そう言い、白菜は歩き出す。
「いや今日は学校休めって。お前どう見ても体調悪いぞ白菜」
「大丈夫だよ、だいじょ───」
白菜の細い体がぐにゃりと崩れ、地面に倒れる。
「なっ───おい、白菜!白菜!」
肩を掴み、揺さぶりながら声をかけるが白菜は苦しそうに呻くだけだ。
「───チッ!!」
俺は盛大に舌打ちし、白菜を背負って病院に駆け込んだ。
♂♀
「なっ………白菜の余命があと3日!?」
白菜を連れてきた病院の先生の口から、一番最初に言われた言葉に俺は驚愕した。
「………は、はは………先生、冗談は止めてくださいよ………」
きっと冗談だ。根拠の無い希望に俺はすがり付き、乾いた笑い声を出しながら先生に問う。
答えは否。真実らしい。
原因不明の病気らしいが、しかし白菜の衰弱の様子から保って3日との事だった。
「くそっ!!」
周りに誰もいない自販機に八つ当たりをする。
「俺が………俺が一番白菜の側にいたのに………!アイツの事は俺が一番分かっていたはずなのに………!」
後悔の言葉が次々と口から溢れ出す。
しかしこうなった以上、ぐちぐち愚痴を言うよりも、医者の腕前を信じるしかない。
俺は僅かな希望と沢山の不安を胸の内に泳がせながら病院を出た。
♂♀
次の日、白菜は亡くなった。
予定の3日よりも、遥かに早い死。
アイツは、白菜は元々体力の無い奴だった。
原因不明の病気に耐え得ることが出来なかったというのも充分納得できる。
仕方無かったのかもしれない。
………でも。
それでも………っ!
「俺を置いて行くなよ………白菜………っ!」
葬式には出なかった。葬式に出たら、アイツが死んでしまったと認めるような気がして。
もう絶対にアイツに会えない。分かろうとするが、しかし何故か希望を捨てられなかった。
白菜が死んで半年が経った。
一番の親友を失った俺は、いつしか心が身体を離れるようになった。町をぶらつき、手当たり次第に喧嘩を吹っ掛け、殴られ、ゴミのように道路に横たわる。そんな日々が続いた。
何度も殴られ、身体がズタボロになり、気を失う。そんな事が日常と化した。
しかし心にぽっかりと穴が空いたような喪失感は拭えない。
嗚呼、いっそのこと、楽になりたい───。
♂♀
気付いたら、白菜とよく来た公園に着いていた。アイツが小さい頃からお気に入りだった、待ち合わせ場所にしていた柳が生えている公園。
『夕日に染まる湖が綺麗だね』
そう言ってアイツはよく笑っていた。
俺は馬鹿にして笑っていたが、今ならよく分かる。夕日に染まり、赤く、紅く染まる湖は、明日への希望と今日の喪失が混ざっていて綺麗だった。
『大切なものは、失ってから大切さが分かる』
不意にそんな言葉が脳裏を過った。
ああそうだ。俺は愚か者だった。
いつまでも俺の隣にいると思っていた。
それが当然だと思っていた。
だけど、それは当然じゃなかった。
アイツは俺を置いていった。
ならばいっそ、俺がアイツの元に行こう。
そうすれば、今度こそ俺はアイツを大切にできる。後悔しないで済む。
俺は湖の周りに立てられている柵の上に立ち、湖を見下ろす。
………浅い。どう見ても浅い。浅すぎる。
これでは死ぬのにかなりの時間と努力が必要だろう。
それでも、それでも俺は───
「今から行くからよ………待っててくれ、白菜」
目を瞑り、徐々に重心を前にしていく。
運が良ければ水面に着いた瞬間心臓麻痺が起こるかもしれない。
そうしたら、確実に死ねる。
間違いなく笑い者になるだろうが───
『待って!』
声がした。亡くなったはずの、白菜の声が。
声がした方向に振り向く。
そこには、死んだはずの白菜が立っている。
夢を見ているのだろうか。
否、夢でも幻覚でもゾンビでもなんでもいい。
俺は柵から飛び降り、白菜に抱き付いた。
「馬鹿野郎、馬鹿野郎………!なんで………なんで先に死にやがったんだよ馬鹿野郎!!」
『ごめん、本当にごめんね………!僕だって、君とずっと一緒にいたかったよ………!』
「じゃあ………!なんで………!」
『でも、僕は消えないといけなかったんだ………君に生きてもらうために………』
「馬鹿野郎!!」
再度俺は叫ぶ。抱き締めている白菜の身体がビクリと震える。
「お前が………お前がいない世界に生きてたって………!意味なんざ何もねぇんだよ………!」
泣き声で、鼻水を滴ながら俺は心の底から言葉を絞り出す。
そんな俺を、白菜は赤子をあやすかのように撫でながら言葉を発する。
『それでも………僕は君に生きて欲しい。ずっとずっと、僕を思いながら生きて………欲しい………!』
心の底からの想いが込められた、暖かく、強い意思と覚悟が込められた言葉。
その言葉に、俺も覚悟を決める。
「………ああ分かったよ。生きてやるよ!!ずっとずっと、一生お前の事だけを考えて!!生きてやるよ!!白菜!!」
『うん………っ!ありがとう………ありがとう………っ!!』
俺達は抱き合って、いつまでも泣き続けた。太陽と月が何度も俺達を照らす。時間という物が徐々に意味を無くしていく。空間が滲み、どんどん白くなっていく。
それでも俺達は抱き合い、泣き続けた。
不意に白菜の手が離れた。
『………ごめん、僕はもう行かなくちゃ………』
白菜が俺から離れ、遠ざかっていく。
嫌だ。もうすこし。待って。
手を伸ばす。届かない。
声を出そうとする。声が出ない。
『ばいばい………また、またいつか、絶対に会おうね………!』
白菜は白い光に包まれ、消えていく。
俺の視界も徐々に白ずんでいく。
それでも手を伸ばし続けた。
声を出そうとした。
それでも───届かなかった。
♂♀
そして俺は目覚めた。
自分の部屋、布団、天井。
カレンダーを確認する。
アイツが死んでから明日で一年だ。
「………ああ、また会おうぜ、白菜………」
俺は呟き、制服に着替え、久し振りに外へ出た。