借り物の恋
体育祭の喧騒から、オレは早く逃れたかった。
世間の人たちは何故こんなイベントが好きなのか理解に苦しむ。毎年、体育の授業がこのための練習になると「学校なんか火事になって燃えてしまえ」とか「どうか当日は大雨になりますように」などと呪い続けてしまう。
え? オレがなぜそこまで体育祭を嫌うのかって? 理由はただ一つ、オレの運動神経が極端に悪いからだ。
オレの走る姿は、いわゆる〈乙女走り〉というやつだ。腕を横に振りながら内股で走ってしまうアレである。今時、女子でもこんな姿で走る奴はめったに見かけない。
体育の先生には何度も矯正指導されてきたのだけれど。緊張してしまうと駄目なんだ、素の自分の走りに戻ってしまう。
だから体育祭なんていう大きなイベントでオレが走るなんて、とんでもない話である。全校生徒の前で、更にその家族なんかにまで、オレがブザマに走る姿を何でさらさなければならないんだ。
おかげで、オレは〈うんち君〉と呼ばれている。「運動音痴」から来ているアダ名だ。
以前のアダ名は〈おなら〉だった。これって、オレの名前が原因なんだけれど。
そうそう、オレの名前は浅倉 直というんだ。〈すなお〉って、誰も素直には読んでくれないけど。やっぱり〈なお〉と読んじゃうよね。
あさくらなお…… 逆読みすると、おならくさあ。
最近、オレ〈おなら うんち君〉って呼ばれている。
実はオレ、同じクラスに好きな女子がいるんだ。知ってた? 佐倉奈緒っていう女の子。
名前が似ているんで前から気にはなっていたんだけれど、それだけではない縁みたいなものを感じるんだよな。
最初に彼女が微笑んでくれたのは、部活帰りの桜並木を一緒に歩いた時だった。その次はコンビニで偶然にも…… 。とても偶然とは思えないのだが。
彼女、オレと目が合うと仔猫のような顔をして〈ニャ〉って笑ってくれるんだ。その瞬間、オレ、胸がキュンと締め付けられてしまい、足がガクガクと震えて次のアクションが取れなくなっちゃう。
彼女は、オレのことどう思っているんだろうか。
体育祭の次の競技は「借り物競争」だ。
まあ、余興みたいなもんである。クラスの半数しか出場しないので、待機組のオレは余裕をぶっこいていられる。競技に出場すると聞いている、大好きな彼女の姿をジックリと目で追うことにしよう。すらりと伸びた彼女の素足と、走ると少しだけ揺れるバストを思う存分に見ることが出来る。〈体育祭も悪くない〉唯一オレがそう思える瞬間だった。
パーン…… 。
スタートの合図が鳴り、競技が始まった。
おっ、いきなり彼女の出番だ。お題が書いてある四つ折りの紙を広げて読んでいる。
顔を上げたかと思うと、キョロキョロとオレたちの方を見て誰かを捜している。
ドキッ! 彼女と目が合った。「キューン」胸が痛い…… 。
えっ?! 彼女が微笑みを浮かべながら、オレに向かって一直線に走って来るではないか。一体、お題の紙には何て書いてあるんだ。まさか〈好きな異性〉とでも書いてあるのか。
「浅倉くん、お願い!」
「あ、はい」
彼女が右手を差し出した。オレは左手を重ねた。ごく自然に…… 。
彼女に導かれるようにしてオレは走った。
会場の聴衆からは、まるで仲の良い姉妹が走っているように見えていたに違いない。
どっと笑い声があがっているのがわかった。
そんなことより、オレはいま確かに彼女と手を繋いでいる。それだけで幸せだった。
オレたちは今、全校生徒とその家族たちから笑顔で祝福されている。初めての協同作業が写真とビデオに撮られている。
そして、あっという間にゴールインしてしまった。
「ところで借り物競争のお題って、何だったの?」
「お題? あぁ、これよ…… 」
彼女が差し出した紙にはこう書いてあった。
〈出席番号が一番最初の人〉
オレの名前は、浅倉 直。出席番号は1番である。