ここはシャングリラ
閉店後の店内。結構な量の段ボール箱は半分近くが開けられ物販用の机の上に載せられた。
そしてそれらは店の隅に置かれた。目張りの為ワインレッドの布がかけられたそれは営業中の薄暗い店内では一見するだけでは段ボール箱と机がある用には見えなかった。
「なんだ、まだいたのか」
ロッカールームから着替え終わったレイミが出てきた。
ホールで閉店後の片付けをしていたカズヨシはチラとそちらに顔を向けると再び顔を床に落とした。
「ねぇカズヨシ」
「あぁ?」
床にモップを掛けながら返事をするカズヨシ。
「カズヨシは何でこの世界に入って来たの?」
レイミの唐突な質問に彼のかけていたモップが一瞬だが止まったように見えた。
「おまえ、何を今更」
カズヨシは吐き捨てるように言い放つ。モップと擦れる床の音が二人の間に響く。
「本当に会社をクビになったから?」
レイミの口元から更に言葉が紡ぎだされた。
「そうだよ」
彼はおなざりな返事をするとモップをバケツに漬けた。
「そうなんだ」
レイミは安心とも不安とも取れない口調でカズヨシの返事に反応をする。
「ねぇ」
レイミは喉の奥から絞るように言葉を発する。
「なんだ、やたらに今夜は絡むじゃないか?」
その声色に気付いたカズヨシはそれをまるで掻き消すかのようにザブザブと音を立てながらモップを洗う。
すこしの間が空きレイミは息を飲むと唇を一旦キュッと結んだ。
「オーナーとは何にもなかったの?」
「バカ言ってるんじゃねーよ」
カズヨシはレイミの問いかけを一蹴する。
「じゃぁ、なんでいるの?」
「好きだから」
「え?」
目を丸くしてレイミは聞き返した。
「この店が好きだから」
「そういう事…」
「他に何があるんだよ」
カズヨシの至極全うな答えにうつむくレイミ。それを横目に彼はバケツの水とモップを片付ける為にホールから一旦姿を消した。フロアに佇むレイミ。奥からはカズヨシがバケツやモップを片付ける音が聞こえてくる。
少しだそちらの方を見るレイミ。しかし視線を再びホールの床に落とす。
何かえ切らない思いが胸に宿っていくのを感じる。しかし、その気持ちはカズヨシに悟られたくはない。いや、気付いて欲しい。そんなチグハグな思い。
自でも解らない思いが沸々と胸中を支配する。
「さっ、終わった終わった。帰るかな~」
カズヨシはそう言うとホールを横切りバーカウンターへと入り私服へ手早く着替えた。そして再びホールへと出てきた。
「俺はもう帰るぞ」
カズヨシはレイミの方をチラと見ながら言い放つ。
「ねぇ、カズヨシ」
「あぁ?」
「即売会頑張ろうね」
「お、おう」
意外な言葉に幾分困惑気味に彼は答えた。そしてその言葉を受け取った瞬間に彼女の頬を一筋の涙が伝った。
「レイミ、お前」
カズヨシが思わず声をあげる。
「え、あれっ?どうしちゃったんだろう?私」
そういうとレイミは必死に涙を手で拭った。
しかし、拭えど拭えど涙は溢れてくる。
なんとかしないと…。
彼女の焦る思いとは裏腹に止めどもなくそれは出てくる。
「おい。どうした」
カズヨシは心配気な表情を浮かべ彼女の顔を覗き込む。
「なんだろ解んない、でも」
「でも?」
「このままだと何だか私…」
「私?」
「消えちゃいそうで…」
「消える?どうして?」
「サークルが大きくなればなるほど、皆がだんだん遠くなる気がするの」
「バカ言ってるんじゃねーよ!店もサークルもオマエでもってるんだ」
「本当?」
「あぁ、何処にも行かない」
「ねぇ」
「なんだ?」
「付き合って」
「な、何バカいってるんだ!」
「何勘違いしてんのよ。ご飯に付き合って、って言ってるの」
「そういう事か…」
「ガッカリした?」
「バカ」
「ぷっ」
「なぁ、レイミ」
「なあに?」
「俺からも言わせてくれ」
「何かしら?」
「今晩付き合ってくれ」
「いいわよ。地獄の果てまで付き合ってあげる」
「お前の我がまま以上の地獄があるかよ」
「わかってるじゃない」
「ほら、いくぞ」
「ちゃんと付いて来なさいよ」
「ハイハイ、お姫様」
天から降りてきた一本の細い糸。その先にあるのは更なる地獄なのか?それとも天国か?その結末は神のみぞ知るところだろう。
ここはシャングリラ。理想郷の果てにあるのは幸せか?それとも不幸か?それは二人次第にだろう。しかし、運命の悪戯さえなければそれは約束された世界だ。
「おぜう様~!」
何だかんだでクラブ・しゃんぐりらの常連になった橋本。今日は即売会の当日である。
当然の事のように彼は手伝いを買って出た。
営業は勿論夜。店内で同人誌を買いつつお酒も飲めるようにした。
そして思った以上の盛り上がりをみせてはいたが入場規制や近隣に迷惑がかかる程でもなかった。通常のクラブ・しゃんぐりらの営業が少々大袈裟になったくらいだ。
東方プロジェクトの同人誌即売会とあってか?地下にある店内とキャバクラの持つゴージャスな雰囲気が東方と絶妙なマッチングを見せていた。
そして蓋を開けて驚いた事に女性客がその大半を占めていた。ボックス席ではレイミとヒトミがお酒を呑む客の相手をする。彼女達のペンネームと源氏名は一緒だ。
「まさか、キャバクラで即売会をしてるなんて思いもよらなかったけどいい雰囲気ですね」
「ありがとー。でもねそこが大事な所なの」
レイミが一人の女性客と雑談に応じる。格好は勿論いつもの黒いナイトドレスだ。
「大事のところ?」
彼女は首を傾げた。
「そう、私達は夜の住人。そんな私たちが果たしてその正体を明かしたうえで認めてもらえるかってね」
レイミは微笑みながら諭すような口調で彼女に話す。
「え?今時、水商売ってそんなに敬遠されるものなんですかね?」
「みんながあなたみたいに頭の柔らかい人達とは限らないわ」
「そう、ですよね…」
「でもね、それは覚悟の上で私たちのは今まで同人活動をしていたの」
「なんだかレイミさん達自体がもう東方二次作品みたい」
レイミの力強い言葉使いに彼女は尊敬の眼差しを向けた。
「そんなに大したことはないわよ。この仕事が好きで、東方が好きな女の子が集まったのがこのお店、クラブ・しゃんぐりらなの」
「ちょっとそこのアナタ。キャバ嬢の言う事なんて間に受けちゃダメよ」
レイミの言葉に完全にのぼせ上がった彼女にヒトミが突然絡んできた。
「え?レイミさんの言ってた事って…」
彼女の瞳に疑念が宿り始めた。
「フフフ…人の幸せを啜るように奪うのがキャバ嬢よ」
そう言うとレイミはニタリを怪しい笑みを浮かべた。
「ウソ…」
そのあまりにも悪魔的な笑顔は彼女の瞳を捉えて放さなかった。
「あなたも踊ってみる?真夜中の舞踏会」
そう言うとレイミは彼女の頬にそっと手を添えた。
「ヒィッ!」
冷やりとしたその手の感触。悪魔が微笑むという言葉があるが、まさかそれが自分の目の前に出現するとは夢にも思わなかった。
「ほれ、いつまでもフザけてるんじゃないの」
まーちゃんが二人の後ろから突然現れた。がしかし、その姿は九尾の狐。黄色く細長い瞳孔はパッと見ヒトとは思えない。
「わぁっ!!」
彼女は思わず声をあげる。
「あなたの八雲藍のコスプレって凄いわね」
その姿にレイミも一瞬、その身を引く。
「ごめんなさいね、ウフフ」
レイミは手で口元を抑えながら彼女にお詫びをした。
「私も」
ヒトミも同時にペコリを頭を下げた。
「もー、人が悪いですよ~」
彼女は一瞬だけ怪訝な表情を示したがレイミとヒトミのその笑顔の前に許すしかなかった。
キャバクラ・しゃんぐりらでの即売会はいくらかの売れ残りは出たものの概ね成功と言っても差支えはなかった。
東京の城北地区に一つのキャバクラがある。そのキャバクラは一見、廃れているように見えるが実は…。




