御礼
「いやー今回もギリギリだったねー」
ボックス席にいる恰幅のよい中年男性が寂しくなった頭頂部を撫でながら声をあげる。
「毎度すみませんねー。ご無理を言って」
そう言いながらカズヨシは頭を一旦下げると申し訳なさそうな表情をした。
「いやいや、とんでもない。あれだけの大口受注をうちみたいな零細企業に回して頂けるんだ。むしろありがたいくらいだ」
彼は首を横に振りながらボックス席の外にいるカズヨシの方に頭を向けた。
「社長、今日はお仕事の話は無し!」
しかし、それを遮るように二人の間に黒いドレス姿の女性が割って入ってきた。
「やー、レイミちゃんそうだった、そうだった。今日は入稿のお祝いだったね」
そう言うと社長と呼ばれた彼は鼻の下を急にのばした。そしてピッタリ彼に寄り添うようにレイミはボックス席にシートに腰を落とした。
「そう、今日は入稿のお祝い。でも本当は私たちの無茶なお願いをいつも聞いてくれる小茂根印刷の人達にお礼をする日」
レイミはそう言いながら手際よくウィスキーの水割りを作りながら笑顔で社長にそれを渡した。
それを受け取り口を付けると小茂根印刷の社長はまんざらでもない笑み浮かべる。
そしてそれをテーブルの上に置いた。すると、彼の視線の先に少し深い緑色をしたドレスの裾が入った。
「小茂根社長。いつも、しゃんぐりらの面々がお世話になっております」
レイミとは違い少し落ち着いたトーンと物腰で彼に話しかけたのはヒトミだった。
「やぁ、こりゃどうもどうも」
彼もそれに合わせるように少しだけ真顔になったがしかし、彼女がレイミとは反対側に身を寄せるようにシートに腰を落とした。それを目で何気なく追うと、肩が露で胸元が大胆に開いたドレス姿の彼女が彼の眼前になった。
小茂根社長の鼻の下がだらしなく伸びていく。
「あーあ、社長には二人もつくのかよ」
それを見ていた他のボックス席にいる若めの男性がボヤくように口走る。
「ちょっと、あ―た私たちのじゃ不満だってーの?」
そのボヤキにまーちゃんがニヤニヤしながら答えた。
「そーですよ。経営者たるもの常に孤独とプレッシャーに耐えてるのです。それ相応の対価がないと務まりません」
しおんが半ば説教じみた口調でその男性に言い放つ。
「まー先輩、いいじゃないスか。今日は奢ってもらえるんだし、パ~っといきましょうよ」
もう一人のその男性の後輩と思われる彼は既に赤くなった顔で、ウィスキーの入ったグラスを突き上げながら陽気に言った。
「お。あーた話せるねー」
まーちゃんはそう言うと彼のグラスに自分のグラスを合わせて「カチン」と打ち鳴らした。
「そうですよ。楽しめる時に楽しまないと損ですよ」
しおんはそう言いながら先程の彼を満面の笑みで見つめた。
「そ、そうだよね!今日は皆さんの同人誌が仕上がった日のお祝いでもあるし」
しおんの屈託のない笑顔が効いたのか?彼の表情は一変した。
そしてウィスキーの水割りをガブリと一口飲み干した。
「そーそー、それと小茂根印刷の人達いつもありがとー!カンパーイ‼」
まーちゃんがグラスを宙に突き上げる。
後の三人がそれに引き寄せらるようにグラスを重ねる。
「しゃんぐりらさん。次もウチで頼みますよ」
小茂根社長は氷を変えに来たカズヨシにそう、耳打ちするように言ったが、それを目ざとくレイミに発見されてしまった。
「あっ!シャチョー‼お仕事の話は無しって言ったでしょー‼」
レイミはそう言いながら小茂根社長の肩を掴み自分の方へと彼の向きを変えた。
「ハハハ、解ったよレイミちゃん。まったくかなわないなー」
彼はそう言うと手を後頭部に回した。
「あら?社長さん。レイミと秘密のお約束かしら?」
白々しく今度はヒトミが小茂根社長の顔をのぞき込む。
「おいおい、勘弁してくれよー。体は一つしかないんだからー」
小茂根社長のその嬉しい悲鳴を聞くとレイミとヒトミは一旦顔を見合わせてからキャハハと笑いあった。
これがクラブ・しゃんぐりら名物の入稿接待だ。
この日は小茂根印刷の貸切となり、サークルしゃんぐりらの同人誌を印刷をしてもらってる印刷所の人達と共にお礼も兼ねて招待しているのだ。




