第七十九話 猪突猛進の尻ぬぐい ― 前 ―
■天正九年(1581年)9月中旬 肥前 勝尾城(現 佐賀県鳥栖市牛原町)
◆ 正門前 福島左衛門大夫正則
「城門の閂が軋み始めたぞ。あと一息だ、押せェェェ」
「オオオォォォ」
俺の掛け声に応じて破城槌を抱えた二十名程の味方と共に大手門に突進する。
「城門が開いたぞォ」
先頭でぶつかっていった兵が歓喜の声をあげる。だが、槌がぶつかると同時に雷でも落ちたようなけたたましい轟音が木霊し、先の声は押しつぶされた。
フゥ、やっとか……。
知らずの内に深く息を吐いていた。よく見れば、周りを囲む味方の目には疲労が滲んできている。
だが、明朝から二重三重に連ねられた畝のような空堀や砦を超え、やっと城門の内側を垣間見ることができたと思ったのも束の間。今度は三寸(10cm弱)程の僅かな隙間から敵の雑兵が槍やら刀を振り回してくる。
俺は疲れを振りほどいて城門に張り付き、門からヌッと出てくる腕を左手で捕まえて、右手の刀で相手の手首を切り落とす。
「櫓からの弓矢は気にするな、左右の味方からの援護を信じよ。我らは門の陰に隠れておる臆病者共に集中せよ」
「ゥオオオォォ」
指示を出す間にも、左右斜め後ろに配されている吉川勢が弓矢鉄砲を間断なく敵方に向かって放射する。と同時に、総大将から寄越された我が隊の槍大将が吠えた。
「この可児才蔵吉長の相手になる者は出てこいやァ」
可児才蔵とやらが槍を隙間に勢いよく差し込みつつ、自分の体ごと城門に投げ出す。すると、敵の圧力が弱まっていたのか隙間が更に広がり、人一人が通れるほどに開いた。
「オラッ、隠れてんじゃねぇよ」
才蔵の勢いは城門程度では防げなかったようで、それに続けとばかりに味方が押し寄せて、遂に門はその役目を果たさなくなった。
「敵城への一番乗りは福島隊じゃ。皆、行くぞ」
「オオオォォ」
「待て待て待てぃ、待たぬか市松ッ! そこから一歩も進むでないぞ。動くな、そこッ!」
さあこれから城主・筑紫広門の首に向かおうと福島隊が気力を呼び起こした矢先に後ろから旧知の声が呼び止める。
「何じゃい、虎之助。邪魔を致すなッ」
「総大将からの伝言じゃ、先鋒は引けぃ。これより先は我等次鋒が引き継ぐ」
「ッざけんなゃ、ここからが本番じゃろうがッ」
そう、ここからが本命だ。そう幼馴染に言いつつ、麓の本陣に目を移せば豆粒ほどの大きさの御大将が隣の吉川殿になにやら話し掛けているのが見えた。
チッ、武士の心意気が判らぬ小僧のくせに……。
「だが、市松。そなたの隊は明朝より働いてきて疲弊しておる。戦はここだけではないのだ、休める内に休むのも部隊を与かる者の務めぞ」
そう俺の肩に手を置いて宥める虎之助。だが、どうもその顔の奥には麓の若造がちらついているように思えた。
「俺はまだまだ疲れておらぬ、そうじゃ虎之助、ここは共に本丸目指して早々に片付けてしまおうぞ」
「……市松、分別せい。御大将がどのような御仁かは共に育ったゆえ忘れたとは言わせぬぞ」
「……」
虎之助が諭すような声を掛けてくる。
駿濃丸 ―― 今川家の名跡を継いだ身ながら、その正体は武田本家を裏から支える雲刻斎様の次男、その右京兆家の更に陰を任されている男。あの若さながら恐らくこの日ノ本の闇を雲刻斎様から受け継いでいる。
勝元の野郎、先日などはどこから知り得たのか俺が最後に寝小便したのが何時かを言い当てやがった、……あのクソッタレッ!
「分かったな、市松。先鋒の三隊は本隊へ合流するのだぞ」
「チッ、駿濃丸め、何時か泣かしてやる。……熊谷・宍戸の両隊も良しなに」
「承知した」
糞ガキへの悪態と共に、熊谷と宍戸に同道を求めると両家からも苦笑とともに了承が返ってきた。
「……チッ」
余りに異論が無さすぎるためか自然と再び舌打ちが出ていた、……忌々しいにも程がある。
◆ 本陣 吉川駿河守元春
本陣には今川家と吉川家の旗が所狭しと泳いでいる。清和源氏の二つ引両と藤原氏の三つ引両、どちらも武田菱と同じく古き家柄を伝える紋だ。
チラりと目を移せば、上座の若者が北九州を描いた絵図面へ静かに目を落している。山頂より聴こえてくる喧騒が嘘のようだ。
今ならば訊けるかと、儂は上座にそれとなく声を掛けた。
「……それにしても此度の策はいささか腑に落ちませぬな」
「ん? 何がですか」
儂の問い掛けに御大将が首を向けてくる。その顔には若干の苦笑がある、……若さゆえかすべてまでは隠せぬようだ。
「弾正殿、いくら武辺者の儂でも伊勢攻めで武田家が採った策のあらましは聞き及んでおるよ」
「……それで」
「あの戦では信玄公の率いる大軍が城を囲み、雲刻斎殿が伊勢に残る織田方の城を降していったとか
「そうですね、私の祖父と実父の事ですから幼い頃に枕元でよく聞かされてきましたよ」
「そう、先日の軍議で貴殿が提示した此度の策は伊勢攻めとは似て非なるものと言えよう。なれば、そろそろ此度の策の裏に一体幾つの事象が絡み合っているのか、御教え願えますかな」
いつしか儂は身体を乗り出していた。
「失礼ですが、吉川殿が幾つあると推察されていますか?」
此方の問いに対して幾分の間を置いてから、やっと弾正殿が口を開いてきた。……中々手の内は明かしてはくれないようだ。
だが、此処で喉に骨が刺さっているような状況で前線に出れば、必ずや采配に影響が出ると長年の勘が告げてくるのだからこちらも引く訳にはいかない。
「まず御大将の手勢を二手に分けている事、村中城と此処にな」
「……」
「それから御大将自らが此処に布陣している事と、当家吉川勢が同陣を命じられた事。本来であれば貴殿を護るためならば今少し武田家に近い部隊で御自身の身辺を固められるべきだ」
儂が気付いていることを一つ一つ挙げていくと、徐々に弾正殿の笑みが深まった。
もっとも、儂が口にしているのが疑念止まりであり、裏で動いているであろう策にまで辿り着いていないことは重々承知している。
「最後に此度の九州攻め。一見、九州に近い毛利家と長宗我部家が組み込まれておるが、先の中国攻めの恩賞で旧毛利家の所領を得た者達は未だに参陣されていない」
「……成程、そこまで御存知か」
儂の喉を煩わしていた小骨を披露し終わる頃には、弾正殿は天を見上げつつ息を一つ溢した。
「弾正殿、そろそろ最初の問いに答えて頂けまいか?」
「……良いでしょう」
そう言って上座の主は再度顔を向けてきた。その表情は何かを納得されたようでもある。
「順を追って話しましょう」
そう言って弾正殿は居住まいを正してこちらに身体を向けた。表情にも先程までの笑みはもう無い。
「まず毛利本家が九州攻めに際して本隊か別動隊に配置されるかは不明であったが、長年に亘って山陽を担当されてきた小早川殿とその配下国人が本隊に、そして山陰を領されてきた吉川殿がこの別動隊に組まれることは決まっておりました」
「では毛利本家は ――」
「ええ、我等が出陣する前、大阪での大評定の際に我が実父の鶴の一声にて本陣での参加が決められました」
「? 何故、……その真意は」
答えが返ってくるか自信は無かったが、それでも自然と儂の口が先を促していた。
「至って単純な事。吉川殿は信じれるが毛利本家と小早川殿を信じるには至っていなかっただけです、……実父の中でね」
これは儂を高く評されて悦んでよいのか、それとも甥・輝元と実弟・隆景を見下されていることを憤ればよいのか……。
「吉川殿にとっては耳に嬉しくはないかもしれませぬが、先年の毛利家と武田家の戦において当右京兆家は山陰を進み貴殿達と槍を交えました」
……確かに耳に刺さる話だ。聞いていて愉快とは程遠い。
「あの戦で山陰の総大将を務めた我が父は直前の軍議で述べておりました。”あの元就殿の戦歴と、その子息の小早川殿とその近くに居る安国寺恵瓊の働きによって勘違いされがちだが、本来の毛利家は謀略を得手とする家風では決して無い ――」
「……ほう」
「真実は鎌倉の世から続く生粋の武家であろう。そして、これから戦う吉川家の当主は紛うことなき武士だ。だから此度の山陰では、純粋に地形と兵を用いて相手に対する”、と」
なんとッ! 雲刻斎殿は儂をそこまで……。
「あと、こうも申しておりました。”此度の望みは毛利家を滅する事にあらず、その当主に見合った適切な所領にまで圧したうえでの包含である。武士に己の負けを認めさせるからには、その者の得手で挑み、改めて自負を顧みさせるしかない。そうでなければ不満は燻り、表面だけの服従となろう”」
「は、話の腰を折るよう申し訳ないが、適切な所領とは……。それは我が甥・輝元には過ぎたる大領だと? そんなにも輝元は武田家からの評は低いのかッ!?」
先程からこちらを上げたり下げたり……。だが父・元就から託された現当主の輝元を貶されれば、つい語気を強めずにはおれない。
それを汲まれたのか、弾正殿が若干首を下げてから続きを進めた。
「失礼ながら『是』と言わせて頂きます。当主に補佐が就いていること自体は良いのです。当主は必ずしも全能ではございませぬから。多くの諌言が提示されれば、当主自ら気付かぬモノも見えましょうから」
「……」
「但し、選択を誤まられては困ります。その波紋は領地の規模、領民の多寡に及びますからね」
「そ、それがあの戦後の減俸だと?」
「甥御殿は家中の秘を漏らしたことが一度や二度では無かったと伺っております」
弾正殿がきっぱりと言い切る。
確かに父・元就も生前に愚痴を零していた。そして、儂も弟・隆景も口々に甥を厳しく育ててきた。
「いくら家命が長いといえ、毛利家は先々代・元就公が一代で大きくなされた」
不意に弾正殿は話の視点を変えてきた。
「だが、故にこそ以降の当主が元就公と同等の器量があることの証左とはなり得ない。無礼を承知で私のような若輩が申しますが、それを確かなモノにするには永く積まれた業績のみ」
全くこの若者は……猪口才な。このような言われ様をされては素直に怒鳴れぬ。
「話を戻しましょう。当時、義信と名乗っておりました総大将はその生涯で一貫して如何に敵味方の損害を抑えて、その後の統治の担い手を速やかに確保するに常々重きを置いてきました。織田信長を滅失させてからは尚更だったようです」
「」
「その、”敵将の引抜きも虚偽流言でさえ厭わなかった男”が己の戦歴を曲げてまで挑んだのがあの山陰での戦でした」
「雲刻斎殿には断腸の思いであったでしょうな」
「ええ、……表情には出さなかったですが。もっとも、父も私も古き家名の端に名を連ねてきてますからね、武士が如何に頑固かは重々承知しております。ただ忘れて頂きたくないのは、武田家は鎌倉の世より続き一時には甲斐のみならず安芸をも領してきた家、安芸の民を蔑ろにする気など毛頭ござらぬ」
「……忝い」
ここまでの話で感じた気遣いに自然と謝意を示していた。
「さて、次に ――」
「御免ッ! 福島隊ならびに他二隊、帰陣」
いつしか戻って来た三名が不躾に陣幕を潜って弾正殿の話を遮ってきた。先頭の福島なる者は何やら苛立っているようだ。
そんな彼らに上座から立ち上がった弾正殿が駆け寄って声を掛ける。
「市松、それから熊谷と宍戸も大儀ッ!」
「……ハッ」
「戦はこれからだ、気を緩めることが無いように心掛けよ。あと、この勝尾城の麓にある屋敷は接収したとはいえ汚れておる。疲れている其方たちには悪いが修繕と清掃を頼む、今晩くらいはゆるりと休みたいからな」
大将として次の命が下される。すると福島の顔が更に朱に染まったようだ。
そんな福島に、弾正殿は胸元から何やら書状を出して渡す。
「なッ、これは!」
「市松、大儀であったな。自らの猪突猛進を抑えて帰還したゆえ褒賞とは別にこれをくれてやる、……もう下がって良いぞ」
大将からの下知と書状を受けた福島は手渡された書状を握りしめて身体を振るわせながら小声で何かを言う。
「鼻垂れのくせにッ!」
「ん? どうした小便タレ」
その悪態に勝ち誇った嗤いで弾正殿は返した。
陣場から出ていく福島、その朱は最高潮に達していたように見えた。
「弾正殿、あの文は?」
「あれですか……、あれは偶然にも路で拾ったモノで、奴が生まれて初めて書いた懸想文(恋文のこと)ですよ。落とし物は本人に届けないといけませんからね」
「な、成程」
「ああ吉川殿、先程の話の続きは今晩にでも酒宴の席にて」
「……しょ、承知仕った」
この御仁は……。この戦と同じく中々に複雑なようだ。




