第六十五話 次代の先に……
■天正八年(1580年)1月 丹後 弓木城 真田昌幸
今、城の中庭にて左中将様が薄汚い二十歳前後の男と対峙している。俺もその場に立ち会えと言われたので居るのだが、はっきり言って臭いがキツい。
俺が鼻を摘もうかどうか迷っていると、左中将様が目の前に鎮座している男に話し掛けた。
「そなたが直江……、いや樋口兼続か。とても長尾家の家宰が務まる男とは思えぬな」
「……」
左中将様の言葉に対して異臭を漂わせている男、樋口兼続が睨み返した。もっとも睨み返しただけで一言も語らない。そんな樋口兼続を無視して左中将様が話を続けた。
「ふん、武田家が、いや俺が貴様とその主人であった景勝殿を味方しなかった事が憎いか?」
「……」
「まさしく燕雀鴻鵠だな。大局が見えていないとはこの事だ。言っておくが、昔はさておき今の武田家は盟約を反故にするような軽い武家ではない。二年前、貴様が俺の下に来た際には既に北条家と盟約を結んでおった。なればこそ北条家の押す三郎景虎殿を助けるのが当家の義。そうは思わぬか?」
「……」
「まあ、そうは思わなかったのであろうな。そう思わなかった故に銭を積むだけで武田家が景勝側に転ぶと踏んだのであろう。浅慮な事だ」
「……」
左中将様が樋口兼続を罵る言葉を吐き続ける。正直、俺にも耳が痛い。俺も謀略や調略に多少の自負がある。そして調略には銭を使えば口も使う。左中将様の言葉はそのまま俺に言っているように聞こえてきたが、左中将様の話はまだ続くようだ。
「……のう、兼続とやら、今更長尾家、いや三郎景虎殿に仕える事もできまい。当家に仕えぬか?」
「……」
おっ、樋口兼続の表情が変わった。明らかに顔に侮蔑の色が現れた。まあそうであろうな、自分を騙した男に何故仕えねばならぬとでも思っているのであろう。
「ふん、貴様に本当の大局というモノを見せてやる。二流謀略家の貴様でも一流半程度にはなれよう」
「……」
「それから……、俺に逆らおうなどと思うなよ。貴様の親父と弟の生殺与奪は俺の掌一つだと覚えておけ」
「……くっ」
左中将様はそう言うと俺の方を向き、とんでもない事を言ってきた。
「安房、貴様がこの者を使え。半兵衛が亡くなってからお前の片腕が無くなっていたであろうからな」
「え、あ、はい。承知しました」
俺も思わず返事をしてしまったが、この男は使いモノになるのであろうか……。
■天正八年(1580年)2月 丹後 弓木城 仁科盛信
兄上……、ゴホン、御館様からの下命により、俺は義勝と共に丹後に来た。
一応、俺も小田原攻め、そして三増峠での北条家との戦で初陣を飾ってはいるが、その後は三河にて信龍叔父の下で内政に励む毎日を送っていた。はっきり言って退屈な毎日だった。
務めといえば、産業と新田の開発、街道の拡張と港の整備、たまに一向一揆の鎮圧もしたが残党刈りのため大した戦果も無かった。
だが、その退屈な日々も今日で終わりだ。前線の丹後に来たからには戦が俺を待っている……はずだ。
城主の間に通されると、早速、義信兄者が満面の笑みで出迎えてくれた。
「よく来たな、五郎(盛信の通称)。長旅で疲れたであろう」
「はっ」
労いの言葉に俺は年甲斐も無くこそばゆい痒みを背中に感じた。兄者とは親子ほども歳が離れており、俺が物心が付いた頃には兄者は既に美濃に赴任していた。逆に兄者の嫡男で今回の旅路を共にした義勝の方が歳も六つしか違わず、兄弟のように接してきた故か親近感を覚えている。
「五郎、今年の内に但馬、因幡、伯耆に攻め入る。お前も実戦から離れて久しいであろうが、仁科家家臣の言をよく聞いて無茶をせずに全力で事に励め」
「はい!」
無茶をせずに全力で、か。矛盾しているようではあるが、きっと歴戦の兄者なりに掴んだ戦場の習いなのであろう。
それにしても今回丹後に異動となった仁科家であるが、家臣達も戦場を経験した者が少なくなっているのが若干不安でもある。まあ俺が物心付く前、確か永禄四年に父の意向で仁科氏の名跡を継いだからもう二十年近く経つが、はっきり言って三増峠での戦いではお粗末だった。
あの戦いでは良い所が全く無く、父上にも愛想が尽きたのか終盤は兵糧の輸送ばかりさせられていた。それ故、此度の山陰攻めでは仁科家の家名を上げるためにも頑張らねばならぬ。……も、勿論、兄者の忠告通りに無茶はしない様にしなければならないが。
そんな思いでいると、兄者が話を変えてきた。
「それはそうと、五郎。義勝と入れ違いに先行してウチの駿濃丸が美濃に赴いたが元気でやっていたか?」
「え、あ、はい。先月には元服して、兄者の嘆願も受け入れられて『今川勝元』と名を変えましたぞ」
「左様か。今川家再興は我が室(春ちゃんの事ね)の願いでもあった故、嬉しい限りだ。まあ、息災であれば俺は良いのだがな」
「息災でしたよ。御館様の嫡男である信勝様とは二つ違いですからね、信勝様が弟のように可愛がっておりました」
「成程、それは何よりだ」
そう言うと兄者はホッとしたのか、肩の力が抜けたように姿勢を崩した。そして次に俺の横に座っている義勝に視線を向けた。
「義勝、本家とは勝手が違うかもしれぬが五郎の言う事をよく聞いてこれからも精進せよ」
「はい、父上」
「それから、母にそなたの顔を見せてやれ。無事な様子が分かれば喜ぶであろう」
「承知しました。私も母上に早く会いとうごさいます」
フフッ、元気に返事をしておるが義勝もまだまだ母者が恋しいようだな。まあ、幼少の頃に親元を離れてから会っておらぬのだ、仕方が有るまい。
おっと、そういえば御館様より兄者に言伝を頼まれていたのであった。
「兄者、御館様よりのお言伝でございますが、なんでも備前の宇喜多家から使者が参って毛利家との仲介をしたいような事を申してきたとか」
「ほう、宇喜多家がなあ」
「とりあえず御館様は宇喜多家の使者に対して言質は取らせなかったようですが、兄者の意見を聞きたいと言っておられました」
さて、兄者はどう答えるのであろうか。ここで宇喜多家からの仲介を断れば備前、美作が毛利方に付くは必定なのだが、果たして……。
「分かった、御館様には俺から書状を出すとしよう。美濃と丹後の道程を考えれば難儀な事だが、俺は丹後を、山陰から目を離す事ができぬ故な」
「はっ」
俺にも宇喜多家に対してどうなされるかは教えて下されぬか。……まあそうであろうな、どこに間者が潜んでいるかも知れぬ前線でおいそれと話せる事ではないのかもしれない。
今の武田家は二元政治をしている。
美濃にて御館様が東国国境に睨みを利かせつつ領内全域の政務を行ない、兄者が西国方面の舵を任されている。物心ついた頃に兄者が家督を継がないと知った時には不思議に思ったし、御館様が家督を継いだ時には大丈夫かと不安に思ったものだが、蓋を開けてみれば今の武田家は結構上手くいっている。
兄者が御館様の替わりに西国方面の軍事を一手に担当しつつも御館様を助け、御館様も兄者を信頼して軍務を任せつつも平定後の領地管理を進めているのだ。昔はよく御館様は戦場に出たいという愚痴を俺に溢されていたが、戦場に出るだけが当主の務めでない事を亡き真田一徳斎に諭されてからは主に東国の外交を行ないつつ武田家全体を見られるようになった。
今、俺が不安に思っているのは何時か兄者と御館様の蜜月関係が崩れないか、だ。
そんな事を思っていると、兄者が話を変えてきた。
「それよりも、当面は山陰攻めだ。山名家をどうにかせねば毛利うんぬんを論じる資格は無い」
「そ、そうですね」
「更に言えば但馬、因幡、伯耆を平定した後に誰を据えるか、だ」
「……」
「正直、俺は既に山城、丹波、丹後を領し、更に若狭の指揮権を有している。これ以上の領地運営は難しい」
……兄者は何時もそうだ。自分の限界を自分で決めてしまう。もう少し欲が有っても良いものを。いや、欲が有れば有ったで武田家中に良からぬ火種となる。困ったものだ。
「そなたも竹松の下で領地運営を学んだ事だろう。大国とはいかぬがそろそろ小国なり半国を任せても良いかもしれぬな。まあ、そなたにはまだそこまでの実績が無い故、山陰攻めでの働きに期待しよう」
「は、はい。必ずやご期待に応えたいと存じます」
嬉しい。領地拝領の提案をされた事もそうだが、兄者が少なからず俺を認めてくれる言葉を掛けてくれた事が嬉しかった。この期待に応えたいという気持ちが沸々と湧いてきた。
「ハハハッ、そう気張るな。無理はしてもよいが無茶は駄目だ。命は一つしかないのだからな。それに誰を山陰に据えるかを最終的に決めるのは御館様だ、それを忘れてはいけない」
「しょ、承知しました」
その後は義勝を交えて三人で雑談をして会談は終わった。いよいよ山陰攻め、俺の待っていた前線だ。腕が鳴るぜ!
■天正八年(1580年)3月 相模 小田原城 北条氏直
「漸く安房の里見を屈服させ、下総の宇都宮家が臣従し、関東で残す所は常陸の佐竹家となった。そなた達のこれまでの働きには大いに満足している」
「「ははっ」」
今、北条家第四代当主である我が父であるが家臣一同が集まる席にて気炎を上げている。
北条家はここ数年は関東一円を堅実に攻め続けた。それもこれも武田家との盟約が継続された事で西への脅威が無く、越後が当家の属国になった事で北からの脅威が無くなった事が大きい。もっとも、それは武田家にも言える事で、この十年での武田家の伸張には目を見張るものがあり、警戒すべきかもしれない。
だからこそ堅実に、だが性急に関東平定を急いできた。俺自身も下総、上総での戦に出陣して数々の武功を重ねてきた。だが、それももう一息だ。
「父上、佐竹は攻め滅ぼすのですか? それとも臣従させるお積りでしょうか」
「ふむ……、佐竹にはこれまで数え切れぬほどに煮え湯を呑まされてきた。かの家もそれは同じ事じゃろうな」
「では……」
「うむ、恐らく佐竹家は当家に負けても臣従はするまい。それに坂東太郎(佐竹義重の事)が儂に膝を曲げるとも思えぬ。ここは潔い最期を与えてやろうかのう」
成程、佐竹家は取り潰しか……。かの家には屈強な武将が数多居る。配下に引き込められれば良かったが、味方にならないのであれば討たねばなるまい。
そう思っていると、弟で太田家に養子に出た氏房が発言を求めてきた。
「父上、宜しいでしょうか」
「ん、なんじゃ、氏房」
「はっ、佐竹を攻めれば姻戚関係にある伊達家が出張ってくる恐れが有りませぬか?」
伊達家か……。確かに厄介だな。藪を突いて蛇が出ぬとも限らぬな。俺が氏房の懸念に有り得ると思っていた所で、父上が氏房に言葉を返した。
「氏房の懸念ももっともじゃ。だが、幾ら姻戚関係にあろうとも伊達家は動かぬだろうよ」
「それは如何なる事でしょう」
「奥羽は姻戚が複雑じゃ。されど何時まで経っても戦を止めぬ。恐らく姻戚など有って無い様なものなのじゃろう。その点は当家とは異なる」
「成程。父上、無礼の段、ご容赦下さい」
「うむ」
尚も食い下がる氏房に父上が諭すように言葉を続けた。そしてやっと溜飲が下ったのか氏房も非礼を詫びた。
次に板部岡江雪斎が発言を求めてきた。
「して、御館様。佐竹攻めはどの様な手筈で臨まれるのですか?」
「佐竹に対しては……、まず里見家と宇都宮家を先鋒に当て、当家は後詰めとする。まずは二家の当家に対する忠誠を形あるモノで示させねばなるまい」
「成程、後背に不安が無くなり、当家としましても安心して佐竹攻めに専念できましょうなあ」
そして、江雪斎の後に今度は当家重臣の北条上総介綱成の嫡男で、先年には玉縄城主に就いた一門の常陸介氏繁が話を繋いできた。
「御館様、この際は佐竹攻めの余波をかって一気に奥羽に攻め入っては如何でしょうか?」
「フフッ、そう焦るな氏繁。まずは佐竹家じゃ。常陸を平定し、残党刈りをしてからじゃ。恐らくその頃には越後も落ち着いていよう、なれば越後と関東から二手に分かれて奥羽を攻め昇るのも一興というものぞ」
「はっ」
「それに常陸安寧の目処が付いたら考えている事がある」
はて、佐竹攻めの後には何があるのであろうか。そう思って思わず俺は父上に話し掛けていた。
「父上、佐竹攻めの後に何があるのでございましょう」
「うむ、皆も集まっている事ゆえ話しても良かろう。儂は居城を移そうと思っておる」
なっ、この小田原城から移るという事か……、しかし、それは……。
「ふむ、皆の不安も分からぬでもないが、当家の伸張によってこの小田原の地は西に寄り過ぎてきておる」
「……」
「当家がこの後も東に、そして北に攻め入っていくのであれば尚更道程が遠のく故、下野辺りに居城を移そうかと考えておるのじゃ」
「し、しかし、御館様。早雲公、そして春松院(氏綱の事)以来の居城を離れるというのは……」
「何もこの小田原城を蔑ろにしようとしている訳では無い。いや、逆に大事にするからこそ曽祖父、祖父、そして亡き父氏康の志を守る為にも当家の伸張の妨げとなりつつある小田原を離れるのじゃ」
「……」
松田尾張守憲秀の驚きの声に対して、やんわりと、しかし断固たる意思を持って父上が宣言した。
「少し早いが……、武蔵は氏照に、伊豆と相模は氏邦、下総は氏規、上総は氏繁と大道寺政繁に指揮を執らせようと考えておる。左様心得よ」
「「ははっ」」
評定が終わった。俺は自室の戻ろうと思っていたが、父上の近習から父上が俺を呼んでいると聞いたため書斎に向かった。
「父上、お呼びと伺いましたが?」
「うむ、入れ」
部屋に入ると、父上はなにやら書状を書いていた。はて、評定が終わって直ぐに書く書状とはなんであろう。俺がそう思っていると父上が話し掛けてきた。
「まあ、座れ。フフッ、この書状が気になるか?」
「え、ええ、まあ」
俺は下座に座りながら曖昧な答えを返した。そう言われると余計に気になってくる。
「この書状はな、武田家への書状だ」
「武田家、にございますか?」
「うむ、佐竹家は曲がりなりにも常陸源氏の嫡流。甲斐源氏である武田家とは同族となる。一筆書いておかねばなるまい」
成程、そういう事か……。もし当家が佐竹攻めをしている最中に武田家が後背を攻めてきたら目も当てられない。その前に一言断りの文を書いておくという事か。
「のお、氏直。そなたの中には武田の血が流れておる」
「はあ、はい」
「だがな、この戦国の世では無いも同然」
「……」
「儂はのう、佐竹攻めの前に武田家と新たに姻戚関係を結んでおかねばならぬと考えておる」
姻戚とは因果な者だ……、今日はそう思わずにはいられない一日となりそうだ。
―――― この二ヶ月後、武田勝頼の後室に北条氏政の妹御が嫁ぐ事が正式に決まった ――――




