第五十三話 本願寺の逆襲
■天正二年(1574年)11月 近江 比叡山延暦寺 山県昌景
「ぎゃあぁぁぁ」
「仏敵、武田めぇぇぇ」
「末代まで…………」
そこかしこで山法師共の断末魔が山を木霊する。まさか生きている間に延暦寺に来るとは……、それも焼き討ちをする羽目になろうとは思わなんだ。
御館様は勿論の事、右京兆様からも、
『山法師を皆殺しにせよ』
と厳命されている。ここで手を抜くことは出来ぬ。当家からも延暦寺に武装解除するよう再三通達をし、これを断固拒否されたのを受けての事だ。南近江を任されてからのこの一年、叡山の糞坊主共の乱行には反吐が出る思いをしてきたのだ。儂の配下の兵達は皆、今、心を鬼にして僧侶を討っている。
配置としては叡山の北を儂の軍勢が、東から右京兆様の美濃勢が、南から松永弾正の大和勢が攻め入っている。勿論、当家から各所への根回しもされている。
まず正親町天皇や朝廷に対しては寄進青銅一万貫と叡山、そして本願寺に対する断罪文を送ったのだ。次に公家衆に対しては山科言継に依頼した。最初は難色を示した山科卿も叡山の現実を見て決心してくれた。
そして最後に浅井家。かの家には加賀一向衆の押さえをして貰わなければならない。各地で行なわれている当家の戦が一段落したら再度、越前に援軍を出す事を約している。
「一人たりとも悪僧を逃すな! 山を登るにつれて西に回り込めっ」
「「おおぉぉ」」
儂の下知に伴い、軍勢が徐々に西に向かう。
「右京兆様に、当方の左翼側に援軍を送って貰うよう使いを出せっ」
「ははっ」
もうすぐ終わる。早く、早く終わってくれ……。せめてもの救いは女子供には手を出さず、敵は一向宗と天台宗だけという事か……。
■天正二年(1574年)11月 三河 本証寺 一条信龍
三河の手勢に加えて駿河、遠江の増援によって、三河一円の一向門徒を壊滅させてきたが、とうとう残す所は此処、本証寺のみとなった。
「敵は鉄砲を多数保有しておる。竹束を持ちつつ、相手の矢玉を防ぐんだ。相手に鉄砲を態と撃たせて矢玉を消費させよ」
「「おおぉぉ」」
俺の下知に従って、兵達が竹束を持って本証寺ににじり寄る。勿論、鉄砲の雨あられ……。竹束が粉砕されれば、次の竹束を持ってにじり寄る。今はその繰り返しだ。
本証寺にて籠城している門徒は二千と聞き及んでいる。援軍の無い籠城戦……、あと一ヶ月ほどで兵糧も底を突くだろう。念仏唱えて餓鬼地獄に陥っているんだから、極楽浄土が聞いて呆れるぜ。
この一ヶ月、阿鼻叫喚の中で門徒を討ってきた。まさか三河にこれ程までに一向宗が浸透していたとは……。
そしていざ討伐に掛かってみれば、出てくるわ、出てくるわ、お前等、どんだけ鉄砲を隠し持っていたんだって位に鉄砲弾が飛んできた。
改宗しろって俺達が呼び掛けても一向衆だけに一向に聞きゃしない。笑えない冗談だよ、全く。
そんなに一向宗が良いのかねえ。
■天正二年(1574年)11月 伊勢 長島、願証寺 春日虎綱
今、攻めている長島に籠城している門徒は、織田家の一向門徒の討伐が佳境に入っていた事もあり、数は少ない。だが、織田家が討伐を打ち切ってから息を吹き返したのか、じわじわとまた勢力を拡大していた。
正直、一向衆を甘く見ていた。相手の鉄砲によって武田騎馬が思うように動けないのだ。おまけに中州に籠城しているため、更に馬を活用できない。
ほとほと困り果てていた時、織田家の滝川伊予守一益と志摩の九鬼大隅守嘉隆が増援に駆けつけてくれた。この時ほど助かったと思った事は無い。まず、九鬼勢が多数の安宅舟を用意してくれたのだ。これで長島への道が開かれた。
次に伊予守が進言してきた。
「織田家の伊勢一向衆の平定では伊勢国内の一向宗の寺々を焼き討ち、既にこの願証寺のみ」
「……」
「なれば、海路を塞ぎなされ。摂津の本願寺より海路にて兵糧が補給されるから滅せぬのです。幸い九鬼勢が助勢に来ております。舟の半数にて伊勢湾を封鎖して貰いましょう」
この一ヶ月の間、二人の助言と援軍が無ければ、こうも順調に願証寺を攻める事は出来なかっただろう。
後は長島の一向門徒が腹を減らして死んでいくのを待つだけだ。
■天正二年(1574年)12月 飛騨 高原諏訪城(現 岐阜県飛騨市神岡町殿) 徳川家康
「押し出せぇぇっ!」
「「おおぉぉぉ!」」
俺の掛け声に乗じて兵達が敵に攻め入る。
敵……。先月、急に越中から押し寄せてきた一向門徒共……。三河に居た時にも梃子摺らされたが、この飛騨に来てまで俺を悩ませるとは……。忌々しいヤツ等だ。
「江馬殿(輝盛の事)、この城が落ちれば一向衆共が雪崩を打って飛騨を蹂躙するは必定。何としても此処で食い止めようぞ」
「ははっ」
そうは言ったが、この高原諏訪城は曲輪と土塁と堀しかない典型的な旧来の城……。何時まで持ち堪えられる事やら……。
そう思い、俺は傍に控えていた小五郎(酒井忠次の事)にそっと話し掛けた。
「おい、小五郎」
「はい」
「……この城が落ちた後、門徒共はどちらに向かうと思う」
「政元城(現 岐阜県飛騨市神岡町西)の方でしょう」
さっさと理由を言え、理由を! 理由を聞かねば対策も立てようが無い。
「何故そう思う?」
「政元城の方が飛騨国府に近うございます。それと東に進んで石神城(現 岐阜県飛騨市神岡町石神)を抜けても待ち構えるのは飛騨の山々、門徒共にとって得るものは何も有りませぬ」
「成程のう……。よう分かった」
右京兆様の叡山攻めも佳境に入ったと聞く。そろそろ当地に参じて貰わねばなるまい。
「小五郎、右京兆様に文を書く。それから政元城に兵糧を蓄えておけと親吉(平岩親吉の事)に伝えておけ」
「ははっ」
これで越後の龍が越中から攻めてでも来られたら……。今年の冬は例年に無く背筋を凍らすのお。
■天正二年(1574年)12月 上野 沼田城 内藤昌豊
「のう、左衛門尉(真田信綱の事)、越後の龍が攻めて来たが、北条家からの増援はまだか!?」
「はっ、今年は例年に無い大雪の為、平井城の南西二里の所で難渋しておるとの由にございます」
左衛門尉が俺の問い掛けに律儀に返事を返してきた。フッ、この真面目さを亡き一徳斎殿に分けてやりたかったわ。
「そなたの城と言うに済まぬな」
「いえ、修理亮殿(内藤昌豊の事)が居られるから、我等も奮戦出来ると言うものです」
「ハハハッ、モノは言い様だな」
「いえ、それにもう暫くすれば、名胡桃城に居る弟(昌輝の事ね)が駆けつけます。更に……」
「更に北信濃から典厩様(武田信繁の事)が牽制する、か?」
「はい」
左衛門尉と話していて無精に可笑しくなってきた。
「ハッ……、ハハハハハハッ」
「なっ、何ですか、急に笑い出して、一体……」
「なに、そなたと居ると戦に負ける気がせぬと思ってな」
フッ、こう言った時は負けぬものだ。さて、体が冷えてきた。今頃、謙信も酒をかっ喰らって喚いている事だろう。
■天正二年(1574年)12月 信濃 海津城 武田信繁
「兄者、一応信濃の兵七千を入れたが、本当にこれで謙信が越後に帰るのか? こう言ってはなんだが、上野へ援軍に向かった方が良かったのではないか?」
「大丈夫だ。チョッと此方が越後に攻め入る構えを見せれば、謙信も為す事無く春日山城に帰るはずじゃ」
「だが……」
相変わらず心配性の信廉を尻目に儂は櫓から降りて、居間に戻った。勿論、信廉も俯いて儂に着いて来る。
「なあ、兄者ぁ~」
「五月蝿いのお、そなたは顔は亡き兄上にそっくりじゃが、小心に過ぎる。少しは当代様を見習え!」
「仕方が無かろう。儂は兄上の影武者であって、兄上では無いのじゃから」
「ハア~、儂は心構えの事を言っておるのじゃ。一廉の将として少しはどっしりと構えておれ」
そう言ってやると、信廉が前を向いて阿呆な事を言い放ってきた。
「良し、決めた! 儂はこの戦が終わったら隠居する」
「はあ?」
「号も今、考えた。逍遙軒と号する事にする」
「『逍遙軒』? 由来は何じゃ」
「遥か彼方におる兄上に近づくという意味じゃ」
阿呆は呑気で良いの、全く。
■天正三年(1575年)1月 飛騨 政元城 武田義信
ふう、やっと越中一向一揆から飛騨を守る事が出来たよ。それもこれも、前線で徳川家臣を縦横無尽に指揮した天才軍師の半兵衛様と、後方にて兵站奉行を遺憾無く務めた糞ガキ……石田三成のお陰です。間違っても俺は何もしていない。前線に出ないのかって? 冗談じゃない! だって、鉄砲恐いもん。
信濃と上野方面も謙信が帰ったとの報せが届いているし、三河と伊勢も一向門徒を討ち終わったって聞こえてきたから良かった、良かった。
ああ、そうそう。今回の一連の戦でウチの秀吉と利家が良く働いてくれたから、城の一つでもくれてやろう。加賀の一向衆については……、浅井家と昌景の南近江の軍勢で事足りるだろう。
さて、久しぶりに美濃に帰るとするかね。お市ちゃんからの文には、いつの間にか懐妊してお腹が大きくなったって書いてあったから、久しぶりに愛しの春ちゃんと……グフフフッ。
いかん! 飛騨の事を忘れていた。書状では狸が苦戦しているらしい。仕方が無い、春ちゃんは……お預けだ。軍神様が出てくる前に美濃勢を率いて飛騨を助けてやらんといかん。面倒臭い。
―――― そしてこの年、遂に摂津の石山本願寺と武田家の長い決戦が始まるのであった ――――




