第五十二話 新たなる渇望
■天正二年(1574年)7月 越前 一乗谷館 武田義信
漸く朝倉家の残党狩りも終わった。
まあ、当主の朝倉義景を討ってからは楽勝だったね。浅井長政や当家の諸将が各地で奮戦している最中、俺は一乗谷館で戦況報告を聞いていただけだから……。
そんな悦に浸っていると、いつの間にか評定の間には浅井、武田の諸将が勢揃いしていた。
「右京兆殿、概ね越前の平定が済みました」
「うむ、ご苦労」
長政からの報告に俺が返事を返す。正直、逐次報告があったから改まって聞いても何の感慨も湧かない。なんか前世の小説で信長が何で寡黙だったのか、ちょっとだけ分かったような気がする。多分、知っている事を改めて報告されても驚きが無いからだろう。それに下手にベラベラと喋って言質を取られるのも当主としては失格なんだろうな。
「右京兆殿、論功行賞ですが……」
「越前は浅井家に任る。当家には此度の戦費を銭で対応して貰えれば十分」
「「おお……」」
長政が恐る恐るといった感じで俺に聞いてくるので、俺が答えると浅井家臣の方から歓声とも奇声ともつかない声が上がった。
浅井家臣の諸君! 喜んで貰っているところで悪いが、正直、俺は越前なんて要らん! 寒いのも謙信も若い頃に散々体験したからもうお腹一杯だ。
それにその先に控える加賀には一向門徒という厄介なヤツ等がいるからね。本願寺については一度、御館様と相談して対応を決めてからの方が良いだろう。
「それでは当家は頃合を見計らって近江に、そして美濃に戻らせて貰う」
「はっ」
…………。
何か最近、気さくに話そうと俺の方から長政に対して敬語を使わないようにしてるのに、長政の方が謙ってくる。前世での小説とかテレビでも家康が信長に謙ってたよな。
……何で?
■天正二年(1574年)8月 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田義信
越前からトンボ返りで美濃に戻ってすぐに俺は甲斐に戻ってきた。
理由は簡単。本願寺、というか一向衆について今後、どう対応するかを検討する為だ。その為に先触れで武田家幹部の皆さんを緊急招集して貰っている。
「皆の者、本日招集したのは他でもない。本願寺についてだ」
上座に座る御館様、多少は貫禄が出てきたかな。その御館様の発言に、ある者は怪訝そうな、別の物は得心した風な顔色を浮べる。
まあ、そうだろうな。
一向門徒に直接影響があるのは本家と三河と伊勢だけ。間接的に言えば、越中を伺う飛騨ぐらいのものだから。
因みに俺も直接影響のある部類に入る。何故かといえば、俺の母ちゃんと本願寺の嫁は三条公頼の娘だからだ。
更に因みに言えば、この三条公頼の娘二人は六角定頼の猶子なので、先年、俺が討った六角義賢(定頼の子)は俺の義従兄弟にあたるのだよ。驚いたか! 俺も驚いた、世間って意外と狭いね。
話を戻そう。本願寺だよ。
早速、竹松が発言を求めた。コイツは今、三河を統治しているからな。他人事じゃあないだろう。
「本願寺というと一向衆について、という事でしょうか? 御館様は本願寺を敵に回すと仰っているのですか?」
「まだ敵と決め付けた訳ではない。ただ、今後の当家の舵取りを鑑みたら本願寺と歩調を合わせられるか、を問うておる」
「……」
ほう、話をはぐらかすのが上手くなったなあ、四郎。伊達に親父の傍で二十八年も暮らしてないぜ!
そう思っていると、今度は旧北畠家の家臣団を代表して来ていた鳥屋尾石見守満栄に話が振られた
「伊勢長島はどうじゃ。石見守」
「……」
「正直に申せ。これは皆の意見を遺憾なく聞く場じゃ」
「はっ、なれば申し上げます。先年までの織田家の討伐により数は減っております。ただ、織田家が滅んだ事でまたぞろ布教を始めた坊主が現れ始めた事も事実でございます」
「……そうか」
そうか、って。それだけ? 今度は御館様が山県昌景に発言を求めた。あれ? 問題は一向衆だよね? なんで比叡山?
「三郎兵衛尉、叡山の僧侶共はどうじゃ」
「……思わしくありませぬ。人里に現れては女子や食料を略奪しており、坂本の地は常に飢饉に見舞われております」
「……」
どうする、どうするよ、四郎!? そう俺が心配していると、最後に四郎が俺に話を振ってきた。
「右京兆、本願寺顕如の妻と先代様の正妻は姉妹。そなたにとって顕如は叔父にあたる。そなたはどう思う」
「この乱世、例え仏敵と罵られようと民の営みが第一。民の暮らしを害するならば討つべきかと思います」
言っちゃった、俺、言っちゃったよ! ああ、今川の義父を見殺しにして、今度は叔父を敵に回すのかあ、俺。
でもね、坊主ならナンマイダ~って念仏だけ唱えとけば良いとこの世界に産まれてつくづく思う。
だって、隠し田の大半は寺社勢力が保有している訳だし、税金無しでヌクヌク生活送って、更に略奪三昧……。一片の同情の余地も無いね。
そんな事を考えていると御館様が下知を降した。やべっ、目が座ってるよ。
「……分かった、当家は仏敵となろう。上野介(竹松の事ね)、三河の一行門徒を討て! 遠江、駿河の兵を増援に向かわせる」
「はっ」
あ~れぇ~、竹松も了承しちゃった。っと思っていると、今度は伊勢と叡山が待っていた。
「石見守も同様じゃ! 伊勢、尾張の兵にて長島の一向一揆を滅せよ」
「はっ、ははぁ」
「三郎兵衛尉! 南近江の手勢に加え美濃と……、大和の松永弾正の手勢にて叡山の山法師を皆殺しにせよ」
「承知!」
その後も続々と下知を飛ばす御館様。かっけ~、惚れてまうやろ~!
「典厩(信繁の事)、修理亮(内藤昌豊の事)、三河守(家康の事)! 北信濃、上野、飛騨にて越後、越中の関を閉じよ! 先年、足利義昭の御内書により謙信が本願寺顕如と和睦したと聞く。越後、越中からの門徒の侵入を防げ」
「ははっ」
「刑部少輔(信廉の事)は南信濃の兵を率い、典厩を補佐せよ」
「はっ」
「良し、なれば……」
そう言うと、御館様が後ろに席を変えた。
「御旗、楯無も御照覧あれ」
「「ははっ!」」
四郎が、あの可愛かった四郎が覇王になった……。
■天正二年(1574年)8月 美濃 稲葉山城 前田利家
「手柄を立てるだぎゃあ! 六角攻めでも越前攻めでも報奨は銭コロじゃったが、今度こそは大名だぎゃ」
「……」
普段であれば城下の屋敷で政務を行なわれるのだが、はて、一体何がある? そんな俺を無視して秀吉が登城中、ずっと俺に向かって『功名だぎゃ! 功名だぎゃ!』とほざいている。
……正直、コイツが羨ましい。俺も若い頃は大名を目指したものだが、それも過去の事だ。信長様の下で成し遂げたかった……。だが、その信長様ももう居ない。俺は一体何をしているのだろう。
「こりゃ、又左! 聞いてるだぎゃ? おみゃあもまつ殿に尻を叩かれてるだぎゃ」
「……ああ」
「カッカッカッ、犬も尻を蹴られりゃ元気になるだぎゃぁか。おりゃあもかかぁのにぇにぇ(寧々)に蹴られてケツが痛ぁでよ」
そう言ってまた笑いながら『功名だぎゃ! 功名だぎゃ!』と喚く猿と俺は登城した。
広間に入ってすぐ、義信様が現れた。はて、いつもと異なり幾分顔が堅いようだが……。駿濃丸様の指南役をしていて、最近になって気付いたのだが、義信様は政務と私事を切り離す名人だ。政務の時は家族の事を考えず、家族と共に過ごしておられる時は家族の事しか考えぬようだ。お陰で駿濃丸様を甘やかすので指南役としては頭を抱えてしまう事が何度も有る。
「皆の者、ご苦労である」
「「はっ」」
「早速だが、当家はこれより当家は仏敵となる。これより近江勢、それから大和勢と共に叡山を討つ」
「……」
今、義信様は何と申した。仏敵……? 叡山を討つ……? なっ、しょ、正気か!? だから、難しい決断を下されたから堅い表情をしておられるのか……。
そう思っている最中も義信様の話は続いた。
「皆の考えも重々承知しておる。『仏敵となる、叡山を討つ』という事は仏神に唾を吐くに等しいと思っておろう」
「……」
確かにそうだ。大体、その様な事が人として許されるのだろうか……。
「だが、今の一向門徒、そして叡山は腐りきっておる。坊主は民を騙し摂取するのみ! 山法師は女子を攫って強姦しておる。挙句には朝廷を蔑ろにしておる。これが仏に仕える者の所業か!?」
「……」
「否、断じて許す事は出来ぬ。これを許せば、それこそ我等は人に在らず。この乱世なればこそ、民を助けてこその人であろう」
久しぶりだ。義信様の下知を聞いて久しぶりに腹の底から熱いものがこみ上げてきた。
「皆の者、出陣じゃ!」
「「おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」」
■天正二年(1574年)10月 摂津 石山本願寺 顕如光佐
織田が去ったと思おたら、次は武田とは……。
足利からの御内書により謙信さんと和睦出来たというに……。武田も先代さんが居た頃はこのような暴挙に出る事も無かったが、当代さんは違うようや。
そう思っていると願証寺証専からの書状が届いた。証専は伊勢長島方面の采配を任せている。文には、
『上人様、大変や! もう伊勢長島の門徒が皆殺しや! 武田さんは雨の日を狙って、……それに志摩の九鬼が大量の安宅舟を出しはった』
と書かれていた。
「なんやと! 鉄砲を千挺ほど廻したばっかりやろ」
思わず、文に対して怒りをぶつけてしまった。おのれ、勝頼めっ! そう思っている最中にも関わらず次に下間頼廉が現れた。
「上人様、えらいこっちゃで」
「どうしたんや!」
「三河の一向衆が寺ごと潰されおったわ」
「なっ……」
儂が絶句していると、更に追い討ちとばかりに頼廉が言い難そうに話を続けてきた。
「それから……、叡山にも兵を送ったそうやで、武田は」
「……」
「日ノ本の天台宗の本山寺院である叡山にまで手を出すっちゅう事は……、本気やな」
「……ああ」
「どうされます? 上人様」
「越前と加賀、それに越中の一向門徒を総動員せえ! 北から武田を攻めるんや」
「はっ」
そう言うと頼廉が席を立った。……その拍子に目の前が真っ暗になった。儂の築いた銭の種が……崩れていく音が聞こえた。




