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御旗、楯無も御照覧あれ!  作者: 杉花粉撲滅委員
尾張の激震 ~一場春夢~
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第三十七話 越相同盟






■永禄10年(1567年)4月 美濃 稲葉山城城下の屋敷 武田義信


「なあ、源五郎。そういえば相模の北条家との盟約ってどうなった?」

「……ハア~」


うわっ、めっちゃデカイ溜息を吐かれた。義信くん、ショック! あまり無体に扱うと僕ちゃん不貞寝しちゃうよ。それに家臣の分際で上司を見下すような態度を取ると賞与考課に響くよ? それでも良いのか、源五郎くん?


「なあ、当家は今川家との盟約を反故にしただろ。北条家とはどうなんだよ」

「ハア~、当の昔に手切れとなっております」


また溜息を吐かれた。フッ、漢に同じ手は二度は通じないぜ(キリッ。……って、源五郎くん、今、何て言った? 北条家と手切れ? 嘘だろ! 北条家って今の武田家とタメ張れる家だぞ。それが敵って……嘘だろ。


「不味いじゃないか。ウチの親父は何やってるんだよ!」

「仕方がございませぬ。武田家から甲相駿の三国で結んだ盟約を反故にしたのですから……。それをご存知で右京兆様自身が遠江と三河に侵攻したのを黙認されたのでしょうに……ハア~」


また……、それで三度目だよ、溜息! 仕方が無いじゃ済まないだろ、それ。ふざけてる、ふざけてるよ、お前。


「親父は何か考えが有るのだろうか、何か聞いてる?」

「さあ……」

「さあ、って駄目だろ! 何やってんだよ、源五郎」


俺が怒ると源五郎が俺を睨んできた。な、なんだよ、こ、恐くなんか無いぞ。


「私だって忙しいのです! 右京兆様の見張りに、右京兆様の政務の手伝いに、右京兆様の愚痴の相手に……、兎に角忙しいのです! それに……」

「? それに、何だよ」

「それに子供が産まれましたので、ゴニョゴニョ」

「えっ、お前、子供できたの!?」


初耳だ。ビックリした。この間、四郎に子供ができたって聞いた時以上に驚いた。この糞生意気なガキに子供……冗談だろ!?


「ふ、二人目です」

「何でもっと早く言わないんだよ~! 言ってくれればお祝いしたのに。で、名前は何ていうんだ?」

「源三郎(後の信幸)と弁丸(後の信繁)にございます」

「ふーん…………………………………………、ウチの亀姫(今年産まれた俺の次女ね)はあげないからね」

「だ、誰もその様な事は申してません! それに若君で苦労するのは私だけで十分です」


うわっ、……なんか失礼な事を言われた気がする義信くん、再ショック! だが子供が産まれた事に免じて許してやろう。俺は心の広い男だ。それよりも思う事は他に有る。


「北条家と手切れになったって事は妹の梅姫はどうしたのだろう」

「また話が戻った(ボソッ。梅姫様、今は黄梅院様と名乗られておりますが、甲斐に戻られたとの由にございます」

「……そうか、我が子と離れ離れになる事ほど辛いものは無い。可愛い妹だ、文を書こう。まあ、文を文で気を紛らわせられれば良いが」



 拝啓 黄梅院殿


 梅の実が成るとそなたを思い出す。我が


 姫が会いたがっている。一度、美濃に


 かおを出してくれると嬉しい。木曾の妹が


 わたしも会いたいと言ってきておる。


 いろいろ有ったが、気を落とさぬよう、


 いつか良い日が来る事を願う。


 敬具 従四位下右京大夫 源朝臣義信


 追伸 お兄ちゃんが絶対にまた、息子達に会わせてあげるからね。



■永禄10年(1567年)6月 相模 小田原城 北条氏邦


「では、この条件で宜しいですね」

「うむ」


俺は今、父上と兄上にに越後の上杉家との盟約交渉の条件を確認している。


「では、上杉家から当家に鞍替えした上野の由良成繁に和睦仲介を依頼します」

「ああ、そうしてくれ。此方も下総の関宿城(現 千葉県野田市関宿町久世曲輪)を落城寸前に追い込む事で盟約締結と引き換えに軍を引くという駆け引きを行なうつもりじゃ」

「はっ、して、人質の交換でございますが、兄上(氏政の事)の子である国増丸を……」

「ならぬ!」

「あ、兄上」


突如、兄上が立ち上がり、激昂した。まあ、兄上の国増丸に対する溺愛振りから分からぬでもない。だが、


「しかし、人質の交換は盟約の条件でございますれば……」

「フンッ、三郎(後の上杉景虎)で良かろう! 国増丸は渡さぬからな!」

「……はい」


仕方が無い。此処は弟の三郎に涙を飲んでもらおう。まだ齢十三だが、幻庵に鍛えられて胆力はあると聞いている。長尾家に行っても臆する事無く諸事を行なえるだろう。


「それから、他の約定につきましては……」

「その辺りはそなたに任せる。ただし、当家が従うとは限らぬがな……」

「ち、父上」


「当家にとっては、越後からの脅威が無くなるだけで良いのじゃ」

「し、しかし、それでは当家の信義が……」

「越後の守護代である長尾なんぞに信義など無用じゃ」

「……分かり申した」


これで良いのか……。この盟約が吉と出るか凶となるか……。



■永禄10年(1567年)11月 美濃 稲葉山城城下の屋敷 武田義信


遠い東国から北条家と上杉家が盟約を結んだと聞こえて来た。


あれ? イベント『越相同盟』って1569年、つまり二年後のはずじゃなかったか……。某ゲームのイベント発生条件ではそうだった。


何かがおかしい。


確かに武田家は歴史通りではない。俺の死亡フラグは解消したし、謙信を退かせ、美濃も手に入れた。そして……。


「あっ」

「? どうされました、若君」

「い、いや、何でもない」


傍に居た虎昌が怪訝そうな顔をしているが、それ所では無い。そうだよ、駿河、そして三河侵攻が早いんだよ。


何やってんだよ、親父!


俺は沸々と怒りが沸いてきた。だってそうだろう。折角、美濃を手に入れて武田家の国力を高めても、敵が史実より早く動いたら意味無いじゃないか。


イベント『三河の鷲』が発生していない。つまり、三河を治める松平家康が勅令を得て徳川家康に改名していないのだが、この段階で気付いていれば良かった。


俺は阿呆だ。段々、俺自身に対して怒りが沸いてきた。そして今更ながらに、俺はこの世界がゲームではないと実感した。駿河を、そして三河に侵攻できたのはあくまでも僥倖であったことを……。



……こうなれば、とことん歴史を覆してやる。まずは……浅井長政だ。


まだ織田家のお市の方は輿入れしていない。これも史実と異なる。だからこそ利用させて貰う。


「虎昌! 至急、御館様に文を出すぞ」

「えっ、してどの様な内容でございますか」

「北近江の浅井家を味方に付けるよう進言する」

「し、しかし、浅井家では当家との釣り合いが……」


何を寝ぼけた事を言っているんだ! あの信長が一目置いた傑物だぞ。此処は断固、我を通す!


「しかしも案山子も無い! 北近江を味方に引き入れられれば、上洛への道が開かれるんだぞ」

「さ、左様ですが……」

「ええい、こうしている刻が惜しい。此処は俺に任せてくれ。頼む、虎昌」

「わ、分かりました」


俺が頭を下げると虎昌が困惑しつつも了承してくれた。



■永禄10年(1567年)11月 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田信玄


「フンッ」


太郎から届いた文を横に投げながら、此度の北条攻めを思い起こした。結果から言えば引き分けじゃ。


今後、西上する上で背後を衝かれる恐れをなくす為に、まず小田原城の北条氏康を押さえ込んでおかなければならなかった。だから攻めた。


鳥居峠を越えて上野国に侵攻し、斉藤憲広を城主とする堅城の岩櫃城(現 群馬県吾妻郡東吾妻町大字原町)を攻略して橋頭堡として越後から関東への侵攻経路を確保した。更に、これによって関東の国人領主達を完全に服従させる作戦の拠点とした。


その上で自らも大兵を率い、小諸から碓氷峠を越えて上野に入った。


西武蔵や相模、甲斐の国境を守る城は北条氏にとっては最前線の守りとなる。あえてその城を攻め、北条氏の外堀を埋める態勢を取る事で、この機会に氏康の勢力を覆して武田家の支配下に収めようと目論んでいた。主力を率いながら最短距離を取らずに碓氷峠から侵攻を図ったのもその戦略によるものだ。


十月一日、北条氏歴代の居城である小田原城を包囲した。これに対して各地の支城に兵力を分散させていた北条方は、千余の兵で籠城していた。


勝ったと思った。しかし、氏康も去る者、儂の思惑通りには動いてこなかった。


小田原城の城下に放火したが、北条氏康は籠城したまま打って出る事はしなかったのだ。そのため、攻めあぐねた当方は、十月四日、支城からの後詰めが来る前に小田原の陣を払い、三増峠を経て甲斐に兵を退く事になった。


正直、これが油断であった。


小田原から平塚に向かい、相模川東岸を北上して甲斐府中に戻ろうとしたが、これが甘かった。


大軍を率いて出陣してきた武蔵滝山城主北条氏照と武蔵鉢形城主北条氏邦らが当家の退却を知り、相模三増峠で迎え撃とうとしたのだ。


十月六日、三増峠に差し掛かった頃、ここに北条勢が布陣しているのを知り、軍勢を二手に分けた。儂は、馬場信春、内藤昌秀、浅利信種らが率いる主力の一手を三増峠に向かわせると、武田勝頼率いるもう一手(史実では山県昌景が担当)に志田峠から北条勢の属城である津久井城を牽制させた。


このとき、武田勢の主力が北条勢の総攻撃をかけられたため、浅利信種は討ち取られてしまう。しかし志田峠を進んでいた武田勝頼が三増峠の主力を赴援したため、逆に北条勢が崩れる事になった。


この戦いで北条勢は三千二百余を討ち取られただろう。


小田原城を出た氏政に追撃される恐れたがあった為、軍容を立て直すとすぐに反畑まで進軍し、ここで勝ち鬨を上げてそのまま甲斐府中に帰陣した。


「此度は四郎に助けられたわい。そろそろ、家督を譲ってやるかのお」

ふと、ポツリと独り言を言っている儂がいる。いかんな、誰に聞かれておるやも知れぬ。こういった事は公になるまでは秘事とすべき事じゃ。







―――― それから二ヶ月後、新年の評定にて武田家を震撼させる発言が発せられた ――――






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