第二十八話 清洲同盟
■永禄6年(1563年)7月 伊勢 楠城城下の陣場 織田信長
「かかれぇぇぇぇぇ」
「「おおおぉぉぉぉぉ」」
当家は今、伊勢侵攻の手始めに楠城(現 三重県四日市市楠町本郷)を攻め立てている。フンッ、こんな端城に手間取るとは俺もどうかしている。
それというのも美濃攻めが頓挫した所為だ。美濃を手に入れておれば、そして美濃で兵を集められておれば、もっと楽に伊勢を平定できるというのに……。そういえば、猿が未練がましく美濃の調略を続けているようだが、果たして上手くいくかどうか甚だ疑問だ。
当家の取る道は北の美濃、東の三河、そして西の伊勢だが……。三河は駄目だ、あそこは枯れ果てた土地しかないと聞く。いくら長年に渡って統治してきた今川家や松平家の力が弱いといっても、あのような土地を取る為に貴重な兵を損なうなど真っ平だ。では北かといえば、美濃も芳しくない。
全く、八方塞りとはこの事か。ハハハッ、笑いしか出てこぬわ。
「御館様、楠城城主、楠正具が降伏、開城を申してきました」
「「うおおーーー」」
俺が思案に耽っていると使い番が正具の降伏を述べてきた。そして、それを聞いて陣場に居た諸将が感嘆の声を発した。
降伏か……。まあ、良い。正具には伊勢の道案内をさせるとしよう。
次は高岡城(現 三重県鈴鹿市高岡町)と神戸城(三重県鈴鹿市神戸)だ。まあ両城共に城下を焼き討ちを行えば良かろう。ただ神戸方の防戦により戦線が膠着しないか心配じゃな。
しかし、これからは伊勢の平定には兵を一箇所に集中させる必要がある。美濃が早々に手に入らないと分かったのだから尚更だ。となれば、斎藤家は別としても武田家と三河の松平家とは盟約を結ぶ必要があるな。
■永禄6年(1563年)8月 三河 岡崎城 松平元康
漸く三河に腰を降ろす事ができた。だが家中の不和や領内の一揆の始末に終始する日々を送っている。煩わしい限りだ。
しかしもう鬱積した日々も終わりにしたい。まずは今川家から独立して三河を取り戻す事が先決だ。しかし、内に一揆を抱えながら、外には尾張の織田家、信濃の武田家、遠江の今川家に囲まれては兵を集中できぬ。
此処はどこぞの家と同盟を結ぶ必要があるが、一体、どの家と盟約を結ぶか……。
今川家は論外だ。これから袂を分かつ家との盟約など何の意味も無い。ただ、正妻の瀬名と嫡男の竹千代を連れ戻さねばならぬ。
次に武田家だが、これも難しいだろう。かの家ははどう見ても駿河一国で矛を収めるとは思えぬ。必ずや遠江、三河と攻め入ってこよう。盟約などその場しのぎにしかならぬ。
となれば消去法でいくと尾張の織田家だが……。さて、如何にするか……、下手に出れば当家を侮られる恐れがある。盟約はあくまでも対等であらねばならぬ。
そんな事を熟考していると、書斎に我が片腕ともいえる石川伯耆守数正が入ってきた。
「失礼します。殿、尾張の織田家より使者が見えております。如何致しましょう」
「……広間にお通しせよ」
この時期に織田家からの使者か……。果たしてこれは吉兆か、それとも……。
■永禄6年(1563年)9月 尾張 清洲城 織田信長
三河の松平元康が当家からの要請により尾張に来る。いや、既に名を変えて元康、いや更に家康と改名したのであったな。
なんの手違いなのか、それとも我が親父の陰謀なのか、一時期、家康は尾張に居た事があった。その頃はまだ竹千代と名乗っていたが、時々相撲をした覚えがある。
あの時の童が既に元服して一国の太守になろうとしておる。時が経つのは早いものじゃ。儂も尾張一国に甘んぜずに飛躍せねばならぬ。その為にも此度の会談は重要になってこよう。
そうこうしていると、近習が家康の来訪を報せに来た。
「御館様、松平殿がお見えになりました」
「うむ、広間にお通しせよ。俺もすぐに参る」
「はっ」
一通りの政務を済ませて広間に赴くと、水を弾きそうな程の若者が鎮座していた。
「三河殿、息災かな?」
「はっ」
「……」
「……」
お互いが無言で牽制し合っていた。まあ、そうだろう。下手に出て底を見られる訳には行かぬ。だが、いつまでも無言で通る訳にもくまい。仕方が無い、俺から切り出すか。
「三河殿、先日の文で申した話だが、宜しいか」
「……結構です」
「うむ。では尾張と三河の境を国境とし、互いの不可侵を認めよう」
「はっ」
話が纏まったと同時に、祐筆が誓詞を持ってきた。互いに拇印を押して盟約を誓った。これで、取り敢えずは三河方面に兵を割かなくても良い。まあ、目の前に居る男を信用すれば、の話だが……。
そんな事を考えていると、家康が話し掛けてきた。既に身体から緊張が解けている。どうやら盟約が結ばれた事で素の部分が滲み出てきたようだ。
「織田殿、盟約が結ばれた事、誠に祝着でござるな」
「うむ」
「これで当家は東の遠江と北の信濃に集中でき申す」
家康が幾分饒舌になっている。本心ではこの男も盟約をすぐにでも結びたかったのだろう。
「ああ、当家も美濃と伊勢に兵を集中できる。誠に祝着じゃ」
「左様でございますな。いやぁ、良かった」
「……」
「それに、この盟約によって両家で武田に対抗できまするな」
「……ああ」
幾分、家康が饒舌になって離し掛けてくる。この男は分かっているのか。既に武田は甲斐、信濃、駿河に加えて美濃の一部を押さえているのだぞ。互いに一国を領するに留まっている両家で武田に対抗できると思っているのか。更に言えば三河はまだ内に一揆を抱えているという。その様な状態で外に打って出るなど論外だ。
「……武田も邪魔だが、その前に両家とも国力を高めるのが先決であろうな」
「さ、左様ですな。当家も早々に三河を平定しましょう」
「ああ」
「さすれば遠江にも目を向けられます」
俺が釘を刺すと、家康はすぐに恐縮した態でこれからの展望を語り出した。今少し地に足をつけて物事を見て貰わねば、こちらが困る。三河が武田の手中に落ちれば、当家はとてもじゃないが武田に対抗できぬ。
盟約を交わしたとは言え、多少、三河には不安が残る。次善策として武田とも何かしらの外交を模索した方が良いだろうな。
■永禄6年(1563年)10月 美濃 飯羽間城 武田義信
やっと家族を美濃に呼ぶ事ができた。春ちゃんや香姫、産まれたばかりの夜叉丸も喜んでいるから、俺も嬉しい限りだ。だが問題は……美濃の調略が思うようにはかどっていない事なんだ。
うーん、安藤守就はどうでも良いから竹中半兵衛重治を味方に引き入れたい。どうしたものか……。取り敢えずこの半年、何人かの家臣を奴の所に行かせてみたが、芳しい返事を得る事が出来ていない。
下手に弁の立つ者では太刀打ちできないし……。かといって馬鹿じゃあ話にならない、難儀な御仁ですね。誰か居ないかなあ。弁が立ち、度胸も有って物怖じせず、それでいて相手の心を読める奴。
久しぶりに、あれ、やっちゃおうかな。何時か再放送で見た某アニメにあやかって、と……。
ポクポクポクポク……チーン!
居た! 居たよ、俺でさえ舌を巻くほどの奴が当家に! 早速、呼び付けよう。奴も暇なはずだ。
数日後、その糞ガキが城に来た。
「若君、何ですか楽しい事って」
「うん、お前さんに頼みがあってね。わざわざ済まんね、こんな美濃まで来て貰っちゃってさ」
俺の前に座る若者、源五郎が心底嫌そうな顔をして俺に対している。そう、後の真田安房守昌幸だ。
俺が日頃と異なり低姿勢で接している事に怪訝な思いをしているのだろう。一つ咳をして俺に問い質してきた。
「ゴホンッ……で、頼みとは何です。詰まらない事だったら早々に甲斐に戻らせて頂きますよ。それがしとて御館様の近習として忙しいのですから」
「あっ、うん、とーても楽しい事だから。甲斐に帰るなんて言わないでよ。この右京大夫からのお願い」
「……そんな猫撫で声で申されても無駄です。さっさと用件を申して下さい」
くそっ、相変わらず可愛げの無い奴だ、少しは虎昌を見習え。まあ、良い。今回は成果さえ出してくれれば問題無い。
「ゴホンッ、頼みと言うのは他でもない。美濃の調略だ」
「それでしたら、若君の家臣が為されていると聞いておりますが?」
「うん、やってはいるんだけどね。成果が芳しくないんだよ」
「だからって、それがしに期待されても……」
源五郎が席を立とうとする。駄目だ、引き止めなければ! あの天才軍師に対抗できるのは同じく天才軍師(予定)しかいない!
「源五郎なら出来る! いや、もう元服して昌幸さんか……。兎に角、相手はお前以上に屁理屈をこねくり回す奴でな。当家の家臣達じゃあ相手にならないんだよ」
「……それがしは屁理屈をこねくり回したりしません」
「あっ、それは言葉の綾だよ。ゴメンね、機嫌直してよ」
全く、コイツのご機嫌取りは疲れるぜ。だけど俺や竹松を手玉に取ってきた歴戦の勇者、源五郎で駄目なら当家にはもう人は居ない。
「それで、その相手というのは誰なんです?」
「うん、竹中半兵衛重治って奴なんだけどね。最近、斎藤家から離れて山奥に住み始めた奴なんだ」
「ふーん。まあ、若君の頼みでは仕方がありませんね」
「ホント? いやー、助かるよ。流石は昌幸先生、頼りにしてまっせ」
「煽てても何も出ませんよ」
ホント、可愛げの無い奴! まあ、コイツで駄目なら力技で美濃を攻めるしかないからな。美濃の兵の数は限られてるから、仕方が無い、此処は下手に出てやるよ、糞ガキめ!
■永禄6年(1563年)11月 美濃 菩提山 竹中重治
「ご免下さい。竹中殿はご在宅でしょうか?」
斎藤家に見切りをつけて隠棲して一年。今日も庵で書物を読んでいると、また来客が現れた。また織田家の木下殿かとも思ったが、声が違う。はて、此度は一体誰であろう。
私が玄関に向かうと、そこには二十歳前後の青年とまだ元服したばかりといった風の若者の二人が立っていた。初めて見る顔だ、武士の風体をしているが何処ぞの領主の家臣であろうか……。
「何用でございましょう。主人は不在ですが……」
「左様ですか。いつ頃のご帰宅かお分かりですか?」
「さあ、主人は根無し草でございますれば……」
正直、今日は一日中、書物を読んでいたかったので嘘をついていしまった。青年が困った風で頭を掻きながら共の若者に『帰ろうか』などと言っている。早く帰って欲しい。




