第二十四話 小田原城の戦い
■永禄3年(1560年)8月 信濃 海津城 武田義信
暑い……。真夏の肉体労働は反則だろ! 超過勤務手当てが必要だ。
それにしても俺は一体何をやっているんだろう……。駿河に攻め込むんじゃなかったの、親父? そう思って義父が死んですぐに甲斐府中の館に向かったのだが、そこで話されていたのは北条家の事だった。相変わらず訳の分からん行動を起こす越後の軍神様が関東に進出してきていたのだ。
そしてその場での話と言うのが北条家からの援軍要請だった。
じゃあ、早速相模の小田原城に行くのかといえばそうでもなかった。北条家からは『長尾勢の後背を突いて貰いたい』との依頼を受けたからだ。
評定での話は即決だった。北条家がそう言うのであれば今後を見据えて北信濃に堅城を築こうって事になり、昨年からチョコチョコと作り始めていた海津城を広くしようって事になった。
という訳で俺は今、北信濃で我が師にして当家唯一の城取り(築城術)の達者である山本道鬼斎大先生と共に海津城の普請の陣頭指揮を執っている。また築城は屋代氏、香坂氏といった川中島四郡の国衆が参加している。
「ほれ、担当の石垣を早く築いた組には銭三百貫を追加するぞ」
「ほえー、三百貫なんて銭っこ、見たことねえです。カカアに言って早速酒をしこたま買わせんと!」
「ハハハッ、酒の心配は石垣を造り終えてからじゃ。ほれ、横の組に抜かれるぞ」
「おっと、いけねえ。皆、口を動かさず、手を動かせ!」
「頭~! 頭こそ手を動かして下せえ」
そんな和気藹々の空気を感じつつ、指揮をしていた勘助……、ゴホンッ、道鬼斎が微笑みながら近づいてきた。いまだに『道鬼斎』って号名に慣れない俺が居る……。
「それにしても若君も上手い事を考えましたなあ。早い組に銭を出す事もそうですが、組毎に分けて普請をさせるとは……」
「ハハハッ、小僧の浅知恵だよ」
そう、俺は後年に秀吉が得手としていた普請方法をこの海津城で取り入れている。あの普請方法はうろ覚えだったが、遣り方は至って簡単だ。ただ分担を決めて一斉に作らせ、褒美をチラつかせて大工達をやる気にさせるだけなんだもん。
そんな事を考えていると道鬼斎が真剣な顔になって話し掛けてきた。
「それにしても北条家は今、苦境でしょうな」
「ああ、既に長尾勢を中心とした関東連合に小田原城を包囲されている事だろう」
「救いといえば近年、関東では飢饉が続発しておりますし、関東勢は奪える兵糧にも窮する事でしょうな」
「そうだな、長期に渡る出兵を維持できないとして佐竹氏、小田氏、宇都宮氏が撤兵を要求しているそうだ」
「では早々に諸将は無断で陣を引き払う事でしょう」
「ああ、無断でな。流石に関東管領の檄によって兵を挙げただけに、おおぴらに撤退はできないさ」
成程、振り上げた拳を素直に下げる事ができぬか……。まあ、その辺りが武士の限界とも言えよう。
「となると……景虎は負けますかな」
「恐らくな。本人は口が裂けても負けたなどとは言えぬだろうけど」
「北条方の玉縄城(現 神奈川県鎌倉市城廻)、滝山城(現 東京都八王子市丹木町)、河越城、江戸城(現 東京都千代田区千代田)といった支城も落ちる事なく持ち堪えていると聞こえて参ります」
「十万を超える大軍を率いて北条氏の領土へ奥深く侵攻も得るものは無い……か」
「いえいえ、北条家の眼前の鎌倉鶴八幡宮で関東管領就任式を敢行しておりますれば、その名は天下に轟かせられた事でしょう」
「ハハハッ、実は無いが名を得たか!」
「それは北条家も同じでしょう。十万の兵に囲まれても負けなかった。小田原城も堅城として認識される事でしょう」
「そうだな」
「それにしても、最初に小田原に援軍を入れないと聞いた時には、左京大夫殿(氏康の事)は気が狂ったのかと思いましたぞ」
「そうだな。まあ、当家は長尾家の属城だった割ヶ岳城(現 長野県上水内郡信濃町大字富濃)を落とした事だし、当家が扇動して一向一揆が越中で蜂起したから役割は果たしているさ」
そんな話をしつつも、俺は大工達の働き振りから目を離さず、指揮を続けた。
「厠は最低でも十棟は作れ。戦の最中に城内が糞で埋もれたらお主等の所為だからな!」
「ハハハッ、分かっておりやす」
大工達が俺の指示に従って、城普請に精を出している。頑張ってくれ、俺の分まで……。この城には常時、本城には小山田虎満(備中守)、二曲輪に市川等張・原与惣左衛門が配置される事が決まっている。全く、手伝い普請は懲り懲りだ。
ハア……、それにしても誓詞が無駄に終わったなあ。あんなに痛い思いをして親指の先を切って拇印までしたのに、虎昌の分と併せて二通の誓詞を出しそびれてしまった。一体この誓詞は何時使おうか……。
それに俺の立場も宙ブラリンだ。武田家当主の長男だが廃嫡されて上原城城代の職に就いているが、相変わらず次期当主に抜擢された四郎からは敬語を使われている。四郎にはいつも『拙者は武田家家臣になるので、敬語は無用』と言い含めているのだが、一向に直る気配が無い。
いっその事、どこぞの家の養子にでもなろうかな、俺……。誰にしようかな~♪ 神様の言う通り~♪ オッペケペ~のオッペッペ~♪
■永禄3年(1560年)10月 甲斐 府中のとある屋敷 武田信繁
今日、俺は養子を貰う。養子とは本家から廃嫡された太郎義信の事だ。
俺には既に三郎(望月信頼の事)、長老(後の武田信豊)、太郎(後の望月信永)という三人の男児が居るのだが、兄上からの願いにより貰い受ける事となった。
長男の三郎は今年に信濃佐久郡の名族である望月信雅の養子となったゆえ、次男の長老が儂の跡を継ぐものと思っておったのだ。そして三郎が病弱なため三男の太郎も望月家に養子に出そうと思っていた矢先だったゆえ、更に驚いた。
「それでは義父上様、今後とも宜しくお願いします」
「う、うむ」
うーん、義父上様か……。あの屈託のない笑みを携えながら『叔父上~』と俺を呼んでくれた太郎はもう居ないという事か。少しばかり寂しさを覚えるな、これは。
「太郎は引き続き上原城の城代か?」
「ええ、虎昌が離してくれませぬゆえ。それに城下の拡張とか色々と面白いですので、御館様に申し出て引き続き、という事になりました」
「ハハハッ、虎昌は歳を取っても相変わらずであるな」
「はい、最近では我が娘の香姫にゾッコンにございます」
太郎が娘の可愛さから頬を緩めると同時に、虎昌が娘に懐く事を恐れて眉間に皺を寄せる。……器用なものじゃ。
「しかし、嫁にはやらぬのであろう」
「はい、勿論! 娘は誰にもやりませぬ」
ハハハッ、義信の親馬鹿は家中では有名になりつつある故、案の定、期待した答えが返ってきた。
「ところで、上原城の城下での事だが……」
「はい、何でしょう?」
「この甲斐府中でも同じ事をやってみぬか」
「えっ……、ええー」
一瞬呆けた後、儂の提案の意味を理解した太郎が奇声を発した。この辺りも相変わらずだ、齢二十三にもなるのに落ち着きが無い。
「先日、儂は兄上より躑躅ヶ崎館の周辺の街を拡張するよう下命された」
「はあ」
「そして本日、儂の下に街造りの達者が養子に来た」
「……はあ」
「なれば自ずと答えが見えてこよう。そなたがやれ」
太郎がしきりに右斜め上をチラチラと見る。フフッ、こういった癖も相変わらずか……。こういった場合、太郎は決まって言い逃れようと考えている。
「拒否は許さぬ」
「っい!」
「良いか、太郎。この府中は南は駿府に、東に武蔵に続いておる。なればこの地を商いの要衝とするのじゃ」
「あっ、えっ……しかし……」
「そういえば竹松が畿内から文を寄越してきおったなあ。火縄銃を買うには莫大な財が要る、と」
「……」
「良いな!」
「……はい」
折角、儂の養子になったのじゃ。精々こき使ってやるとしよう。
■永禄3年(1560年)10月 甲斐 躑躅ヶ崎館 武田義信
俺の命日は今日であったか……。まさかこの府中の街造りを信廉から丸投げされるとは、トホホッ。これだから信廉は苦手なんだ! いつも俺の思考の先を突いて逃げ道を潰してくる。少しは虎昌の無鉄砲さを見習って貰いたいものだ。なんか虎昌が可愛く思えてきた、無精髭さえなければだが……。
さて、下向きの思考はこの辺にしておこう。いつまでもグダグダと愚痴っても街は変わらない。気持ちを切り替えて頑張りましょうかね。
そしてそんな俺をやっぱり神様は見てくれていた。廊下の向こうから天使ちゃん達が舞い降りて近づいてきたのだ。
「やあ、源太(真田信綱の事)、それに徳次郎(真田昌輝の事)も……、一体此処で何やってるんだい」
「あっ、これは若君」
今年二十四歳になる源太くんと同じく十八歳になった徳次郎くんが俺を見て平伏してきた。
「嫌だなあ、二人とも。顔を上げてよ、俺と二人の仲じゃないか!」
「は、はあ」
やっと顔を上げてくれた二人が見たものは、満面の笑みを携えた俺の顔だったろう。フフフッ、愛い奴じゃ。
「で、此処で何やってるんだい」
「お、御館様に砥石城城下の報告を父上からするよう仰せつかって……」
「ふーん、そのお遣いは済んだのかな」
「は、はい」
なんか背筋に針金でも入れてるんじゃないかって位に姿勢を正している二人。案ずるでない、恐いのは最初だけじゃでのお。
「じゃあさ、俺の仕事手伝ってよ」
「ッギ、いや、でも、それがし達は砥石城に戻らねば……」
「ふーん、俺の頼みが聞けないんだ。そうかあ、聞けないのかあ」
「……」
「源太、嫁さん元気?」
「え、ええ、まあ」
「夫婦の間で隠し事は駄目だよねえ」
「……」
「源太が何時までオネショしていたか、多分嫁さんは知りたいと思うんだ、俺」
「……ッガ、どうして……」
絶句する源太くん。次は徳次郎くんにロックオーーーーン!
「徳次郎も……親父が留守な事を良い事に、弾正秘蔵の酒をくすねてる事をちゃんと報告しないと駄目だよね」
「な、何故にその秘密を若君が!」
「だって俺、弾正のウチの透破衆と懇意にさせて貰ってるからさあ、色々聞かせて貰ってるんだよねえ」
「……」
「俺のお願い、聞いてくれるかな?」
「……はい」
下を向きながらも喜々として俺の手伝いを願い出てくれた真田兄弟。これから二人と楽しい時間が過ごせると思うと無精に嬉しくなってきた。
「頼もしいぞ、二人とも! 進んで俺の仕事を手伝ってくれるとは……。この太郎義信、生涯忘れぬぞ」
「……はっ」
■永禄3年(1560年)12月 甲斐 府中のとある陣場 真田信綱
「兄者、太郎様は上原城から指示をだすだけだな」
「愚痴を申す出ない。口を動かす前に手を動かせ、……ハア」
俺は今、太郎様から送られた街割りの図面を見つつ、二ヶ月前の事を思い出していた。平伏していた俺が顔を上げた際に見た太郎様の顔を……。あの顔には鬼の微笑みであった。俺達は鬼に見初められたのだ、間違いない。これで図面に不備があれば苦言を言いつつ手を引けるのだが、図面には一片の狂いも無いから性質の悪い事この上ない。
「兄者、砥石城の母上から何時戻るのかと催促の文がまた届いたぞ」
「放っておけ、帰る暇などあるものか! 砥石城の事は叔父上(矢沢頼綱の事)に任せておけば問題無い……はずだ」
「ハア、……そうだな」
全く、府中は魔界だ……。




